第12話 画伯とセラピスト

 帰りの中央自動車道の国立付中インターに入ると、首都高速道路につながる高井戸インターまで五キロ渋滞の表示が点滅していた。

「お疲れさま。さて、ラン君の印象を聞かせて?」

 嵐日君は前を見たまま黙ってステップワゴンのハンドルを握っている。

「シノンさんですね?」

「そう、きれいな人だったね。あの僧侶頭巾がよく似合ってた」

「ええ。ぼくはいま混乱しているんです、イメージ画の件で。あの人の中には色んなイメージがありすぎて……」

「例えばどんなイメージ?」

 彼は少しの間考えて、

「粉々に割れた美しいガラスのコップの破片を拾い集めて、丁寧に元通りに修復した感じ」


 ぼくはうなずいて前を向いたまま、

「あの人自身も自分は弱い人間だと言っていたし、むしろそれが自分の持ち味だとさえ思っているように見えた。

 悩み苦しんでいる人は、いくら立派な言葉で励まされてもちっとも癒やされない。自分と同じか、自分よりもまだひどい状態の人と接すると、なんとなくほっとするんだ。ラン君のイメージ画のモデルに、もってこいの存在じゃない?」

「興味はあります。けど、ぼくの能力がついていけるかどうか……」

「ラン君の持っているイメージをそのまま表現してくれたらいいと思うよ。彼女のまるで万華鏡のような多面性を」


 翌朝、会社に嵐日君から電話がかかってきた。

「社長はおられますか?」

 電話に出た風林さんは、

「ああラン君? おはようございます。昨日はお疲れ様。

 社長ね、ちょっと寄ってくる所があってお昼頃になる、ってさっきメールがあったわよ」

 そのまましばらく受話器の向こうの嵐日君の話を聞いて、

「そう、それじゃそう伝えておけばいいのね? ――分かりました、じゃあ明日」

 と電話を切ると、彼からの伝言を書いたメモをぼくのデスクの上に置いた。

 昼過ぎにぼくが事務所に着くと、デスクの上のメモに、


 『ラン君より、今日一日イメージ画に取り組みますので休ませてください、とのことです。』


 と書かれてあった。


 翌日できあがってきた嵐日君の四枚の作品は、シノンさんの隠された内面をうまくとらえていた。優しさ、危うさ、したたかさ、そして妖艶さ――。

 それぞれが、間違いなくシノンさんだった。

 さっそくスキャンして江戸井社長にメールで送った。


 江戸井社長から電話があったのは二日後の朝、ぼくが事務所のソファーでコーヒーを飲んでいる時だった。

「おはようございます。朝一のお電話でごめんなさい。ありがとうございます、イメージ画。拝見しましたよ。ところで愛月さん、今日の午後お会いできるかしら?」

 多分、この前の打ち合わせでできなかった部分を詰めたいのだろうと思って、

「午後から時間が取れそうなんでお伺いします。二時頃でいかがでしょう? そうですか、ではのちほど」


 「フェミンプラザ」地下一階の「喫茶ジャンヌ」に入ると、一番奥まった席から江戸井社長がぼくを見つけ、手を振っているのが見えた。

 「この間は早々にイメージ画を送っていただいてありがとうございました」

「いえいえ、ご覧になってご感想はいかがでした?」

 彼女はしばらく無言で、何から切り出そうか迷っているようだった。ぼくは少しばかり心配になって、

「……あまり、お気に召さなかったのでしょうか?」

「――嵐日さんを、お借りできません?」

「ど、どういうことでしょうか!? 嵐日君をお貸しする……、おっしゃっている意味が――」 


 「ごめんなさい、急にこんなこと……。実はねえ、あのイメージ画をシノンさんと二人で拝見していたら、彼女が『どうして……』とつぶやいたの。

 四枚はそれぞれ違うけれど、どれもやはり彼女なのよ。シノンさんにしてみれば、自分の多様な内面を見透かされた、と感じたんじゃないかしら」

「確かに、彼にはそういう面があります。それで、嵐日君をお貸しするというのは――」


「あっそうそう、そのことね? 

