主人公、追われる羽目になる 2
――王が彼の残した一言を眺め始めてから、いったいどれだけの時間が経ったのだろうか。
緊張もあって恐ろしく長い時間が経ったような気もするものの、実際はきっとそう長くないだろう沈黙の後で、王は沈黙を破るように大きな溜息を吐いた。
そして、布を机の上に置くと、椅子の背にもたれかかるようにして天井を仰いだ。
「君はこれを読んでどう思った」
その姿勢のままで、問いかけが来た。
反射的に、わかりませんという一言が口から出かけた。
すんでのところで言葉を飲み込んで、どう答えるのが一番いいのかを考える。
彼の部屋を訪れたときは思考を放棄してしまったが、
……ここで思考停止をするわけにはいかない。
最悪死ぬぞ、と。そう自分に言い聞かせた後で、思考を深く沈めていく。
思索を始める。
●
――今わかっていることは、彼が金銭を手にしないまま城から出た事実だけだ。
彼の考えていることなど、私が考えてみたところでわかりはしない。
だったら、自分ならどういう状況であればそのような行動を採るかを考えるべきだろう。
そうやって想像してみれば、ひとつだけ理由は思いつく。
彼は金銭よりも優先するべき何かがあって、受け取る機会を見送ってまで城を出ることを急いだのだろうと。
――では、金銭よりも重いものとは何だ?
それは、自分の命だ。
命の危険を感じれば、なにはともあれその場から逃げ出すだろう。
そして、その際に誰かへの言葉を残すのならば、それはおそらく危険そのものに関する情報だ。
それを、自分を助けて欲しいから残すのか、それとも自分以外の誰かに警告するために残すのかはわからないが――
●
そこまで考えてから、思考の熱を吐息とともに吐き出した後で口を開く。
「もう一人の勇者が現れたことで命の危険を感じたために、城から逃げ出したのではないかと想像しました」
「私たちが不要になったものを処分するのではないかという不安に駆られてか」
王の言葉に、私は思わず首を横に振って応じてしまった。
……王からは見えていないわよね。
そんな事実に、そうしてしまった後で気付いたから、言葉を続けた。
「いえ、それは違うと思います。もしもそうであれば、彼は書置きを残す必要がありません。
……もっとも、それが彼の残したものであれば、ですが」
そうだな、と王は私の言葉に頷きを返した。
……王は私以上に聡明な方だ。
私が考えられることなど既に思い至っていたに違いなかった。
この問いかけは王が自身の考えをまとめるために行っているもので、私の答えがどうであっても、あまり問題にはならないのだろうと思ったりはする。
……だからと言って、雑な回答をするわけにはいかないし。
それに、自分の考えに対して他者に共感してもらうことは重要だった。
この状況だと特に、である。
なにせ、相手は私の身を文字通りにどうともでもできるだけの権力を持っているのだ。
間違っているからと言って即座に身が危なくなるようなことはないと信じているけれど、どうせなら、王の想像に近い考えを返せたと思える方がよかった。主に私の精神衛生上の問題で。
「では、これが彼の残したものであったとした場合、彼は私たちに何を期待していると思う?」
現実逃避気味にそんなことを考えていると、王が視線を天井から私に移して、再び問いかけてきた。
――問いかけられた内容を理解して、少しほっとした。
この質問については考えるまでもないと、すぐに答えを返す。
「何も。期待などされていないのではないでしょうか」
王は私の答えを聞くと、少し意外そうに目を見開いた視線をこちらに向けた後で、なぜそう思うのかと問いを追加した。
この質問も、すぐに答えることができる内容だった。だから言う。
「彼は私達のことを、よくも悪くも、なんとも思っていないはずだからです。
「彼が何かをするのなら、それは、彼がするべきだと判断したことだけでしょう。
そしてそれは、彼が彼を認めるために必要なことであって成果は二の次――それどころか、おそらくは算段にも入っていないはずです。
「彼は自分の残した言葉が一笑に付され、気にも留められなかったとしても、それが私たちの選択であればそれでいいと考えているのでしょう」
「……彼のことをよく理解しているようだ」
王の言葉に、そうだろうか? と内心で首を傾げたけれど。
何も反応しないというのも気分を害されるかもしれないと、当たり障りの無い言葉を返しておくことにした。
