第87話「可愛いは正義」
マリーの中にある「可愛いメーター」が振り切れ、止めどない愛くるしい感情が溢れ出す。堰を切った情熱は、悪い方向に暴走する。
「私、ウサ耳なんて生で初めて見たよ。本物かな? 触っていいかな? ショタだけど、法的にセーフかな?」
興奮したマリーは、鼻息を荒くして一息に捲し立てる。暴走したマリーに免疫のある道周ですら若干引いており、ソフィは満天の苦笑いでマリーを見詰める。
しかし、この場で一番迷惑を被っているのは誰であろうか。そんなこと、考える暇もなく一目瞭然だ。
「な、なんだそいつは……。金毛の女は、オレのことを言っているのか……?」
ウサ耳の狩人はドン引きである。先ほどまで淡々と魔法を放ち、リュージーンに辛辣な言葉を言い放っていた相手が、まるで別人のようにトチ狂っている。
シリアスブレイクをしたマリーを、道周が諫める。
「よーし、落ち着けマリー。そういうのは順序と雰囲気を大事にしろ。少なくとも今じゃない」
「そ、そうだよね……。ごめんね、少し取り乱し」
ピコッ。
狩人のウサ耳が揺れる。暴走したマリーの熱が収まり安堵したようだ。直立していた耳が、稲穂のように倒れた。
喜怒哀楽を直結して動くウサ耳に、マリーの自制心はぶっ壊れた。余りにも単純で愛くるしい仕組みに、感情が
「ごめん無理ぃ! ちょっとモフってくるね! これで死ねたら本望!」
「なわけあるか!? 落ち着けマリー。深呼吸だ。マイナスイオンを取り込んで、邪な気持ちを浄化しろ!」
理性のたがが外れたマリーと、制止に力を注ぐ道周が押し問答をする。
その迫力に圧倒され、ウサ耳の狩人はドン引いていた。
「どうにかしろよ。話が進まんだろ」
「私にはどうにもできません。ミチチカにお任せしましょう」
呆れ返ったリュージーンとソフィは、他人事のように諦観を決め込んでいた。
マリーと道周の押しつ押されつの問答は、その後数分続く。
道周は腕力でマリーの暴走を抑え込み、何とか説得に成功した。
「――――……、失礼しました」
我に返ったマリーが、謝意を込めて深々とお辞儀する。
ソフィとリュージーンはようやくその場に意識を戻し、本題に戻ることができた。
ことの元凶、もとい一方的な被害者であるウサ耳の狩人は、怯えた表情で様子を窺う。
「お、終わったか?」
小動物のように身体を震わせ、木の影から顔を覗かせる。白いウサ耳と髭をしおらしくへたらせ、未だ解かぬ警戒心で瞳を向ける。
庇護欲を駆り立てるような表情が、再びマリーの胸を打った。
「ヴッ! かわっ――――!」
「止めろマリー! もう一回同じ下りをさせるつもりか!?」
暴走の影を見せたマリーを、道周は焦って引き留める。「それ以上先は地獄だぞ!」と情熱的に言葉をかけ、何とか理性を引き留めた。
「なんだ!? まだなのか?」
「うるさい! ほとんだお前のせいだぞ! さっきまでの粋がった口調はどうした。そんな可愛い振る舞いをするな!」
「えぇ!?」
完全にとばっちりだ。
ウサ耳の彼の取り繕った振る舞いは崩れ去り、本性が露わになっているかもしれない。しかし、根本的にはマリーの、衝動的暴走発作が悪いことに変わりはない。
全く進展しない状況に、リュージーンとソフィは思考を停止して観戦していた。
「よくこれで、白夜王の美貌を耐えれたものだな」
「マリー曰く「死ぬ気で慣らした。セーネの笑顔を犯す輩は決して許さない所存」だそうです」
「苦労してんだな……」
ほとほと呆れたリュージーンには、吐く溜め息もない。遠い瞳で、沈む太陽を眺めた。
その間も、マリーと道周の拮抗は続く。
なぜか鬼気迫る表情の2人に気圧され、ウサ耳の狩人は困惑しておろおろしている。
「オレが一回出直そうか? 姿を現すところから」
「弱気になるな! そんなことだから「可愛い!」なんて言われるんだ。シャキッとしろ!」
「そ、そうだな! オレ頑張るぞ!」
狩人が意気込むと、感情に比例してウサ耳が起立する。その様子が、暴走するマリーに油を注ぐ。
「かわっ!」
「いい加減にしろマリー!」
「……俺らは狩った獣の血抜きでもしておくか」
「そうですね」
この押し問答はしばらく続いた。
リュージーンとソフィは、最早他人の体で獣の屍の処理を始めた。
道周の説得が功を奏し、マリーは何度か小康状態に落ち着く。しかし、狩人君の弱気な姿勢がマリーの庇護欲に点火し、何度も同じ下りを繰り返した。
しばらくすると森は静かな夜の帳が下りたが、このやり取りはその後も続いたらしい。
こんなことに1話割いた、作者の気持ちにもなってほしい。
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