第204話 閑話 勇者の息抜き(勇者エルシドラス視点)

 腰に差した剣にそっと触れる。

 この聖剣を引き抜けるとは思わなかった。


「ルシド、しっかりと前をみて」

「ごめん、ごめん。コンサティア」


 そうだ。皆が祝福しているのだ、余計なことを考えないようにしなくては。

 私は、聖剣を抜いた事を祝うパレードで先頭を進む。

 ほんの少し前まで、私はとても追い詰められていた。

 皆が私のことを勇者と褒め称える。

 もちろん若い頃から一心に訓練してきた。勉学にも励み、軍を動かす方法についても学んできた。

 家柄もあり、そして私には才能もあったようだ。

 私は皆に認められ、勇者としての称号を得た。

 そして私にはもったいないほどの精鋭部隊を預けられ世界を回る。

 人にも恵まれ、私は誰が見ても羨むほどの成功者だったのだろう。

 だが、いつの頃からか私は追い詰められるようになった。

 期待の声は益々大きくなり、それほど近くないうちに押しつぶされる未来が見えたのだ。

 そして、それは現実となった。

 聖剣を引き抜けなかったのだ。白く美しい聖剣は完全に私を拒絶していた。


「歴代の勇者でも抜けぬ者はいたというぞ」

「焦ることない。まだ時間はあるんだ」


 軍の皆が私を慰めてくれた。

 だが、私は忘れられなかった。多くの人々が、気を落とす様を、悲しむ様子を。

 その視線を、落胆する声を。

 そして、眠る時間が減ってきた。

 物の味がしなくなりはじめた。

 それでも歯を食いしばり、笑顔に務め、各国の王に面談し、民衆に手を振り、私は自分なりに勇者としての仕事を進めてきた。

 だが、聖剣が引き抜けなかった現実は私を苦しめた。

 あの時の皆の顔。期待を裏切ったその視線は私をずっと苦しめた。

 私は逃げ出したかった。

 各国の王は、そんな私の失敗を当たり前のように受け止めた。

 祖国ヨランにおいても、王も、父も、何も言わなかった。

 まるで当然のように。

 ヨラン以外の他国でも、それは同様だった。

 ただあれば良いというその言葉に、私は私が本物であるという自信がもてなくなっていた。

 いつの頃か私は何も考えることができなくなっていた。勉学も手につかず。ただ、目の前の敵を機械的に潰すだけ。

 そして、取り決め通り、聖地を順に回り、聖剣に挑戦する。

 後回しにすることはできず、私は聖剣のあるケルワテを再び訪れることとなった。

 その頃には、私は満足に寝ることができなくなり、夜寝ると動悸が激しくなった。

 期待を裏切ることを考えると、辛かった。

 助けてくれる者がいたならば、私は頭を垂れ、何でも言うことを聞いていただろう。


「少し、気晴らしをしてきなよ」


 幼馴染みの彼女が私にそう言った。風の精霊であるシルフを使役する精霊使い。若くして数多の魔法を知る賢人。

 そんな彼女の提案。他の仲間も同意する。


「左様、左様。少し勇者殿は根を詰めすぎです」

「大丈夫。勇者だとわからないようにボクが変装の魔法をかけてあげるから」


 幼なじみが私にそう呟き、魔法をかける。


「気晴らしか……」


 私はそうして、気晴らしをすることになった。正直なところ気晴らしという気にはなれなかった。だが、皆の好意をむげにはできなかった。

 仲間が持たせてくれた金貨を手にふらふらと歩く。

 気晴らしと言っても、何をすればいいのかわからない。

 私は小さい頃から勉学、そして訓練しかしてこなかったのだ。

 正直、お金を使うことを知らなかった。

 いつもは付き添いの者に任せていた。

 だから、お金という存在について知識はあっても、どう使うのかは分からない。

 だが、1人で良いと言ったのも私だ。

 意を決して店に入る。

 食べ物の匂いがした。

 それが理由だ。


「相席でいっかな?」


 相席というものがどういうものか分からないのが、軽く頷く。

 案内された先で何のことかがわかった。

 一つのテーブルを知らない者と囲むことのようだ。

 目の前に座っていたのは私よりも年若い男だった。

 それは不思議な人物だった。

 身分は奴隷。

 名前はリーダ。

 だが、その身分とは裏腹に目に宿す光は、まるで歴戦の戦士のそれだった。

 体つきも、身のこなしも、立ち振る舞いも、奴隷でない。

 さりとて、騎士でも、平民でもない。

 いままで似たような人物を見たことがない。

 彼になら何でも話せそうな感じだった。

 そして、全てが見透かされているのではないかと思わせる凄みを感じた。

 自分が勇者であることを悟られまいと、言葉を選び話をする。

 ニコニコと笑いながら、彼は聞いていた。

 そのうち彼も話し出す。


「特に、状況がめちゃくちゃなのに締め切りが間近の時は苦しいよな。でもそういう時は顎を引いて、意識的に姿勢を正して、じっくり考えてみるようにしてるよ。それで、一つだけでも難しい案件が解決できたら嬉しいし、満足して進めると思っているよ」


