第269話「トウカニウムをたっぷり配合、です♪」



 厨房の大鍋がグツグツと煮立ち、ツンとした独特の香りが辺りに漂う。換気扇がほぼ意味をなさぬほどの強い香りだ。


「……ふーむ」


 漂う香りすら怪奇な色に染まって見える。ここはまさに実験、研究の場。

 そんな環境下にあって、俺は指先で一冊の本をペラペラと捲りつつ首を傾げてみせる。さて、何を参考にしたものか……。

 我が瞳に映るは、レシピとまではいかないまでも、簡単な素材表が記載された一冊の本。それは先程、吉良坂母から渡された魔法使いの薬カタログだ。

 見れば見るほど不可思議な調合である。効能が単純なものに見えても、しかし材料には「なぜこれを……?」と言わざるを得ないものも混じっていることが多く、最初の一歩が上手く踏み出せん。


「……まぁ、いいだろう」


 千里の道も一歩からと言う。そしてどのような道であろうと覇道を敷くのがこの無双の戦鬼よ。


「では……」


 呟き、大きく霊力を込めた小太刀を取り出す。これで異世界にでも道を繋げて、珍しい素材でも抜き取ってくれよう。

 駅前の幕の内弁当から安眠効果のあるケーキが抽出されるくらいだ。それこそ一角獣の角や妖精の羽根などを用意できればその効果も計り知れないものとなるだろう。いや知らんがな。

 そうして俺は、試しにと小太刀を大きく振りかぶって道を切り開──


「……ふにゃ。兄さん? なにしてるんですかー……?」

「おや」


 ……こうとした瞬間、厨房入り口から力の抜けるような甘い声。

 視線をやれば、そこにはモコモコとした白いパジャマを着て、ピンク色の半纏を羽織る我が妹がいた。その黒い髪も就寝時にそうするように背中へと流れたままであり、今の今までぐっすりと寝ていたことが窺えた。


「起こしてしまったか」

「んー……トイレに行ったら、キッチンに明かりが点いていたのでー……」


 ふにゃふにゃ、と。

 まだ半分寝ているのか、刀花が目をクシクシと猫のように擦りながら言う。

 そうして、そのまま小さく欠伸をしながら妹はこちらに歩みを寄せ、


「むふー……ばふぅ~♪」


 あどけなく、無防備な笑みのままこちらの胸にその頭をグリグリと押しつけてきた。この周囲に漂う異臭に負けじと、バニラのように甘い己の香りをこちらの身体へマーキングするかのように。


「安眠効果のほどは、実証されたようだな」


 妹の柔らかい身体を迎え入れながら、そう分析する。

 現在、深夜をとうに過ぎ、リゼットですら眠るような時間。このご機嫌な寝起きの妹を鑑みるに、よく眠れているようだ。

 薬の効能を実感していれば、刀花はその肉体をぎゅうっと隙間なくこちらに押しつけ、上目遣いで子どものように見上げてくる。その幼い雰囲気は、昔の刀花に戻ったかのようだ。

