神使の怒り 1-3




「へえ…それで医者にスカウトされたわけだ?」


翌日、五十嵐いがらし海都かいとから突然食事の誘いを受けたわけだが、どういうわけか車に乗って昨日の話をしていたら五十嵐は不満そうな声を出した。


祖母が巻き込まれた事件の際、小学校(お互いほとんど認識していなかったが)・中学校・高校と同級生だった五十嵐が事件の捜査員だと知った。いろいろもめたこともあったが、最終的には五十嵐はケガをしながらも犯人を確保してくれた。


その後、五十嵐の方から捜査協力をしてくれたお礼に…と、食事に誘われたのだが、その時に『見たい映画』の話になり、お互い見たいものが被った事から一緒に見に行くことになった。それからはしょっちゅう食事に行ったり、映画を見に行ったりしているが、別にそれ以上の関係にはなっていない。


詩音から仕事に誘われたからと言って、別に五十嵐に叱られるような事はしていないのだが、どうも機嫌が悪そうだ。


「確かにカウンセラーはもうやりたくないな…って、思ってたんだけど、今までと接する患者さんが違うから、ちょっとやってみたいなって思ったの。別にまだ決めたわけじゃないよ」


「とかいって、悩んでんだろ?言っとくけど、男目当てで仕事決めるなよ?絶対こじれるから」


五十嵐が言いたいことはよく分かるが、33歳にもなって恋愛未経験の女に言う言葉ではない。


五十嵐はラーメン屋の駐車場に車を停め、シートベルトをはずすと、彩香を見て、彩香の鼻先へ指を差し出してきた。


「お前はもう少し周りを見た方がいいぞ」


そう言った後、五十嵐はすぐに彩香から目を逸らし、車を降りた。


きっと心の中を覗かれたくなかったのかもしれない。


彩香もシートベルトをはずして車を降りると、先にドアを開けた五十嵐に続いて店に入った。


父である神藤の好みで、よくこのラーメン屋に来る。


五十嵐が久しぶりに味の濃いものが食べたいと言い出し、ここに決まったのだが、平日の夕方とはいえ、随分と店内は空いていた。


五十嵐は特に席を選ぶでもなく、入り口から遠い席に座った。


席についた五十嵐は味噌ラーメンと餃子、まかない飯を注文し、彩香も味噌ラーメンを注文した。



その後、彩香は慣れた手付きでグラスをふたつ取り、水を注いで五十嵐に差し出した。


五十嵐はそれを受け取り、チラッと携帯を見た後、そのままテーブルに携帯を伏せた。


彩香がコップに注いでくれた水を一口飲むと、五十嵐は厨房に立つ従業員の姿を見ながら口を開いた。


「最近、この辺で動物の死体が発見されてるんだけど、知ってるか?」


突然物騒な話になると、彩香は周囲を見回した。


客は一番離れた席に男性が一人。

従業員は二人いるが、どちらも料理を作っているため、こちらの話など聞こえていない。

そもそも、換気扇の音がうるさくて、五十嵐の声さえ聞き取りにくいのだから、特別気にする事でもなかった。


彩香も水を一口飲むと、五十嵐を見て首を傾げた。


「それ、事件なの?ニュースでは見てないと思うけど…まさか五十嵐くんが担当してるわけじゃないでしょう?」


本部の刑事課に所属する五十嵐が、動物に関する捜査をするとは思えないな…と、彩香はまた水を一口飲む。


「今はまだ記事を止めてる状態だから公にはなってないけど、近所の人は気付いてるよ。折原んの近くなんだけどな、現場」


「そうなの?引っ越しで忙しかったから気付かなかったのかな?でも…どんな事件なの?」


そう訊くと、五十嵐は彩香を見て目を細める。


「鈍器でボコボコに殴って頭部陥没。足の骨は折れて、しまいには口をテープでぐるぐる巻きにして放置するんだ。殴られて運よく生き残っても、餌が食えずに餓死する」


