第531話 ごりやく
雪は止まることなく降り続ける。
津々と。
頭上に広がる四角い雲はすごいスピードで大きくなっていった。
雪が降り続くにつれて、辺りは一気に寒くなった。つい先ほどまで両手両足を優雅に動かしていた海亀は、さっと甲羅の中に引きこもってしまった。
そんな中、領主であるラングゲレイグはただ正四角形をした雲を凝視していた。
「つっきっちゃう?」
さて、どうしようかと考えていた時にミズキが言った。
突っ切るか……確かに雪が降り積もるまでに、さっさと進んでしまう手はある。海亀は念力の魔法で浮かせて突き進む。寒いと嫌がっても無視だ。
いや、ダメだ。
無理に進むのは難しい事に気がつく。
この調子で、雪が止まず降り続くようであれば、馬が海亀を引くことができなくなる。茶釜も、難しいだろう。
「飛行島を呼ぶか?」
サムソンがラングゲレイグに聞かれないように、小声で提案する。
白孔雀をギリアの屋敷に送り飛行島を呼ぶしかないか。
献上しろと言われるかもしれないが、背に腹は変えられない。
「天候操作は解除できないんでしょうか?」
「解除呪文で広がり続ける雲の拡大は止められるかもしれぬ。だが、かもしれぬ……だ。一度作られた雪を降らせる雲は残ったままだ」
カガミの言葉に、空を見上げたままのラングゲレイグが答えた。
解除呪文で解除できるのは広がり続ける雲の拡大だけか。
そういや、解除呪文って使ったことないな。サムソンあたりが調べたりしているかな。
いやもし解除したとしても、雪が降るなら同じ事か。
そのうえ、再び天候操作の魔法を使われたら意味が無い。
雪が降りつづけば馬が進むことができない。最悪、飛行島か。
拡大を続ける雲を見上げながら、ぐるぐると考えているとカガミがオレの肩をつついた。
そして海亀の小屋へと、彼女が目で合図する。
「少し対応を検討します」
「あぁ……」
心ここにあらずという風に、ただひたすらに空を眺めているラングゲレイグへと断りを入れて、海亀の小屋に皆が集まる。
「このまま雪が降り積もれば馬が進むことができない」
「雪の上でも走る魔法ってないんスかね」
「探せばありそうだぞ」
「おいら達はソリを作ります」
ピッキー達に海亀用のソリを作ってもらって、馬は雪の上を走れる魔法をかけてしまえば……。念力よりずっと早く進めるかもしれない。浮かせるのと、どちらが早いかは、要検証かな。もっとも、雪上を走る魔法が見つかることが前提だが。
「雪の上を馬が走れる魔法……見つからなかったら、飛行島を呼びますか?」
「それしかないっスね」
「領主様の前で?」
「献上しろって言われるかもしれないが、しょうが無いだろ」
「領主様なら、話して了解を得られそうじゃん?」
「んー。領主様が納得してくれても、王様が献上せよって言うかもしれないぞ」
確かにラングゲレイグなら献上うんぬんについて交渉できても、王様はさすがに無理だろうな。
「こういうことなら、何らかの幻術で飛行島を隠す方法でも考えておけばよかった」
「海亀を隠す時に作った魔法陣は?」
「あれは周りの木木に偽装する幻術だ。空を浮いている飛行島にはあまり意味がない」
これから魔法陣を作るというのは……さすがに現実的ではないな。
あの正四角形の雲が降らせる雪は勢いがある。
こうしている間にも、積もり続けるだろう。半日もしないうちに、満足に歩くことすら難しくなるだろう。
「あー、天候操作が使えればいいのにね」
ミズキが残念そうに言った。
「そうですね。天候操作によってあの雲を蹴散らすことができれば、なんとかなりそうです。ですが、触媒が……」
「ケレト魔晶だっけ?」
「そうだな。他にも大量の黄金でもいいが、どれもこれも手元にない」
「触媒抜きでは使うわけにいかないっスか?」
「天候操作は、触媒抜きでは成立しないタイプだぞ」
やっぱり触媒は必要か。触媒がいらなければ話は簡単だったのにな。
もっとも天候操作なんて魔法が、簡単に使えると大変な事になりそうなので、貴重な触媒が必要だというのは、バランスが取れていいのかもしれない。
ケレト魔晶か……貴重な遺物で国によって管理されていると、フェッカトールも言っていた。帝国で探しておけば……いや、ダメだったろうな。貴重な遺物だというし。遺物が店で売られていた憶えがない。
貴重な遺物か……。
ん? 遺物?
