第222話メッフィー商業立国経営統合その2
「──っ!」
意識が覚醒すると共に周囲を見渡す……ここは何処だ? 確か俺は王女誘拐というサーディス商会の凶行を解決し、アビーを……アビゲイルを助ける為に私兵や傭兵を率いて奴らの街に乗り込んだはず。
それが何故こうして薄暗い地下室と思われる一室で猿轡を噛まされ、粗雑な椅子に縛り付けられているのだろう。
『おや、目覚めていましたか』
「……っ!」
そうだ、この女だ!
アビーが一人で裏を暴こうと無茶をしてマークしていたこの女……美しいだけで、我々の注目を集めるだけの人形かと思っていたらとんだ食わせ者だった。
誰がこの美しい細腕の貴族令嬢が悍ましいアンデッドの鎧を身に纏い、俺たちの兵を全滅させると思うのか。
『私と彼とでは言葉が通じなくて会話できませんので、通訳をお願いします』
「……っ」
「んんー?!」
そんな恐ろしい毒婦に続いて姿を表したのは他のでもない……この『メッフィー商業立国』の唯一にして正統な王位継承権を持つただ一人の王族にして、私の──私の愛する女性、アビゲイル王女その人だった。
今にも泣きそうな彼女に何をしたと、視線だけで人を殺せそうな剣幕で女に向かって唸る。
『何を怒っているのですか?』
「……何を怒っているのですか?」
「──ぷはっ!」
猿轡を外しながら何事かを口にした女に続いてアビーが私に何を怒っているのかを問う……コイツ、仮にも一国の王女を通訳として使っていやがる?!
「アビーに何をした?! いや、何をするつもりだ?!」
『わ、私に何をするつもりなのかと……』
あぁ、クソ! 俺が答えるだけでも王女であるアビーが通訳するのか……しかし、俺は『アリューシャ諸言語』は使えない。
それではこの女から目的を問い質す事も出来やしない……自分が情けない。
『特に何も……強いて言うならきちんと王位を継いで貰う程度ですかね』
「……特に何もしない、私に王位を継いでもらうだけ」
「……は?」
何を言っている? サーディス商会と手を組み唯一の王位継承権を持つ王女を手中に収め、我々ファストリア商会を抑えたこの女が何を?
この状況で何も言ってこないところを見るに、セカンディア商会も何かしらの談合があったのだろう……この非国民共め! 反吐が出る!
そんな、もうこの国の全てを手に入れたと言っても過言ではない女が今さら何を言っている?
王位だけ継がせて傀儡にするつもりなのか?
『私が用があるのは貴方の方ですよ、ディルク・ファストリア』
「……私が用があるのはディルク・ファストリアだけ」
「……何を要求するつもりだ?」
『……何を要求するつもり?』
奥歯を噛み締め、あらん限りの憎悪を込めながら目の前の毒婦を睨み付けてやる。
椅子に縛り付けられているのだから、傍から見たら滑稽だろうが知った事か。
『いえなに、今度の大公選挙でグレゴリウス・サーディスに投票して貰いたいんですよ』
「え?」
女が何を言ったのかは知らないが、アビーが驚きに目を見張るという事は碌でもない事なのだろう。
さらに警戒を高めて身構える。
『なにか?』
「あ、いえ……今度の大公選挙でグレゴリウス・サーディスに投票して貰いたい」
「……は?」
大公選挙? 何度も言うが、もはやこの国の全てを手に入れたと言っても過言ではないこの女が気にする事か──ってそうじゃない!
グレゴリウス・サーディスに投票しろ? 馬鹿か?!
あの色ボケ狸に私が投票するという事は、過半数が奴を支持した事と同義……つまりアビーがあの醜い男に嫁ぐという事ではないか! そんな事を許容できるか!
「絶対に断る! アビーをあの男へは嫁がせない!」
「ディルクっ……!」
涙ぐむアビーが痛々しい……彼女を助けられなかった不甲斐ない俺ではあるけれど、時間さえ稼げれば今度は父上が俺の時以上の大軍を率いてやってくる。
それまでの辛抱だ……絶対に俺に信を置いて投票してくれた民を、アビーを……そしてこの国を裏切る様な真似はするものか!
