第283話「バレンタインの準備です♡」



「いいですか、リゼットさん? 私がゴーレムの右腕を斬り落としますので、怯んだその隙にリゼットさんはどちらかの足を再起不能にしてください」

「待って待ってなになになになに」

「では──散ッ!」

「なになになになに!?」


 状況が飲み込めぬままのリゼットの声などとっくに背後へと置き去った刀花は“童子切安綱おれ”を手に、稲妻が如く縦横無尽に地を駆ける。

 宙に美しく軌跡を残すは、彼女の戦闘服である巫女服の白とポニーテールの黒。

 そんな可憐な黒白の雷が落ちようとする先には、目測五メートルはあろう鉄の巨人。暗き洞窟の中、僅かに灯された松明の炎により光沢を放つ巨躯が、今まさにその右腕を振り下ろそうとしている。


『ふん……』


 だが俺の妹を相手取るには、斯様な攻撃など遅すぎるというものだ。そら、もう背後を取ったぞ。


「んもー、リゼットさんったら。せっかく活躍の場を分けてあげましたのに」

『そう言ってやるな我が妹よ。“恒例行事”とはいえ、マスターにとっては初めての体験であるのだからな』


 巨人を正面から月面宙返りで飛び越えた刀花が、落下がてらスパスパと両腕を斬り落とす。ここまで半秒未満。


「そいやっ!」


 そうしてさらに中空で身体を捻り、人型の関節を的確に切断していく。まるでアトラクションを楽しむような笑みとは裏腹に、その技の冴えは見事の一言に尽きる。

 刀花の着地と共に、ズンと土埃を撒きながら落ちる巨人の部位達。この巨人に知能があったとておそらく、斬られたことにすら気付いていまい。もしくは豆電球のように灯る無機質な単眼に、絶対強者への恐怖が刻まれていたことだろう。


「兄さん、核は……」

『今ので露出した。左脇腹部分だ』

「むふー、ではでは……いただきますね? とうっ!」


 我が刀身をクルリと回して鞘に収め──……一閃。


 寸分違わず小さな核を斬り裂けば、巨人は動きを完全に停止した。


「やりぃ~、です♪」

『うむ』


 さて……ここまでが“前提”である。刀花の、ある目的を果たすために。

 この二月初旬という時期、毎年恒例のな。


「ふんふふ~ん♪」

「ねぇ……なんなの?」


 仕留めた獲物の身体、その金属を鼻歌交じりに選別する刀花に、離れていたリゼットがそれだけを言って近付いてくる。足取りは重い。表情も暗い。


「いつから私達の生活ってこんな頭悪くなったの。っていうか、ここ、どこ」

「全て事前に説明したはずだが」


 刀から人型に戻れば、じっとりとした目でこちらへ詰め寄るご主人様。では、改めて説明するとしよう。


「ここは本来の世界から二百十四ほど隣にある異世界……む? いや六百と二つほどだったか」

「ナチュラルに異世界行くのやめなさい」


 その目的は──バレンタインにあり!


「そうして、バレンタインでのチョコを象る際に使用する型、その素材を採りに来たというわけだな」

「T〇KIOじゃないんだから……そんなところから始めなくてもいいじゃない……」


 我が妹もまた、こういった所に手は抜けんのだ。可愛かろう? 俺は愛おしい。


「ではではゴーレムさん、その身体使わせてもらいますね。しゃきーん♪」

「そのバーナーとトンカチどこから出したの……え、ここで加工するの!?」

「しーっ。しばらくお口にチャックでお願いしますよリゼットさん。作業が始まれば、常にとてつもない集中力を要しますので」

「まるでさっきの命のやり取りに集中してなかったみたいな言い方やめて?」


 あのような鈍亀。百年あったとて、妹のスカートの裾にも掠らんよ。


「うーん、去年は結晶龍の尻尾から星形の型を作りましたけど、今年はやはりハート型がいいですねぇ……リゼットさんや綾女さんも兄さんにチョコを贈るでしょうし、ここは改めて素直な妹のハートをお届けということで! このヒヒイロカネでできたゴーレムさんを使ってライバルと差を付けましょう!」

