第560話 いちやづけ

 明日はテスト。

 もう限界だ。


「面倒くさい」


 寄宿舎の一室で、一夜漬けに挑んだオレは愚痴る。

 どうにもやる気がでない。

 距離の単位、重さや体積の単位。意味は理解できる。

 確かに、教養と呼ぶべき内容だ。

 だが、やることは暗記。

 ひたすら暗記するだけの教養という科目。時間さえかければ誰でも満点がとれるらしい。でも辛い。暗記しろと言われると、途端にやる気が無くなるのだ。


「ちょっと休憩」


 誰にいうでも無く小さく呟き、食堂へと向かう。

 長い渡り廊下を歩いた先、巨大な塔の一階に、夜間も開いている食堂があるのだ。

 雨か……。

 寄宿舎から外にでて、雨が降っていることに気がついた。

 いつもだと静かな外は、ザアザアという雨の降る音と、独特な水の香りに、一風違って見えた。

 パシャパシャと、水音を立てながら進んでいく。


「思ったより……人がいるのかな」


 目的である食堂が見えたとき、そう思った。

 食堂の窓から光が漏れ、会話する声が聞こえてきたのだ。

 夜にしか出来ない実験などもあるらしいから、人がいても不思議ではない。

 そもそも、そのための夜中も開いている食堂だしな。

 でも、思ったより沢山の人がいるらしい。

 人なんてほとんど居ないと思っていた。

 真夜中も開いている食堂は、質素な木製のテーブルが等間隔に並ぶ場所だ。

 ご自由にどうぞとばかりに、籠に盛ってあるパンと、壺に入った薄いワイン。

 それが、この食堂にあるメニューの全てだ。

 質素な作りの、質素な場所。

 昼間に開いている食堂とは、雲泥の差。

 銅貨20枚を払ってパンを一切れと、薄めたワインを貰う。

 これって、あれだな……田舎の道ばたで見る、野菜のおいてある小屋。

 元の世界でもあった無人販売所を思い起こす施設だ。

 カロメーを持ってくれば良かったかな。値段の割に小さいパンを食べていてそう思った。

 そして、不満が顔に出ていたのかもしれない。


「こちらをどうぞ」


 そんな言葉と共に、オレの前へコトリと皿が置かれた。

 皿のうえには、サンドイッチが乗っていた。

 フランスパンに似た長細いパンを切ったものに、大きく切れ込みを入れ、そこに野菜と肉が挟んであるものだ。

 見上げると、静かに微笑む1人の女性の姿があった。


「これは?」

「レンケッタお嬢様からにございます」


 皿を持ってきた彼女に質問すると、サッと一人の女性を指し示す。

 そして、その言葉に呼応するかのように、部屋の奥に座る女性が立ち上がりお辞儀した。

 レンケッタ?