五十嵐は無表情でそう言い放った。


想像するだけでゾッとした。

全身に悪寒が走り、両腕に鳥肌が立つ。


「なんでそんなひどいことするの…?自分がそんな目に遭ったら怖いと思わないのかな…?なんか…すごいムカつく」


珍しく感情を隠すことなく言葉にした彩香を見て、五十嵐は意外そうな顔をした。


最近よく会っているからか、彩香もあまり敬語を使わなくなってきた。それでも表情に出さない分、感情が分かりづらくて接し方に困る瞬間が多々あるのだが、いくら彩香でもこれほどの怒りの感情は、隠すのも難しいらしい。


「この一週間で4匹の犬が殺されてる。あまりにも残酷な殺し方だから本部でも問題視されてる。有名なサイコパスの多くは人を殺し始める前に動物を殺したって言うし、新たなサイコパスが誕生しないとも限らないからな」


彩香は黙ったままテーブルの上できつく両手を握っていた。


4匹もの犬を殺したというが、4匹とも大型犬とは考えにくい。人間よりも弱くて無力な動物を痛めつけて殺すなんて、考えただけで吐き気がする。


「お前ん家の近所で起きてる事件だ。お前も気をつけろよ。動物から人間に標的が変わる事も十分あり得るからな」


五十嵐の言葉はちゃんと聞こえているのに、苛立ちで頷く事もできなかった。


五十嵐がラーメンを食べ終えた頃、テーブルの上で五十嵐の携帯が唸った。


横目で画面を見ると、メール受信の通知が表示されていた。


彩香はまだラーメンを食べているし、五十嵐は何気なく携帯を手に取ってメールを表示させた。


メールを送ってきたのは上司の本田だ。


本文には『この動画を見ろ』と、短い文章がつづられ、その下にはURLも添付されていた。


もう一度チラッと彩香を見たが、もぐもぐと麺を噛む様子を見れば食べるのに時間が掛るのは予想できた。


五十嵐は何も言わずにURLをタッチしてサイトを開いた。


どうやら有名な動画サイトに接続されたらしく、開いたページには『虐待された犬を発見したが…』というタイトルがつけられていた。


登録者数はそれほど多くないが、この動画の再生回数は20万回を超えている。他の動画は100回にも満たないのに対し、この動画は桁外れの再生回数だった。


消音にし、自動生成の字幕表示にして動画を再生させた。


五十嵐が真剣に携帯を見つめているのに気づいた彩香が、箸を持つ手を止めて五十嵐を見つめる。


「仕事?」


彩香が訊くと五十嵐は動画を消して携帯をテーブルに伏せた。


「食べ終わったか?」


質問に答えようとしないから余計に怪しく見える。


彩香は最後にスープを飲んで、「ごちそうさま」と手を合わせた。


毎回の事だが、五十嵐と彩香はお会計で揉める。


「自分の分は払うから」そう言い張る彩香と、

「こういう時は可愛らしく男におごってもらえよ」と、甘えて欲しいのに素直に言えない五十嵐の攻防。


店の中では五十嵐が強引にお会計を済ませてしまうため、あまり揉めないが、車に戻ってから毎回揉めている。


「毎回おごってもらってたら、私、五十嵐くんと食事に行くのに気が引けちゃうよ。こういうところはきちんとしよう。自分の分は自分で出すから!」


「俺が誘ってんだからいいんだよ。っていうか、俺におごられるのがそんなに嫌か?」


「そんなわけないよ。嬉しいけど…でも…なんか悪い気がしちゃうの。気持ちの問題」


俯き、もじもじと答える彩香を見て、五十嵐も声を荒げた事を反省した。


別に付き合っているわけでもない友達同士の関係だ。気を遣うのは当然なのかもしれない。


五十嵐が彩香に好意を抱いていたとしても彩香が知る筈もないし、友人として接している彩香の立場ならそう思って当然なのかもな…と、ハンドルに額を乗せ、心を落ち着かせた。


