54 クリック? クラック!

 ● ● ●


「今度こそ、こんないかれたお茶会は終わりにしましょう!」


 時計の墓場に高らかな宣言が響き渡る。

 八つの頭と八本の尾を持つ邪悪な大蛇を連想させる竜巻達の周囲に薄っぺらくなった時計の文字盤が金色の光を放ちながらいくつも撒き散らされた。

 空を漂うトランプのように薄く、紅茶のように半透明の文字盤はそれぞれが異なる時間を表示している。


「何歩も進むよー!」


 どこからともなく飛び出してきたのは羽根付き帽を被り、後脚に長靴を履いた熊と紛う巨猫。背に砂糖で出来ていると錯覚するほど白い少女を乗せた領主は輪郭のぼやけた薄い半透明の時計の上に着地する。


「領主ちゃん!」

「分かってるよ! あと四歩はのぼるよ!」


 薄い時計達が天国へ誘う階段を連想させる足場を作る。時計によって止まった空気を蹴りつけて領主は上へ上へと進んだ。

 すべてを飲み込むおぞましい音が下から突き上がってくる。

 ふ、と。

 唐突に、風が変わった。

 領主の髭がピクリと反応。足場にしていた時計を大きく蹴り、領主は突然真上に飛び跳ねる。


「下だよ!」

「はい!」


 短い指示に従ってアリスはすかさず領主の真下に時計を集めた。薄い時計の集合体が黄金の盾となった刹那、そこに無数の羽根が下から叩き込まれた。

 周囲を嬲る竜巻の風圧に負けず真っ直ぐに領主に向かってきた羽根達は時計の盾に弾かれて到底羽根とは思えない甲高い金属音に類似した激音を鳴らす。

 領主が側にある時計を蹴って後方に飛び退き、別の時計に着地。一瞬の間もなくまた真上に飛んだ。領主がいた位置に横から羽根の弾幕が叩き込まれる。


「びっくりだよ。つい一歩だけ下がっちゃったよ。でも一歩だ――」


 領主の言葉が止まり代わりに舌打ちが聞こえたかと思うと領主が興奮した馬のように上体を起こし、右前脚を振るった。アリスの身体も領主の動きに合わせて後ろに倒れそうになる。時計の力を使っているので落ちることはないが反射的に領主の帽子のツバを掴んだ瞬間、領主の爪から放たれた斬撃が別方向から迫ってきていた羽根の雨を散らした。

 すぐに領主は上空にある別の時計に飛び移り、空を駆け上がって行く。


「ほらほら! 四歩は上がったよ!」


 得意げに自慢げに笑う領主。

 いくつもの竜巻の全体が見渡せる高所までくるとアリスは領主の背中からすべての竜巻を視認。

 そこに出現しているすべての竜巻を視野に入れそれぞれの時間に干渉した。


「いつでも止められますわ」


 アリスは遠く離れた地上に視線を投げる。視覚を調整して赤錆びた歯車が重力を無視して乱雑に折り重なる奇妙な建造物オブジェじみたものの上に佇む赤い影を確認。

 どういったバランスで建っているのか不明なそこのてっぺんに安定して仁王立つオオカミはアリスからの合図を待っている。

 赤い外套が風に遊ばれる。

 オオカミの唇が動いた。


――――準備はクリック


 現実の声は暴風で掻き消される。

 が、アリスの耳にはしっかとオオカミの声が浮かんだ。


良いですわクラック!」


 アリスは大声で答えた。

 呼応して浮遊していた時計の秒針が反転。発生する前の時間に戻されて固定され、その場からすべての竜巻が瞬く間に退場していく。

 無風の地に現れたのは、例の悪魔憑き。膨張した羽根を上体からおどろおどろしく突き出した悪魔憑きは最初に見た妙に仰け反った体勢で血溜まりに鎮座している。粘土細工のように現実味のない醜悪な姿。

 姿が露わになったその時。オオカミの口から竜巻を打ち消すほどの威力がある二酸化炭素の弾丸が、悪魔憑き目掛けて一直線に放たれた。

 ぼんやりとしていた悪魔憑きが反応する。翼が戦慄き、人形が力任せに糸を引かれたように反っていた背筋が戻されると虚ろに濁った瞳がオオカミへと向けられて、開口した口から同様に空気の塊が打ち出された。

