殺人鬼に告ぐ 3-1



事件発生から二日が経過。


ホテルには帰らず、学校に泊まった彩香は、校内に取り付けられたシャワーを浴びていた。


昨夜は捜査員たちが一斉に山から下りてきて、いったん自宅に帰り、仮眠を取ってから学校へ戻ってきた。


朝の4時から神楽坂が潜伏していた場所を探すため再び寒空の下、防寒着を着て捜索に出かけたのだ。


静まり返った校内で彩香はひと時の休息を味わっていた。


あれから15年前の捜査資料と、今回の捜査資料の全てに目を通した。


謎はいまだ解明されていないが、神楽坂の潜伏先が見つかれば、解決は早いだろう。

彩香はそう踏んでいた。


着替えて体育館に戻ると本田と緒方が何か相談をしている。


「今回の事件現場はともかく、15年前の事件現場ならいいでしょう?」


「お前は…影響されすぎなんだよ。俺たちが調べてるのはこの集落で起きた事件であって、15年前の事件じゃないんだ」


「でも、もしかしたらヒントがあるかもしれないじゃないッスか」


「頭を冷やせよ。当時の事件を掘り返せば、マンションの大家だって住民だって困る事になるだろう。近隣に住んでる人間にだって影響与えるかもしれない。それに、所轄にケチつけるのと同じだろう?昔の事だからってほじくり返していいもんじゃないんだよ」


彩香はタオルで濡れた髪を拭きながら、二人に近づいた。


「過去が人を作るんですよ」


不意に背後から聞こえた声に緒方が振り返った。

本田もまた彩香に視線を向ける。


「どういう意味だ?」


本田がいつものように渋い声で訊ねた。


「人間の人格は過去の経験によって大きく変わります。裕福な家庭に育てば裕福であるのが当たり前のように、貧乏な家庭に育てば、お金の怖さを知るんです。神楽坂もあの家で、何かを学んだのかもしれません。彼にとって『当たり前』と思えるような出来事を」


