第711話 閑話 聖女と勇者(前編)
ヨラン王国でも有数の港町クイットパース。
巨大な船が港に数多く停泊することで有名なこの町に、異様な光景が広がっていた。
船、船、そして船。
波止場から水面が見えず、ただひたすらに巨大な帆船が並んでいた。
町の誰もが見たことがないほどの数限りない船が、停泊することができず海に浮かんでいた。
それらはすべて、ギリアに向かう人々の乗った船や援助の物資を積んだ船だった。
聖女ノアサリーナへ協力するために、訪れた船。
おびたただしい数の大型船。その数は、大国ヨランの中にあって、有名な港町であっても受け入れられないほどだった。
港は混乱の極みにあった。
この状況に、皆が困惑し苦闘していた。
「なんてことだ」
それはクィットパース領主ドロチトロスも同じだった。
窓越しに、港を見渡すことができる大広間を臨時の執務室にして、皆を集めて対応する中、領主は解決策を出せず苦慮していた。
「領主様」
机に深く座り込み頭を抱えた領主のもとに、役人が次々と入ってくる。
「なんだ」
「さらに船が……」
それはたびたび繰り返されていた光景だった。
港に訪れる船に対し、ある種の交通整理をしてほっと一息をついたかと思えば、また次の船がやってくるという状況。
「これでは物の流れが……」
執務室に詰めている数十人を超える役人が大きなテーブルを前に唸っていた。
港とその周辺の海域を描いた地図が、テーブルには広げてあって、船の模型を置いて、対応を検討している状況で、皆が唸りつつ対応をしていた。
「北は、アロントット港は、どうだ?」
しばらく考え込んでいた領主が顔を上げ声をあげた。
目の下にくっきりとしたクマを作り、疲れ切った領主は俯いたまま、すがるように声をあげた。
「あちらも限界が近いと」
「そうか」
「商会からも限界が近いと悲鳴の声が上がっています」
「港に詰めている役人や、町の住人からも、限界の声が」
「我らだけでは手に余ります。ここは王都に伺いを立てるのはいかがでしょうか?」
「ならん!」
青い顔をした役人の一人があげた声に、領主ドロチトロスは即座に否定の言葉を返した。
領主は知っている。
王都にいる大半の大貴族が、ノアサリーナに対し好意を持っていないことを知っている。
もし王都に伺いを立てば、妨害を命じられる可能性があることを知っている。
だから領主は、王都に対し伺いや救援を願うという手段は取れない。
領主はモゴモゴと小さく口を動かす。
「まったく。王都に伺いなど論外だ。この状況が知られれば、我らは妨害を命じられるかもしれん。もしそうなれば、ここは燃え上がる。クィットパースにとってそれは絶対に避けねばならん状況なのだ」
領主は眉間にしわを寄せ、自らに言い聞かせるようにぶつぶつとつぶやく。
それから、皆の困惑した視線の中、領主は背もたれに体を預けぼんやりと天井を眺めた。
領主が考え事をするときの癖だった。
皆が領主の対応をまつなか、彼はうわごとのように言った。
「なんてことだ。ノアサリーナの影響力がこれほどとは……」
「不穏な世にあって、聖女ノアサリーナの存在が希望となっているようでして」
「勇者の軍から、予定の遅れを指摘する声が……」
領主のつぶやきに、彼のそばにいた数人の役人が次々と声を上げた。
「分かっている」
役人の言葉に領主は短く答えた。
さらに疲れた様子で領主は言葉を続ける。
「えぇい、もう。どうすればいいのだ。何が聖女だ。クィットパースにとっては面倒事の種にしか……いや、待てよ」
そこまで言って領主は席を立った。
勢いよく立ったため椅子は倒れ部屋にガタンという音が響いた。
領主はそのようなことに気を留めることもなく背後の窓に手をついた。
続けて額を窓ガラスにくっつけて外を見る。
彼の視線の先に飛行船があった。
クィットパース港の先に広がる海面が見えないほど詰めかける大量の帆船、そのさらに上、空を飛ぶ飛行船があった。
多数の紋章付きの盾を纏い、武装した飛行船。
それは補給物資を待つ、勇者の軍の飛行船だった。
「シャサックス!」
領主は姿勢を変えず大きな声を上げる。
「何でしょうか父上」
巨大なテーブルについていた一人の男が勢いよく立ち上がった。
長い青髪を揺らす彼の名はシャサックス。クィットパース領主ドロチトロスの子の一人だった。
「これより書を作る。其方は至急、それを持ち、勇者エルシドラス様に面会を求めよ」
「面会でございますか」
「そうだ。この状況を打破するために、エルシドラス様に協力を求める」
領主の声は力強く、顔には笑みが浮かんでいた。
一転し、力強く響く言葉に、皆が領主の計画に期待していた。
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