殺人鬼に告ぐ 2-5



体育館に入った4人は、昨日と同じように倉庫の前で机を囲んで座った。


机に置かれていたお茶で、本田は薬を流し込む。


「ところで、現在犯人の捜索は?」


彩香が口を開くと、緒方が身を乗り出した。


「現場に残された凶器の指紋から、犯人は一人と考えました」


「凶器はなんですか?」


「現場には複数の凶器が残されてました」


緒方が一枚一枚、写真を机の上に並べていく。


スコップ、つるはし、斧、ハンマーなど、全部で7枚の写真。どれも殺人の凶器としてわざわざ選ぶものではない。


「この全てから犯人の指紋が?」


「ええ。他にも集落の住民や工事業者の人間の指紋も検出されましたが、この全てに犯人らしき同一人物の指紋が発見されてます。で、俺的には犯人は山中に潜んでいると推測しました」


「なぜ?」


緒方はもじもじしながら本田に視線を向けた。


これ以上の情報を話してもいいのか、確認したかったのだ。


それに対して本田は無言で頷くと、その途端、緒方はあからさまにうれしそうな表情を浮かべて前のめりになった。


「凶器から出た指紋から、犯人を特定しました」


「犯人が分かってるってことですか?」


「ええ。しかし犯人が謎なんですよねぇ」


「謎?誰か分かってるのに?」


「犯人は…15年前に行方不明になった少年、神楽坂かぐらざかさとし。現在19歳」


「行方不明?」


彩香は首を傾げた。


今度は五十嵐が当時の資料を机に置いた。


「15年前、神楽坂かぐらざか憲司けんじ神楽坂かぐらざか素子もとこが、マンションの一室で殺害された。その時、一緒に暮らしていたはずの神楽坂智、当時4歳の行方が分からず、誘拐も考慮した上で捜査を進めたが、未だに犯人は見つからず、神楽坂智も見つかっていない」


開かれた資料には、当時の事件現場写真が綴とじられていた。


ごみ屋敷のように物で溢れかえった部屋に敷かれた敷布団の上で、男が心臓部に大量の血液のシミを作って横たわり、その上にかぶさるように、何箇所も刺された痕跡のある女性が倒れている。


一式の煎餅せんべいのように薄っぺらくて硬そうな布団とコンビニ弁当や雑誌などのゴミ、洗ったものか、これから洗うものなのかも分からない衣類であふれかえった部屋。


壁には水漏れのシミがついていて、写真に写っている限りではとてもまともな生活をしていたとは思えない。


彩香は、一瞬、身体がふわっと浮くような感覚にとらわれた。


写真の部屋の中に入り込んだような。


彩香がそこで得たものは、何とも言えない重くて息苦しく、泣き叫びたくなるような負の感情。


まるで当時の神楽坂智が乗り移ったかのようにずっしりと重たい、一人ぼっちの嵐の夜のように暗くて不安な感情を手に入れた。


緒方が当時の資料と今回の資料を並べて、再び自らの分析を語り始めた。


「この神楽坂智の指紋が見つかったという事は、彼は生きていて今回の犯行に及んだ。彼はあの集落で誰かに保護されて生活していたのではないかと考えたわけですよ。でも工事業者が入って、自分の存在が世間に知られる可能性が高くなった。だから山中に逃げ込んだ」


彩香は首を傾げた。

そしてはっきりとした口調で話し始める。


「神楽坂の両親を殺したのは、息子の神楽坂智だと思います」


「はぁ?」


強引な彩香の推理に五十嵐と本田が声を大きくした。


体育館中にその声が響き渡り、こだまする。


捜査員たちは一瞬手を止めたが、何事もなかったように再び作業を始めた。


その様子を知ってか知らずか、本田が口を開いた。


「この当時、神楽坂は4歳だぞ?どうやって殺人なんて……」


「海外では3歳の子どもが殺人を犯したという事件もあります。人間は3歳までに人としての基礎が出来上がります。4歳からは自我の発育。自我が芽生えた神楽坂は、毎日虐待を繰り返す両親を殺害……」


