殺人鬼に告ぐ 1-3



携帯が何度も身を揺らしている事に気づいていたが、電話には出なかった。


相手が誰だか分かった。

院長ならきっと考え直すように言うだろう。


しかし、考えた結果が辞職だった。

そもそも、院長が自分を辞めさせたくない理由も分かっている。


利用されるのだけは勘弁願いたい。


彩香は黙々と大きめのバッグに衣類を詰め込んでいった。


荷造りが済むと駅前ターミナルに向かった。


JRタワーの前にあるターミナルから祖母の住む町に直行するバスが出ている。


3時間ほど時間は掛かるが、高いお金を払って人にもまれながら電車で帰るのは嫌だった。土曜の昼の便だから、多少乗員は多いかもしれないが、電車よりバスを選んだ。


高速道路を走って北海道のへそと言われる富良野ふらのへ向かう。


雪が解けていて良かったと思った。

冬場にバスで帰省しようと思ったらかなりの覚悟が必要だ。


天候が悪ければ高速道路は通行止めになるし、その時天気が良くても、その前日などに大量の雪が降ると道が塞ふさがれて高速も一般道も走る事が困難となる。


一度、同じ道のりを冬場にバスで帰ったことがあった。その時、目的地まで7時間近く掛かった事と、車内で座りっぱなしであった事、雪で外の状況が分からないのにはさすがに苛立ちを覚えた。それからは、冬は絶対に電車に乗ると決めた。


今日のバスは予定より10分ほど遅れて富良野に到着した。


天気もいいし、祝日だというのに比較的交通量も少なかったように感じる。


富良野の停留所でバス時間を確認する。


祖母の家に行くにはバスを乗り継つがなくてはならない。


そうとう山奥にあったため両親も滅多に顔を出すことはなかったが、彩香は暇さえあれば祖母の家に遊びに行っていた。


そこはまるで時間が止まったように静かで、居心地が良かった。


どんなにピンチな時でも、辛い時も、楽しい時も…自分の時間を止めることはできない。それがこの世で生きるという事。だから、たまに息抜きをしに、祖母の家に遊びに行く。時間が止まったような町に行って、現実から距離を置くのだ。


停留所にバスが入ってきた。


祖母の家の近くを通るバスだ。


以前は1時間に1本走っていたバスも自動車の普及と利用者の減少に伴って、2時間に1本となった。このバスを逃せば次は2時間後だ。


彩香は荷物を抱えてバスに乗り込んだ。


辺りを見回してみるが、毎度のごとく誰も乗っていない。


あんな山の中にどんな用事があるというのだろう。

親族でもいなければ存在する事すら知らないだろう。


乗り込んだ客をミラー越しに視線を送り、姿を確認する運転手。貸しきり状態の車内で、彩香は二人掛けの椅子に荷物を置き、その横に座った。


ドアが閉まり、バスが走り出す。


スマートフォンを取り出し、時間を見てみた。


午後4時。夕暮れ時だ。


辺りには少しずつ赤みを帯びた雲が広がり始めていた。


急にバスが止まったのは、上富良野かみふらののはずれにある橋の手前だった。


バスの前方には真っ赤な夕日に照らされたパトカーが数台停まっている。


何事かと運転手は窓を開けた。


「ちょっと!なんで通行止めなの?連絡入ってないよ?」


ぶっきらぼうにそう言うと、警官が誘導灯を手にしながら近づいてきた。


「すみません。この先で事件があったので通行止めになりました。ターミナルの方には先ほど連絡したばかりなので、まだ連絡入ってなかったのかもしれません」


「はあ?こっちはお客さん乗せてんだよ。そっちの都合で道閉鎖されちゃあ、こっちも困るんだよ。どうしてもこの先通せないって言うなら、あんたからお客さんに伝えてくれよ」


後部に座っている彩香にもそのやり取りは聞こえていた。


気持ちが分からないわけでもないが、仮にも客を乗せているのに言葉遣いはどうにかならないものか。日本人は礼儀が正しく思いやりがあると言われているが、こういう姿を見ると日本も毒されてきた、と思ってしまう。


読んでいた小説にしおりを挟んで閉じると同時に、前方のドアが開いて警官がひとり乗り込んできた。制服警官のその人は、彩香より若い。


彼は彩香の前に立つと、若干頬を赤らめながら頭を下げた。


「申し訳ありません。この先、通行止めになっておりまして…。申し訳ありませんがこのまま引き返していただけますか?」


深々と頭を下げられ、彩香は持っていた小説をバッグに押し込んだ。


「先ほど事件と聞こえましたが、この先の集落で起きた事件ですか?」


彩香が問いかけると、警官はすばやく頭を上げた。


「え?どうして知ってるんですか?」


もちろん知っていたわけではないが、この先にあるのは祖母の暮らす集落と、そこを更に30分ほど走っていくと美瑛びえい町に出る。


隣町で起きている事件のためにこんな場所で通行止めにするとは考えられない。


「集落に祖母が住んでます。祖母は無事でしょうか?神藤しんどうウメと言います」


彩香が冷静にそう訊ねると、警官は目を大きくして表情を変えた。驚きなのか動揺なのか、ただ慌てているのか、その表情からは読み取れなかった。


「神藤ウメさんですね!確認取りますので少々お待ちください!」


警官は慌ててバスから降り、パトカーに向かって走っていった。無線で連絡を取っているのだろう。


苛立ちを隠せないバスの運転手は、無線を通して本部に文句を言っている。


『どうするんッスか?帰っていいんッスか?お客さんにはそっちで謝罪してくださいよ。俺、悪くないッスから』と、頭痛がするような言葉遣いでやり取りをしている。


こうなると採用した会社にも問題があるように思うが、それを言ってしまえばキリがないのかも知れない。


急にバスが揺れて彩香が視線を上げると、警官がバスに乗り込んできたところだった。


「すみません。現場が混乱していて状況が把握できない状態なので、できればこのまま捜査本部の方へご同行いただけますか?」


彩香は首を傾げた。


「状況が把握できない?事件が起きた事がわかっているのに?誰が被害者かも分からないの?」


「あ、はい……」警官が申し訳なさそうに俯いた。


このとき初めて、不安という二文字が頭に浮かんだ。








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