 お気に入りの縫いぐるみを抱く少女のような面持ちで、無邪気に彼女はこちらへ問いをなげかける。


「なにしてたんですかー?」

「ああ。あの魔女の技術を再現できないものかと思案していたのだ」


 くてんと首を傾げる妹に、隠さず思惑を告げる。少々歯噛みしながら。


「あの魔女の調合……この無双の戦鬼にすら奇々怪々に映った。それが少々、気に食わなくてな」

「ふ、ふふふ……対抗心を刺激されちゃった兄さんもかわいー、です♪」


 にっこりと笑う妹には、こちらの思考など筒抜けである。兄のことが分からぬ妹などいないのだ。面映ゆいものだがな。

 つんつん、とイタズラするようにこちらの胸を指で突く妹。体温が高めで抱き心地の良い妹を抱きながら、俺は唇を曲げて見せた。


「あの突拍子のなさ、アレは俺の専売特許だろう」

「ふふ、兄さんはサプライズ好きですからねー。確かにちょっと雰囲気が似ていたかもしれませんね?」


 まったく、魔法使いというのは厄介な存在よ。いや、さすがは古より神秘の代名詞となってきた者共と言うべきか。

 俺はつまらなさを隠しもしない鼻息を漏らし、ぐっと拳を握る。


「なればこそ、俺も負けてはおれん。この世の頂点を極めし神秘である“無双の戦鬼”が、そんじょそこらの町内会に所属する主婦に負けたとあっては示しがつかんからな!」

「向上心のある兄さんも素敵ですよ」

「ありがとう、我が妹よ。そんな妹のパジャマ姿も最高に可愛いぞ。だがボタンはキチンと留めなければこの時期は寒かろう」

「むふー、留めてくださーい♪」


 こちらに巻き付いていた腕を解き、刀花が甘えた声音でそんなことを言う。手を後ろに組み、胸を突き出せば、寝る際には縛りを失うその胸がたゆんと揺れた。

 我が眼下には、前を留めるボタンが二つほど外れた、ざっくりとした妹の谷間が晒されている。豊満で、張りがあり、ずっしりと重そうなことが一目で分かる。

 その瑞々しい肌に、俺は使命感に駆られるまま手を伸ばした。


「妹の体温を保持するのも、兄の務めである」

「ん、やぁん♪」


 む、少々力を入れねば留まらんなこれは。いまだ我が妹はスクスクと成長中らしい。

 上着の合わせ部分を掴み、ぎゅっぎゅっと寄せてボタンを留めていく。その際に指先が肌に当たってしまうのがくすぐったいのか、刀花がクスクスと笑っていた。いとけない妹としての笑みと、女性らしさを隠せない肉感的な身体の差異に、この兄はクラクラするぞ。


「……また新しい寝間着を買わねばならんなこれは」


 全てのボタンを留め終え、鎖骨部分まで覆ってみせた。

 しかし……今にも留めたボタンははち切れそうであり、なんならボタンとボタンの隙間から麗しい肌色が見えてしまっている。

 女性の腹が冷えるのは由々しき事態だ。それが我が妹の腹ならば、特に。今度見繕っておこう。


「うーん、私も何かそろそろ新しい武器が欲しいところですねぇ」


 うむうむと頷いていれば、刀花が少し難しそうな顔で俯き、自慢の一つである己の胸を両手で持ち上げている。


「というと?」

「兄さんの向上心を見ていると、なんだかこの妹も頑張りたくなっちゃいました!」

「ほう」


 だが、新しい武器とは?

 聞けば、刀花は悩ましげに顎に手を当てて唸る。


「兄さんへのおっぱいアピールもちょっとマンネリ化してきましたし、なにかこう……妹の新しい魅力を引き出せないかと……」

「その意気やよし。しかし俺の妹がこれ以上魅力的になってしまうと、困ったことになるな」

「えー? どうしてですか?」


 ちょっぴり不満げに膨らませる妹のモチモチほっぺを、指で突いて空気を抜きながら言う。


「当然だ。ただでさえこの兄は、妹の可憐さから目が離せない。これ以上妹の可愛さが上乗せされてしまえば、俺はもう二度と妹の姿から視線を逸らすことなどできなくなってしまうだろう。日常生活に支障をきたしてしまうのは困る」

「……むふー」


 にへぇ、とだらしのない笑みを浮かべた刀花が、こちらの胸に今一度頬を寄せる。日溜まりのように、温かい。


「毎日手入れを欠かさない黒髪も、絶やさぬ柔らかな微笑みも」

「ふふ、すりすり~♪」


 互いの鼻先を擦り合わせる。我が妹はどこをとっても柔らかく愛おしい。


「見下ろすのに程よい身長に、抱き心地のある身体。兄を常に想ってくれる心。それら全てが俺を狂わせる。これ以上になってしまうと、大事な兄の目を抉ることになってしまうぞ?」

「えー? それは困っちゃいますねぇ」


 もはや互いの瞳しか見えぬ距離。そんな狭間で笑みを交わし合う。


「……ふふ♪」


 彼女の、琥珀色の宇宙に吸い込まれそうになっていると、刀花はクスリと笑って瞳を閉じる。そうして促すように顎を上げた。

 吸い込まれるのなら、こちらに……と。


「ん……」


 その誘いに応じ、その可憐な蕾を塞ぐ。甘い吐息が妹の唇から漏れたが、それすらも逃したくない心地だ。


「んー……ちゅっ……」


 彼女も小さくはむはむとこちらの唇を甘噛みし、最後に小さく吸いついた後、唇を離す。とろんと蕩けた瞳が、彼女の胸の内を雄弁に語っていた。おそらく、俺の胸の内と同じことを。


