第617話 よろいのほん

 それにしても、この場所はどうなっているんだ。

 距離感がめちゃくちゃだな。

 またたく間に、遠くに見えた棚までたどり着く事ができた。

 棚までは、それほど距離が無かったのだ。

 それなのに振り向くと、先ほどまでいた椅子のある場所が遠くに見える。

 不思議な感覚だ。


「何冊あるんでしょうか」


 カガミが上を見上げて呟く。

 近づいてみて気がついた。

 オレ達が見ている物、それは高くそびえる本棚だった。

 遠目からは想像できないほど巨大で立派な棚だった。

 こんなに大きかったんだな。


「本の装丁は同じものしかないな」


 サムソンが一冊の本を手に取って言う。

 確かに、どの本も全く同じ装丁だ。オレ達が持っている黒本とほぼ一緒。

 違うのは、表紙と背表紙を縁取る金属の色だけ。

 オレ達の持っている物は、黒だが、ここにあるのは金色をしている。


「ここにあるのは、全て鎧の本だでよ」

「鎧?」

「昔の事だァな。モルススという病を操る国があっただ。モルススは自分達以外の皆を病気にして、世界を自分達だけの物にしただ。そして統一王朝と名乗った」


 それは聞いたことがある。

 迂闊に名前を口にすると、黒の滴に襲われると言われる国の話だ。

 頷くオレ達にゲオルニクスが説明を続ける。

 モルススが統一王朝と名乗った後のことを。

 その後、モルススは自分達以外の人間を根絶やしにしようとしたらしい。

 さらに、それだけに留まらず、あらゆる記録……書物を破壊しようとしたそうだ。

 本を燃やし、本を砕いて海に投げ捨て、さらには本が朽ちる病原菌までもばらまいたという。

 だが、そのような状況でも、殺戮から逃れ、書物の保護に動いた一団がいた。


「その一団が作ったのが、スカポディーロ……それから、病や火から書物を守る鎧の本だァ」


 そして、ゲオルニクスはそう言葉を締めくくった。

 この棚にあるのは、火などから書物を守る鎧の本。だから、外見が同じか……。


「それだったら、この本も、鎧の本なのか?」

「ん、あぁ、この1冊はそうだなァ。あとは似せてあるけど、別もんだな」


 オレが影から取り出した黒本から、一冊を手に取りゲオルニクスが答えた。

 黒本ウレンテか。

 他は写本だから、当然か。


「じゃぁ、この黒本ウレンテって昔はここにあった本なんスか?」

「そうだよ。寒い年は、野菜が苦くなるって言うだで、こいつをあげただ。んだども、黒本ウレンテ?」

「そう呼ばれてるんスよ。読めない本を黒本って言って、これはウレンテって名前っスね」

「読めない?」


 プレインの言葉に、怪訝な顔をしたゲオルニクスが本をパラパラと捲る。

 しばらく中身を眺めた後、彼は「読めるだよ」と言った。


「あぁ、文字が昔の字らしくてな。読める人がいないんだ。オレ達はなぜか読めるんだけどな」

「そう……だっただか」

「知らなかったんですね」

「おらは、ずいぶんと長いこと……人と、満足に話をしてなかったから……。気付かなかっただよ」


 人と話す事が無かったか……。

 それは、なんとなくわかる。

 なんというかゲオルニクスは、いろいろと人前に出る態度とかではないからな。

 それにしても、使っている文字がまったく変わってしまう時間か……。

 いったいどれほど長い間ゲオルニクスは生きているのだろうか。


「ところでゲオルニクス、ここの本……水にくぐらせてもいいか? もちろん、本が痛まないようにはする」


 黒本ウレンテについて話をしていると、1人離れた場所で本を見ていたサムソンがこちらを見て言った。

 そうだった。本の量に圧倒されていたが、これだけ本があると取り込むのも大変だよな。

 時間もかかるだろうし。ここでパソコンに取り込む作業をするつもりなのだろう。

