神使の怒り 8-3




その行動を見て、自分がさっきまでやっていたことを思いだしたライトは我に返る。


小屋の中は血まみれで、ウサギが一匹耳を切り取られ、腹を突かれて死んでいた。


ライト自身も血しぶきを浴び、服も顔も血を浴びて固まった血液でカピカピしている。


その上、ウサギの毛が巻き付いた金網に自ら顔を押し付けて埃だらけになっていた。


自分の行動が制御できなくなっていることに気づいて目が泳いだ。


「…うるせえ。真実なんて分かるはずねーんだよ。母さんはここにはいないし、父さんは自分の事を良く言うに決まってる。真実は簡単にゆがめられるんだ」


それを聞いた高信は小屋へと歩み寄り、ライトに声を掛けた。


「それは違う。ライト…真実はちゃんとある。お前が大人になった時…話そうと思ってたんだ。お前がこんなに悩んでるなんて知らなかったんだ」


ライトは言い訳のようにそんな事を言う父親に対し、また怒りを膨らませた。


「いいって言ってんだろ!嘘なんか聞きたくねーんだよ!」ライトはそう叫んだ。


しかし、高信は感情を押さえられず、両手で顔を覆い、今にも泣きそうな声で言葉を絞りだした。


「ごめんなぁ…ライト。母さんはな…死んだんだよ……」


ライトは顔を上げ、呆然とした。


前に母親は離婚直後に別の男性と出会って幸せに暮らしていると聞いた。高信は、母が死んだ…なんて一度も言わなかった。


そして、高信は更に言葉を続ける。


「病気が分かって…医者から…もう数ヶ月持たないと言われた。母さんは、ギリギリまでお前と一緒に過ごしたいと願ったが、母さんとの記憶がお前を苦しめるかもしれない…寂しい思いをさせるかもしれないと考えて…私に離婚してくれと頭を下げてきたんだ」


「は?…なんだよ、それ。作り話にも限度があるだろ」


ライトにとっては美談過ぎて笑えてきたようだ。


引きつった頬にわずかに笑みを浮かべて高信を見ている。


「作り話なんかじゃないさ。私は離婚届にサインしなかった。でも、母さんが言ったんだよ。“離婚届にサインしてくれなければ、このまま家を出て行く。二度と連絡もしないし居場所も教えない。でも、離婚届にサインしてくれたら毎週手紙を送る。住所も教える。私が棺に入る時、あなたに髪を撫でて欲しい”…と。“だけど、ライトには私の思い出は残さないで”。母さんはそう言ったんだ。」


高信は涙を拭い、大きく深呼吸をした。


真っ直ぐ自分の目を見据えて、今まで避けていた女性の話をする父親の姿は、ライトの目にどう映ったのだろうか。


しかし、ライトはまだ信じられない様子で首を横に振って否定する。


「ありえないだろ…普通…思い出に残していくもんだろ。思い出が無い方が可哀想だと思うだろうが!」


「事実だと思いますよ」


そう答えたのは彩香だ。


ライトも思わず彩香に視線を向けた。


「先日ご自宅を訪ねた際 、お二人のお部屋も見せていただきました。お父さんはお母さんの思い出の品を保管してます。それに、ライト君の目の届くところにもずっとありましたよ。ペアのマグカップやグラス…あれも思い出の品ですよね?」


彩香に訊かれ、高信は恥ずかしそうに頷いた。


「もう10年以上前のものですよ。今となっては…照れ臭いんですけど、でも捨てられないんです…」


大切な人と繋がる唯一のものを大事にしたいと思うのは悪いことじゃない。そうすることで前に進めるのなら、無理に手放す必要もない。


高信は妻の存在を近くに感じることで、ライトと共に生きていく力を得ていたのだろう。


高信は彩香に背中を押してもらったことで、最後まで話す勇気を得た。高信にとって最愛の女性を、ライトに誤解されたままにしたくない…そんな思いだったのかもしれない。


「母さんもお父さんを早くに亡くしてるから、辛い思いをしたんだ。お前のお爺ちゃんは事故で亡くなった。とても優しくてお母さんはお爺ちゃんが大好きだったんだよ。だからお爺ちゃんの死があまりにもショックで、一年間食事が食べられなくなった。命の危険さえあるほど。お前にそんな思いをさせたくなかったんだよ」


母親の身の上話など聞いた事も無かった。

父方の祖父母とは会った事があっても、母方の祖父母と会う事は無かった。


母親の望みが本当にライトの記憶に残らない事だとしたら、それも納得できる。祖父母に母親を重ねて見てしまえば、ライトが寂しがったり、わずかに存在する幼い頃の記憶が蘇って母親を思い出すかもしれない…そう思って、会う事を避けていたのかもしれない。


その話を聞いていた海治は、スマートフォンをポケットにしまい、金網に手を掛けた。


「そんな優しい母さんが動物を殺す事を望むのかよ?まだ…続けるのか?」


顔も思い出せない母の姿を想像するだけで、ライトは不思議な気持ちに包まれた。


声も、匂いも、笑った顔も、怒った顔も、泣いてる顔も思い出せない。


写真の中で佇む姿すらはっきりと思い出せないのに、これほどまでに母を恋しく思っていたのか…と、自分でもびっくりするほどだった。


「俺…母さんが死ねばいいと思ってた……。俺を置いて出て行って…腹が立って……。だけど…死んでた?」


涙が頬を伝った。


母を想って泣くのは初めてだったかもしれない。


「お前にちゃんと話さなかった俺が悪かったんだ。まだ…お前は子どもだから、理解できないと勝手に解釈して……」


高信の言葉の後、ライトは顔をぐしゃぐしゃにして声を上げて泣いた。


金網に頭をぶつけ、大きな音を立てながら泣くから、五十嵐と愛音がその身体を抑え込んで金網から遠ざける。


「俺…最低じゃん。母さんは死ぬと分かって怯えていたのに…俺が動物を殺してたなんて……」


もっと早く真実を話していたら、ライトの運命は変えられたのだろうか……。


高信もまた、自分のふがいなさに涙を流した。


五十嵐と愛音に連れられて小屋を出てきたライトに対し、高信は父としてそっと肩に手を乗せた。


「真実を警察に話すんだ。お前がやったこと全部。母さんはきっと見守っててくれるから」


パトカーまで歩く途中、ライトはふと空を見上げた。


気付けば空が明るくなり始めていた。

















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