第7話 三人目

 翌々日の夕方、投稿記事の校閲をほぼ終えかけていた風林さんに、

「一段落したら少し相談したいことがあるんだけど……」

 と切り出したが、すぐに次回の更新日が迫っているのを思い出し、

「やっぱりいいや、今日でなくても。忙しいのにごめん」

 と謝ると、風林さんは、

「いえ、いいんです、ちょうど一区切り付きましたので。更新は間に合います」

 と、最後の言葉は自分自身に確認するようにうなずいて言った。


 十坪程度の小さな事務所のすみに、一週間前に買い替えたばかりの応接セットがなんとなく気恥ずかしそうにその位置を占めている。

 オーク材のテーブルを挟んで牛革張りの三人掛けソファーと、一人掛けソファーがふたつ。

 それは、まるで大勢の作業服姿の従業員の中で、新調したダブルのスーツに身を包んだ営業部長が居心地悪そうにしているようだ。


 三人掛けソファーに座ったぼくは、向かいの一人掛けに座った風林さんに、

「毎日お疲れさま。感謝しています」

 と軽く頭を下げる。すると相手も、

「いいえ」

 と小さな声で応える。


「風林さんもぼくも、だんだん時間が足りなくなってきています。それはそれで結構なことなんだけど、少し先のことも考えて、もう一人スタッフを入れようと思うんだけど、どうだろう?」

「あ、はい」

 風林さんは少し戸惑った様子で考えたあと、

「どんな方ですか」

 と聞いてきた。


 ぼくはふと、以前彼女が何かの折に、

「わたし、三人以上の人といるのが苦手なんです」

 と言っていたことを思い出し、様子をうかがった。

 彼女はこれまでも、人間関係に悩んで逃げ出してしまったことがあるようだ。


「実はある人の紹介で、本人とお母さんに昨日会ったんだ。詳しい話は聞かなかったけど、ぼくなりの直感ではいい子なんじゃないかと思ったよ。

 高校を出てから定職には就かず、いくつか派遣社員をして、いまは幼稚園の送迎バスのドライバーをしているんだって」

 彼女はいつも通りぼくの右肩に視線を定めたままぼくの話を聞いていたが、思わず意外そうに、

「男の方ですか?」

 と聞く。


 彼女はその人物が女性だと思っていたのだろう。そこでぼくはうなずいて、

「うん、名前もはっきりと聞いてないけど、年齢は多分二十代半ばくらい? 十代のうちにお父さんが病死して、それからは母一人子一人。

 体は大きいけど気は優しく、特技は絵を描くことらしい。特に女性の絵が得意なんだそうだ。

 お母さんは彼の将来をとても心配していたよ。『決してご迷惑はおかけしません』って――」


 と言い終わらないうちに風林さんは、

「わたし、お会いしましょうか?」

 とぼくの目をまっすぐ見つめて言った。

「えっ?」

 ぼくの頭の中で突如、止まっていたメリーゴーランドが音楽を奏でながらゆっくりと動き出し、それとともにまわりの景色が変化していくのが見えた。


 風林さんの心の中は分からない。

 「三人以上が苦手」な彼女が、その三人目を自分の目で確認したかったのかもしれない。

 でも、初めてぼくの目をまっすぐに捉えた彼女の表情からは、それ以上の何かが感じられた。


 「じゃあ面接は土曜日の午後でどうだろう?」

「大丈夫です」

「ああ、よかった。もし本人に直接聞きたいこととかあったら考えといて。今回はお母さんは来ないから……。あなた自身の目でよく観察してください。

 それじゃ土曜日の午後二時半くらいでアポ取っておきます。場所はこの事務所で」


 気にかかっていた問題をひとまず解決したぼくはデジカメをバッグに入れ、

「これから二、三件取材が入ってるから、今日はこのまま帰ります。じゃあ土曜日よろしくね、お疲れさま」


 ぼくがスタッフを増やそうと思ったのは、徐々に増えてきた投稿の校閲を風林さんがほとんど一人でやっているからだ。

 もちろんぼくの手が空いた時には彼女を手伝うのだが、取材やスポンサーとの打ち合わせ、会計事務やその他雑用などに追われ十分ではない。

 今日と明日も、都内で人気のスペイン料理店、タヒチアンダンスサークル、女子のための合気道道場などの取材予定が入っている。

 風林さんも恐らくキャパシティの限界について感じていたのだろうけれど、自分からは言い出せなかったに違いない。


 土曜日は、この一週間ほど続いた秋晴れがそろそろ一休みするんじゃないかと思われるくらい、鮮やかな晴天だった。

 ぼくと風林さんは、約束の二時半より少し早めに、応接セットのソファーに並んで座って待っていた。

 彼女は少し緊張しているのか、ひざの前で組んだ両手の親指をくるくると回転させている。

 ごく控えめな薄化粧の香りが、隣りに座っているぼくに、彼女の意外な一面を感じさせた。


 一分の誤差もなく二時半きっかりに、近づいてきた重みのある足音がドアの前で止まった。ノックのあと、

「失礼します」

 と低めの小さな声がして、ドアがゆっくりと少しだけ開いた。

 部屋に入っていいのかどうか迷っているような感じだった。

「どうぞ」

 というぼくの声に安心したように、またゆっくりとドアが開き、長身の男がやや前かがみの姿勢で現れた。まるで自分の背丈の高さを申し訳なく思っているようだ。


 彼はもう一度、

「失礼します」

 と言ってぼくの表情をうかがった。

「どうぞ座ってください」

 と向かいのソファーをすすめなかったら、そのままぼくたちの前に立ち続けていたかも知れない。

「ずいぶん背が高いんだねえ。この前お会いした時よりも高く見える。身長はどれくらいなの?」

「百九十四センチです」

「ほう、うらやましい。ところでうちは履歴書とか経歴書とかはいっさい不要なところだから……、失礼だけどあなたのお名前と年齢をもう一度正確に教えてもらえない?」

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