第10話 再びフェミンプラザへ

 江戸井社長から電話があったのは、あと二十日ほどで年が明ける日の午後だった。

「はい、株式会社マナアドです」

 慣れない口調で電話を取った嵐日ランディ君は、相手の声に何度かうなずきながら小さい声で、

 「はい、ありがとうございます」

 と言って椅子から立ち上がり、電話口を片手で押さえながら受話器をこちらへ差し出す。

「あの編集長、女性の方からお電話です」

「えっ、ぼくに?」


 一瞬、誰だろう? まさか――。

 と思いながら、

「はい、愛月ですが」

 すると、受話器の向こうから落ち着いた女性の声で、

「この間はお越しいただいてありがとうございました。江戸井でございます」

「あっ、江戸井社長。その節は貴重なお時間をありがとうございました」

「いまの方、新しく入られたのかしら? この間は女の方と二人だけっておっしゃってましたものね。『がんばって』って言っておきましたわ」

「それはどうも。彼、なにぶんまだ若いもんで」


「ところで愛月さん、あなたにご紹介したい方がいらっしゃるの。急で申し訳ないんですけど、明日のご都合はいかが?」

「少々お待ちください」

 と言いながらぼくは嵐日君の顔を見た。

 風林さんは向こうの席で、パソコンに向かってサイトの編集作業に集中している。

 風林さんの忙しそうな様子からきっと無理だろうと思い、

「ラン君、明日の昼からの予定はどうかな?」

 と片手で受話器を押さえながら聞いた。嵐日君は小さな声で、

「空いてます」

 と言ってうなずいた。


「社長、ありがとうございます。それでは明日の午後一時頃にそちらに伺います。先ほどの新入社員も寄せていただきます」

「そう、それは楽しみにしてるわ。彼女にも伝えておくわね、ああ、今回ご紹介する方、女性なの」

「社長、女性のやかたにむさ苦しい男が二人もお邪魔してよろしいんですか?」

 と冗談めかして聞く。

 この前の訪問はぼく一人だったが、今回は二メートル近い大男が同行するのだ。一般の日本人にしたら少なからず圧倒されるにちがいない。

「愛月さんのような方ならまったく安全だわ」

 と向こうもこちらの語り口に調子を合わせる。


 「まったく安全」という言い方にちょっとした落胆を覚えながらも、彼女の言葉に悪意などあるはずがない、と気の小さいぼくは思い直す。

 江戸井社長は、こちらの細やかな気遣いにはいっさいお構いなく続ける。

「あ、そうそう。お引き合わせする前にこんなことを言うのは大変失礼なんですけど、今回ご紹介する方の過去や経歴に関するご質問はいっさいご遠慮いただきたいの。わたくしがなんとなくそのほうが良いように思うだけなんですけど。

 かくいうわたくしも存じておりません……。でもあの方を信じているの、よろしくお願いします」

 もちろんぼくに異論はあるはずがない。なにしろうちは、履歴書も経歴書も一切無用の会社なのだから。


 首都高速道路から中央自動車道に入って間もなく、渋滞が徐々にひどくなってきたので、早めの昼食を取ることにした。

 インターから一番近いファミレスに入ると、さっそくサンドイッチと、ぼくはコーヒー、嵐日君はコーラを注文した。

「ラン君、うちに入って一週間あまり経ったけどさ、感想はどう?」

「はい。ぼくがどれくらいお役に立てるか分かりませんが、雰囲気はすごくぼくに合っているように思います。風林さんも親切に教えてくれるし」

 と、彼は本当に思ったことを口にしたようだった。


「ひとつ聞かせてくれない?」

 と聞くと、彼は「どうぞ」というように黙って小さく頷く。

「風林さんとはどんな会話をしてるの?」

「どんなって……、主に仕事の話です。ソフトの使い方のこととか、この間はイラストのカットをいくつか頼まれて、その打ち合わせとか、そんな感じです」

「その時はソファーに向かい合って座って?」

「ソファーに座ってなんかいませんよ、仕事中ですから」

「顔を見ながら話したりする?」


 嵐日君はツナサンドをほおばりながら窓の外の景色を眺め、何かを思い出そうとしているように見える。

「そう言えば風林さんと話す時はだいたい、パソコンのモニター越しだったり、ソフトの操作で手元や画面を見ていたりしていて、ほとんど目を合わせませんね。……それがどうかしたんですか?」

