主人公、追手に見つかる 3-2
少し歩く、という言葉の割にはちょっと長い距離を歩いて辿り着いた酒場は、思っていた以上の場所だった。
具体的に言えば、私が城で働いていたときに贔屓にしていた酒場より広いし綺麗だったし。
一言で言えば、高そうな酒場だった。
――もしかしてタカられるのだろうか。
そんな風に一瞬考えてしまったけれど、彼は既に自分の食べるものは用意してあるようだから、注文するのはおそらく私だけだろうと、思うことにしておいた。
仮に彼が何かしらを注文したとしても、大抵の酒場は注文した品を受け取る際に個別で代金を支払うのが常だから、私が彼の代金を払わなければそれで済む話なのだ。
……それに、高くても必要経費だから。自分で出すわけじゃないし、私が悪いわけじゃないし!
と心の中で自分に言い聞かせつつ、先に酒場に入っていった彼の姿を見失わないようについていった。
そして人気の無い、奥の方にあるテーブルに辿り着くと、彼は椅子を引いてからこちらを見た。
「……何?」
意図がわからずにそう聞くと、彼は肩を竦めて笑いながら言った。
「先に座ったらどうかな、とでも言えばいいのかね。
女性には優しくしておけ、その方がモテるぞ、と言われたことがあったのを思い出してな」
「バカじゃないの」
「男ってのはだいたいがバカなもんさ」
彼の言葉に溜息を返した後で、彼が引いた椅子に腰を下ろした。
彼はこちらが座ったのを確認すると、テーブルを挟んだ向かい側の席に座った。
そうやって二人でテーブルについてそう時間も経たない内に、給仕の一人がやってきた。
――高そうな酒場にふさわしい立ち居振る舞いに、思わず身を正してしまう。
しかし、給仕は私にメニューを手渡した後で彼の方を見るやいなや、突然その表情を気安いものへと変えてしまった。
しかも、その視線を私達の間で一往復してから、彼のほうに再び戻したと思ったら、
「なんですか、デートですか。あなたにそんな相手が居るとは意外ですね」
そんなことまでのたまったのだった。
発言の内容そのものにも物申したかったが――それ以上に、彼とこの給仕が顔見知りのように親しげにしていることに驚いて、言葉が出なかった。
……メニューを見れば、この酒場の程度がよくわかる。
この店は、庶民からすれば月イチ程度ならちょっとした贅沢としてかろうじて許せるくらいで、決して贔屓にして通い詰めるような店ではなかった。
それに、彼がこの街に滞在している期間を旅程から逆算すると、どれだけ長くても一ヶ月に届くかどうかというところのはずだった。
それだというのに――
「いや、彼女はただの客人だよ。そういう相手じゃない」
「本当ですかぁ? 信じられないなぁ。
……この前も女性と一緒に飲んでいるのを見たんですからね」
「はは、まいったな。あれを見られてたのか。
あれはまぁ、なんだ。何て言えばいいんだろうな。
――客じゃなかったのは確かだが」
「――あ、その物言いで察したんで詳しくは聞かないでおきます」
「理解があって助かるね。
……まぁ、これでも男だからね。仕方ないのさ」
「はいはい。
――それで、今日のご注文は? またいつものお酒だけですか?」
「ああ、俺はそれだけ頼むつもりだよ。肴は用意してるからな」
「……もー、たまにはうちで注文していってくださいよぉ。
店長ってば、なぜかあなたには何も言いませんけど。
正直、あんまりいい顔してないですよー」
「今日は客がいるからそっちが頼んでくれるさ」
「そういう問題じゃないですって」
――たったそれだけの期間で、酒場の給仕とこれだけ親交を深めることが果たして可能なのだろうか?