「……この城では訓練担当者の次に、接する時間が長かったですから」
なるほどなと、王は一瞬だけ表情を緩めた後で、表情を戻してから言った。
「君に頼みたい仕事がある」
「何でしょうか」
姿勢を正して、王の言葉を待つ。
それから少しの間を置いて王の口から飛び出た言葉は、私にとっては意外な内容だった。
「彼を見つけ出し、その所在をこちらに連絡してほしい」
「……目的をお聞きしてもいいでしょうか?」
「なに、渡すと言った以上、金は渡さなければ決まりが悪いだろう? だからだよ。
一度口にした約束は果たしてこそ信用が生まれるものだ。違うか?」
一息。王は自分で言った言葉がおかしくてたまらないというように笑みを浮かべた後で、こう続けた。
「まぁ当然、これは建前だ」
「……この書置きについて、彼の意図を聞き出せばいいのでしょうか?」
「それもあるが、それだけじゃない。彼がどこに居るのかを把握しておきたいんだ」
視線がよっぽど訴えかけていたのだろうか。
王は、彼の所在をなぜ把握しておきたいのかというその理由を、すぐに話してくれた。
「勇者が二人居るのなら、二人とも利用できる状態にしておきたい。
……当然のことだろう?」
なるほど、と一応の納得はできた。
王以外は彼を偽者と決め付けて不要と判断したが、王自身はそう考えてはいないのかもしれないと、そういうことなのだろう。
あるいは、もしそうであったとしても、勇者と言い張れる誰かが居ればそれでもよくて。だからこそ替えを確保しておきたいということなのかもしれなかったが。
……それはまぁ、私が気にする必要のないことね。
そう判断して、無駄に回りそうになる思考を中断する。
そして、今ここで判断しなければならない方向に頭を回した。
……仕事については、請けるしかない。
王からの依頼を断ることができるほど度胸が据わっているわけでもないのだから当然だ。
とは言え、それでも確認しておきたいことはある。
「最初の旅支度や彼を探す道中については、支援を受けられると考えていいでしょうか」
重要なことだった。
旅をするにはお金がかかる。
それを全部自腹でやれと言われたら、流石に仕事を請けた後で別な国にでも逃げることを考えなければならなかっただろう。
王はそんな風に考えるこちらの反応を想定していたのだろう。
小さく笑った後で、私の言葉を首肯した。
「当然だ。この国から離れれば相応の時間がかかることになるが、必要な経費はしっかりと出す。
流石に、遊び呆けているようであれば容赦なく切るがな」
「わかりました。報告や連絡はどのような形で行うのでしょうか」
「詳細については別の者から説明をさせる。
……そろそろ来てもいいはずなんだが」
王がそう言ったところで、ノックの音が響いた。
あまりにもタイミングが良かったことと突然のことだったので、思わず驚きで体が跳ねてしまった。
その後で首だけを動かして視線を扉に向けると、王の入室を許可する声が響き、扉が開いた。
「…………」
扉の向こうから出てきたのは、一人の男だった。
どことなく疲れたような表情を浮かべているこの男は、王の政務などを補佐する人物だった。
――なるほど。彼ならこういった面倒事の説明に駆り出されてもおかしくない。
そんな風に納得する。
「ちょうど良いところで来てくれた。
私からの依頼が終わったところだ。詳細の説明を頼む」
「わかりました。
――別室に資料を用意しています。そちらで詳細の説明などを行いましょう」
そう言うやいなや、男は部屋に入ってから早々に出て行ってしまった。
なんとなく早く出て行かなければ置いていかれるような気がして、王に頭を下げてから、男の後に続くように素早く退室した。
そうやって部屋を出ると、男は既に部屋の前から随分と離れた位置まで進んでいた。
その足取りが心なしかいつもよりも荒々しい気がするのは、余計な仕事――私が請けた仕事のことだ――が増えたからだろうか。
……まぁ私が気にすることでもないけどさ。
説明の場で八つ当たりみたいなことはしないでもらいたいなぁと、そう考えて、思わず口から吐息が漏れた。
……さて、また妙な展開になってきたものだけれど。
雇われの身では状況に流される他ないので仕方が無い。
せめて、快適に旅が出来るように準備はきっちり整えられるようにしなければと思いながら、止まっていた足を動かした。
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