第94話「参謀の手管」
「――――で、何だこれは?」
リュージーンから渡された紙束を見詰め、バルバボッサを首を傾げた。リュージーンから差し出され、受け取ったはいいものの、表紙の1枚には意味不明な記号が羅列されている。
まじまじと見詰めるが、バルバボッサに解読はできなかった。
問いかけを受け、リュージーンはしたり顔で口を開く。
「それは異世界の文字だ。確か、「ひらがな」って言われる文字だったか」
「「ひらがな」? 異世界の文字? おれをたぶらかすつもりか?」
バルバボッサは怪訝な顔で、疑いながら聞き返す。出し抜けに飛び出したワードに、寛大な獣帝とて半信半疑だ。
しかし、リュージーンにとってはその反応さえ想定内だ。あらかじめ用意していた回答を持ち出す。
「嘘は吐いてねえ。何を隠そう、こっちのミチチカとマリーの2人は異世界転生者だ。「ひらがな」は、この2人の世界の文字だ」
「異世界転生者、だと?」
見るからにバルバボッサの顔色が変わった。何か引っかかるところがあるようだが、とりあえずは手元の紙束を捲る。
表紙の下には、同じようにひらがなの羅列がされた紙が重なっている。何枚かを捲ると、一番下には大陸の文字とひらがなを並べた表が挟まれている。
この表は、道周がエルドレイクの革命の直前まで作っていたものである。そして重ねられていた紙は、エルドレイクのガス管を爆破する手順書である。革命のときに残した書置きを、リュージーンが持ち出してきたのだ。
バルバボッサは未知の言語に目を輝かせ、一文字ずつを丁寧に読み込む。
「……なるほど、素晴らしい! 実に興味深い!」
「えー……」
バルバボッサの存外のリアクションに、道周は意外そうな反応を示した。
それもそのはず、この巨体の獣人が、よもや「未知」を目の前に子供のようにはしゃぐなど想像できようか。
驚いているのはマリーも同じようで、口を開けて目を見開いている。
固まった2人の袖を引っ張り、声を殺したソフィが補足を入れる。
「獣帝は大陸でも有名な「言語学者」なのです。大陸の文字の研究という名目で、グランツアイクのみならず、大陸中の文献を買い漁っているのだとか」
「まさか知識分野で著名だったとは。人も獣人も見かけによらないんだな」
「それが……」
罰が悪そうにソフィが口籠る。言い難そうなリアクションに驚き、マリーは小首を傾げる。
「それが?」
「それが、非常に言い難いのですが、趣味の範疇を出ないのが現状でして……」
「好きと結果は伴わないのか。現実は非常だな」
ホロリと滲んだ涙を拭う。
一方で、バルバボッサは楽しそうに紙束を捲っては戻し、捲っては戻って眺めている。
見事にバルバボッサの機嫌を取ったリュージーンは、調子よく弁説を振るう。
リュージーンは、これまでの道のりを順序立てて語る。
ソフィから聞いた道周たちの転生の話から始まり、続きリュージーンとの出会いを想起する。関所であったテンバーとの死闘をまざまざと熱弁し、イクシラでの出来事はより詳細に物語る。
リュージーンと道周が踏み入れたエルドレイクでの敗走も包み隠すことなく、一つ一つを子細に語る。
その後の夜王との激戦は、多少話に尾ひれがつきはしたが、大方は事実で構成されていた。道周と夜王の火花散らす斬り合いから、白夜王と夜王の高速空中戦、そして総力を以って挑んだ、最後の特攻までを、時間をかけて詳細に語って聞かせた。
熱い死闘のシーンが終わると、次は栄光の勝利を熱弁する。
夜王の正式な即位から、白夜王がイクシラの政治に復帰すること、そして開かれた都市へと変革をするエルドレイクの未来を、嘘偽りなく語ってみせた。
リュージーンの語り口は、まるでその眼で全てを見てきたかのように鮮明に、かつ迫力を感じさせるものであった。
こと、夜王との直接対決に置いては、リュージーンは最後の総攻撃のときしか顔を見せていなかったはずだ。