 魔法で問題無いと言っても、いきなり水の中にドボン……だからな。


「構わないだよ。サムソンの好きにするといいだ。鎧の本は、水につけても、暖炉に焼べても平気だでよ」


 ゲオルニクスは、水につけるという言葉にも笑顔で応じた。

 しかも、暖炉に入れても平気とは……鎧の本っていうのは、すごいな。


「ということは、黒本ウレンテ……この本も、水に強くて、例えば燃やそうとしても燃えないのか?」

「それは、すでに力が失われているだよ。ほれ、本の縁が黒ずんでる。こりゃ、すこーしだけ、整備する必要があるだなァ」

「整備か……、それはどうやるんだ?」

「んだら、せっかくだァ。作業場にいくだよ」


 オレの質問にゲオルニクスは答えると、一軒家を指さし、そのまま歩き出した。

 あの家が、作業場なのか。


「先輩、燃やす予定でもあったんスか?」

「思いつきだよ。いま、依頼かけてるだろ? 本の収集をさ。それで、真贋判定に使えるかなって」

「そういう事っスか」


 王都で依頼をかけている資料の収集。偽物を持ち込まれた時のことをどうしようかと不安に思っていたのだ。図書ギルドへの鑑定依頼の他に、自分で判定できる手段はあった方がいい。


「うわっ、凄い勢いで遠くなるね」


 オレとプレインが話をしていると、ミズキの一際大きな声が聞こえた。


「足が速くなったでち」

「走ったらもっと速く走れるかな」


 後を何度も振り返り、ミズキ達が雑談している。

 チッキー達は、ゆっくり歩いているのに、高速移動する状況に大はしゃぎだ。

 確かに、こうやって振り返りつつ歩くと面白いな。


「さて、ここが作業場だァな」


 そして、この場所にきた当初、遠目に映っていた一軒家の手前まで来て、ゲオルニクスが言った。

 茶色い土壁に、灰色の無骨な石が特徴的なこぢんまりとした家だった。


「ここで生活していたんスよね?」

「そうだなァ。あと、地下室があるでよ」


 プレインの質問に、答えながら扉を開けてゲオルニクスが一軒家へ入っていく。

 ついて入った家には、2段ベッドに、石の棚とテーブル、倒れた椅子といったシンプルな部屋があった。

 月明かりに照られて見える部屋の景色は、綺麗に整理されていてゲオルニクスらしくない。


「あれ……ネズミですか?」


 カガミが部屋の一カ所を指さす。

 棚の上に、ミニチュアのベッドがあって、ネズミが寝ている。ご丁寧に掛け布団をかぶり、ナイトキャップまでしているネズミだ。


「あれは賢者様だなァ。夜が早いだよ。んだども、ノアサリーナ達は眠くないだか?」

「私なら、大丈夫です」


 ノアは即答したが、疲れた様子が見て取れる。

 そういえば、もう夜なんだよな。

 外は夜空なのに月がとても明るいので、時間の感覚がない。

 それにモグラ型ゴーレム……スカポディーロの中に来てから驚く事ばかりで、すっかり夜だということを忘れていた。

 先ほどゲオルニクスが言っていた調整に時間がかかるようなら、明日にまわして寝たほうがいいかな。

 そして、似たような事を考えていた人は別にもいた。


「多分、外は夜ですよね。今日は、もうご飯を食べて、お休みして……要件は明日にまわした方がいいと思います。思いません?」


 カガミが提案する。


「そうっスね」

「確かにな。気になる事が沢山ある。このままだと終わらないな」

「だよね。もう、ご飯食べてさ、飲んで、お休みってことにしよ」


 そして皆も、次々とカガミの提案に同意する。


「じゃ、決まりだ。なんだか考えてみると、オレ、お腹ペコペコだよ」


 こうして、圧倒される状況続きの流れを一旦止めて、のんびり生活にシフトすることにした。

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