第728話 閑話 朝霧光る蜘蛛の巣のように(ハイエルフの里シューヌピア視点)

 魔神が復活し、夜が来てからどれ程の時間が過ぎたのだろう。

 私は額に流れる汗を拭い、息を吐いた。

 もう何年も過ぎたかのように疲労している。腕が重い。


『ズン』


 鈍い音がした。ハッと音がした方を見ると、赤い体液をポタポタと垂らし、クワガタに似た赤い虫型の魔物が私を見ていた。

 だけど既に魔物は死体だ。魔法で生成したツタの大蛇により、魔物は体を噛み砕かれ絶命していた。

 もし、護衛として大蛇を作っていなければ……想像してからゾッとした。

 気付かなかった。

 頭を振り、自らを奮い立たせ、矢をつがえる。

 退路は無い。私の立つ世界樹は、故郷であり、守るべき家なのだ。


「リズムに乗って」


 私は背後から聞こえる音楽を聴きながら矢を放った。

 この音楽を聴いていると、少しだけ楽になる。

 ハーモニー。ノアサリーナがくれた、不思議な魔導具。神様の音楽を奏で、死に忘れを弱らせる。そして、私には勇気をくれる。ノアサリーナ達の優しさを思い出して、心が温かくなる。


「よし、もう少しだけ頑張れる」


 小さく呟き自分に言い聞かせる。それから重い腕をもう一度あげて、肩にさげた矢筒から矢を取った。


「ロケメケロアだ!」


 下の方から悲鳴のような声が聞こえた。世界樹の枝先まで走り、下を見る。

 確かに、第5魔王ロケメケロアがいた。横笛をもった華奢なダークエルフ。先が透けて見える昆虫の羽がなければ魔王とは思えないだろう姿。今日、2度目となる魔王の姿。同じ魔王が……生き返ったのか。それとも魔王は同じものが何体もいるのか。わからない。


「リスティネル様!」


 眼前を金龍リスティネル様が通る。再び出現した第5魔王と戦いにいくのだろう。

 リスティネル様はこれで魔王との戦闘は2度目だ。しかも、世界樹に施した守りの結界を維持しながらの戦いだ。負担も大きい。

 飛行島、リスティネル様。準備はしていたし、心強い仲間もいた。しかし状況は悪い。

 魔王が世界樹を狙うとは思わなかった。しかも複数の魔王が。


『ブォン、ブォン、ブォン』


 巨大な戦斧が回転して飛ぶ。斧は数体の魔物を粉々にして私の方へと飛んでくる。

 フッと人影が通りすぎて、斧はパッと消えた。


「シューヌピアや、少し休みなさい」


 背後から声が聞こえた。振り返ると、両手に戦斧を持ったフリユワーヒ様がいた。

 いつもの穏やかな長老としてではなく、ハイエルフの戦士としてのフリユワーヒ様だ。


「ですが、まだ始まったばかり……」

「それはそうだが。先ほど、第5魔王の横笛を聞いてしまっただろう? 目を閉じて、少しだけ休みなさい。その間、ワシがシューヌピアの代わりをしよう」

「でも」

「大丈夫。ワシでも多少は役にたつのじゃよ」


 諭すように穏やかにフリユワーヒ様が言った。

 どんなに強くなっても、まだまだ皆には敵わない。


「では、ほんの少しだ……」


 私が少しだけ休むと答えようとした時、信じられないものを見た。

 ピピトロッラ。そして2体のロケメケロア。眷属らしき魔物も沢山いる。

 即座に思い切り弓を引く。


「休めません!」


 そして答えた。

 信じられないが、見たことを信じるしかない。気配でわかる。あれは幻術の類いでは無い。


「ふむ。飛行島は……世界樹を登る虫の相手で手一杯か。アロンフェルは、少しはなれておるな。では、シューヌピアや。ワシが前に立とう。援護を頼まれてくれんか?」


 フリユワーヒ様が先ほどと変わらず静かに言った。

 そちらの方が良いかと考えて、小さく頷く。魔王3体。世界樹を守れるのか、チクリと不安が心を刺した。

 動悸がする。ドクドクとまるで音が聞こえるようだ。

 そんな時のことだ。


「ん? 何だ?」


 フリユワーヒ様が戦斧を構え視線を遠くにやった。

 何かが飛んできていることに遅れて気がつく。

 青い光?