 と嵐日君は一瞬不安そうな表情を見せる。ぼくは慌てて、

「ごめんごめん、変なこと聞いて」


 すると、コーラをストローで飲みながら、

「風林さんって、すごく普通の人だけど、変わってますよね」

「普通だけど変わってる?」

「ええ、まだよく分からないけど、あの人、あまり口数は多くないけど、なんだか見すかされているような感じがするんです。……でもぜんぜん意地悪な目じゃないですよ」


 実際のところ二人は、すごく短期間にも関わらず、日々の会話など、お互いに何の不自然さも感じていないようだった。

 ぼくは、風林さんの二人目のパートナーが嵐日君であったことに、感謝している。彼が入社して以来彼女は、目線の落ち着き場所を探さないですむ相手に巡り会ったように感じていたからだ。

 それどころか彼女は、「意地悪じゃない目」でひそかに彼を観察しているようなのだ。もっとも、目線の高さに大きな差があるというのが、救いになっているのかもしれない。


 ビルの前で出迎えてくれた江戸井社長の指示で、車を駐車場に停めた。

 エレベーターで五階を通過する時に、

「彼女のサロンはここの一番奥にあるの」

「サロンって、エステか何かですか?」

 それには答えず、

「事務所は今日少し混んでいますので、別の場所でお話をさせていただくわ」

 そう言ってぼくらを六階のユーティリティースペースに連れて行った。


江戸井社長はあらためて、

「あなたが電話に出られた新人さんね。なんか電話でのお声も、上の方から降り注いでくるような感じでした」

 と、背の高い嵐日君の緊張を解きほぐすように優しく言い、渡された名刺を見て、

「どうお読みすればいいのかしら?」

 と首をひねる。


 「トノ・ランディです。よろしくお願いします」

 一瞬のあと、彼女が何かをたずねようとしたので、

「社長、彼の名前の由来は長くなりますので、のちほどゆっくりと……」

「分かりました。楽しみにしています」

 と自分の名刺を嵐日君に渡し、二人に椅子をすすめる。


「今日ご紹介したい方は、五階で『メンタルヘルスケア』のサロンをやっている女性です。このビルがオープンしてすぐに入ってこられたので、もう四年近くのお付き合いになります」

 「メンタルヘルスケア」って具体的になんだろう、とあれこれ想像していると、江戸井社長は、こちらにお構いなく自分のペースで続ける。


 「彼女のお客様は女性限定なの。広告などはほとんどしていませんが、それでもずいぶんと遠くの方も来られているようです」

「なるほど。それでぼくらのサイトが、どのようにお手伝いできるのでしょうか?」

「これはまだわたくしだけの考えですので、シノンさん――彼女のお名前なのだけど――のお気持ちをうかがわなければいけないんですけど」


 と、そこで一息入れると、

「シノンさんというのはもちろん本名じゃないけれど、わたくしたちはみんなそう呼んでいます。

 先ほど広告はほとんどしていないと申し上げたけれど、なぜなら、女性だけにPRするのが意外と難しいからなの。

 そこで思い出したのがあなた方のことだったんです」


「要するにそのシノンさんを、できるだけ多くの女性と引き合わせたい、というわけですね。うちも来年からの色んな企画を考えているところですので――では、実際にシノンさんにお会いしてみて、彼女にご判断いただくのはいかがでしょう?」

「ええ、ごめんなさいね、わたくし一人先走ってしまって。では行きましょうか」

 と立ち上がって部屋を出る前に、備え付けの消臭スプレーを念入りに振りまいた。次にここを使う英会話グループに、フレッシュな気分でレッスンにのぞんでもらうためである。


 五階のエレベーターの前を進むと、一番奥に「メンタルヘルスケア」のサインプレートが、落とされた照明の中にうっすらと浮かび上がる。

 入り口の木製ドアには、女性の顔写真が印刷されたフレームの中で、ベージュ色の僧侶そうりょ頭巾ずきんかぶった美女がにっこりとほほえんでいる。

「このドアは、彼女の希望で特別にしつらえたの」

 廊下のダウンライトに照らされて、嵐日君の瞳に星が輝いたように見えた。

「本物はもっと美しいわよ」

 と、江戸井社長はなんだかほこらしげにインターホンを押した。

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