あらかじめ、戦闘に参加した者から情報を集め、精査していたのだろう。
ただ台本を読み上げるだけでなく、バルバボッサの反応を伺いながら語調を変える背中に、マリーは下を巻いた。
「――――と、俺たちがここに至るまでの顛末はこんなところだ」
リュージーンは、最後にグランツアイクを目指した道程を語って締め括る。咳払いでカラカラの喉の調子を整え、会釈をして終わりを告げる。
その背中に、道周たちは思わず拍手を送りそうになる。それほどまでに壮絶な語り手は、依然として油断のない視線でバルバボッサを見詰めていた。
「この話を信じるかどうかは、あんた次第だ。だが、嘘は吐いていないということは、俺たちの名誉のために念押ししておく」
バルバボッサの信頼を勝ち取るため、リュージーンに油断はない。
後は、バルバボッサがリュージーンの熱弁を信じるかどうかだ。
「どうします親方? オレは、とても嘘のようには思えなかったのだが……」
同席して話を聞いていたウービーが、興奮冷めやらぬ表情でバルバボッサを伺う。
バルバボッサは顎髭を弄りながら唸り、印象と思考をまとめる。そして、グランツアイクの領主としての判断を下した。
「で、あんたらはどうしてグランツアイクに来た? セーネ嬢のイクシラ復帰は、親交のあった身としては大変喜ばしい。イクシラの方針転換も、きっと有益なものになるが、正式な使者を送れば済む話だろう。
わざわざ使者でないあんたらが来た理由の説明は、何一つなされていなかった。今の話は頭の中に留めておいてやる。
要件を、端的に話せ」
「っ……」
バルバボッサの鋭い指摘に、見守っていたマリーたちがどよめいた。
「魔王打倒のために力を貸してほしい」
と、腹の内を告げることは簡単だ。
しかし、これはイクシラとグランツアイクの同盟の締結に当たる。バルボッサに利益を提示し、同盟関係に魅力を感じさせないことには、同盟の締結など夢のまた夢であろう。
グランツアイクとイクシラの間に親交があったとはいえ、それは200年前の話だ。イクシラの領主がセーネからアドバンに代わって以降、一切の交流はないと聞く。
イクシラの政治体制が変わったからと言って、200年の溝は深い。バルバボッサが警戒心を抱くのは当たり前であり、少しでも弱みを見せてしまえば付け込まれてしまう。
バルボッサの的を得た質問に対する返答が、今後の領域間の関係性に影響を及ぼすことは必至だ。
交渉の全権を託した道周たちは、口を結んでリュージーンに熱視線を送る。
(外堀から埋める算段だったのだろうが、そうはいかん。かつてセーネ嬢の言葉にかどわかされ、痛い目を見たからには、慎重に行かせてもらうぞ)
バルバボッサは、いつになく真剣な顔で返答を待つ。その脳内では、かつての苦渋を想起していた。
200年前、白夜王の呼びかけにより、「四大領主」の全員が1人の男に権能を割譲した。魔王を打倒するべく、敢行された偉業の結果は、周知の通り失敗に終わった。
現在でも、領主たちの権能は戻っていない。故に各領域では内紛が発生し、いくつかの領域を手放した例もある。
顕著な例でいえば、白夜王は領域を力で奪われている。
その経験は獣帝とて同じであり、今でもグランツアイクの領主の座を狙う輩が絶えない。
同じ轍を踏まないために、平穏を取り戻したグランツアイクを守るために、バルバボッサは獣帝として立ちはだかっている。
リュージーンの回答が、今後の局面を大きく左右する。
誰もが、生唾を飲んで見守る。緊張感が張り詰めた空気の中、リュージーンはゆっくりと口を開く。
「ぜひ、俺たちをグランツアイクで雇ってほしい」
「え?」
「は?」
「へ?」
リュージーンが口走った言葉に、道周たちは耳を疑った。思わず頓狂な声を上げ、見開いた瞳でリュージーンに抗議の視線を注いだ。
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