また、突飛な見解を話し始める彩香に、全員が目を見開く。


「待て、待て!確かに虐待の可能性はあったようだが証明できてない!」


五十嵐が声を荒げてその推測を制した。


「部屋の状態、着衣、布団などに、虐待の要素が詰まってます」


抑揚のない彩香の言葉を聞いて緒方が写真を覗き込む。


「確かにこういった片付けられない親って言うのはギャンブルなどをやったりしてる人が多い。着衣を見ても露出が激しく、赤や紫などの刺激の強い色を好む人間は気性も荒く、暴力的な人が多い。でも、それだけで虐待があったとは……」


「じゃあ、なぜ布団がひとつしか敷かれていないのでしょう?しかもシングルの布団です」


彩香の言葉を受けて緒方と五十嵐、それに本田も混じって写真を見つめる。


「もし、ここに神楽坂智が一緒に寝るとしたら、無理がありませんか?」


五十嵐がハッと目を見開いた。


「確かに。二人でも狭いのに、例え子どもだとしても、ここにもう一人加わるのは無理があるな……」


そして、緒方もあることに気付く。


「…ってことは、神楽坂智は連日、眠る場所を用意されず、どこか別の場所で寝かされていたって事か?」


「連日って?」


五十嵐が目を細めて緒方を見た。


「だってそうだろ?これだけごみがあって、この布団だって万年床状態なんだ。息子の布団をどこに敷くのさ?」


「あっ」と、声を発して、五十嵐は写真に目を戻した。


彩香はたった数秒で犯人を推測してしまった。

しかも現場に行くことなく、たった数枚の写真から当時のこの家庭状況を分析したのだ。


緒方はじっと彩香を見つめた。


HSPの能力は鍛えればここまですごいものになるのか、と感心していた。


緒方はどちらかと言うと、無神経で協調性がない…と、子どもの頃から言われていた。


それでも犯罪者の心理に興味を持ったのは、もしかしたら自分も犯罪者になるかもしれないと思ったからだった。


決して人を殺したいと思ったことなどないが、人はいつそういった殺意や心の闇に支配される日が来るか分からない。これまでに事件を起こした人々だって、やりたくてった訳ではないという人もいるだろう。


心の底に眠る闇は外見では分からない。どんなに自分を分かっているつもりでも、本当は分かっていなかったりするのだ。


そんな心の闇を簡単に見つけ出してしまう彩香の能力は、緒方にとっては神の能力だ。


心が躍おどっている。緒方は興奮していた。


再び今回の事件現場の写真を取り出すと、

「この現場写真と今まで聞いた話からどんな推測ができる?」と、訊く。


緒方の問い掛けに彩香は首を捻った。


「確かに今回の犯人も神楽坂智と人物像は一致します。でも、陽菜子ちゃんが言ってた事を含めると、神楽坂はあの集落に住んでいたとは思えません」


「確かに、あの子は神楽坂の事を知らなかった……」


その時にメモした手帳を開きながら、五十嵐がつぶやく。


「それだけじゃなくて、陽菜子ちゃんは神楽坂を『お兄ちゃん』と呼び、私が『大人だから』と、言った言葉に対して『大人かなぁ?』と、聞き返しました。陽菜子ちゃんからは神楽坂が大人には見えなかったのかもしれません」


「それ、どういう意味?」五十嵐が訊く。


「細身で黒かった、ドロドロしていたと言ってました。血液が固まる速度などから考えても、ドロドロしていたという表現がされるのは適切とは思えません。泥にまみれたと考えても事件発生時の天気は晴れでした。そうなれば泥は固まりますから、これにも疑問が残ります」


更に彩香は遺体の山の写真を指差しながら続ける。


「それに加えて細身が際立つ格好をしていた。その他に考慮する点は陽菜子ちゃんの年齢です。陽菜子ちゃんはまだ7歳。7歳の子どもの視点で細身となると、少し意味が変わってきます」


