殺人鬼に告ぐ 2-1




翌朝9時。






事件発生から一日が経過した。


「折原彩香について資料が届きました」


ブラックコーヒーをすすった本田の目の前に資料が置かれた。


「なんだ、これ?」


あまりの分厚さに驚きが隠せなかった。


「そうとうなヤバい人物みたいですね。施設での生活ぶりや、神藤先生に引き取られた経緯なども記されてます。仕事も長続きしないみたいですしね……」


資料を持ってきた捜査員は右の口角を引きつらせて笑いながら去って行った。


本田はその資料を開いてみた。


長々と連ねられた文字。

そこに一人の人間の半生が刻まれている。


折原おりはら彩香あやか、現在33歳。独身。彩香が産まれると同時に実の母親である折原おりはら美華子みかこは心臓麻痺で死亡。実の父親である折原おりはら春真はるまは彩香が生まれる三ヶ月前に失踪し、現在もその行方は分からぬまま」


読んでいた文面の内容を正面から来た緒方がコーヒーをすすりながら説明し始めた。


「東京で産まれてすぐに施設に引き取られて育てられます。しかし、彩香が5歳を迎えたあたりで、当時の養護施設の園長や先生たちが、彩香が気味の悪い事を言ったり予言らしき事を述べることから、当時、東京の大学で精神科教授を務めていた神藤司に相談を持ちかけました。そこで神藤教授が彩香と何度か対面するうちに、この子を引き取りたいと進言があり、彩香は神藤家に養子に出されます」


早口で説明する緒方の言葉を聞きながらコーヒーをすすった本田は、資料を閉じて口を開いた。


「緒方。この資料を読んで、お前はどう思った?」


珍しく本田の口から意見を求める言葉が飛び出した。


緒方にとっては気味の悪い展開だった。


本田は心理学や迷信、ましてや予言など信じる人間ではない。その本田が心理学を利用して犯罪分析をする緒方に意見を求めているのだ。単なる気まぐれにしても不気味である。


「どう思った……?うーん、そうッスねえ。まあ、本田さんには笑われてしまうかもしれないですけど、オーメンみたいだなって」


言った後、緒方は思わず笑ってしまった。


実際に悪魔の子などいるわけがない…と、心の底では思っていた。身体のどこかに『666』の数字が刻まれているのなら譲歩しないこともないが。


「オーメンってなんだ?」


いつもと変わらない真顔で本田がそう言うと、緒方は現実に引き戻される。


案の定、本田はその手の事には詳しくなかった。

それは想定内の事。むしろ知っているといろいろ面倒なのだ。


映画の中身から彩香と一致する部分を説明しなくてはいけない。


それなら初めからオーメンの話をなかったことにした方が手っ取り早く説明できるのだが、どうしてもこの資料を見たときに感じた率直な感想を述べたかった。


自分が感じた事が真実なら、彩香は悪魔の子だということになる。


緒方は自分で考えた事を吹き飛ばすように鼻で笑った。


「いや、オーメンは忘れてください。神藤教授が彼女を引き取ろうと考えた経緯は、たぶん彼女の能力にあるのではないかと思います。五十嵐くんが言っていた予言という言葉も気になりますしねぇ」


そう言って緒方がコーヒーをすすれば、本田は資料に視線を落とし、神妙な面持ちで口を開く。


「例えば……予言なんてものが当たる確率はどの程度なんだ?」


本田とこんな非現実的な話をするのは初めてだった。こんな話題を切り出されるとは思いもよらない。


しかし、そんな本田の変化は緒方の目には興味深く映っていた。


「予言なんてものは偶然でも当たるもんですからねぇ。占い師が使うのと同じような方法で予言をしていけば、小さな事なら当たる確立は増えますよ。


例えば、あなたは今日、バスに乗り遅れるでしょう…と、言う予言をされたとして、仕事が忙しくて残業になり、普段乗るバスには乗れずに二便送らせたバスに乗ったとして、これを『バスに乗り遅れた』と受け止めるか、『いつもとは違うバスだけれど、ちゃんとバスに乗っている』と、受け止めるかの違いにあるんじゃないですかね」


その発言に本田は顔をしかめながら、当然のように、「バスに乗り遅れるって言うのは、その時乗ろうとしていたバスが目前で通過したとか、時間を間違ってバス停に行ったとか、そういうことだろう?今の例なら乗り遅れた事にはならん」と、答えた。


生真面目な本田が機嫌悪そうに手元のコーヒーをすすると、そんな本田の目の前に顔面を突き出して、緒方が笑みを浮かべる。


「そこが人間の心理の穴なんですよ」


驚いた本田が背中を引いた。


顔と顔の距離を取ると、噴出しそうになったコーヒーを無理矢理喉の奥に収める。


「こんな小さな事でも数回繰り返すと、『もしかして当たってる?』って思っちゃうんです。


人間って弱い生き物なんですよ。辛いときや苦しいときに自分を理解してくれる人に出会えたと思うと、信用してしまう。だから詐欺なんてもんが流行るんでしょうねぇ。


心の健全な人間は信用することと同時に疑う事も知っているので、なかなか引っかからないんですよ」


「つまり、折原彩香の能力もその類たぐいだと?」


「いえ。彼女は別物のようです」


──さっきまで熱弁していた事はなんだったのだろう。


そう思わせる回答に、本田は眉をひそめた。


「意味が分からん。お前と違って俺たちは昨日から寝てないんだよ。回りくどい言い方はやめてくれ。余計な事で頭を使いたくない」


「ああ、すみません。気付かなくって。彼女の能力は現段階では解析不能です。本人のあの様子からいくと無意識に使っているようですけど、多分、神藤先生はその事を調べようとしてたんでしょうねぇ」


「解析不能?」


「昨日、本田さんが帰り際に言われてたじゃないですか。あそこまでズバリと人の心の内を覗ける人は早々いませんから」


本田は昨夜の事を思い出した。確かに彩香は本田が考えていた事をズバリ言い当てた。


表情から考えていた事を読み取る事は可能なんだろうか。しかもあんなに明確に言い当てられると、彩香が特別な人間なのかもしれないと疑ってしまう。


「あれ?ところで五十嵐くんは?」


緒方が辺りを見回した。


昨夜から休むことなく働いている捜査員は足取りも表情も重い。なんとかブラックコーヒーでごまかしてはいるが、どこまでごまかせるものか。


本田は彩香の資料を再び開いて視線を落とし、ぶっきらぼうに口を動かす。


「五十嵐なら予言者を迎えに行ったよ」


まるで興味の無い言い草だったが、資料を読む目は真剣だ。


「また五十嵐くんかぁ。俺も山から出たいよ……」


大きなため息をつくと緒方は体育館を後にした。
















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