 オオカミのように一点に絞った空気の弾丸ではなく、なにも考えていないぶ厚い砲撃はオオカミの攻撃を真正面から叩き潰した。

 狙い通りであるためにオオカミは焦った様子などなく奇怪な歯車の建造物オブジェから飛び降りて、四足歩行で脱兎。オオカミの背後で歯車の建造物オブジェが吹き飛ばされた。

 オオカミは強く地を蹴ると後ろから迫る風圧を利用して一気に飛び上がった。


 咆哮。


 獣の咆哮が空気にヒビを入れる。

「っ――……!」あまりにも雄々しい暴力的な爆音に思わずアリスは耳を塞いだ。自分が騎乗する領主の毛も逆立つ。「うるさいよ」と領主が泣きそうな声でぼやいた。猫は耳が良い。アリスは帽子の上から領主の頭を撫でた。

 遠く離れた上空にまで届く咆哮は、同じ地上で耳にすれば鼓膜と三半規管に相当な衝撃を与えるだろう。が、悪魔憑きに変化はない。

 翼が身震いする。感情を削ぎ落とした造形物と紛う白い顔が緩慢に顔をもたげた。

 太陽に身を隠すように計算して飛び上がったオオカミの陽光で隠れる姿に眉を顰めることもせず、虚ろな眼孔のまま無機質に壊れた表情のない表情で、かぽりと虚の詰まる口腔から二発目の攻撃が放たれる。

 二発目はオオカミの本気の空気弾によって相殺された。


「音にも光にも反応しないよ」

「オオカミさんの予想通りですわ。つまらない子ね」

「遊ぶなら鳴いてほしいよ」

「遊ばれていたのは領主ちゃんじゃないかしら?」

「ジンが力を貸してなかったらすぐに十歩進んで頭からバリバリだよ……っと!」


 領主が飛び上がる。アリスは領主のために時計の足場を作り出しつつ地上を確認。上がれば上がるほど強くなる熱気に目が乾き、一度だけ瞬きをした。

 その隙に、新たな竜巻が複数出現。

 悪魔憑きを覆い隠した。


「かくれんぼは好きよ。でもわたし達は隠れるほうが好きなの」

「吾輩ちゃんは見つけるほうが好きだよ」


 領主の軽口を無視してアリスは竜巻達を消す。

 悪魔憑きがすぐさま姿を現して、移動をしていたオオカミが先程とは別の方向から空気弾を放つ。今度は悪魔憑きがオオカミの攻撃を相殺した。

 羽根が蠢き、それに合わせて肢体が揺れる。動作の主導権を翼が握っているかのような動きで、青白い肉体のほうがただの人形に見えた。


「貴様が悪魔憑きの時間を操れたら十歩進むくらい楽だったんだよ」

「無理ですわ。わたし達ができるのは時間干渉。ジンのしていることは因果律への干渉。ジンの力が与えられているあの鳥にわたし達は干渉できません。ああ、忌々しいわ」


 アリスは頬を膨らます。新たに出現した竜巻が完成しきる前に巻き戻して、オオカミの邪魔をさせないようにする。

 そろそろオオカミの仕事は済みそうだった。

 オオカミの役目は悪魔憑きの行動や攻撃動作の確認。いままで竜巻しか生み出さなかった悪魔憑きは姿を現した後に攻撃方法を変化させた。ゆえにまだ見ぬ攻撃手段を持っている可能性を危惧して遠距離攻撃が得意であり速さもあるオオカミが撹乱を兼ねて先行。攻撃動作や予備動作などを観察していた。

 他にも悪魔憑きはジンの力を受けて当初と姿が異なっている。さらなる身体変化が起こらないか警戒していた。

 アリスが竜巻を消しているとオオカミが悪魔憑きに急接近。悪魔憑きが祈りを固めた空気の塊を放つ。

 オオカミはすかさず方向転換して回避。

 無茶せずに後退。

 オオカミが距離を取ると悪魔憑きの翼が荒ぶり、無数の羽根を飛ばしてきた。オオカミは赤い外套を靡かせながら四足で駆け回り、羽根の弾幕を避けていく。

 不意にオオカミの行く手に竜巻が作り出される気配を察したアリスは残骸が微かに巻き上がった瞬間を見逃さず、時間を操作。渦を形成する前に、微風の段階で竜巻は霧散させられる。

 アリスは強気に鼻を鳴らした。


「変わらず、竜巻と空気砲みたいなものと羽根を飛ばすだけですわね」

「姿も変わらないよ」

「もう様子見は十分かしらね。ここまで見ればオオカミさんと桃太郎お兄さまは動きを読み切ったはずですわ。わたし達でさえなんとなく分かったもの」

「えー、本当に?」

「ええ」


 アリスは強く頷いた。

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