『あの、通訳をお願いしても?』
『……っ! で、ディルクは絶対に貴女なんかに協力しない! グレゴリウスなんかに投票しないわ!』
『……なるほど、そうですか』
涙目で目の前の毒婦を睨み付け、勇気を出して啖呵をきったであろうアビーに加勢するようにして俺も叫ぶ。
「いずれここに俺以上の大軍を率いて父上が現れる! その時がお前の最期だ!」
『ディルクのお義父さまが大軍を率いて来た時が貴女の最期よ!』
アビー、お前は一人じゃないんだと……目が合った彼女と数瞬だけ微笑み合いながら二人の勇気を合わせる。
二人だったらどんな敵や化け物が相手でも怖くない気がして……彼女から勇気を貰って、彼女へと勇気を与える。
そんな循環が確かに俺らの間にあるのが心地よくて……少しだけあった不安なんていつの間にか消え去っていた。
「邪悪なる混沌の使徒よ! 今にも高位神官を雇った父上がお前を滅するだろう!」
『ディルクのお義父さまが連れて来る高位神官が貴女を滅するわ!』
我が国は確かに軍事力に乏しいし、雇える傭兵も近辺にそこまで居ない……けれど経済力だけなら誰にも負けない。
こういう時こそ金を使い、中央神殿から高位の神官や戦士を雇う……父上には予め俺が失敗した時に雇って再進撃する様に言ってある。
「いくらお前が化け物じみた強さを持とうとも、先刻以上の軍勢に貴様ら混沌の使者を狩る事に長けた神官戦士が相手だ! お前に勝ち目はない!」
『貴女がどれだけ強くとも、さらに大きな軍勢と混沌に対する戦いの得意な神官戦士が相手よ! 貴女に勝ち目はないわ!』
じっと黙ってコチラの啖呵を聞き続ける女の滑稽さに少しだけ溜飲が下げる。
後は父上の救援を待つだけでこの女は終わる……それを理解したなら今の状況が不味い事は分かるだろう。
早く俺とアビーを解放した方が身のためだと思うがな。
『……そうですか、貴方達の気持ちはよく分かりました』
『……何をするつもり?』
「……どうした? アビー、この女は何を言っているんだ?」
「あ、貴方達の気持ちはよく分かったって……」
なんだ? 何をする気だ?
この期に及んでまだ俺たちを脅迫できるとでも思っているのか? この女は何がしたい?
ただ状況の不味さに気が触れてヤケになったか? ……だとしたら煽り過ぎただろうか?
だが例えどんな拷問を受けようと、父上が救援に来た時に神官に癒して貰えれば──
『──まぁ、ディーン・ファストリアの首はここにあるんですけども』
「「──」」
奴が、目の前の女が足下の影から出した
「ちち、う……え……」
「……」
──父上の首だった。
「ヴ"ォ"エ"!!」
アビーの前だと言うのに、自分の親のあまりにも無惨な死に顔に耐え切れなくて胃の中の物をぶちまけてしまう。
鼻を突くような自身の吐瀉物の悪臭に刺激されて涙目になりながらも、今にも倒れそうなアビーの為に自分を奮い立たせ、嘔吐したばかりで無様だろうが瞳に力を入れて
『もう一度だけ聞きますが、グレゴリウス・サーディスに投票するつもりはありませんか?』
「……」
『通訳』
「……っ! ……も、もう一度だけ聞きますが、グレゴリウス・サーディスに投票するつもりは……ないですか?」
どうする? 父上の救援も当てにならないのなら、本当にこの窮地を脱する方法はない。
俺は……助からない。
「ぐっ……」
『するんですか? しないんですか?』
「す、するんですか? しないんですか?」
助からない、が……あの男とアビーが結婚して幸せになるとは思えない……ましてやこの女のお膳立てによる結婚など話にならない。
……この提案を拒否すれば確実に俺は死ぬだろう……それも父上の様な死に顔を晒すくらいに悲惨な死を。
「──れ、でも!」
『? なんですか?』
「それでも断る! 例え俺がここで死のうとも! アビーの幸せだけは譲ってやらない!」