そんなことを思うものの、口にはせずに二人の会話を眺めていると、
「ご注文はお決まりでしょうか?」
こちらの視線に気付いたのか、給仕はこちらに向き直って、彼に向けるものとは全く異なる店員としての態度で聞いてきた。
……目の前でこうも態度を変えられると、なんとも言えない気持ちになるわね。
そんな気持ちを察してくれたのかどうかはわからないけれど、彼が助け舟を出すように口を開いてこう言った。
「そういえば、最近追加した新メニューの評判はどうだ?」
急な話題転換に、給仕は驚いたような表情で彼に振り向いたものの、すぐに表情を戻してこう応えた。
「……えーと、まぁ、上々ですよ。捌けもいいですし。
店長も、もう少し仕入れを増やしたいなと言ってました」
「そうか、そりゃいいことを聞いた。
……彼女はこの店が初めてだし、新メニューも含めて、いくつかオススメを見繕ってもらえるか?」
「あら、毎度でーす。ご予算は?」
「可能な限り安くて腹に溜まるものを二三品」
「……それ、うちで注文する内容じゃないですって。
まぁ努力はしてみますけど。
――それではお客様、料理が出来上がるまで少々時間がかかります。
そのままお待ちください」
給仕はそう言って一礼してから、テーブルを離れていった。
「……なんなのあの子。二重人格か何か?」
その背中が十分離れていくのを見送ってから、目の前の彼に向けて、ぼやくように聞いてみる。
彼は困ったように笑いながら、
「人見知りする性格なんだよ」
そんなことを言うので、はっきりと言ってやった。
「あれを人見知りとは言わない」
彼はこちらの言葉に肩を竦めながら笑った後でこう言った。
「まぁ、ここが店の奥にある席なのと、俺が相手だから気を抜きたかったんだろうよ」
「私は初対面で、しかも客なんだけど」
「俺の連れだとわかってたからわざとだろう」
「それを人見知りとは言わない。
――あと、こんな店で気軽に食事できるほど持ち合わせはないのだけど」
「安心しろよ。払え、なんて言うつもりはない。
俺が注文したんだ、自分で払うさ。勿論、食べるなとも言わんよ」
「そりゃあ結構なことで」
「話は料理が来てからにしようか」
「着いてきておいて、こう言うのもなんだけど。食べながらするような話かしら」
「食べながらできない話なんてあるのか?」
……当事者からそう言われてしまっては、私からは何も言いようがないのだけど。
そう思いながら溜息を吐く。
「「…………」」
それから何か話をするでもなく、手持ち無沙汰な時間が過ぎていったものの――下らない話をしたせいか、酒場に来る前よりは沈黙もそれほど気にならなかった。
まぁ料理が来るまでにそう時間がかからなかったということもあるけれども。それはさておき。
彼の注文通りに、それぞれ異なる料理を載せた三つの大皿と、二人分の食器類を持ってきた給仕は注文を取りに来たのと同じ人で。
「彼のお客様ということであれば、私どももサービスさせていただきますので。
街に滞在される間は、当店をどうぞご贔屓に」
彼から料金を貰った後、片目をつむってそんなことを言い残してから去っていったのだけど。
――いや、そうそう一人で来ることは出来そうにないんですが。
彼の払った金額を見て、そんなことを反射的に考えた小市民な私を誰が責められようか。
メニューを見てわかっていたことだけれども、やっぱりちょっとお高く過ぎる。
「……よくそんなにお金が使えるわね」
「うまい飯ってのは生きる活力になるからな。金を惜しまないようにしてる。
それに、次の瞬間どうなるかなんてわからないのが人生だからなぁ。
金は使ってなんぼだろうさ」
「お金が必要になったときに困るわよ」
「それはそれ。そうなった時の自分に任せるさ。
――まぁそう絡むなよ。折角の出来立てだ。まずは食べようぜ」
そう言って、彼は大皿から自分の分を取り分けて食事を始めた。
まだ言い足りないような気分だったけれど、
「うん、やっぱりここの料理はうまいな」
などと呟きつつ目の前で本当においしそうに食事をする彼の姿を見て、意地を張っても仕方ないかと、私も自分の分を大皿から確保した。
そして、取り分けた料理を一口食べて。
――うわ、これ美味しい!
話をすることも忘れて食事に夢中になった。
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