 それは私達の頭上、そのほんの少しだけ上を飛んで、背後に進んだ。

 続けて、背後から強い光が差した。


「ハーモニーが!」


 振り返った私が見たのは、青く強く輝く魔導具ハーモニー。

 ノアサリーナを象徴する紋章が光り、そして青い光の柱を伸ばす。

 光はパッと弾けて複数の光となって飛び散る。

 1つは空へ、そして他は……。


「あれは……」

「こりゃなんと、次から次へと」


 光がどこへ飛ぶのかを目で追う。私とフリユワーヒ様はそろって声をあげた。

 青い光は地上へ落ちた。そして、あちこちで分裂していく。

 分裂した光の1つは空へ、残りは四方八方に、地上の何処かに。

 地上の至る所で次々と打ち上がる青い柱。


「まるで、これは、蜘蛛の巣のようじゃ」


 フリユワーヒ様がそう表した。

 地上を跳ね回る青い光が作る帯は、模様を描いた。

 それはまるで蜘蛛の巣のように地上へと広がっていた。

 あの分裂は、魔導具ハーモニーで起こっているのでは……。

 私は振り返り、音楽を奏でる魔導具ハーモニーを見る。


「今度は空とは!」


 再びフリユワーヒ様が声をあげる。

 空をみると、空は揺れていた。

 星が静かに尾を引いて動き出す。それも空に広がる多くの星が。

 私は体を回し、見える限りの空をみる。


「星降り!」


 星々が瞬き輝き落ちていく。


『キィィ……ン』


 大気を切り裂く風音と共に、それは私達の元へ。

 魔王が次々と打ち落とされていく。降り注ぐ星は魔王を狙っていた。

 爆発音を響かせ、眷属もろとも魔王達が落下する。


「ひょっとして、ノアサリーナが?」


 よく分からない状況で、星降りとハーモニーの2つに関わる友人の名前をだす。


「きっとそうじゃの。想像の及ばぬ奇跡は、大抵はノアサリーナ達じゃ」


 フリユワーヒ様も楽しそうに笑って答える。


「ここまでしていただいたのです。私も頑張らないと。綺麗な世界樹でもう一度、ノアサリーナ達と語れる日をつくるために」


 にやけた顔を真剣な表情に変えて、私は大きく深呼吸する。

 腕の重さは無くなって、力が湧き上がる。


「さて、シューヌピアや。ワシは呼ばれたので、ちと席を外す。でも、大丈夫よな?」


 そんな私にフリユワーヒ様が微笑み言った。

 背後にはこちらへと向かってくる虫の魔物がいたが、気にしない笑みだ。


「呼ばれた?」

「ファシーアとフラケーテアじゃ。どうやらノアサリーナ達に何かが起こったようじゃ。召喚の呼び声に応えねばのぉ。いやはや、この齢にして大活躍しそうじゃ」


 世界樹の枝先に立っていたフリユワーヒ様が高笑いして消えた。

 ギリアの屋敷に向かったのだろう。

 でも、心配はしていない。いつだって、ノアサリーナ達は私達の予想を遙かに超える活躍で問題を解決するのだから。フリユワーヒ様はその一助となられるだろう。

 私は世界樹から地上を見下ろして再び笑う。

 地上には青い光が走り続けていた。

 その様子は、まるで朝霧が光る蜘蛛の巣にも似ていて、青い光が帯を引いて天に駆け上がる様子は、雨の日に張った蜘蛛の巣を逆に向きに見ているようだった。


「まるで青い光が、天に滴る水滴のよう」


 私は微笑み呟き、向かってくる虫の魔物に矢を放った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る