 私が悩んでいることを、彼もまた経験したことがあるかのように。

 どう見ても年下なのに、まるで兄が弟に対して自らの経験を語るかのように聞こえた。

 彼は何者なのだろうと思いながらも、話を続ける。

 話すうちに自分の中のわだかまりが解けて消えていった。

 不思議な事だった。彼の言葉は、自身の経験に裏打ちされた重みのようなものを感じた。

 だからこそ、この人ならばと考え、私は自分の悩みを打ち明ける。

 失敗し、苦しんでいる事を打ち明ける。

 目の前に座るリーダは、それにも驚きも笑いもせず言葉を選び答えてくれる。

 その言葉の内容は何か彼が重要なことを隠していることを示唆していたが、私にはそれはどうでもよかった。


「覚悟して、開き直ったら、何度も、何度も、工夫を続けて挑戦するよ。避けられない締め切りまで、何度も、何度も。そのうち、うまくいかないことにも慣れるようになるさ」


 彼の言葉に、私は元気づけられ、涙が溢れようとしていた。

 それが恥ずかしく、私は船に戻ることにした。


「では、フー四枚」


 店の者が言ったことがよく分からなかったので、私は手にもっていたお金をすべて渡した。


「多すぎます」


 店の者は困惑していた。どうやら多すぎたようだった。


「彼の分も含めてあります。ご機嫌よう」


 どうしていいか分からず、それだけ答え足早に立ち去った。

 それからの日々は、不思議な希望に満ちていた。

 そして、2度目となる聖剣との対決はあっけなく終わった。

 封印なんてなかったかのように、スルリと抜けた。

 今、腰に差してある聖剣を触ってみても、なぜ抜けたのかわからない。

 神への祈りなのか、それとも心境……もしくは別の理由かもしれない。

 ただ、とにかく聖剣が抜け、皆の期待を裏切らなかったことが嬉しかった。


「……そうだ」


 ふと、あの酒場で話をしたリーダという男のことを知りたくて、ギリアに友人がいるという者へ質問する。


「トルバント、確か君はギリアに知り合いがいると言ってたよね?」

「ん、あぁ。さすが勇者様、よく憶えてたな。ギリアの領主とは知り合いだよ。王都の騎士団からの付き合いだけど……何か?」

「ギリアのリーダという人物を知っているかい? 身なりから、それなりの家格がある家の奴隷だと思うのだけれど」

「ギリアのリーダ……って、そりゃ、お前、いや……勇者様。知ってるけど」

「リーダ!」


 ところが、その名前に反応したのは、彼だけではなかった。

 同席した多くの者が反応したのだ。

 特に、故郷からの友人であり、精霊使いの彼女が反応したのに驚く。彼女はギリアとは無縁の人間だったはずだ。


「コンサティアも知っているのかい? もしかして、リーダは、ギリアではなく王都の貴族が所有する奴隷なのかな」

「違う……違うんだよ」


 酷く驚いた顔で私を見る。

 どうしたのだろうか。

 リーダというものは何か特別な人間なのであろうか。確かに語っていた時に、ただ者ではない感じがした。奴隷というにはあまりにも違う経験を、違う人生を生きていたようなものの目だった。

 そして語る言葉は奴隷とは違う立場にいたことを指し示していたように感じられた。


「だって、勇者様、あれだろ、呪い子ノアサリーナの……」

「ルシド、そのリーダという人は、有名な呪い子ノアサリーナ、その筆頭奴隷なんだよ」

「そうなのか」


 私はもともと世事には疎い。

 さらに、この軍に入り、勇者として仕事をするようになって全く世の中に目を向けなくなった。軍の動かし方、各国のパワーバランス、そのようなことばかりに目が向かう。それ以外のことには全く関心が持てなくなっていた。

 そうか、皆が驚くほど、有名な人間だったのか。


「ルシドはなんで、あのリーダのことを?」

「都市ケルワテで、気晴らしをしただろ。その時に、話をした人間がリーダという男だったんだ。私は彼と話をすることで、本当の意味で救われたんだよ」

「そうか、あのリーダが……」

「彼の名前と出身は聞いたのだが、それ以上のことは分からなかったから、是非とももう一度話をしてみたくなってね。それで聞いてみたんだが、まずかったのかな?」

「いや、まずいことなんかないよ」

「へぇー。呪い子ノアサリーナは、ラングゲレイグが面倒見てるなんて話だったんだけどな。なんでかは知らないけど……ケルワテにいたのか」

「ということはだよ、ルシド、トルバント。ケルワテで騒ぎがあったらしいけど、それを引き起こしたのは、ノアサリーナ達だったのかも」


 コンサティアは相変わらず色々と考えているようだったが、私にとってはどうでもいいことだった。

 少なくともリーダという人は、それなりに有名で、会おうと思えば会える人だとわかっただけで、私は満足だった。

 そうとわかれば、まずは、使命だ。

 来たるべき戦いに向け、鍛錬を続けよう。

 魔神を討てなければ人に未来はない。

 でなければ、私は自らに自信を持ち、あのリーダの前に立てないだろうから。

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