 わたくしはシノンさんの言葉から、彼は人の内面を絵にすることができるんだって感じたの。それで、ぜひこの才能を生かして、傷ついた女性たちを癒やす、というのはどうかと思って。

 日常に疲れ果てた人の心の中に本来あるはずの優しさ、思いやり、あらゆる善良なものを見つけ出し、イメージ画に描くの。それによってご本人が本来の自分に気づくという、いわゆるアートヒーリングの一種ね。嵐日さんならできるんじゃないかしら」


 ぼくは驚いたが、ありがたく社長の提案を受け入れることにした。嵐日君は週に一度、「フェミンプラザ」で、丸一日を過ごすことになった。

 嵐日君の講座は、「ランディのアートヒーリング」と名付けられ――「ランディ画伯があなたの心の中を描きます」といううたい文句でスタートすることとなった。

「彼のキャラクターなら、ご婦人方の好感度は間違いなく高いですわ。これはもちろん、あなたとわたくしのビジネスとお考えください」


 事務所に戻ると、風林さんと嵐日君は何か雑談をしながら寄せられた投稿文の整理をしているところだった。

 「ラン君、ちょっといい?」

 ぼくは彼に、江戸井社長から持ちかけられた相談と、その結果をかいつまんで話した。

「勝手に決めてしまってゴメン。どうだろう?」

「いえ、ぼくにとってはありがたい話です。シノンさんのイメージ観察もできますし。描く女性たちも、できるだけ美しい内面を見るように努力します」


 「大変だろうけど……女性たちは自分の長所を具体化されると、できる限りそれに近づこうとするんじゃないか、というのが社長の考えなんだ。

 だって、人間だれでも意地悪になったり、嫉妬しっとに狂ったりするのは当然だろう? そんな自分と向き合ったり、時には反省させたりするのが、ラン君の描く『イメージ画』の役割でもあるんじゃないかな。

 どう? ぼくうまく説明したでしょう。自分では何もできないくせにね」

 ここまでの会話を仕事をしながら聞いていた風林さんは、感情を抑えながらもほほえんでいるように見えた。


 来春から始まる「シノン 癒やしのひとこと」のコーナーで、初回のプロフィールに使用するイメージ画には、四枚の中から最もおだやかな表情をしているものが選ばれた。

 プロフィールの内容は必要最低限で、シノンさんのメールアドレス、サロンの場所のみを掲載することにした。メールアドレスは業務効率化のために、全員が受信できるようにしてある。

 あとは投稿された文章の中から、シノンさんに何点か選んでコメントしてもらう。


 年が明けて「シノン 癒やしのひとこと」は、ごく自然な形で新連載がスタートした。嵐日君の作品も良い影響をもたらしたようだ。

 二月は最初の月ということもあって、相談者の件数は十人に満たなかったが、三月になるとその数は徐々にふくらんできた。


 嵐日君の講座は、彼の飾らない人柄と、それでいて何か筋を曲げないかたくな姿勢が、女性客にはある種の純粋さに映ったようだ。

 時には、

「心の中をきれいにしていただければ美しい作品が描けますので、どうぞご協力をお願いいたしまーす」

 などと言ってご婦人方の笑いを誘い、評判は上々のようである。


 週に一度の講座を夕方までこなし、帰り際には必ずシノンさんのサロンに顔を出す。そのたびに、彼女のさらに隠されたイメージを頭の中にインプットするのである。

 このようにして描かれたシノンさんのイメージ画は、今ではもう三十点は超えていた。月二回の連載で、プロフィールには毎回新しい作品を使用する。


 回を追うごとにサイトに掲載されているイメージ画の枚数は増え、それが彼女の多面的な魅力を表現していた。

 しかし、それが思わぬできごとにつながっていくとは、風林さんも嵐日君もその時は思いもおよばなかった。


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