第32話 妹の部屋で

 恭子の部屋は八畳ほどの広さだった。ベッド、メイク台、チェスト、収納ボックスだけの質素な部屋で、中央にローテーブルが置かれている。陽子が部屋に入ると、恭子は電気ケトルのお湯で紅茶を入れた。二人でローテーブルを囲み、紅茶に口をつける。


「シェアハウスに住んでるとは思わなかったな。シェアハウスって、凄く狭い部屋が並んでるイメージあったけどここは普通のアパートみたいね。ところで、さっき言ってた、お世話になった人達って?」

「お姉ちゃんには何度か話したと思うけど、私、会社に入ってから生きがいが見つけられなくて悩んでたの。友達のインスタを見ては嫉妬したり、くだらないマウンティング投稿もしてた。でもこの前、あるセミナーに行ってから人生変わったの。新しいキャリアについて考える勉強会で知り合った人が教えてくれたんだけど。この人が代表なんだ。」


 そう言うと、恭子は一枚のDVDパッケージを取り出した。巨大なイベント会場に並ぶ人々をバックに、腕組みをした色黒の壮年男性が写っている。この男性が、済に見せられたあの男、梅田有一だった。見るからに胡散臭いというのが第一印象で、陽子は少し心配になった。


「これ、何かの怪しいセミナーとかじゃない?情報商材とか、変な投資案件じゃないよね?」

「私も最初は怪しいと思ったんだけど、これを教えてくれた吉村さんは凄くいい人なの。よくいる、怪しいものを売るために自分の話ばかりするタイプじゃなくて、私の話をじっくり聞いてくれた。勉強会の打ち上げで初めて話した時から不思議な安心感があって。自然と私の悩みを打ち明けてたんだけど、その時に聞いたのが潜在意識についての話なの。吉村さんによれば、私が周りの人に気分を左右されちゃうのは、潜在意識の方向と今の生き方が合ってないだけだって。眠っている自分に向き合って力を解放すれば、誰でも無敵の存在になれる、やり方さえ勉強すれば誰でも可能だって。ちょっと胡散臭いと思ってたけど、一度セミナーに行ってみることにしたの。」


 恭子は目を輝かせて吉村という人物について話した。自己啓発セミナーの講師だろうか。


「そしたら、本当に新しい体験ばかりで。たった三日だったけど、それまでの人生で一番濃い三日間だった。その後もより高いレベルのセミナーに呼んでもらって、これまでの人生を振り返って自分を見つめ直したの。今は、私みたいに人生の目標が見つかってなかった、潜在意識と向き合えてなかった人達の力になりたいと思って、セミナーの人達とここで暮らしてる。」

「そうなの。まあ、自分の深いところと向き合う機会はそんなにないし、生きがいが見つかったのは良いことね。」


 正直かなり胡散臭いとは思っていたものの、相手は赤の他人ではなく妹だ。頭ごなしに否定するのもまずいと思い、一度話を受け入れることにした。


「今は毎日仲間と勉強して、凄く充実してる。良かったら、お姉ちゃんもセミナーに来ない?普通はいきなり申し込めないんだけど、私の紹介って言ったら参加できるから。ね?」


 何となく察してはいたが、やっぱりか。正直セミナーには全く興味がない。やんわりと諭して断ることにした。


「うーん。私は今仕事で十分充実しているし、このまま頑張れば理想の自分になれると思うから、今はいいかな。あまりそういうのには詳しくないけど、自己啓発セミナーって結構高いんじゃない?高い値段まで出しても、数カ月後には元に戻っちゃうこともあるらしいし、私はあまり感心しないな。自己啓発セミナーとは少し違うと思うけど、自己啓発本も割とすぐに熱が冷めちゃうことが多いよね。あれも一時のエネルギー源になればそれで良いのかもしれないけど。」

「えーっ、せっかく誘ったのに。きっとお姉ちゃんの人生にもプラスになると思うんだけどな。でも、昔から政治思想とか考え方もしっかり持ってたしね。無理にとは言わないけど、もしも興味があったら申し込んでみて。後でLINEでリンク送るから。」


 思ったよりもしつこく勧誘しては来なかった。大学時代、陽子が対立思想の相手と容赦なく議論をしたり、ネットで長々とレスバトルをした話を聞かせて若干引かせていたせいだろうか。口でやり込めるのは無理だと思っているのかもしれない。陽子としては、妹と言い合いをするつもりはないのだが。


 その後はセミナーの話をすることはなく、紅茶を飲みながら他愛のない話をして部屋を出た。共用スペースには何人かの住民がおり、軽く挨拶をしたが、どちらかというと爽やかな部類の若者ばかりで、おかしな雰囲気は感じなかった。建物もおしゃれで、セミナーの話は怪しいと思ったものの、あまり警戒はしなかった。

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