第19話 秘密の再会

 彼女と会うのは八か月ぶりだった。

 当然、この前の時とは何もかも様子が違っている。

 人々の服装、はけるように飲まれるビール、真夏にふさわしいBGM。

 今夜はボサノヴァの名曲たちが、けだるく暑さをなだめている。

 『マシュ・ケ・ナダ』『イパネマの娘』『リカード・ボサノヴァ』――。


 約束の時間は夕方六時だったが、ぼくは少し早めに、彼女と出会ったこのレストランバーに到着した。例のカウンター席を確保するためだ。

 運良く一番左端のシートに落ち着いたので、生ビールの中ジョッキと枝豆を注文して彼女を待つことにした。

 シークレット・マムがぼくの右隣に座ったのは六時を五分ほど過ぎた時だった。

 淡いパープルのツーピースに、きれいにまとまったショートカットのヘアスタイルは、彼女の気質を表現するのに最もふさわしい気がする。

 昼間の疲れと中ジョッキによる軽いうたた寝から覚めたぼくの目に、そんな彼女はすごく新鮮に映った。


 「ごめんなさい、少し遅れちゃって。お久しぶり。この前お会いした時は確かジングルベルが鳴ってたわよね。その後、お変わりなくって? ……あ、お変わりあったから、今日お会いするのよね」

「実はそうなんだ。マムのお力をぜひとも借りたくてね。とりあえず何か召し上がってください。今夜は当社で持ちますので」

 ぼくはガーデンサラダ、生ハムのピザとバレンタインのオン・ザ・ロックを注文した。

 彼女は、

「じゃ、私は生ビールの中ジョッキとミックスナッツ、それに明太子のスパゲティをいただこうかな。それと、コニャックの水割りを」


 ぼくは改めて、

「今日はお忙しいところ申し訳ない。電話でおおまかに話した通りなんだけど、果たしてあなたにお願いすることなのかどうか……」

 彼女はうなずいて、

「そりゃあそうよね、私が一体何者なのか、あなたは知らないもんね」

「知らなくても君を信用している人もいる。その人がぜひあなたにお願いしたいと」

「女社長ね?」

「向こうは『必殺女忍者さん』と、君に期待しているよ」


 彼女は少し苦笑して首をかしげながら、

「この間の電話だけでは、相手の男たちのことがはっきりと分からないんだけど?」

「あの後、社長から詳しく聞いたんだけど、三人とも有名大学の先生で、ボスの教授は資産家の三男坊らしい」

「社会的地位があって資産もある、これは案外やりやすいかも――。けど上手くやらないと、こちらにとばっちりが来るかも知れないわよ」

「とばっちり? どういうこと? なにかヤバイことでも考えてるんじゃないよね」


「なに言ってんのよ、守りたいんでしょう、彼女を。相手は卑劣ヤローどもよ」

「でもなんだか雲をつかむような話で」

 彼女は人差し指を右頬に当てていたが、いきなりぼくの目を見つめて、

「あなた、口は固い?」

「それだけが取り柄だけど」

 と謙遜けんそんする。先日も江戸井社長から同じ質問をされて、同じ答えを返したのを思い出した。


「問題は奴ら三人をどうやって連れ出すかよね」

「連れ出すって、どこへ?」

「それと、費用がいくらか、かかります」

「そりゃあ何をするのにもお金はかかる。で、どれくらい?」

「まあ、一人百万×三人で三百万、と言いたいところだけど、今回だけ三人で二百万にさせていただくわ。これでもトントンよ」

「なんだか『必殺仕事人』みたいだな」

「『必殺女忍者』でしょう?」


 ぼくは彼ら三人の卑劣なやり口、特にアラビア数字のメールのことや、それに対する被害者の感情が限界に来ていることなど、江戸井社長から聞いたすべてを彼女に説明した。

 彼女はコニャックの水割りを飲み干して、

「だれかゴーストライターはいないの?」

「ゴーストライター?」

「被害者の彼女になりすましてメールのやり取りができる人よ。

 やつらの心理を手に取るように読み、タイミングを計りながら獲物を罠にかけるテクニックの持ち主、どなたかいない? ご本人じゃあ無理だと思うわよきっと」


 ぼくは、きっと彼女が豊富な経験から導き出したのであろうアドバイスに耳を傾けながら、考えをめぐらせた。

 今ぼくの周りに、そんな人物は一人しかいない。

 だが彼女の次の言葉が、ぼくの思いつきを迷わせた。

「きわどい言葉ですれすれの表現をごく自然に使いこなせる心理言語学者、どなたかいらっしゃらないかしら」

(きわどい言葉? すれすれの表現?)


 風林さんの困惑する顔が目に浮かぶ。

 だけど他に思い当たる人物がいないので仕方なく、風林さんのイメージ、性格、シミュレーション能力に長けていることなどを説明した。

「ただし、今言われたようなことは得意分野じゃないように思いますよ」

 彼女はにっこりうなずいて、右手の親指を突き立てた。

「彼女イケる、最適よ。分からない? そういう子ほど、頭ん中は妄想でいっぱいなんだから」


 彼女は三杯目のコニャックの水割りを注文して言った。

「とにかく奴らをクラブまで引っ張り出せたら、こちらでいい感じに料理させていただくわ」

(クラブ? 料理?)

 ぼくは彼女の横顔が、いつのまにか名刺の「シークレット・マム」に変わっているのに気づいた。

 それで正解なのだ、それが今夜の目的なのだから。


「そのクラブは遠いところにあるの?」

「そんなに遠くない。ここから車で二時間くらいかな、混んでなければね。

 ふふ、あなた――なんのクラブか知りたいんでしょう。顔に書いてあるわよ。怪しいもんじゃないわ。きっちり確定申告もしてるしね」

「それを聞いてひとまず安心した。で、こんなこと聞いたら失礼だろうけれど、儲かってるの?」

「会員制だから安定はしているわね」


 「分かりました。ごめん、色々詮索せんさくして。元々ぼくの方からお願いしたことなのに」

「いいわよ、心配なさるのは当然よ。でもあなたも大変ねえ、色々と。だからまあ退屈しなくてすむんだけど」

 とほほえむ。

 そして大切なことを思い出し、

「それはそうとして、こちらの都合の良い日を言っておくわね。毎月十五、十六日と月末の二日間が設備のメンテナンス日で、お客さんはいないの。だからXデーはこのどちらかの二日に決めてちょうだい」

(……メンテナンス? なんの?)


 ひととおりの雑談の後、シークレット・マムはこれから別の用事があるらしく、

「また詳しく打ち合わせしましょ」

 と言って立ち去った。

 今はシークレット・マムに任せるしかない。信じよう、あれだけ迷いを感じさせない判断力と洞察力を。

 よほどの自信と経験、それに度胸を持ち合わせているのだろう。

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