神使の怒り 2-2




動画が終わると、彩香はティッシュを取り、まぶたを押さえてキッチンへ走って行ってしまった。


何が起こったのか分からず、五十嵐はただ茫然とする。


無表情な上、感情表現が苦手な彩香が泣き出すとは思ってもいなかった。


そんな五十嵐の様子を見て、神藤は笑った。


「我が家で動物が飼えない理由だよ。妻は猫を飼いたがったが、彩香はあの通り依存しやすい傾向があってね。猫が死んでしまった時、立ち直れないんじゃないかと心配して、飼うのをやめたんだ。それにしても…ひどいことをする人間がいるもんだね」


神藤も眉間にしわを寄せながら腕を組み、ため息を吐いた。


五十嵐は昔から不思議に思っていることがある。


なぜ人間は平気で虫を殺すのに、動物を殺す事には抵抗があるのか……。


ハエやゴキブリなんて死んで当然のような扱いだが、犬や猫が殺されたらとても腹立たしい気持ちになる。同じ生き物なのに、五十嵐はずっとそれを不思議に感じていた。


しばらくして、彩香がキッチンから戻ってくると、元の席に腰掛けた。


赤くなった瞳と鼻の頭を見れば、泣いていたのは一目瞭然。涙を拭っても泣いた事実は隠せていない。


しかし、それに気づいていない彩香は、五十嵐に気付いたことを語り始めた。


「さっきの動画…モザイク処理とかされてたけど、たぶんあのお医者さん、近所に住んでる詩音先生だと思うの。この近所に住んでるドクターで、あの喋り方をするのは詩音先生しか思い浮かばないから……」