 どこかで聞いた気がする……思い出せないけど。


「差し入れ、ありがとうございます」

「いえ、どういたしまして。勉強会のために用意した物のあまりにございます。夜遅くまで勉学に励む方に、少しばかりの応援を……と思った次第にございます」


 お礼くらい言っておこうと、近づいて礼を言ったオレに対して、レンケッタは微笑み応じた。

 青い髪をした貴族の女性。幼さの残る顔立ちと、短めな髪に、活発そうな印象を持った。

 そんな彼女は、忙しいようだ。

 オレのお礼に応じた直後、側に座る人から質問を受けていた。

 邪魔をするのは悪いと思い、軽く会釈し席に戻ることにした。

 漏れ聞こえる会話から、彼女達は、食堂の片隅で勉強をしていたらしい。

 熱心なことだ。

 それにしても、これ、ちょっと口がパサつくな。

 貰ったサンドイッチに文句をいうのはどうかと思うが、パサパサしている。

 そこで、ちょっとした思いつきからマヨネーズを塗ることにした。

 影からマヨネーズの小瓶を取り出す。

 そういえば、影の中から食べ物取り出せば良かった。今さら遅いけれど。


「美味い」


 うん。正解。思わず声がでる。

 やっぱりサンドイッチにはマヨネーズは必須だ。この点はプレインに感謝だ。少なくともオレ達はマヨネーズに不自由しない。

 モグモグと食っていると、頭に血が巡ったようだ。

 レンケッタという名前について、どこで聞いたのか思い出した。

 生徒会選挙で、シルフィーナと戦っている人だ。

 つまり、サムソンの敵。


「その小瓶……薬味ですか?」


 ようやくレンケッタという人について思い出した時、彼女がオレの側に来ていた。


「えぇ。マヨネーズと言います」

「少しだけ分けていただけませんか?」

「いいですよ。少しといわず、瓶ごと差し上げます。ただ、余り長持ちしないですし、冷たいところで保管してください」


 オレの回答に彼女は相好を崩し、サッと小瓶を手に取った。

 そして、自らの手の甲に少しだけ取り出し舐める。

 貴族というより、商人の仕草だな。


「不思議な味ですね。表現するとすれば、食べる油……といった感じでしょうか」


 レンケッタが、小瓶をまじまじと見つめ言った。

 食べる油……気の利いた表現だな。


「そうかもしれませんね。サンドイッチ……先ほど頂いた料理の、具材とパンのつなぎに使えるのではないかと思いまして、それで試してみました」

「確かに具合がよさそうです。これは何処かで売っているのですか?」

「ギリア、それから王都でも近く売りに出す予定です」


 彼女はマヨネーズに興味津々のようだ。

 オレの言葉をキラキラとした目で聞いている。


「あの、失礼ですが……リーダ様ですよね?」


 オレとレンケッタの会話に割り込むように、男が近づいてきた。

 ふと見ると、先ほどまでレンケッタと一緒にいた一団がこちらを見ていた。なぜか皆が責めるような視線をしていた。


「左様ですが……何か?」

「リーダ様は、シルフィーナ様の陣営だと聞いています」

「私も聞きました!」


 部屋の片隅にいた女性が、ガタリと椅子を揺らして立ち上がり声をあげる。

 そういうことか。

 サムソンの仲間だから、敵の陣営だってことか。

 情報早いな。

 でも、だからといって、いきなりそんな事を言われても困る。


「リーダ様とは、珍しい薬味についての話をしていただけです。いきなり責めるようにお声をかけても困るだけですよ」


 そんな責めるような声に、レンケッタが代わりに言い返してくれた。


「それは……」


 レンケッタの言葉に、オレに声をかけた男が叱られたように俯く。


「申し訳ありません。リーダ様。どうしても生徒会選挙の件となると皆が心配するので……」

「別に気にしていません。皆さん、生徒会選挙に真剣なのですね」

「えぇ。負けられないですもの」

「負けられない?」

「はい。スプリキト魔法大学は、家や身分の上下無く学べる場とされています。ですが、今は違います」

「入学できたとしても、富がなければ、練習用の触媒すら購入できない」

「家柄が良くないと、良い師に出会えません。それでは、何のための大学なのでしょう」

「だから、我々はレンケッタ様の掲げる改革に賛同し、皆で生徒会長へと考えたのです」


 レンケッタの言葉を皮切りに、次々と食堂にいた一団が立ち上がり発言した。

 正々堂々と戦うのなら、別に悪い話ではない。

 頑張って、切磋琢磨して、より良い学校を目指して欲しいと思う。


「なるほど。影ながら応援しています」

 

 ということで、当たり障りのない回答をすることにした。

 さて、頂いたサンドイッチを食べることにしよう。


「今日はノアサリーナ様の元へは戻られないですか?」


 食事再開と思ったそばから、再び声をかけられる。

 見ると、そこにいたのはヘレンニアだった。


「明日の試験に備えて勉強しようかと……ヘレンニア様は?」

「私は、ちょっとした調べ物。でも、明日の試験……リーダ様ほどの方ならば勉強しなくても大丈夫ではなくて?」

「いや、少しばかり教養に手こずってまして……」

「教養? あれなら、2つのパターンを交互にやっているだけですから、手こずることは無いと思うのですが……」

「え?」


 そうなの?

 それなら、明日の問題もわかっちゃうの? 上手いことやれば、楽勝じゃないか。


「あら。知らなかったんですね。フフッ、リーダ様に教えられることがあって、少し嬉しいですわ」

「ヘレンニア様は、明日のテストにどのような出題があるのかご存じなのですか?」

「えぇ。もし良ければ、問題、差し上げましょうか?」

「お願いします」


 ラッキー。渡りに船とはこのことだ。

 問題まで持っているのか。

 そういえば、元の世界でも、使い回しのテスト問題を保管している先輩がいたな。

 こういう輩は何処の世界でも、いるものなのだな。


「その代わり……わたくしの調べ物を手伝ってくださることが、条件ですけど、ね?」


 幸運に喜ぶオレに、ヘレンニアは、そう言ってニコリと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る