「ごめんね。面倒くさいよね、私」


先に謝ったのは彩香だった。


「いや…俺の方こそごめん。俺の考えを一方的に押し付けてたよな」


とはいっても、彩香からお金を受け取る気にはなれなくて、五十嵐はある事を思いついた。


「なあ、折原。今日のラーメン代は俺が出すからさ、ちょっと俺に付き合ってくんない?たぶん、例の動物虐待に関する事件の動画を見つけたらしい」


思いがけない言葉に彩香は一瞬目を丸めたが、そう言う事なら…と、納得した。


二人はそのまま彩香の自宅でもある神藤の屋敷に向かった。


夜8時に突然家にやってきた五十嵐を見て、神藤は「ん?事件かい?」と、訊いた。


可愛い娘を送ってきた五十嵐を見ても、送りオオカミとは思わなかったようだ。


「いや…まだ事件かどうか分かんないんですけど、少しお邪魔してもいいですか?」


五十嵐がそう訊くと、神藤は平然とした表情でお茶を口にする。


「二階に行くのは構わんが、ドアは開けておきなさい」


高校生の子を持つ父親みたいな事を言うから、彩香は一瞬、五十嵐の顔を見た後、気まずそうに俯いた。


「この部屋でテレビを見るだけだから」


バッグをソファに置くと、彩香はそのままキッチンに入って行ってしまった。


その様子を見ていた神藤は五十嵐にソファを勧め、笑みを浮かべる。


「奥手…というより、貞操が堅いんじゃないかと私は思ってるんだよ」


一体何を言い出すのかと思ったら、神藤は五十嵐に『早く彩香をおとせ』と遠回しに言っているようだ。


どう考えても父親が言う言葉には思えないが、もう30代をとっくに過ぎている彩香に恋人がいない事を不安に思うのも当然かもしれない。


五十嵐はその言葉には何も返せないまま、苦笑いを浮かべて誤魔化した。


キッチンから出てきた彩香は紅茶を持ってきた。神藤の分もテーブルに並べると、テレビのリモコンを操作して動画サイトに接続する。


「今のテレビは便利ですよね。テレビでネットの動画が見れるんですから」


五十嵐は彩香が操作するリモコンを見ながらボタンの種類を確認している。


「五十嵐くんのはまだネットと接続させてないの?」


「テレビ自体見ないからな……。家にあるテレビも買ったのはぁ…5年以上前か?最新家電にも疎くて、最近じゃ本田さんにもバカにされるくらいだよ」


携帯電話もガラ携から進化していない本田にバカにされるとは心外だな…と、神藤は読んでいた本を閉じて笑った。


「で?いったいこれから何を見るんだい?」


どうやら神藤も興味を持ったようだ。


五十嵐が携帯で先ほどの動画サイトを表示させると、彩香はそのタイトルを検索画面に打ち込んでいく。


動画が表示されると、神藤は眉を寄せた。


「この風景…近所じゃないか?すぐそこの川だろう?」


サムネイル画面には河川敷と3人の男の子、そして、モザイクの掛かった犬の姿が映っていた。


「まさか…最近この辺で起きてる動物虐待の事件かい?」


どうやら神藤はその事件を知っているようだった。


「神藤先生は知ってたんですか?折原は知らないって言ってましたけど」


「昨日だったかな…新聞社の人が事件の事を聞きに来たよ。犯人はどんな人物か…って。でも、記事にはできないって言ってたな」


言うなと言われても言うヤツは必ずいるもんだな…と、五十嵐は思った。


GOサインが出ればすぐにでも記事にできるよう準備をしているようだが、これはどう考えてもフライングだ。


呆れる五十嵐の隣で、彩香は「再生してもいい?」と声を掛けた。


「ああ、頼む」


動画が再生されると、3人は紅茶を飲むのも忘れて黙り込んでしまった―――。












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