第527話 しゅうがくりょうこう

 痛い。

 誰だと思って後ろを振り返ると、とても良い笑顔をしたラングゲレイグがいた。


「一体、何を……」

「何を……ではないだろう。あれほど、何度も言ったではないか。騒ぎを起こすなと」


 オレが抗議の声を上げると、ラングゲレイグは、笑顔から一転、ギロリと睨みそんなことを言った。

 そして、その少し後ろでは、両手合わせてゴメンねというポーズをとったミズキが、ゆっくりとそのポーズのまま後ずさりしている姿がみえた。

 なんてことだ。

 ミズキのやつめ、オレを売りやがったな。


「いや、あのですね、私は絡まれただけでして」

「宿の者が知らせに来てくれたのだが……。まぁ、大事ではなかったようで何よりだ。だが、くれぐれも揉め事を起こさぬように。それから出発は明後日だ。支度をしておけ」


 それだけ言うとラングゲレイグは、宿の人が用意した馬に乗り、何処かへと走って行った。


「ミズキ。オレを生贄に差し出すなよ」

「ごめんごめん。そういえばさ、カロンロダニア様……だっけ? 後でリーダに受け取りに来て欲しいって言ってたよ」

「何を?」

「あの闘技箱」

「なんでまた」

「サムソンがさ、ノアノアにお願いしたんだよね。少し貸して欲しいって頼んでもらえないかって」

「闘技箱を?」

「そうそう。そしたらさ、あれは渡せないが、自分が持っている物があるので、それをくれるって。でさ、後で迎えのものを寄こすから、取りに来てもらえないか……って、話になったって」

「了解」


 そういえば、あの魔導具にサムソンは興味津々だったな。

 それにしても、ランゲレイグのやつ、ゲンコツなんてしやがって、ヒリヒリ痛む脳天をさすりながら宿に戻る。

 もっとも、ランゲレイグは領主様だし、今回は立派な宿を取ってもらっている手前、あまり文句言う気にはなれない。だが、いつか憶えていろと思う。

 そして宿に戻って、しばらくした後、約束通り迎えが来た。

 カロンロダニアと一緒にいた女性だ。

 キターニア……だっけかな。

 彼女の案内で、カロンロダニア一行のいる館へと行く。

 もっともすぐ側にある館だし、多分、同じような宿だろう。

 こうやってみると、まるでカロンロダニアとキターニアは引率の先生だな。

 館には男女それぞれ同じような格好をした人間がほとんどだった。

 仕草や態度から、学生を彷彿とさせる。

 そして、ほとんどが年若い集団の中にあって、大人であるカロンロダニアとキターニアが修学旅行の引率をしている先生に見えた。


「レイネアンナ様に、お会いしたことはありますか?」


 目の前を進む彼女はふとそんなことを言った。

 レイネアンナ……ノアの母親の名前だ。


「いえ……お会いしたことはありません」

「そうですか」

「その、レイネアンナ様が、何か?」

「いえ。母がレイネアンナ様の行方をとても心配しているので……」

「母ですか?」

「えぇ。先日は、母親であるマデラが失礼をしました」


 母が失礼……あぁ、マデラというと、あのお婆さんのことか。


「いえ。こちらこそ、お力になれずに申し訳ありません」

「そんなことはございません。ノアサリーナ様と皆様の活躍に、どれだけ助けられたか」

「助けられた……ですか?」


 彼女は、こちらを見ずに、前を歩きながら、そんなことを言った。

 しみじみといった口調から、お世辞ではなく、本心からそう言っているのがわかる。

 ただ、どうして助けられたと表現するのかがわからない。


「そうです。助けられました。皆様の活躍を耳にするまで、カロンロダニア様はずっとお酒に溺れておりました」


 オレの疑問に答えるかのように、彼女は少しだけ歩みを遅くしながら話を始めた。


「レイネアンナ様を帝国へと、お連れして、戻ってきてから……ずっと浴びるように酒を飲まれました。私の父も、王も、多くの者が、1人で戻ったカロンロダニア様を当然のように受け入れていました。そして、館に引きこもったカロンロダニア様の変わりようも、また、当然のように、皆が受け取っていました。私には、どうしてかは分かりませんでした」


 浴びるように酒。

 オレが見たカロンロダニアは、理知的な顔、真面目な顔つきをしていた。

 浴びるように酒を飲んでいる姿は想像できない。

 前を歩く、キターニアは、前を歩きつつも、チラリとオレを見た後、さらに言葉を続ける。


「ですが、カロンロダニア様を苦しめていたのは、レイネアンナ様にかかることだったようです。ポツポツと囁かれ始めた噂に、私はそう確信いたしました」

「噂、ですか?」

「レイネアンナ様は、帝国で、情熱的な出会いを得たと。ただ、その過程で、カロンロダニア様と仲違いし、1人帝国に残ったと」


 ナセルディオの事か。


「1人……」

「えぇ。ですが、1人と言っても、母を始め、従者は沢山いましたので」

「なるほど」


 なんとなくだが、ノアの母親は、貴族の中でもけっこう上流の人だったように感じる。

 手帳にも、沢山いた従者が減っていく様子が記述されていた。


「ですが、そんな母からの連絡もありませんでした。あるのは、出所の怪しい噂ばかり。そんな噂の中に、レイネアンナ様は身ごもり、そして、女の子をお産みになったと。そして、女の子の名前はノアサリーナだというものがありました。私は、それを聞いて、レイネアンナ様らしいなと思いました」

「レイネアンナ様らしい、ですか?」

「えぇ。ノアサリーナ様の名前、雪に咲く花……幻の花の名前ノアサリアから取ったと分かりましたから」


 ノアの名前は、花の名前だったのか。

 名前の由来か……考えたことも無かったな。


「どのような花なのですか?」

「雪山で遭難した人の前に、白く美しく咲く花と伝わっています。その花を雪山で目にすれば、必ず助かるという逸話から、希望の花とも言われています。おとぎ話に出てくる花です」

「おとぎ話に出てくる希望の花……ですか」

「えぇ。ただ、カロンロダニア様は実際に見たことがあるそうです。子供の頃、その話を聞いて、レイネアンナ様と内緒で雪山に探しに行って……怒られたのも良い思い出です」

「レイネアンナ様とは、子供の頃からの知り合いなのですね」


 そういや、あの場でノアに突っかかったお婆さんは、レイネアンナの乳母だったとノアが言っていたな。そのつながりかな。


「えぇ。私達、配下の者にも優しく、繊細な方……でした。そしてレイネアンナ様について、どのような噂が流れても、カロンロダニア様は変わりませんでした。ずっと私は正しいことをしたのだ。正しいことをしたのだと、言いながら……お酒を飲まれていました」

「正しいこと……」

「なんとか気力を取り戻していただきたいと、私達は手を尽くしました。ですが、詳細を知らない私達には、どうすることができませんでした」


 歩きながら静かに語るキターニアの話は続く。

 だが、オレ達に彼女が感謝する理由は分からない。

 ここで口を挟むべきではなさそうだ。静かに聞いて判断しよう。

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