「ふと思ったんだが、ケレト魔晶って遺物だっていう話だったよな?」
「フェッカトール様は確かに遺物だと言っていた」
やはりそうだ。俺の聞き間違いでは無かった。
「それなら、進化した遺物で代用できないかな?」
「えっと、進化した遺物って……あ!」
「ダメもとでやってみるか」
オレの言いたいことを、皆が分かってくれたようで前向きな流れになった。
善は急げだ。早速、指定された大きさに天候操作の魔法陣を書き写す。
「天候操作の魔法陣って思ったより簡単なんスね」
「あぁ、これだったら手分けして描き写せば、すぐに終わりそうだ」
「あたちも手伝うでち」
今回は同僚達とノアの他にもチッキー達も手伝ってくれる。
「あっ、ピッキー、そこがちょっとだけ違う」
「申し訳ありません」
「大丈夫。オレもしょっちゅう間違う」
「落ち着いてね」
聞けば魔方陣を描く練習をずっと続けていたそうだ。
おかげで、天候操作の魔法陣は、あっという間に描き写すことができた。
「3ペス1ペスソス……、とりあえずサイズはこれで大丈夫だと思います」
屋敷にあった本の丸写しだ。それを指示された大きさで描き終える。繋げると結構大きい。ペスが大体30cmで、ペスソスがその6倍程度だから……3m程度あるのか。そりゃ大きいわけだ。
後は触媒。本来であればケレト魔晶、墨、晴れを呼ぶのであれば枯れていない木の葉、 これらが必要になる。
「炭……、世界樹の葉。それから、これだ」
今回は奮発する。なんといっても大事な魔法だ。オレはおもむろに万札を取り出す。
「リーダ、それって……」
「マジか?」
「触媒って使うと無くなりそうですけど、大丈夫なんスか?」
「天気を操作するんだ。御利益を考えると、これくらいは奮発しなくてはな」
「御利益って……お賽銭みたいに……。まぁリーダがいいなら止めないですが……」
皆が万札を出したことに狼狽えていた。こういう事は思い切りが大事なのだ。
「それは?」
オレ達が海亀の小屋から外に出て、ワイワイと天候操作の魔法陣を広げて準備を進めていると、ラングゲレイグが近づいてきた。
ずっと立っていたのか、肩にはうっすらと雪がかかっていた。
「天候操作の魔法を使います」
「それらを触媒にするのか?」
「ケレト魔晶の代用品を思いついたので、試してみようかと」
「……そうか。では、其方達にかけるとしよう」
ラングゲレイグは返事し、オレ達から背を向け空を見つめだした。
四角い雲は、オレ達が魔法陣を準備している間も広がり続けていた。
すでに視界一面が灰色の雲に覆われていた。グルリと首を回して周囲を見なくては、この雪を降らせる雲が正四角形だとは気付かないに違いない。
津々と降り続ける雪によって、地面はうっすらと白くなっていた。
「さ、時間がない。さっさと進めよう」
「ノアノアもお願い」
皆で詠唱する。獣人3人には手拍子をしてもらいリズムをとって詠唱する。
ノアの桁外れの魔力を、皆で押さえつけるような形で魔力を操作する。
まるで小さな地震が起きているように、地面が小刻みに揺れ、木々に積もった雪がパラパラと落ちた。
歌うように詠唱するノアにひっぱられ、オレ達の声はどんどん大きくなり、最後は辺りに響き渡るほどの合唱になった。
「……皆が知る杯、天を伝う」
最後の一言を口にし終えると魔法陣は大きく光った。
『シュン』
空気を切り裂く音がして、魔法陣の中央から青白い巨大な光の玉が打ち上がる。
すごいスピードで打ち上がった光の玉は、あっという間に見えなくなった。
見えなくなった次の瞬間、視界を覆っていった雲が中央からはじけ飛ぶように消え去り、大陽の光が降り注ぐ。
雪から一点、強い日差しが降り注ぐ。
瞬く間に雪は溶けていき、一気に蒸し暑くなる。
「相変わらず……其方達は……」
ラングゲレイグはその様子を見て、呆れたように笑い言った。
「これで進めますね」
「ハハッ、そうだな」
一変して機嫌よく笑いだしたラングゲレイグが馬を引き、それに引っ張られるような形で海亀が進む。
進化した遺物は、遺物の代わりに使えそうだ。要検証。小銭は沢山ある。問題無く検証はできる。
サムソンも今回の結果にすごく満足している。
オレ達が元居た世界から持ち込んでいる小銭が、触媒としていろいろと使えるのであれば、触媒不足が解消するのだ。夢は広がるよな。
「それにしてもさ」
猛スピードで森の中を進む海亀の背から見える風景を眺めながら、ミズキが微笑み、言葉を続ける。
「万札使っちゃうなんて奮発したよね」
「別に1万円札じゃなくても1円玉でもよかったのに」
「ん?」
「看破で見た結果、1円玉も万札も同じじゃん」
「そうですね」
そう言われると万札を使った事が、急にもったいなく感じてきた。
「止めてくれてもよかったのに」
「いや、皆止めてたじゃん」
「御利益がどうとか言っていたので、任せましたけど」
確かに言った。
思いつきで取り出した万札だったが、財布に残った最後の万札だっただけに、少しだけ寂しくなる。自業自得だけど。
「まぁまぁ、済んだことだしさ」
万札が失われた財布を、ぼんやりと見つめていたら、皆が慰めてくれた。
まぁ、どうでもいいか。
「森を抜ける。あと少しで王都だ」
ラングゲレイグの声を聞き海亀の小屋から外に出る。
「原っぱ」
横にいるノアが小さく声を上げる。
その言葉通り、雲一つ無い晴れ渡った空の下、視界一面に、草原が見えた。
雪が溶け、残った水滴が太陽の光に照らされてキラキラと輝く草原が見えた。
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