その時だった。


テーブル上の無線機が音をたて始めた。


『応答願います。こちら寺崎』


本田は慣れた手付きで無線機を使いこなす。


「こちら本田。どうした?」


『現在、民家のあるところから500メートルくらい山の上の方に上がってきたんですが、かなり異常な状態です』


「説明しろ」


『複数の白骨死体が発見されました。人間のものもあれば、動物のものもあります。それから、死後数日経つと思われる女性の遺体が発見されました。衣服は着ていません』


「衣服を着てない?そばに落ちてたりしないのか?」


「それらしいものは見つかりません」


それを聞いていた彩香は目を細める。


「解剖に回します。それから、山小屋も見つけました。現在、鑑識が中の様子を保存してます」


「分かった。何か分かったらまた連絡くれ」


「了解」


本田が大きなため息をついた。


彩香の推測が目に見える形で当たり始めた。


「どうッスかねぇ。ここは15年前の事件現場を見に行くってことで」


弱っているのを見透かして緒方が本田に詰め寄る。


本田は髪を掻き乱しながら再び大きなため息をついた。


「分かった、行って来い。その代わり、五十嵐を連れてけ。仮眠室で寝てるはずだから」


本田の許しを得て、緒方は嬉しそうに彩香に視線を向けた。






彩香は仮眠室で眠っている五十嵐の元へ向かった。


緒方は現場に行く準備があると言って彩香にその役目を押し付けたのだ。


カーテンで光を遮断した部屋には、布団が八式ほど敷かれていたが、そのほとんどが空であり、一式だけ人の形に膨れ上がっていた。


彩香はその布団にそっと近づくと膝を突いた。


「五十嵐くん?」


そっと布団に手をかけると同時のことだった。


布団の中の人物は身体をすばやく起こして彩香の首に腕を回し、身体ごとねじ伏せた。


一瞬の出来事で、彩香は目を大きく見開いたまま教室のドアを見つめている。


背後を取ったのは五十嵐だった。


彩香の髪から漂うフローラルの甘い香りに気付き、我に返った。


「あっ…ごめん!」


慌てて首に回した腕をほどくと平謝りする。


「私こそごめん。驚かせて……」


首を撫でながら、彩香は五十嵐の表情をのぞき見た。


仮眠を取ったといっても隈はなかなか消えないようだ。


「神経が高ぶりすぎてるんだね。ゆっくり身体を休める機会を作らないと、彼女にも同じことしちゃうよ?」


五十嵐は苦笑いしながら掛け布団を直し始める。


「彼女なんていないよ。刑事になってからは彼女を作ってない」


「それは自主的に?」


「なんつーか……めんどくさいんだよ。メールとか電話とか。いつ帰ってくるとか、いつ会えるとか、そんな規則正しい生活してないしさ。それなら作らなきゃいいやって……」


布団の枕元に置いておいた上着とネクタイを取ると、すばやく身につけ始めた。


「で?なんかあったのか?」


「あ、うん。緒方さんが15年前の現場に行くから五十嵐くんを起こして来いって」


「パシられたんだ?」


「そうみたい」


彩香は苦笑いを浮かべる。


ネクタイを締め終えた五十嵐が上着を羽織ると、彩香は無言で五十嵐の首に手を回した。


一瞬、五十嵐は身体を固めたが、その手がネクタイに掛けられたことに気付くと、黙って彩香の伏せた瞳を見つめた。


「刑事の仕事は大変だと思うけど、身体は大切にしてね。五十嵐くんは一人しかいないんだから」


メイクをしていないようだが、色白で透き通った肌がきれいだった。


目も大きく、まつげも長い。

30代とは思えない透明感と、妖艶さを纏っていた。


五十嵐は困ったように小さなため息をついた。


「ごめんな。今までお前のこと誤解してて……。何にも知らないでひどいこと言ってたよな」


「ううん。五十嵐くんは昔からヒーローだよ」


彩香はそう言ってにっこり笑った。


五十嵐は照れ笑いを浮かべながら、その場から立ち上がった。


「行くか……」


寝起きでよたよたしながら、五十嵐は仮眠室を出ていく。


彩香もその後を追うように部屋を出た。





午後1時。


3人は15年前の事件現場であるマンションの前に立っていた。


午前中に着くはずだったのだが、緒方が有名なそばを食べたいと言い出し、現場の住所をかたくなに教えようとしなかったため、仕方なくそば屋に立ち寄るハメになった。


有名なそば屋でおいしい蕎麦を頂いたが、捜査中の身としてはかなり無駄な時間を過ごしたと思う。


緒方と五十嵐は彩香を車に残して、いったん近所に住む大家にあいさつに行った。

鍵を借りる目的もあった。


その間、彩香は車から降りて近隣の様子を伺う。


街から少し外れた場所にある築47年の古いマンション。


マンションと言うよりアパートと言った方がしっくりくるが、大家のポリシーなのかもしれない。


近隣にも古い家が立ち並んでいるがリフォームをしたおかげなのか、なんとか町並みを近代風に見せている。


鍵を持って戻ってきた五十嵐と緒方は、慌てたように車のトランクを開けた。


「どうしたの?」


彩香が訊くと、緒方が不気味な笑みを浮かべた。


「俺、埃アレルギーなんだよね」


そう言って、マスクを二重に重ねて装着し、手には白い手袋をはめた。


五十嵐も彩香にマスクと手袋を手渡す。


「部屋は事件の後から使われてないらしい。あの部屋自体を封印するように閉ざしてあるから、中の様子は誰も知らないんだと」


「つまり、誰も掃除していないと?」


「事件後、家具やごみの撤去はしたが、その後は一切」


想像するのも恐ろしい。


あれから15年が経っているのだ。何が出てくるか分かったもんじゃない。