「確かにインターフォンを押した後の声は天音さんの声っぽかったな。ああ…詩音くんのお母さんの事だよ」


神藤も同じことを思ったのか、そう言った。


「ってことは、あの3人の子どもたちもこの近所に住んでるって事か?この近隣の学校を探せば見つけられそうだな」


まだ五十嵐が捜査するとは決まっていないが、本田からこの動画が届いたという事は、捜査するのはほぼ確定だろう。


「ありがとう。いい情報が手に入ったよ」


五十嵐がそう言って立ち上がろうとすると、今度は彩香が五十嵐の袖を掴んだ。


「私も…お手伝いできないかな?これ以上動物が殺されるのは嫌なの」


よっぽど犯人が赦せないのか、彩香の瞳はまた涙で潤み始めていた。


普段見ることのない表情に、妙に心拍数が上がって動揺した。できるだけ目を見ないように俯きながら小さく頷いて見せる。


「俺にも相方がいるし、いつも連れて歩くのは無理だけど…まあ…この近所で起きてる事件だし、折原の方が地理には詳しいから、よろしく頼むわ」


五十嵐はそう言うと、そそくさと立ち上がり、神藤に挨拶をした後、リビングを後にした。


家の外まで彩香が送ってくれたが、はっきりと覚えていない。


ただ、少しでも早く車を走らせようと考えていた。


翌日、五十嵐は相棒のつじ愛音まなとと、彩香と共に、お昼休憩中の詩音の病院へと向かった。


13時半を過ぎ、午後の受付は始まっている時間ではあるのだが、午後一番で待合室の席はすでに患者で埋め尽くされていた。


受付で五十嵐が事情を説明すると、医療事務員は立ち上がって別室へと案内してくれた。


狭い建物だが、空間をうまく利用して部屋を作っているようだ。


待合室からは死角になる位置にドアがありその扉をノックした後、開けた。


畳が4枚敷かれた小さな部屋には男性が二人、あぐらをかいて座り、カップ麺をすすっていた。


「詩音先生すみません。警察の方がお見えです」


事務員はそれだけ言うと、五十嵐たちに一礼して去っていった。


「すみません、狭い部屋ですけど中にどうぞ」


若くてハンサムな30代くらいの男性が言った。


本当に狭い部屋だ。


中央に置かれていた小さな折り畳みのテーブルを壁際に寄せてみても、大人が3人入るには窮屈すぎる。


「彩香さんもいらっしゃったんですね。刑事さんとお知り合いだとは聞いてましたけど」


詩音が食べ終えたカップ麺をテーブルに置き、ティッシュで口元を拭いながら言った。


「あの…五十嵐くんとは同級生で、以前祖母の事件でもお世話になったんです」


それを聞いて口を開いたのは詩音の父だ。


「彩香さんの同級生か。じゃあ、恋人ではないのかい?それなら詩音もまだ立ち入る隙がありそうだね」


詩音の父親である昌弘は、薄っすらと生えた白いひげが特徴的で、少し面白い性格だ。


ふと昌弘は腕時計を見て大きな欠伸をした。


「今日は午前の診療が押してね。昼食後の診察は2時から始めるつもりだから、それまではなんでも話してくれて構わないよ。私は先に仕事に戻ってるからゆっくりしていって」


昌弘が立ち上がり、狭い部屋の中を縫うように出て行った。詩音はテーブルの上に残されたカップ麺のスープを見ながら、憂鬱そうな表情をする。


「昼食だけが唯一の楽しみなんですけどね。狭い部屋でこれだけ匂いが充満すると、たまに気持ち悪くなりますよ」


スープの捨て場も無く、仕方なくそのまま放置して、4人は事件の事を話し始めた。


詩音はあの日の事を話し始めた。


「あの日…確か彩香さんちに寄った日だったと思います。家に帰ったら玄関の前に3人の男の子がいて、ひとりは近所に住んでいる今城いましろ海治かいじくんだと気付きました。あともう一人、三浦みうら月光ライトくんも近所なので知ってましたが、もう一人の子は…覚えがありません」


詩音はできるだけあの日の事を明確に思い出そうと努力した。


「夕暮れ時で空がオレンジ色でした。学生服を着た青年たちがカメラを持って家の前に立っていたので何事かと思いましたが、よく見ると海治くんの腕の中にタオルでくるまれた何かがあるのに気づいて、穏やかじゃないな…と、思いました」


「どうして動物の診察をなさったんですか?獣医ではないですよね?」


五十嵐が訊いた。


「確かに獣医ではないですけど、一刻を争う状況ならできるだけの処置はしてあげなくてはならないと思いました。残念ながら亡くなっていましたけど……」


詩音は落ち込んだ様子でそう答えた。


そんな事お構いないしに五十嵐は再び鋭い質問をしていく。


「ちなみに犬の死因ってなんだったんですか?」


「その辺は専門分野ではないので何とも言えませんが、頭部に陥没があり、ウジ虫がわいている状況でした。全身に打撲痕のようなものもありましたし、おそらく何者かに暴力を受けた痕だと思いました。でも…暴力を受けたのは一週間以上前だとおもいますよ。犬の死因はおそらく脱水症状と栄養失調だと推測します」


「どうしてそう思われるんですか?」


「傷は真新しいものではなかったし、ウジ虫は脳の奥の方にまで入り込んでました。昨日今日の傷でそこまで入り込むことは事は難しいでしょう。ガリガリに痩せていて、何日も食べていなかったのは見るからに分かりましたし、ひどい虐待を受けていたんでしょうね」


昼食を食べたばかりだというのに、詩音は実に雄弁に語った。


ワナワナと手を震わせていたのは彩香の方だ。やはり動物の事となると人が変わるらしい。


「…なんで殺したり…できるんでしょうか……?」


ここにはいない犯人に対して問いかけるように、彩香は下唇を噛んで訊ねていた。


病院からの帰り道、愛音が飲み物を買いたいというのでコンビニに寄った。


車から降りた彩香はうつろな表情で歩き、欲しい物もよく分からず、うろうろと店内を一周していた。同じ頃、五十嵐はおにぎりを探しに行ってしまったようだ。


「折原さんって意外とナイーブなんですね。もっと無神経な人なんだと思ってました」


愛音が背後から彩香の顔を覗き込み、突然そんな事を言いだした。


変わった人とは言われた事はあるが、面と向かって無神経と言われた事は無いはずだ…と、彩香は思った。しかし、記憶はあやふやで断言はできない。


「上司の本田さんも鑑識の黒崎さんも、みんな折原さんの事を変わった人だって言ってたんですよ。空気読まないし思った事ズバズバ言うって」


それは悪口と言うものではないのか?……そう思ったが、水を差すのも嫌だったので無言で聞いていた。


「でも、みんなが言うのとは違いますね。なんて言うか…穏やかさもあり、正義感もあり、意思もある。ちゃんと自分っていうものを持ってる方なんですね」


生まれて初めてそんな風に言われた。


どちらかというと人に流される傾向があるし、正義感というよりは固定観念や思い込みに近かったりもする。穏やかと言えばと聞こえはいいが、どちらかと言うと無関心に近かったりもするのだが、この人はうまく言葉を変換する人だな…と、愛音を見て思った。


「もしも犯人が見つかったら、折原さんは真っ先に何を訊きますか?」


本当に変わった事を訊く人だと思った。


犯人に何を訊くか?


警察の人間でもなければ犯罪者に犯行の理由を訊くことなどできないだろう。


しかし、面白い質問だとも思う。


「…殺して…得たものは何か……?」


いったい動物を殺して何を得るというのだろう。食料にすらしないのに、殺す理由なんて考えつかない。


犯人のその異常な行動に感情を揺さぶられた。









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