第6話 フェミンプラザへ

 中央線国立駅に降り立つと、東京都心の活気ある喧騒から解放されてほっとした気分になった。

 駅の風景は、ぼくが小学生だった頃の記憶からかなり変わってはいるものの、駅前のロータリーに立つと、うずくような懐かしさがよみがえってくる。

 転校していった同級生の女の子をあてもなく探して、もしかしたら会えるんじゃないかと日没までたたずんでいたあのロータリーに、今ぼくは立っている。


 ロータリーから南に続くメインストリートの街路樹には、まもなくやってくる秋に備えて銀杏が出番を待っている。

 その街路樹からひとすじ西の通りを十分ほど歩くと、一棟のビルが見えてくる。外壁に取り付けられたネームプレートは、ステンレスの立体文字で「Femin Plaza」と記され、夜になるとライトアップされて遠くまでその存在感を示すことだろう。


 オーナーの江戸井亜里には、前もって本日訪問の希望を伝えていた。

 エントランスの受付ブースでは、中年の女性コンシェルジュがぼくの氏名を尋ねた。

 江戸井亜里の氏名を告げると、冷たくおごそかだった彼女の表情が少しゆるみ、館内電話で連絡を取ると入館の許可をくれた。

 ガラス張りのエレベーターで外の風景を眺めながら六階に着き、目的の場所を探す。インターホンを押し社名を告げると、しばらく間を置いて、

「お入りください」

 とやや低音で女性が返答した。


 事務所に入ると、窓際のデスクで電話中の中年女性がぼくを見て軽く頭を下げ、少し待ってくれるよう手で合図した。

 間もなく電話を終えた彼女は、

「ごめんなさいお待たせして。吉村さんのご紹介の方ね」

 と言うと、自分の名刺を机の中から取り出して、

「狭い場所ですけど、そこにお掛けになってください」

 と接客用の椅子を右手で指し示した。


 改めて名刺交換をするとき初めて、立ち上がった彼女が痩せ型で長身の女性であることが分かった。

 白のブラウスの上にグレージュのカーディガン。明るめのブルーのデニムは、彼女の気安さを感じさせる。

 「コーヒーでいいですか?」

 と聞くと、彼女はこのビルの地下にあるらしい喫茶店に電話で飲み物を注文してくれた。


「愛月さん……こちらどうお呼びしたら良いのかしら。アイゲツさん? それともアイヅキさん?」

「いえ、マナヅキです。愛月平一郎まなづきへいいちろうとお呼びください」

「まなづきへいいちろうさん。ずいぶんと珍しいお名前ね。お侍さんみたい」

「よく言われます。名字は仕方ないですけど、せめて下の名前だけでも改名しようかと時々思います。先祖は武士だったらしいけど、ぼくはあんまり好きじゃなくて」

「そうねえ、自分で自分のことをサムライだとかモノノフとか呼ぶ方に限って、いさぎよくない方が多いわよねえ。たいして変わりませんよ、公家も侍も農民も、IT社長もね」


 ぼくは彼女の返答に意外な新鮮さを感じた。

 武士の話をすると、たいていの人は「すごい!」「カッコいい!」という反応をするからだ。


 ぼくは運営しているウェブサイトに関するいきさつを手短に説明し、

「今日はタブレットを持って来ましたので、どうぞご覧いただいてぜひ感想をお聞かせください」

 と画面に表示したウェブサイトを見せた。

 彼女は頷いて、

「じゃ、失礼してちょっと見せていただくわ」

 とタブレットを手に取り、サイト内の投稿記事を開いていった。


 ある程度時間をかけていくつか投稿記事を読み終えると、江戸井亜里はタブレットをテーブルに戻し、

「他の記事も後でじっくり読ませていただくわ。よく分かりました、目指していらっしゃることが。

 でもこんなふうに若い女性たちが、自分で考えて発言する機会を持てるのって素敵ね。私たちの時代では考えられなかったから」


「これからもっと自分の意見を堂々と言える女性が増えればいいなと思います。

というのも、ここに掲載されているものも大半が実名じゃありません。実際に口に出してしまうと、まだまだ『女のくせに』という目で見られてしまいますからね」

「そうねえ。ひとたび社会に出れば、そこはまだまだ男社会ですものねえ。

 今の男性優位の社会って、ずいぶん永いわよね、まだまだ続くのかしら?」


「その前に、どうして男社会になったのか」

「それは戦争よ。しょっちゅう戦争をやってたから、それが得意な男性の方がエラそうにしてきたのよ」

「でもぼくの知っている人間で、戦争が好きなヤツなんかまったくいませんよ」


「戦争と言っても、単純にドンパチが好きな人、武器で人を支配したい独裁者、それで金儲けを企む連中……色々いるものね」

「それらに女性はいっさい関係ないと?」

「さあ、どうでしょうか? 女性は本質的に守りの性質をもっているので、戦うといっても専守防衛だと思うわ」


 そこまで言って「あら」と口元に手を当て、

「なんだか男の方を敵と決めつけたような言い方だったわね。そういう意味じゃなくって、男性とうまくやっていくには、したたかな柔軟さを備えないとってことよ」

「なるほど、勉強になります。ところで独裁者といえば、今のような世の中は独裁者が出てきやすいらしいですね」

「とおっしゃいますと?」


「みんなが将来に対して漠然とした不安を抱えている世の中です。毎日何となく面白くない。先が見えない。

 多くの人が、『何をしてもいいから、誰かとにかく現状を変えてくれ』と思った時、彼らはそこにつけこんでくる。口が達者だったり、無言で威圧いあつしたり、自信満々に嘘をつきながら……」

「まあ、怖いわね」

「そうならないためにも、一人ひとりが自分で考える、ということがやっぱり大事なんじゃないでしょうかね」

「ええ、そうね。考えることをやめては、だめね」


 ぼくは、彼女との対話がこのような話題に発展していくとは、正直予想もしていなかった。彼女の語り口からは、父親も含めた男性への複雑な感情と、過去の古傷――そしてそれに対するいたわりも感じられた。

 でも初対面のぼくたちの間で、ある程度の接点は見つけることができた気がする。少なくとも真逆の感じ方を持った人ではなさそうだ。


「今日はお忙しいところお時間をいただいて、本当にありがとうございました。お目にかかれて光栄です」

「何をおっしゃいますやら。あなたのお話を伺ってずいぶん刺激になりましたわ。これからお互いに協力していきましょう、もしよろしければ」

「ええ、ぜひお願いします。あ、それから次にお邪魔する時には、このウェブサイトの発案者もご紹介させていただきます。彼女、なにぶん人見知りする性格なもんで……」

「おひとりでこのサイトを企画なさるなんてすごいわね。楽しみにしています」


 江戸井亜里と別れてビルの外へ出ると、初秋の落日が容赦なくぼくの顔を照らした。振り返って「Femin Plaza」のネームプレートを見てみると、ライトアップまでにはまだしばらく時間がかかりそうだった。おそらくぼくが駅の改札に着く頃には、彼女の思惑通り浮き文字が光を放っていることだろう。

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