「そら、現時点でさえ兄はこの体たらくだ。向上心を抱くのは良いことだが、多少は手心を加えてほしいものだな?」

「ふ、ふふふっ……はぁ~い。仕方のないお兄ちゃんですね?」


 己の頬に指を当て、イタズラっぽく笑う妹に兄はもう既に参ってしまっている。まったく困った妹だ。


「でももう少し痩せはしたいところですね……」


 複雑な乙女心を持つ妹なのである。


「では、痩せ薬などを作ってみるか? 妹のためならば、それをとりあえずの指標にするのも悪くはない」

「……うーん」


 提案してみるが、刀花は少々複雑な表情で首を傾ける。どこか遠慮するように。


「私はそれでも別に良いんですけど……そもそもの話、兄さん的によく分からない薬を妹に与えちゃうことになっても良いんですか?」

「…………む?」


 ……。

 …………。

 ………………。


「……さて、片付けるか」

「対抗心が先に来ちゃってた兄さんもかわいー、です」


 やめてくれ妹よ。この無双の戦鬼、少々面映ゆい。


「ちなみにこのお鍋、中身はなんですか?」

「俺の血だ」


 なにやら秘伝のタレをベースにしていたからな、あの魔法使いは。それに当たるものなど、この屋敷では俺の血液くらいしか思い至らなかったのだ。


「だからこう、手首を落としてなみなみとな」

「むー……兄さんは私の兄さんなんですから、傷付けちゃうのはめっ、ですよ?」


 怒られてしまった。


「お薬を塗ってあげますね」

「ん? いや、傷などもう残っては……」


 言い終わる前に、刀花は傷に効くであろう薬をこちらの手にすり込む。

 その──妹特製の塗り薬を。


「むふー……ペロペロ♪」

「っ!」


 その小さな舌が手首を撫でるたびに、ゾクリとした快感が背筋を襲う。

 上目遣いにこちらの反応を確かめながら、彼女は特製の塗り薬を一つ二つと丁寧に塗り込んでいく。


「ペロペロ……ちゅっ♡」


 仕上げに、と言わんばかりに可愛らしい口付けを落として、処置は完了した。


「どうですか? 妹の愛情をたっぷりと配合してみたのですが。治っちゃいました?」

「……ああ。身体が熱い。きっと兄の元気が出る成分も配合されていたのだろう。これは中毒性もあるな」

「……ふふ、まだお薬が足りないかもしれません。こちらに、まだ備蓄がありますよ?」


 ちょん、と。刀花は自分の唇を指差す。その流し目は、こちらの病魔を増幅させるのに充分な魔性を秘めている。


「では、もう少々処方してもらおうか」

「はぁい、喜んで──ちゅっ、れる……ん♡」


 良薬は口に苦しと言うが、この薬はとても甘い。思わず脳髄がドロドロに蕩けるほどに。


「んぅ、はふ……兄しゃん、もっと……ちゅる、んっんっ……」


 とても良い先生だ。患者の身を案じ、献身的にその薬を処方してくれる。


「はぁん……おいし……兄さん、兄さぁん……♡」


 途中からは、こちらが薬を流し込む側になってしまったが、些細な問題だろう。妹が満ち足りてくれるならば、俺は全てを差し出そう。


「ん──はぁ、ん……えへ、なんだか途中からよく分からなくなっちゃいましたね」


 唇を離し、たっぷりと愛情を注ぎ終えられた妹は、キッチンに入ってきた時かそれ以上にふにゃふにゃとなっている。

 もう夜も遅い。妹の健康のため、そろそろ眠りを促すとしよう。

 そう思い彼女の背中を優しく押すが……動く気配がない。む?

 思わぬ抵抗を見せる妹の姿勢に、どうしたと視線で聞けば、刀花は「んー」と思案するように頬に指を当て……、


「……睡眠導入剤も、欲しいなぁって。妹はそう思うのです。いかがですか?」

「──ああ」


 そういうことらしい。

 にっこりと、そしてその瞳に期待の光を宿す強欲な妹に、俺はされるがままに手を引かれる。彼女の寝室へと。


「むふー……たぁっぷりと処方してくださいね。せ・ん・せ♡」

「もちろんだ」


 そのまま二人でベッドに倒れ込み、“お薬”を交換し合う。互いにとってそれが劇薬であることを知りながら。だが、やめられない。

 ……その夜。睡眠導入剤を大量摂取した妹は、とてもぐっすりと眠れたという。


「──ちょっと、キッチンが散らかったままなんだけどなにこれ!?」


 翌朝、厨房の片付けをすっかり忘れていたことを、ご主人様にたっぷりと絞られてしまったが。


「……また、処方してくださいね♡」

「……ああ」

「ちょっと、聞いてるのジン!?」


 反省を促すご主人様の隣で、妹がこっそりと投げる秘密のウィンクを見れば、厨房の惨状など微々たるものであった。

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