第21話 ターリー、特 定 完 了

 脳内で補完した漢字をFacebookの検索窓に打ち込む。表示されたアイコンは、Instagramと同じものだった。上野の西郷隆盛像の前に本人が立っている写真で、やや引きのアングルのため、写っている顔自体は小さいが、何度も見た顔で間違いない。


 ようやく特定作業が終わった……。揺れる新幹線の座席で、済は一人ため息をついた。


 ターリーの本名は「東尚之」。後で調べると市村や越島とフレンドになっていたのだが、あまりに本名とニックネームが違いすぎるのと、写真の顔が小さいので見落としていたらしい。キソコソ西田サロンについては、検索しても本人は出てこなかった。既に退会してしまったのかもしれない。


 Facebookの投稿については格言やキソコソ西田の記事が中心で、めぼしい情報はなかったものの、プロフィールには過去の経歴が掲載されていた。新卒で大手メーカーに入社し、エンジニアとして働いている。十九歳で就職と書いてあるため、高卒で技術職に採用されたものと考えられる。この大手メーカーは四年程で退社し、「インフォエンジニアリング」という会社に転職していた。調べたところ、これはエンジニア派遣の会社だった。サークルでは勧誘の時間を捻出するため、派遣社員への転職を勧められることが多い。ターリーもこのパターンで大手メーカーを退職したのだろう。さらに、インフォエンジニアリングについても昨年退職しており、現在は何の仕事をしているか分からなかった。実に怪しい経歴である。


 さらに本名でGoogle検索してみたところ、鹿児島の工業高校でラグビー部に所属し、試合に出場した記録が残っていた。どうりで体格が良いわけである。また、大手メーカー勤務時代に旋盤部門で技能五輪に出場していたことも分かり、工業高校の機械科から大手メーカーに採用されたと推測できた。そのまま技術者として働いていれば、社内で安定したキャリアを築けていたのではないかと済は思うのだが、一体何故こうなってしまったのか。人生の選択は本人の自由だが、半分マインドコントロールされた状態での退職となると、本人の意思と言えるか微妙な線である。大手メーカーを退職するように仕向けたのは師匠の越島だろう。人の人生を操ってまで金を巻き上げるとは、本当に罪深い集団である。済は少しターリーが可哀相に思えた。車窓を少しずつ移動する富士山を見ながらターリーの人生について想像するうち、気づくと済は自身の半生を思い出していた。


 済は国立大修士を出ているが、生まれたのは柄の悪い地域だった。中学受験など話題にも登らなかったし、中学生にでもなればクラスの八割が不良、高卒で地元就職するのが当たり前だった。福岡県には学区が十三個もあり、公立の場合は学区内にしか進学できない。運悪く荒れた学区に生まれてしまうと、偏差値の高い高校を受験することすらできなかった。当然周囲の受験意識も低く、学区の成績はさらに下がる……これが繰り返されていた。そうした環境でも済が進学について考えられたのは、たまたま父親が転勤族で、中学受験をするのが当たり前の地域に一時期住んでいたからだ。さすがに私立中学に通わせるまでの財力はなかったが、幼い頃から済に教育投資を行い、高校受験時には別学区の親戚宅に住んでいることにして越境受験し、何とか地元から離れることができたのだった。


 済の地元ではスクールカーストの上位が全て不良であり、成績優秀者は日陰者だった。このため成績優秀者は皆、逃げるように地元を後にした。済もそれを引きずっていたが、東京の大学に進学すると全く違う世界が待っていた。勉強をするのが当たり前の世界で育ち、趣味や部活にも真面目に取り組んできた学友達。隣の中学と喧嘩をしたり、万引している者が偉いとされるような価値観が蔓延していた、済の環境とは雲泥の差だった。そして、不良達が半ば洗脳されていたテレビや雑誌の会社に入るのも、SNSでキラキラした情報を流すのも、高学歴の人間達だった。地元の不良達は優等生を馬鹿にしていたが、不良達が成人すると、実際には彼らが羨む生活に触れることはできない。それは大人になった優等生達が享受する果実だったのだ。これは生育環境に恵まれるか、親族に大卒者がいなければ分からない感覚だろう。テレビがこの話をお茶の間にぶちまけることはまずない。仮に触れたとしても不良達が見る番組ではないだろう。この国は大学を卒業して都市圏に就職する人々と、高校を卒業して地元で就職する人々に分断されている。分断された環境に満足していれば問題ないが、地方から上京し、いきなりキラキラしたものを是とする価値観をぶつけられた時、人はどう思うのか。その人物が、もしも人生のレールを変えてキラキラした存在になりたいと思った場合、大学に入り直す、独立できる資格を目指して勉強するなど、具体的にアドバイスをくれる人物が近くにいれば良い。しかしそれがなかった時、「起業すれば全てうまくいく」と説くサークルしか頼りにできなかったのではないか。


 済がこれまでの生き方と日本社会の分断について考え終わった時には、富士山は車窓の端に消えていた。

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