俺はここで死ぬが……ファストリア商会の当主と次期当主が大公選挙を前にして同時期に居なくなるんだ……わざわざ脅迫してでも表上は正規の手続きをして他国からの介入を防ぎたいこの女にとっては都合が悪いはずだ。
そんな事になって選ばれた大公なと、他国にどうぞ追求して介入の糸口にしてくださいと言っている様なものだ。
……俺は絶対に首を縦に振らない。
『……そうですか』
俺の剣幕に答え悟ったのだろう……仕方ないとばかりに腰からぶら下げていたキューブを取り出した事に少しだけ警戒する……もはやどんな責め苦を受けてもおかしくない状況ではあるが、予め心構えだけはしておく。
痛みに備えて歯を食いしばる。
『ポン子さん、ブルース・セカンディアが持っていたあの玩具に』
奴の一挙手一投足を見逃しまいと目を逸らさずに観察していると、奴が手にしたキューブが形を変えていく……最終的にセカンディア工業都市で秘密裏に開発を進めていると言う手に持てるサイズの兵器と似た姿を取る。
腕を伸ばし、確か銃と呼称されていたそれを構えた女はおもむろに先端を……銃口を俺の横にある水差しに向けたかと思えば──耳をつんざく様な破裂音と共にガラス製のそれが粉々に砕け散る。
「「……」」
『……ふむ、やはりお手本があるとポン子さんの精度は高まる様ですね』
……そうか、俺はあの攻撃を受けて死ぬのか……思っていたよりも苦しみなく死ねそうなのが幸いであろうか。
『では、最後の問い掛けです……グレゴリウス・サーディスに投票するつもりはありませんか?』
「さ、最期の問い掛けです……グレゴリウス・サーディスに投票するつもりはありませんか?」
唇を震わせながら通訳するアビーが痛々しい……けれど、俺は自分の意思を曲げるつもりはない。
「……断る。殺すなら殺せ」
『……こ、断ると……殺すなら、殺せと』
あぁ、せめてもの心残りは目の前で恋人が死ぬ様を見せ付けてしまう事だろうか……これが逆だったら良かったのに。
彼女の心に深い傷を残してしまうのが、男として……彼女の恋人として酷く情けなく思う。
『……そうですか』
小さな溜め息を吐いた女はそれだけ呟いてから銃口を──
『ごぉ』
──アビーのこめかみへと向ける。
「な、なに、を……」
『通訳』
「ご、ごぉっ……!」
予想もしていない突然の死の恐怖にアビーが肩を抱いて震えながら発した言葉は数字の五……まさかとは思うがコイツ──アビーにカウントダウンをさせているのか?!
『よぉん』
「よ、よぉん!」
「や、やめろ……」
待て、何だそれは……思ってたのと違うじゃないか!
『さぁん』
「さ、さん……いやっ……いやだよっ……!」
ほ、本当にこれで良いのか?
あの男と結婚する事と、今ここで死ぬの……どっちがアビーにとって幸せ──いや、一番マシな未来なんだ?
『にぃ』
「いやだぁっ……! いやだよぉっ……!」
もはや通訳すら出来ずに蹲り、泣きじゃくるアビーを置いて、無慈悲にカウントダウンは進んでいく。
『い〜ち──』
「──分かったやる! やるから! グレゴリウスに投票するから! ……だから、止めてくれよ……頼むからっ……!!」
……結局俺は泣きじゃくるアビーと、目の前で恋人が死ぬ事に耐え切れなくて……女の脅迫に屈する形で嫌いな男と自分の恋人との結婚を承諾した。
『……通訳は必要ありません』
「くそっ……くそぉ……!」
アビーの通訳も待たずして満足気に銃をキューブに戻し、この部屋から去る女の背中を睨み付ける事しか──いや、最初から最後まで俺は奴を睨み付ける事しか出来なかった。
女に連れて行かれるアビーとの別れの挨拶すら出来ない事に自分の無力さを痛感し、涙が溢れて止まらない。
「アビー、ごめんっ……! ごめんっ……!」
──数日後に行われた大公選挙の結果、アビーとグレゴリウス・サーディスの結婚が決まった。
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