第50話「百の鬼は夜を行き」

「BuRoooOOO!!」


 遠雷のような野獣の咆哮は着実に接近している。

 爆音とうねる兵士の鯨波を切り裂くように、錯乱したような歩調の進撃が到達した。

 レンガの街道を踏み砕き、火の吹いたような面の伏兵の群れが戦場に割り込んだ。


「Buooo!」


 伏兵の1人が言語にならない絶叫を上げ、出鱈目に腕を振るう。その怪腕の軌道にあった壁は儚く砕け、礫を撒き散らす。

 その一撃は攻撃と言うには余りにも乱雑であり、誰をどう狙った攻撃ではなかった。

 しかし1人が撒き散らした絶叫の暴挙は効果的であった。怪力に任せた狂気の兵士の存在を知らしめ、士気を高めていたリベリオンの闘志を容易く踏みにじる。


「百鬼夜行!!」


 誰かが叫んだ。

 その悲壮は瞬く間に伝播し、恐怖が心を鷲掴みにした。


「逃げろ! 戦うな!」

「単独で戦うな。10人以上で囲んで迎え撃て!」

「前線を下げろ。壁を厚くするんだ!」

「爆弾で攻めろ、こいつらはまともな攻撃でも膝を着かない化け物だ!」


 口々に発する指揮は部隊の混乱を現していた。退く者、迎え撃つ者、絶望する者……、それぞれの混乱が足並みの散乱を明確に表していた。

 それもそのはず、1人で数十の兵を踏破する狂戦士「百鬼夜行」、それが一見しただけでも50人はいるのだ。人語を介しない狂乱の咆哮を上げた「百鬼夜行」が波のように寄せてくるのだ。その姿を絶望そのものであり、「破壊」という概念に脚が生えたようなものである。


「BuOOO!!」

「Uuuryy!」

「Gyaryyy!」


 「百鬼夜行」たちは各々に奇声を発して、手あたり次第の破壊を敢行する。

 生気を失った白目は敵も味方も認識していない。膨れ上がった巨腕の血管は異常なまでに隆起しており、巌のような僧帽筋は首と同化している。

 元の種族が人狼ワーウルフ人虎ワータイガーか、はたまた吸血鬼か鬼かも見分けがつかない。ただ体躯は異常発達し膨れ上がり、筋肉も骨格も変形してしまっている。

 理性も思考も蒸発した狂戦士の集団「百鬼夜行」は、圧倒的な暴力を持ってして蹂躙し、瞬く間に戦況を捲り返した。


「皆、落ち着け! 近接部隊は近衛兵の急襲に備え、矢と爆弾で「百鬼夜行」を牽制するんだ!」


 空中で戦闘を繰り広げていたライムンが指示を飛ばす。しかしライムンに精鋭の近衛兵が迫る。空中戦特有の立体的かつ高速の戦いの最中、惨禍の中に檄を飛ばすことは難しい。


「くそっ! 皆、隊列を戻して距離を」

「させるか!」

「ぐっ!」


 近衛兵の剣を受け止め、ライムンは奥歯を噛み締めた。途切れ途切れになる言葉で隊列をまとめられるはずもなく、乱れたリベリオンの戦況は一向に好転しない。


「Guaaa!」

「う、うわぁ――――」


 また1人、リベリオンのゴブリンが頭蓋を潰された。力任せに振り下ろされた巨腕の鉄槌で1人が沈み、散歩のような足取りで兵士の屍を凌辱して進む。


「Burooaaa!」

「Uruuu……」


 50を超える「百鬼夜行」は戦況をひっくり返した。「百鬼夜行」が通った道筋に建物はなく、生者もいない。蹴散らされた有象無象の躯は30を超える。

 短時間で圧倒的な力を誇示した「百鬼夜行」に、リベリオンの心は完全に打ち砕かれていた。

 その絶望的な光景を目の前にして、マリーは声高らかに奮起する。


「この……、喰らえ!」


 マリーは拳サイズの光球を5つまとめて射出した。ポンポンと連射される光球は「百鬼夜行」の1人に見事着弾し、規格外の爆発をした。続けざまに4発の光球を受けた「百鬼夜行」は、その姿を光の爆炎に包まれた。


「UuuAaa!」


 「百鬼夜行」は物々しい蛮声を上げて膝を着いた。大きな掌で満面を覆い痛みに呻く。

 高まる熱気は炎へ変わり、「百鬼夜行」の剛健な肉体を容赦なく燃やす。

 だが、


「aaaAAARRR!」


 炎の衣を脱ぎ捨て、「百鬼夜行」の戦士は立ち上がった。爛れ落ちた皮膚をものともせず、意志のない瞳はマリーを見据えていた。


「あ、やば……」


 仕留めきれなかったマリーは、「百鬼夜行」の睨みに怯え腰が引ける。もしマリーが「百鬼夜行」の怪力を正面から受ければひとたまりもないだろう。その身体から四肢は離れ、ザクロのように胴が弾け飛ぶだろう。

 そしてすでに「百鬼夜行」の戦士は駆け出している。狂戦士は地鳴りを上げ障害を薙ぎ払い、拳を固めて突進する。


「ちょ、ちょちょちょタイム!」


 マリーの嘆願が「百鬼夜行」に届くはずもない。

 接近した「百鬼夜行」は腕を振り上げて振り下ろす、という動作を繰り出した。


「口を閉じて、舌を噛みますよ!」

「きゃう!」


 マリーは狂戦士の鉄槌を紙一重のところで回避した。というより、ソフィが危機一髪のところでマリーを庇った。ソフィは駆け込んだ勢いでマリーを抱き留め、地面を転がって着地した。


「あ……、ありがとうソフィ」

「いいえ。それよりも後退しましょう。正面からの力勝負では一切分がありませんので」

「そうだね。ここは他の人たちにお任せしましょ」

「URuuA!」

「ひぃぃぃ!」


 「百鬼夜行」の軍勢は止まらない。頭に矢を受けても、身体に爆発を浴びせられても、腕が引きちぎられても止まらない。その暴虐の進路は天災に匹敵する。

 振り上げられた巨腕は真っ直ぐに振り下ろされ、目の前の敵を磨り潰す。


「危ない!」


 マリーやソフィの華奢な身体では受け止められない鉄槌を、シャーロットの怪腕が受け止めた。

 シャーロットの高身長に見合った怪力は「百鬼夜行」にも引けを取らない。嵌められた鉄の手甲は砕かれようと、シャーロットの両掌は「百鬼夜行」の巨腕を確かに阻んでいた。

 シャーロットは狂戦士の腕を抑えつけながら、背後で呆ける2人に振り向いた。


「さぁ、今のうちにマリーを連れて退きなさいソフィ。マリーの魔法による後方支援が頼りです」

「了解していますよ! シャーロットこそ無理せず撤退してくださいね!」

「ありがとうシャーロット」


 マリーとソフィは急いで踵を返した。

 そのとき、都市の中で発起していた別部隊の戦場から恫喝が響く。野獣のように激甚な咆哮が各所で轟く。


「おかしい……。こんなに多くの「百鬼夜行」は一体どこから……? 多すぎます」


 マリーは、己の手を引くソフィの囁きを聞き逃さなかった。


 「百鬼夜行」が搔き乱した戦場には聞くに堪えない惨禍が渦巻いている。この戦場に勝利の芽がないことは、戦いの素人であるマリーでも勘付いていた。

 打開に必要なのは、首魁の打倒のみ。


「ミッチー、セーネ……。早く……」


 撤退の最中、マリーは背後の不夜城を仰ぎ祈りを捧げる。勝利を託した2人に幸あるように。

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