「私いつの間にモ〇ハンの世界に迷い込んじゃったのかしら。これ夢オチじゃない?」

「現実だ。むしゃむしゃ」

「……あなたはあなたで何食べてるの」

「この洞窟に入る前に襲ってきた子竜がいただろう。その肉だ、食うか?」

「せめて焼きなさいよ……ねぇバレンタインってもっと甘い感じのイベントじゃなかった?」


 充分に妹の雰囲気は甘かろうが!


「──装着!」

「絶対間違っても恋する女の子が溶接バーナー片手に分厚い作業着を着るイベントじゃないと思うんだけど」


 リゼットが頬をヒクつかせて見る先には、ガシャコン! とシールド付き溶接マスクを装備する妹の姿がある。ちゃんとポニーテールも余さず中に入れておくのだぞ。


「それでは……ふぁいやー♪」

「信じられる? これバレンタイン準備の光景なのよ?」

「俺には毎年恒例のことなので違和感などない」


 青い炎が頑丈な鉄を焼き、我が妹の意匠に従うために頭を垂れる。こうして毎年、妹が珍しい素材を集め、愛情を込めて型を作ってくれるのだ。


「うむ。妹の汗と努力、そして底知れぬ愛の込められた型で作られたチョコは、それはそれは天に昇るほどの美味であるぞ?」

「ダ〇ソーで売ってるやつでよくない? もしくはアルミホイル」

「百円の愛だなんて妹は我慢できませんよぉ! 百円じゃないのも売ってはいますけどねダイ〇ー」

「あれ、あそこって百円均一じゃないの? 気付かないでお買い物してたわ」

「「こ、高額納税者……」」

「どういうところで腰を抜かしてるのよ……」


 貧乏時代は値札と睨めっこしていたというのに、このお嬢様は……。

 そうして雑談しながら、煌々と輝く金属を切り出し、刀花が本格的に金槌で叩き始める。


「……」


 岩壁に灯る松明と、派手に散る火花のみが洞窟を照らす。鼓膜を揺らすのは、鉄と鉄が一定のリズムでぶつかり合う音。それを手頃な岩に腰掛けながら、リゼットと共に聞き入る。

 なんとも……刀である俺には少々、感傷的に過ぎる環境である。俺はこの時間が、結構お気に入りなのだった。


「マスターはやらんのか?」

「任せるわ……まったく、あなたも何か準備しているのでしょう? 変なものにしないでよね」

「先日には市販品も見ておいたが、やはり俺の血を混ぜた手作りチョコというのも捨てがたいと思わないか?」

「ヤンデレかしら? こういうのは普通でいいのよ普通で……」


 嫌そうだ。難しいのだな。


「あなた達、今までのバレンタインでも変なものを贈り合っていないでしょうね。ベタなところで言えば、素肌にチョコを塗りたくったりとか」

「したぞ」

「火傷したでしょ」


 愛があれば、火もまた涼しというやつだ。


「まぁ熱の心配より、素肌という性質上たいへん扇情的な姿が問題ではあった。危うく一線を越えかけたわ」


 その身に纏うは、いずれ儚く溶けゆくチョコのみ。

 一舐めするごとに彼女の玉の肌が表れ、そのたび熱が上がりまた溶けていく。互いの肌を、貪るように舐め合ったものだ。

 妹のかつての艶姿を再生していれば、隣に座るご主人様が不機嫌さを隠さず聞く。


「……ちなみに、いつのことよ」


 あれはそう……。


「忘れもせぬ。あれは妹が小学六年生に上がったばかりの頃……」

「このド変態ロリコンー!!」


 殴られた。だが愛に年齢など関係ないのだ。橘もそう言っている。


「マスターは潔癖だな。もしくは、バレンタインになんぞ拘りでもあるのか?」

「ツッコミどころ満載なあなたのご家庭が問題なのよ」


 バレンタインを最近まで妹専用のイベントだと思っていた兄がまかり通るぞ。

 それにしてもこのご主人様は、型破りなバレンタインはお気に召さないご様子……まさか!?


