第100話「叡智の美獣」
「改めまして、わたくし、バルボーの秘書を担当しているモニカと申します」
凛と正した背筋でモニカが腰を折った。バルボーの秘書と言うには礼節正しく、この秘書ありて獣帝あり、と思わせる。
節度と礼儀ある自己紹介を受けて、道周たちも自然と会釈で返す。
バルバボッサの首根っこを掴んだモニカに連れられて戻ってきた講堂で、道周たちは息を整える。その場の流れで付いて来たウービーは、グランツアイクのビッグネームに慄いて惚けてしまっている。
「バルバボッサの秘書さん、すごくきれいな人だね」
「ですです。雰囲気が1人だけ違いますね」
同じ女性でありながら、自分たちと異なる雰囲気のモニカに触れてマリーたちは息を飲む。今までであったセーネやシャーロットとも違う「大人な女性像」に、羨望に似た眼差しを向けている。
モニカ本人は2人の向ける憧れに気が付くこともなく、氷のように冷え込んだ視線をバルバボッサに向けていた。バルバボッサの放浪と勝手な権能の行使を糾弾する意図を剥き出しにして、無言の圧をかける。
猛省したバルバボッサは、借りてきた猫のように縮こまっている。
「全く貴方と言う人は……。職務の放棄に留まらず、権能の行使など論外です。貴方の権能は周囲の環境を左右するもの。それを承知の上で、「その場のノリで行使する」など……、言語道断ですよ」
モニカの口調に勢いはなく、淡々と静かに攻め立てる。バルバボッサのようなタイプには、嵐のように怒鳴り立てられた方がなまじマシであろう。
シュンと凹んだバルバボッサは大人しく口を閉ざして椅子に座るのみだ。
モニカはバルバボッサに向けていた視線を切り替え、ようやく道周たちに意識を向ける。
「バルボーから話は伺っています。貴方方の要件も理解しました。その上で、グランツアイク公式の回答をさせていただきますと……、拒否します」
「え」
モニカが冷たく言い放す。思わず問い返したのはバルバボッサだが、モニカの視線に黙殺される。
次に異を唱えたのはリュージーンだ。怪訝そうに眉をひそめて、不服を垂れる。
「獣帝が吐いたことを、秘書が却下するのか。おかしな話だな」
「おかしいのはバルボーです。この方は越権がすぎるのであって、わたくしの判断はグランツアイクの財政・内政・外交その他を踏まえた回答であります」
「つまりボンクラ獣帝の言葉に効力はない、と?」
「大方その通りです」
「なる」
「ほど」
「道理だな」
「ガクッ――――」
モニカの説明を受け、道周たち全員が口を揃えて納得した。
バルバボッサが大きく肩を落とした。こうも気持ちよく切り捨てられては、道周たちも同情するしかない。
「イクシラからの使者であり、それを踏まえた外交の交渉ならいくらでも受け入れましょう。しかし、貴方方は正式ではない。そんな方々を、正式な使者が来るまでもてなす余裕はありません」
「別にもてなしてもらわなくても、仕事をもらえればちゃんと働くぞ」
「よそ者に仕事を与え、それを住人に理解してもらう努力はわたくしたちの労力です。その余裕すら」
「ない、と」
「はい。誰かが遊び惚けているツケが溜まっていますので」
流れ弾がバルバボッサを撃ち抜いた。モニカはここぞとばかりに日ごろの鬱憤を晴らす。
「わたくしだって、もっと外交とか政争とか、そういう頭の良さそうなやり取りがしたいのです。
しかし、どこかの誰かが各地で飲み食いを繰り返し、その法外な代金が中央に回される日々……。毎日毎日数字と睨めっこをするだけの皮算用……。わたくしから「夢」や「浪漫」を引き離しているのです」
「……」
モニカは凛とした佇まいのまま、平坦な口調に熱を込める。ありったけの愚痴を聞いた道周たちはホロリと涙を浮かべる。
先ほどまで持ち合わせていたバルバボッサへの同情は消え失せ、代わりにゴミを見る眼差しを向けている。
針のむしろになったバルバボッサに、先の戦いで見せた覇気はない。しかし言われっぱなしの獣帝ではない。気丈に面を上げて、挽回を図る。
「それに関してなのだがなモニカよ。おれに妙案がある」
「どうせ自分の酒代に充てるつもりなのでしょうが……、聞くだけ聞きましょう」
「おれの信用本当にないな!
……んん! まあいい。妙案と言うのはだな、この客人たちに「ナジュラ」の偵察を頼もうと思うのだ」
「……なじゅら?」
ここにきて初めて耳にするフレーズに、マリーがオウム返しとともに首を傾げた。
バルバボッサは沈んだ表情から一転、口角を吊り上げ、他意のある含み笑いを浮かべる。
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