第4話 風林信子 二

 甘沢との会話を思い出しながらも、風林さんとの雑談は、表面的にはごく自然に続いていたようだ。

 ぼくは時折、人と会話をしている最中に、頭の中に将棋しょうぎの盤面が浮かんで困ることがある。今はもっぱらインターネット将棋だが、暇さえできればやっている。

 重要な会議なんかではさすがに出てこないが、他愛のない話なんかだと、振り払っても振り払っても、盤面は消えてくれない。そして、表向きは普通に話をしながら、頭の中では、相手を負かそうと色んな指し手を考えている。


 この時は将棋ではなく、甘沢の珍説を思い出していたのだが、風林さんとの会話はなんとなく自然に続いていた。

 でも相手から見れば、心ここにあらず、といったふうだったかも知れない。

 そこで風林さんに聞いてみた。

「いま話の途中でぼく、おかしくなかった?」

 彼女は一瞬ぼくの顔を見て、

「いいえ、楽しかったです」

 とひかえめに微笑んだ。けどすぐに、ぼくの右肩に視線を戻した。笑みは消えていなかった。


「風林さん、明日から来れる?」

「いいんですか? ありがとうございます」

 ぼくの顔を見て安心したように、

「よろしくお願いします」

 と頭を下げた。ぼくは履歴書を受け取り、デスクの引き出しに収めた。そして、事務所の雑事に関する説明などを聞いてから彼女は、

「一生懸命がんばります」

 と静かに挨拶して帰っていった。


 風林さんが帰った後、次号の記事や広告の資料整理を終えると、窓から秋の残照ざんしょうが、狭い事務所の奥まで差し込んできていた。

 風林さんは決して不美人ではない――見方によってはむしろ美人といえるかもしれない。

 だが、彼女はそれを意識的にアピールするどころか、常におどおどしている。服装も化粧も地味で、どことなく自信なさ気だ。

 ではなぜ採用したのか? しかもあんなに衝動的に?

 半分後悔しながら迷っている自分を、ぼくは即座に否定した。

 あの地味な見た目も、うろたえた様子も、あの遠くを見る眼差しも、全部この事務所にピッタリだ。

 ちょうどぽっかり空いたスペースを埋めるジグソーパズルのピースのように。


 翌朝、ぼくが出社するのとほぼ同時に携帯が鳴り、メールが届いた。


『申し訳ありません。風邪を引いてしまいましたので、三日ほど休ませてください。声が出ないため電話ができません。休んでいる間にまとめておきます。』


 風林さんからのメールは用件だけが簡潔に書かれていた。


『まとめておきます』


 何をまとめておくんだろう、と考えながら、


『了解。待ってます。お大事に』


 とこちらも簡潔に返信した。


 三日と土日を含む計五日間の休みが明けた月曜の朝、風林さんは少し元気になった様子で早めに会社にやってきた。

 入社初日からの欠勤をび、喉はまだ完全ではないが熱は下がったことをややハスキーな声で説明すると、照れくさそうに喉元に手をやって小さく笑い、すぐに目をそらした。

「休んでいる間に何をまとめたの? ぼく何か言ったっけ」

 彼女はスーパーのレジ袋から分厚いレポート用紙を取り出し、

「方針転換のアイディアを……面接の時おっしゃった……」


 彼女がぼくに見せた「ミニコミ誌のウェブサイト化に関する趣旨しゅし説明書」には、ミニコミ誌を紙媒体からウェブサイトに転換する提案と、それに伴って起こるであろう問題点と解決策が書かれていた。


 このウェブサイトは「女性の意識向上」と「精神的自立」を目指し、女性による女性のための様々な意見交換がなされることを目的として開設される。まず当社が三つのキーワードを提示し、そのキーワードをもとにユーザーから意見を募集して、当社で校閲後、ウェブサイトに掲載――。


 提案書はこんな具合に始まり、実に多くの言葉が踊っていた。

 鋭い分析、ユーモア、愛情、アイロニー。

 文章となると一転、面接の時の遠慮がちな彼女からはまるで想像できない、冷静かつ熱のこもった思考や表現が繰り出されることに、ぼくは驚いた。


 だがそのギャップの謎を探るより、まずは現実の問題を解決するほうが先だ。

「ウェブサイトか、いいね。ぼくは経験がないんだけど、具体的な進め方は知っているの?」

 するとしばらく考えて、

「少しお時間ください」

 と小さな声で答えた。


 ぼくは彼女にある一定の時間を委ねることにした。ウェブサイトを新たに立ち上げる作業は大変な手間ひまを要することを、門外漢もんがいかんのぼくでも十分理解できたからだ。

 それだけに最初は不安でもあった。

 彼女は寡黙かもくに仕事を進めているらしく、週に一、二度、必要事項をメールで質問してくるくらいだったが、それが次第に無言の安心感を与えてくれた。


 その後、彼女がどのように行動したのか正確には分からないが、ある時、

「スポンサーの中で、女性用の商品やサービスを扱う企業に、広告出稿の承諾を取ってもらえませんか」

 と電話してきた。

 さっそく二、三社のスポンサー企業に、近々新しいウェブサービスを開始する予定なのでその節はよろしく、と打診すると、先方も「サンプルができたら見せてほしい」とかなりの興味を示した。


 風林さんが企画書とノートパソコンを片手に事務所にやってきたのはそれから三週間後のことだった。

 ノートパソコンで見せてくれたテストサイトには、どこで取材してきたのか、女性の興味を引きそうな三つのキーワードに関する記事が各テーマ十本ずつ、合計三十本掲載されていた。

 今回のキーワードは「職場の人間関係」「時短料理」「海外留学」。

「よく三十本も集めたね」

 風林さんは一瞬ぼくの顔を見たが、またすぐに目をそらした。照れくさそうにほんの少し笑ったようにも見えた。


 このような過程を経て、ぼくらのミニコミ誌は、完全にウェブサイトに様変わりしたのだった。

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