「どういうこと?」


五十嵐が首を傾げる。

「じゃあ、五十嵐くんが7歳だった頃、どんなにスマートな男性でも大きくは見えませんでしたか?」


「そりゃ、7歳なんて俺の腰くらいの身長なんだから、当然……」


「でも陽菜子ちゃんは言いました。陽菜子より大きかったけど、すごく細かった、と。陽菜子ちゃんから見て細いっていうのはどの程度なのか。なぜ細いと思ったのかに問題があります」


「つまり?」


「神楽坂は服を着ていなかったんじゃないでしょうか」


毎度のごとく3人は驚いて目を丸くする。


「それは強引過ぎるだろう。服を着てなかったって……下半身も?冗談だろ!」


五十嵐が笑い出す。…が、彩香はいたって真剣だ。

それに対して緒方も不本意ながら同意の可能性を示唆した。


「下半身はどうか分かんないけど、上半身が裸っていうのは考えられるな。30人も殺したんだ。そうとう体力を使っただろうし、季節的に寒いとは言っても、汗をかいたり血しぶきを浴びて気持ち悪くて脱いだ可能性もある。それに、裸であれば肋骨などが浮き彫りになる。特にもともと脂肪の少ない男の体は分かりやすいから、小さな目撃者でも細いと認識するのは簡単かもしれないね」


緒方の説明を聞き、五十嵐も本田も黙り込んでしまった。


そんな細身の男が30人もの人間を殺したというのか。


本田は更に頭を悩ませた。


そんな本田に、彩香は更なる問題を突きつける。


「もうひとつ気になることが。陽菜子ちゃんは犯人と対面し、目を見てお互いの存在を確認してます。それなのに犯人は陽菜子ちゃんだけを殺さなかった。その理由はなんなのか」


「そういえば、飴をあげたって言ってたな」


五十嵐が手帳をめくって供述をさかのぼった。


「殺害された人々の資料はありますか?」


彩香の問いに緒方が魔法のカバンから資料を取り出した。実に何でも入っているカバンである。


資料を受け取った彩香はそれらにざっと目を通した。


「被害者のほとんどが20代を越えた成人であり、健常な人間。つまり、陽菜子ちゃんとの違いはこの二点ですね」


そうつぶやいたと同時に彩香はいつかのように天井を見上げた。


瞬きもせず、ただじっと見つめている。


そして再び資料に目を落とす。


そんな彩香の姿を3人は黙って見ている。


ここまでくると乗りかかった船だ。


今更、彩香を止める気にもならない。


事件が起こった昨日から現在まで、分かった事は犯人が神楽坂智であるということだけ。


警察は実に無力で、動機の推測ひとつもできていないのだ。


それをここまで導いたのが彩香なら、それが推測ではなく現実に起きている事だと断言できるだけの材料をもらわなくては動けない。




『全ての凶器に残された犯人の指紋』


『壊されなかった無線機』


『生き残ったアスペルガー症候群の子ども』


『15年前行方不明になった神楽坂かぐらざかさとし




長い髪をくしゃくしゃと頭頂部で束ねると、自分の世界に入ってしまった。


彩香の脳内でさまざまな映像が同時に流れる。

それはまるで全ての現場に彩香自身が立っているかのように、鮮明且つリアルに順序を追って流れていく。


彩香が大きな息を吐いたと同時に、頭頂部でくしゃくしゃになっていた髪の毛は、するりと背中に落ちた。


髪から手を離した彩香は資料を持ち上げた。


「山中に捜査員を派遣してますか?」


突然の問い掛けに、本田はたじろぎながら頷いた。


「ああ……。緒方が犯人は山中に逃げたと推測したからな」


「ならばすぐに撤退してください。犯人を追わないで」


いつも通り無表情のまま彩香が言った。


「なぜだ?追わないで、ってことは…犯人は山中にいるんだろ?」


「だから追うのをやめて欲しいんです。追えば捜査員も殺される可能性があります」


「はあ!?」と、本田が眉根を寄せて顔をしかめた。怒った顔はまるで殺人犯の顔、そのものだ。


「犯行を実行した原因がもし私の想像通りなら、神楽坂は容赦なく自分に向かってくる人を殺します。例えそれが警察だろうと、銃を持っていようと関係ない。だからすぐに撤退してください」