「マスター……もしやバレンタインで誰かにチョコを渡した経験が!?」


 普通を既に経験していたがゆえのツッコミなのか!?

 ならば俺には耐えられぬ! 俺のご主人様がかつて、恥じらいながら別の男にチョコを渡していたなど……そんな光景を想像するだけで、胸が!!


「お……お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!!」

「勝手に脳破壊されてる……」


 血涙流す俺にドン引きするリゼットだったが、しばらくして頬を染めたかと思えば「も、もぉ……」と唇を尖らせる。


「そ、そんなんじゃないわよ。私だってその……は、初めてよ……男の人にチョコを渡すなんて」

「信じていたぞ、マスター」

「立ち直りはっや。もう、現金なんだから」


 楽しみだ、マスターが初めて男性に渡すチョコレートが。女の子の初めては、何物にも勝る宝なのだからな。


「刀花のように拘りを見せてもよいのだぞ」

「あれは拘りすぎ」


 刀花の方を見れば、「むむむ……違いますぅ~!」と、型の出来に満足いかぬ職人が如く、出来上がった没作品を放り投げ……はせず、真似だけしてソッと傍らに置く妹の姿。優しい。


「別に、私は手を抜こうとしてるんじゃなくて……その……」


 微笑ましく眺めていれば、リゼットが隣でモニョモニョと唇を動かす。視線を戻せば、潤んだ紅い瞳が上目遣いでこちらを覗き込んでいた。


「変なことして……失敗とか、したくないもん……」

「っ!」

「きゃっ、ちょっと……いきなり抱き締めないでよ、ばか……」


 文句を言いながらもこちらの胴に腕を回してくれる少女に、愛しさが止まらない。

 初めてだからこそ、ドキドキしているからこそ、少女にとって大事なイベントだからこそ……失敗したくない。

 彼女が変に拘らず普通を敢行しようとしているのは、そういうことだからだ。恋する少女の不安と、少しの見栄ゆえなのだ。

 ……なんと、愛くるしい姿か!


「楽しみにしている、リズ」

「う、うん……」


 耳許で囁けば、腕の締まりがきつくなる。

 ああ、当日が今から待ち切れ──、


『あ、あのぉ~……あなた達、あのゴーレム倒したんですよね? でしたらそのぉ、早く“私”を抜いてくださいませんかねぇ……?』

「む?」


 期待に胸を膨らませていれば、なにやら反響多めな声がする。女……年端もいかぬような少女の声だ。

 リゼットを離し、視線を巡らせれば……、


「あら、可愛い子……」

『あ、ありがとうございます……えへへ』


 フワフワと霊のように浮かぶ、薄ぼんやりとした存在がはにかむ。白銀の長髪に、貫頭衣のような簡素な出で立ちの小さな少女だった。

 容姿を褒められたのが嬉しいのか、少女がにっこりと笑い、透き通る指先を洞窟の奥に向けた。


『では、勇者様。早く私……封印されし聖剣を抜き放ち、共に魔王を討ち果たしましょう!』

「あ、そういう洞窟だったのねここ。ゲームみたい」


 どういうことだ?

