殺人鬼に告ぐ 1-5



ノートパソコンがコール音を鳴らした。


ホテルの部屋で論文を再確認していた神藤しんどうつかさは、ノートパソコンを引き寄せてキーボードを叩いた。


コールの相手が彩香だと分かり、すぐに通話にした。


「彩香?どうしたんだ。今はアメリカにいると言ってあっただろう」


神藤は論文を机に置くと老眼鏡をはずし、代わりに机の上に置いてあった眼鏡をかけた。


『お父さん、ごめんなさい。緊急なの』


画面の動きに時差があって、その表情はうまく伝わってこないが、いつもと通話環境が違う事は分かった。


「どこにいるんだ?」


『おばあちゃんの家に行く途中だったんだけど……。今、刑事さんと変わるね』


再び声と画面に時差を感じながらも、画面上に現れた男に見覚えがあるような気がした。


「刑事さん?そう言ったな?」


神藤が画面に向かって声を掛ける。


『道警本部捜査第一課の本田ほんだ雅光まさみつです。その節はお世話になりました』


本田……。


名前を何度も繰り返して脳と対話する。


──誰だ?いつ会った?


そして神藤は何かを思い出したように顔を上げた。


「以前、捜査協力をしたな」


なんの事件だったかさっぱり思い出せないが、顔だけはかろうじて思い出せた。なんだか癖のある男だ…と、思った記憶は残っている。


「ところで、なぜ君が娘と一緒にいるんだ?」


神藤は首を傾げた。


他にも数人の影が画面に映りこんでいる。と、言うことは…事件だろうか。


『実は先生のお母様である神藤しんどうウメさんが事件に巻き込まれた可能性があります』


「事件?あんな田舎で?」


『先生はこの辺で道路開通の工事が行われる事はご存知で?』


「ああ、母から聞いていたよ。それが事件と関係あるのかな?」


『実は今朝が工事開始の日でして…その開始時刻と同時刻に現場の無線に誰も出なくなり、不審に思った工事の請負業者の人間が現場まで行ったところ、工事関係者、ならびに集落の住民が殺害されているのが発見されました』


あまりに突飛な話で、想像力だけでは補えなかった。


あの近辺の住人だけでも20人はいるのだ。その20人と工事関係者を全員殺したのだろうか?


神藤は動揺を隠そうと、画面には映らないよう指先で手のひらの腹をこすりながら呼吸を整えた。


「本田くん…だったかな?」


『はい』


「母もその事件で殺された可能性が高いんだね?」


神藤がそう訊けば、本田は少し神妙な顔つきになった。


『現段階では遺体の確認ができていない状態なのでなんとも。ただ、民家の方に人はいなかったそうです。お辛いとは思いますが、こちらの方に戻って捜査協力をお願いできませんでしょうか?状況が状況ですので、我々も困っている状態です』


本田の話を聞いて神藤は確信した。母が死んだということを。


しかし今、日本に帰るわけにはいかない。

明日は大事な論文発表がある。何年もかけて資料を集め、この日に挑んだのだ。


神藤はきつく目を瞑り、大きく息を吐き出した。


「すまないが、彩香に代わってくれるか?」


そう言われると、本田はすぐに画面上からいなくなり、代わりに彩香が顔を出した。


モニター画面を見ながら思う。


──実の子ではないが、本当にきれいに育ったものだ。


神藤は不鮮明な画面を見ながらそう思った。

そして、小さくため息を吐いて気持ちを落ち着けると、重い口を開いた。


「彩香。私が言おうとしていることは分かるね?」


『はい』


「私は早ければ明後日の便で帰る。おばあちゃんの確認を頼むよ。それから、捜査協力をしてあげなさい。話を聞いた限りでは、簡単には解決できる問題ではなさそうだ。頼むよ」


『はい』


彩香は断ることなく、全てを「はい」という返事で答えた。


──この子には敵わない……。


神藤は心の底から思った。


昔から彩香には負けてばかりだった。

何でも見通されてしまう。


妻の昌子とケンカした時も、彩香の前ではいつも通りを装っていたのに、すぐにバレてしまい、それどころか仲裁に入られてしまった。


「本田くん。この事件には彩香を協力させてくれ。私よりも適任だ」


『え?しかし、教授!』


本田は前のめりになってモニター上の神藤を見つめる。


しかし、神藤は神藤で目を伏せ、大きなため息を吐いた。


その後、「母の遺体の確認も彩香に頼む。私はどうしても帰れないんだよ」そう告げた。


『教授!』


画面上の本田が苛立って見えたのは気のせいではないだろう。しかし、神藤は引き下がろうとはしなかった。


「さっき言った通り、早ければ明後日に帰る。母と彩香の事をお願いしますよ」


神藤はそれだけ言うと、本田の言葉に耳を傾けることなく通話を遮断した。


何を言われたって気持ちは変わらない。

自分は間違っていない。

そう言い聞かせた。


通話を遮断され、本田は肩を落として椅子に座った。


なんだってこんな事になったのか……。

神藤がいれば早期解決を期待できたのに……。


そう思うと、発狂したい気分に駆られる。


──どの道、明後日には日本に戻ってくるだろう……。


そう言い聞かせて、冷静さを取り戻そうとした。


「とにかく今日は部屋を用意しますから休んでください。明日、明るくなったらまた捜査を開始しますから、何か分かり次第お話します」


そう告げた本田に、彩香はまばたきもせずに視線を送り続ける。


本田は困惑して目を逸らした。


「なにかついてますか?」


そんな本田に対して、彩香は無表情のまま口を開いた。


「いえ。ただ…父の帰国を待っていたら犯人は捕まえられないのでは…と、思いまして」


そう伝えれば、本田と五十嵐が動揺の色を浮かべて彩香を見る。


また、不気味なことを言い出した…と、五十嵐は眉間にしわを寄せながら、かつての同級生である予言者を睨みつける。


「ああ…これが予言?」


緒方が興味深そうにその様子を見ていると、予言された本田が平静を装いながら彩香を見て、「なぜそう思われるんですか?」と、訊いた。


本田が汗をかいたペットボトルのお茶を引き寄せると、その様子を見ていた彩香は数回瞬きをした後、目を伏せた。


「なんとなく……そんな気がしただけです」


そうつぶやけば、専門家の緒方は興味津々だ。


「へえ……心理学とは違うのかなぁ?」


再び緒方が彩香の顔を見つめながらつぶやく。


そんな中、急に五十嵐が彩香の腕を掴んだ。


「ホテルに連れて行きます」


そう早口で言ったかと思うと、片手で荷物を持ち上げ、もう片方の手で彩香の腕を引っ張って体育館を出て行く。


本田は二人の姿を見送る事もできず、黙ってお茶を握りしめていた。


「ねえ、ねえ、本田さん。あれ、マジでヤバイやつですよ。あの人、テレパスかも」


横から夢みたいな話をする緒方が鬱陶うっとうしくて仕方なかった。


本田は緒方に視線を向ける事も無く立ち上がり、そのまま体育館を後にした。


残された緒方は黙って飲みかけのお茶を見つめる。


「ライバル登場……ってとこかな?」


そんな緒方の独り言など、機材の前で慌しく走り回る捜査員には聞こえるはずも無かった。













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