「なあ!もうちょっと分かりやすく話せ。俺たちは殺人犯を追ってるんだ。理由もなく捜索を打ち切るわけにはいかない」


本田の言葉を聞き、彩香は資料を机の上に置いた。


まるで本田の感情が伝線したかのように、苛立ち交じりに深く大きな息を吐くと、資料をめくって一枚の写真を指差す。


それは神楽坂が生まれ育った部屋であり、両親の殺害現場の写真だった。


「当時4歳。さっき私が言ったとおり、神楽坂智が両親を殺害した犯人だとしたら、彼が誘拐されたという可能性は低くなります。共犯者、もしくはかくまっている者がいたか、神楽坂は自分ひとりでどこかへ逃げたと考えられます。どちらにしても神楽坂は追われる身になるでしょう。


だとしたら彼はこれまでの人生、ずっと逃げてきたことになる。そんな人間を追い回せば、神楽坂が自殺するか、逃げるために追う者を殺します」


珍しく緒方が髪を掻き乱し始めた。

そんな緒方を心配してか、五十嵐が声をかける。


「緒方さん?」


「いや。うん、あくまで仮定の話だから断言はできないけど、確かに神楽坂智が両親を殺害した犯人だとすれば、充分可能性のある話だ…と、俺も思います。捜査員は撤退させた方がいいでしょう」


弱腰の緒方に、今度は本田が詰め寄る。


「犯人を放置するって言うのか?」


まるで責めるような口調で声を荒げた本田に、彩香が冷静な口調で答えた。


「そうじゃありません。もうひとつ、今までの仮説の中で重要なポイントがあるんです。それを実証しなくてはいけません」


「実証?」


本田と五十嵐が首を傾げた。


「両親を殺害して逃亡したはずの神楽坂がなぜこの集落に存在し、人々を襲ったのか。私の仮説は神楽坂が両親を殺害した…と、いうところから始まっています。だとしたら、神楽坂は逃亡した後、どこかに潜んでいたはずなんです」


それを聞けば、緒方の表情が少しだけ明るくなった。その様子を確認しながら、彩香は更に言葉を続ける。


「ここで事件を起こしたという事は、神楽坂はこの山中に潜んでいた可能性があります。できるだけ集落の近くで人の寄り付かないような小屋を探してください。この辺なら小屋や神社があるはずです」


その発言に本田が首を傾げる。


「なんで集落の近くなんだ?」


古い建物とはいえ、あの集落には使われていない民家もある。そこに潜んでいたとしてもおかしくないし、人を避けて暮らしていたとすれば、山奥に身を隠していたとも考えられる。


集落の近くに危険を冒してまで住み着く必要はない。


その質問に彩香は冷静に答えた。


「生きるために必要なものが民家にあるからです。こんな山の中で生き残るには、民家に侵入して気付かれないように盗み出していた可能性があります。特にこの辺は、生まれた頃から一緒に過ごしてきたような友人や親族が多い。鍵を掛けて出かけるという習慣がないんです」


本田は彩香の話を聞き、しばらく口を閉ざしていたが、突然椅子から立ち上がり部屋を出て行った。五十嵐も慌てて本田の後をついていく。


二人きりになった室内で、緒方が彩香の顔を覗き込んだ。


「他に必要な情報は?」


出会った頃とはまるで違う真剣な表情に、彩香は目を見張った。


人の考えが読めるというのはいい事なのか悪いことなのか……。緒方の心の奥にある闇がチラチラと見え隠れする。


しかし、それは決して悪いものではない。

緒方次第で強力な武器にもなるだろう。


彩香は口元に薄い笑みを浮かべた。


「神楽坂が育ったマンションの部屋が見たいですね。できれば今回の事件現場も見たいのですが……」


緒方も口元に笑みを湛たたえて彩香を見つめた後、何も言わずに椅子から立ち上がり、部屋から出て行った。


再び資料に目を落とす彩香。


神楽坂の過去が自分の過去を呼び覚ますような気がして寒気がした。
















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