 首を捻りながらも、目に霊力を流し込んで視力を強化すれば……暗がりの奥に、一振りの西洋剣が仰々しい台座に刺さっているのが見えた。

 なるほど、この少女はその聖剣の生き霊のようなものということか。ならば商売敵というやつだ。


「去れ。そういうものは間に合っている」

『はいぃ!? ちょっ待ってください、数百年ですよ! このゴーレムクソ強で私を手に入れようとする勇者様全員死んじゃうし! ほら周囲を見てください!』

「む、岩ではなく人骨だったか」

「ごめんなさい化けて出ないでー!?」


 それに座っていた主が、顔を真っ青にして飛び退く。相変わらずホラーは苦手なのだった。


『そもそも、間に合ってるって何ですか!』

『聖剣など不要。この、血に濡れた妖刀がおればなァ……』

『ひー!? 魔の匂いがプンプンするー!?』


 刀の姿を晒せば、銀髪を振り乱し少女が身を引く。

 ふん、良い子ちゃんの聖剣などお呼びでないのだ。逃亡時代に一度だけ追ってきたバチカンの剣姫で、聖剣の類いは懲りている。あの聖女の握っていたエクス……なんだったか。忘れたが、鍔迫り合うと『この不良刀剣ー!』などと五月蠅くてかなわんかったわ。


「でも、聖剣と妖刀の二刀流ってロマンよね」


 マスター、少し物欲しそうにするんじゃない。

 だがこれを好機と見たのか、聖剣の少女はマスターに己を売り込もうとする。


『もうなんでもいいので貰ってくださいよぉ。私、これでも軽い剣なんですよ? 女の子でも簡単に振り回せます。切れ味も抜群で、柄に嵌めた魔石によって魔法も使える優れもの! 私一本であなたも立派な魔法剣士! いかがです、いかがです? ぜーったい、“あんな血錆び塗れな妖刀より役に立ちますから”』


 おっと、我が身を愚弄するとなると──、


「──私の兄さんが、なんて言いました?」

『ひー!? 何このマスク姿の化け物―!?』


 作業着を着た妹が黙っていないぞ。

 漆黒のシールドに覆われた奥から、刀花にしては珍しい冷たい声が響く。この妹は、兄が馬鹿にされることについては酷く拒否反応を示すのだ。


「ちなみに、そもそもその子よゴーレム倒したの」

『えー……』


 そら、売り込まんか。俺の妹は、妖刀以外は握りたがらんがな。


『え、えーっと……一応、そういう契約なんでお話ししますけど、どうも……そこの奥に刺さってる聖剣です。切れ味抜群、魔法も完備、魔王に対する最終兵器ぃ……』

「むっすー……」


 マスクをしていても不機嫌そうに頬を膨らませているのが分かる。聖剣も困り顔だ。


『ひ、人によって鍛えられたものではなく、かつて妖精に打たれた剣でぇ……素材はオリハルコンでぇ……』

「……オリハルコン?」


 その素材名を、刀花がボソッと繰り返す。

 そうしてじいっと、聖剣の分身たる少女を上から下まで見て……、


「………………型の素材に、いいかもしれませんね」

『は?』


 ほう。

 ポカンとする聖剣。それに対し、刀花は踵を返して洞窟の奥へ。そこに刺さる聖剣をためつすがめつ観察し……!


「──チョコの型にしましょうよ! チョコの型にし……かなりチョコの型ですよコレ!」

『やめてくださいーーー!!??』


 バレンタイン……恋する少女にとって、甘く香るイベント。

 それはこの妹にとっても例外ではなく。むしろ、恋する乙女の代表であり、さらに大好きなスイーツが関わるとなると、本気度も桁違いになるのである。

 この時期の刀花は……“超あぐれっしぶ”なのだ!


「私、知ーらない。早く帰りましょうよ」

「まぁ待て。近くに面白いメニューを出す定食屋のある街があってな? そこで飯を食って帰るのが一連の流れなのだ」

「へぇ、面白そう。異世界の食堂ってやつね」

『まだ見ぬ勇者様ぁ~~!! たすけてぇ~~~!!』

「オリハルコン、オリハルコンでしょう! オリハルコン置いていってください!!」

『い~~~や~~~~!!??』


 そうして。

 なんとか刀花を宥め、俺達は異世界の珍味に舌鼓を打って元の世界に帰還した。“おりはるこん”とやらは採れなかったようだ。


 ……その後、風の噂で聞いたものだが。

 無事、勇者に抜かれた聖剣であったが、黒髪ポニーテールの少女に握られると著しく性能を落とす呪いにかかったとかなんとか。


 ふん、刀剣としての精進が足りんわ、精進が。

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