第17話 怒り

 シノンさんと別れたあと、江戸井社長は怒りで震えていた。

(……何か名案があるわけじゃない。でも、女性に対する卑劣な行為だけは許せないわ、決して)


 ぼくはほとんど六時きっかりに、江戸井社長と都内の喫茶店で落ち合った。そこは彼女と何度か打ち合わせで利用したことのある個室喫茶で、人に聞かれたくない話をするのに都合のいい店だ。

 空腹を感じていたので、二人ともコーヒーとサンドイッチを注文した。

「お電話、なんだかいつもと違う雰囲気でしたね。もちろん、アクセサリーショップの話じゃないんでしょう? 何かのっぴきならないことでも?」


 江戸井社長はそれには答えず、ぼくの顔をじっと見つめている。

「あなた、口は固いですよね?」

 ぼくは思わず身構えた。彼女が今から何か重要な任務を命じるような感じがしたからだ。

「ぼくは口が固いのが、唯一の取り柄です」

 少し謙遜けんそん気味に答える。


「あなたは正義を重んじますよね?」

「正義と言っても、それは人によって違いますから」

「そんな理屈を言っているんじゃなくて、困っている人がいたら助けたいですか、とお聞きしているんです」

「そりゃあもう、ぼくにできることなら」


 彼女は思い切ったように、

「ここに一人の女性がいます。彼女は美しく、魅力的です。でも、十年以上も前のあるおぞましいできごとが、彼女にまとわりついている――そう、男です。それも、一人じゃなく、三人も――」 

 ここまで一気に話して一息つき、

「その詳しい内容については今はお話しできませんが、まじめで美しい女性と、卑劣ひれつな三人の男――それも社会的地位のある男たちばかりです」


 彼女はかなり興奮していたが、ここで初めてサンドイッチを一切れ食べ、コーヒーを口にした。

 ぼくは思いがけない江戸井社長の話を聞いて、自分なりに想像しながら仮説を組み立てようとした。

 現実にありえる話のようにも思えるし、その一方で、どこか架空のストーリーのような気もする。


 とにかく、その女性が困っているのだ。いや、それどころじゃないのかも知れない。

 事態がそうとう深刻らしいことは、江戸井社長が、怒りながらもどこか焦っているように見えることからも明らかだった。

「社長、その女性はどうして警察に被害届を出さないんですか? 明らかなストーカーじゃないですか」

「そこが相手の巧妙こうみょうなところなんです。送ってくる脅迫メールの内容が、第三者には全く理解できないの」

「彼女には理解できる?」

 江土井社長はうなずいて、

「ええ。そのうえ彼女は『女の弱み』を握られている。ここまで話したらだいたいは想像がつくでしょう?」


 ぼくはその女性がシノンさんであると確信した。

 だがそのことはおくびにも出さず、

「許せませんねえ、そんな男どもは。でもよほど魅力的なんだろうなあ、だって、十年以上も前なんでしょう?」

「そこがほとんど病気なのよ。彼らはつかまるかも知れないという恐れよりも、欲望に負けてしまうんですよ。その上自分たちの地位を利用して――本当に卑劣な人たち。許せません。被害にあっている女性は他にもたくさんいるはずです」

 江戸井社長の怒りは最高潮に達してきた。ではどうすればいいのか――。


 その時ぼくは後頭部を二、三度ノックされたような気分がした。

 自分でも無意識のうちに、ある人物を思い出していることに気づいたのだ。

 「何か困ったことが、あったらご相談に乗れるかも」

 という言葉を残して消えていった、謎の女性。


 ぼくは江戸井社長に、

「ある人物に会ってみようと思います。女性です。さっきの件でお役に立つかどうかは会ってみなければ分かりませんが、何かヒントがつかめるかも知れません」

「まあ、愛月さんってお顔が広いのね。その方が女性だというところがいいわね。で、どんな感じの人なのかしら?」

「そうですねえ、ぼくは一度しか会ってませんし、ましてやその時はかなり酔っ払っていましたから。正確かどうかは分かりませんが、風のようにやってきて、風のように去っていきました。

 イメージとしては、忍者『くノ一』かなあ。別れ際に、『困ったら連絡をくれ』と名刺をくれました。それ以来一度も会っていませんが」


 「まあ、素敵。必殺女忍者ね? 今回のケースにピッタリじゃないの。愛月さん、その忍者さんにぜひ会ってみて? 細かい説明は、こちらでさせていただいても結構ですから」

 江戸井社長はすっかり、次に展開するかもしれないシーンを思い描いているようだった。


 その翌日江戸井社長は事務所に電話をしてきた。その時、事務所にはたまたまぼく一人しかいなかった。

 社長は、被害者はシノンさんであること、事件のきっかけ、怪しいメールのことなど、昨夜語れなかった詳細について話してくれた。

 ぼくはそのことはおおよそ察しがついていて、さっそく昨日の夜、例の謎の女性と会う約束を取りつけておいたことを報告した。

 電話の向こうから、彼女は歓喜の声と感謝の言葉を述べ、ぼくらは受話器をおいた。

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