彩香もマスクを装着し、手袋をはめた。


マンションの2階にある部屋が事件現場だったらしく、五十嵐を先頭に緒方、その後ろから彩香が階段を上っていく。


ドアの前に立ち、五十嵐が鍵を開けようとした。が、なかなか鍵が回らない。


「錆びたんじゃない?長い間使ってないみたいだし」


緒方の言った通り錆びていたようだ。


五十嵐が全身の力を込めて鍵を回すと鍵は開いた。…が、鍵を引き抜く際に鉄の錆が一緒に落ちてきた。


それを見た緒方が目を細める。


「中に入るのが怖いねぇ……」


五十嵐がドアを開けると、先に入った緒方は玄関で靴にビニールを装着した。


五十嵐の手から彩香にも靴にはめるビニールが手渡される。


テレビで見たことのある光景だ。


「うわぁ!」


先に入った緒方が室内で声を上げた。


彩香も急いで靴にビニールをかぶせると室内に駆け込んだ。


そして、その光景を見て呆然とする。


まるで屋根裏部屋のように天井にも糸状の埃がぶら下がり、床はその素材が分からないほど真っ白に染められていた。

埃と言うより砂に近い状態だろう。


カーテンも閉め切られていて、昼間だというのに明かりはほとんど入ってこない。


遮光カーテンじゃなかったのが唯一の救いだが、このカーテンを開ける勇気は彩香にもなかった。


背後から入ってきた五十嵐が部屋の様子を確認してからカーテンを開けた。


やはり長年閉め切られていたカーテンからは、真っ白な埃が舞った。


しかし、五十嵐は眉間にシワを寄せるだけで、他の部屋のカーテンも平気で開けに行く。


「さすが刑事さん」


緒方が咳き込みながら言った。


科捜研に所属している緒方は刑事ではない。

事件解決のために、ありとあらゆる人間の心理を研究する科学者だ。


こういった現場にはほとんど出向く事がないため、非日常的なことは苦手なのだ。


カーテンが開け放たれて見通しの良くなった部屋には、見たくないようなものがあちこちに散らばっていた。


グロテスクとはこういうことだろうか。

湿気を帯びた壁には見た事もない虫がわいている。


床には当時のゴミから出た汁の跡なのか、楕円形のカビがあちこちに点在していた。


台所に向かうと、排水溝の周りに小さな虫がたかり、苔が生えていた。


マスクをしていても喉に異物感がある。

見ているだけで気持ち悪くなってしまう。

真っ青な顔をしながら緒方は辛抱強く周囲を見回していた。


「神藤!こっち来い!」


リビングの方から声がして、彩香は旧姓で呼ばれたことにも気づかず台所を後にした。


五十嵐が殺害現場を見つけたらしい。


現場はリビングと隣接していた。

普段はふすまで仕切られているが、開け放つと写真で見た殺害現場の光景と一致する。


部屋に入って左側には窓があり、当時、その下には一式の布団が敷かれていた。周囲はゴミだらけで足の踏み場もなかった。


当時の血痕が今も残っていた。


畳の部屋だったため、簡単には落ちなかったのだろう。埃をかぶっていてもその色は一目で分かる。


彩香は遺体があった場所に立ってみた。

そこから見える風景を目に焼き付ける。


リビングがあり、その奥にある台所がほんの少し伺える。


そして、ある一点に視線がとまった。


彩香は同じ部屋のふすまと壁の角に目を向けたのだ。


遺体の位置からそこはよく見えた。


歩を進め、そこに近づいていく。


「ここだ……」


そう言ってその場にしゃがみ込んだ。


五十嵐と緒方も近寄ってくる。


「神楽坂智はここで毎日を過ごしてたんだ……」


毛羽立って擦り切れた畳を見つめ、彩香は目を細めた。


何度もここで体勢を変えようとしたのだろう。その度に畳みは擦り切れ、へこんでいった。


服の染料や汗で変色し、その部分だけ薄黒くなっている。


年月が経っても、そこに神楽坂の存在は消えずに残っていた。


その後、トイレやお風呂場も覗いたが、特に手がかりは見つからなかった。






埃まみれになった身体が痒くて仕方ない。


車に乗っていても、部屋にいたあの得体の知れない虫が身体に這っているような気がして仕方なかった。


三人は学校に戻ってすぐにシャワーを浴びた。


シャワーを浴びて服を着替えても、なかなか身体のかゆみは消えない。


「あぁ痒い!」


緒方がひっきりなしに叫んでいる。


その言葉を聞くたびに、彩香と五十嵐も全身が痒くなった。


「で、収穫はあったのか?」


本田が無線機の前で腕組みをして座っている。


特に収穫を期待して行ったわけではない。

しかし、わずかでも手がかりが欲しかった。


「虐待の可能性は強まりましたが、すでに何もかも撤去された状態だと、手がかりもなかなか見つからないッスね」


緒方が体中を掻きながらつぶやいた。


五十嵐は、もっとうまい言い回しはないのかよ…と心の中でつぶやきながら口を閉ざす。


「あ、そ」


本田の素っ気ない返事の後、無線機が音を立てた。


『本部、応答願います』


「本部、本田だ」


本田が返事をすると、聞き慣れない声が言葉を続けた。


『こちら橋の前の警備です。神藤司さんとおっしゃる方がいらしてますが、どうしましょうか?通行止めとお伝えしたのですが……』


「来たか!」


本田が目を大きくして立ち上がった。


「すぐに迎えを送るから待ってもらってくれ」


本田がそういうと同時に五十嵐が彩香の腕を掴んだ。


「お前も行くだろ?」


彩香は無言で頷いた。


















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