第243話「鬼の血が疼きおるわ」



 カコン、カコンとどこか気の抜けるような音の応酬が繰り広げられる中、刀花が昔日を思うかのようにクスリと笑った。


「ふふ、こうしてリゼットさんと卓球をしてると、まだ私達が出会って間もない頃を思い出しますね」

「そういえば夏休みの登校日にやったことあったかしらね──それっ!」

「あっ!? むむむ、早い……」

「ふふん、私がいつまでもか弱いお嬢様だと思わないことね?」


 赤いカバーが特徴的なラケットを振り抜いた姿勢のまま、リゼットは得意気に唇の端を上げる。これでまた"でゅーす"だ。

 以前のリゼットであればヘトヘトになっていたであろうが、今はまだ余裕を崩さない。そんな彼女に対し、刀花は更に唇を尖らせた。


「むー、兄さんから力を流し込まれてるだけですのに」

「あら、でも前みたいに無秩序に垂れ流すのではなく、今はかなり効率良く運用できてるわよ。それこそ、ここぞという瞬間だけ力を行使するトーカみたいにね」

「うぅ~! なんだか悔しいです! 兄さんを寝取られた気分です!」

「それはごめんあそばせ。私だって今の立場に甘んじず、日々研鑽を積んでるのよ。私は彼の、最高のご主人様なんだから。いつまでも妹に負けてられないわっ」

「むぅ~っ! 望むところです! 勝利の栄光は譲れません!」


 そうやって勝利の栄光(風呂上がりのコーヒー牛乳)を賭け、白熱したラリーを続ける我が主と妹。

 とはいえリゼットもよく食いついてはいるが、刀花もまだかなり余力を残している。だが、先程彼女の口から発せられた言葉にはこれまでの成長が垣間見られ、傍らで審判をする俺の心を熱くした。


「ふっ、とりゃ!」

「えい! えい!」

「……」


 ついでに、リゼットの品のある胸の膨らみや、刀花の大胆な膨らみの揺れも俺の胸を熱くした。

 温泉から上がり火照りの抜けきらない肌。しっとりと濡れた艶のある髪。そして薄い浴衣からチラリと覗く胸元や太もも。


「うむ」


 温泉上がりに卓球を嗜む浴衣姿の少女からしか得られぬ快楽物質があるな、これは。


「やりますねリゼットさん。では私も本気を出しましょう……"ダブルス"でいきます」

「テーブルテ○ヌしないの」


 唐突に分身しだす刀花をまず見る。

 いつも通り元気にピョンピョンとはしゃぐ動きに伴い、そのポニーテールが犬の尻尾のように楽しげに揺れる。だが、今の彼女の髪は温泉に備え付けられていた馬油を使用したため滑らかさが違う。

 しなやかに揺れる黒髪はかなりの保湿性を有しており、この遊技場を温かく照らす照明の光すらたっぷりと吸収し、艶やかに流れ落ちる。火照ったうなじに色っぽく濡れた後れ毛もたまらない。


「とーう! 我流・酒上流魔球──消えるラケット!」

「ラケットが消えてどうすんのよ……って私のラケットが……消えた……!?」


 そしてなにより刀花は動きが大きい。彼女が腕を振るごとに、軽快にステップを踏むたびに……その浴衣一枚羽織ったのみの向こうにある豊かな乳房が縦横無尽に揺れているのだ。運動のおかげで少々はだけ、ざっくりとした谷間も大胆に晒されている。あと少しでも激しく動けば、その桜色の蕾さえ見えてしまいそうだ。

 その胸を守る布地を着用しないその無防備さと危うさ……これは俺が支えてやらねばならないのでは?


「だー! もう! トーカがその気なら私だってやるんだからね! 我流・サカガミ流……えっと……だ、ダイレクトアタック!」

「きゃー!? 直接狙ってきましたこの人ー!」


 一方、ご主人様の色気も負けてはいない。

 普段は黒いタイツに覆われた真っ白な足は浴衣の裾から投げ出され、その脚線美をこれでもかと見せつけてくる。浴衣を青い帯で締めているため、その奇跡的な腰の細さもより顕著に我が網膜を焼く。


「ピンポン玉なんだから別に痛くはないでしょ」

「目に当たって妹がメカクレキャラや眼帯キャラになっちゃってもいいんですか!?」

「これ以上属性を増やさせるのは、まずい……」


 そして胸元についてなのだが……温泉での一悶着があってからというもの、恥じらいからかますますガードが固くなってしまっている。はだければすぐさまキュッと前のあわせを閉じ、その貞淑な膨らみを隠そうとするのだ。

 そもそも黒いナイトブラで既に覆われているというのに……と俺も思ったが、


「……うむ」


 これはこれで、なかなか趣がある。

 浴衣がはだければチラリと見える華奢な肩と黒い紐。刀花ほどではないにしろ、その動きに伴い健康的に揺れる胸。覗く谷間にフリル付きのブラ。決して全容が見えることはないものの、その防壁の中にあってなお垣間見える隙というものがこちらの胸をときめかせた。まるでリゼットのいじらしさを体現するかのようだ。

 普段はツンとしてこちらをはね除けるものの、少しつつけば甘く蕩ける心。先ほどのサウナでの一件などまさしくそれよ。

 手が届かないようでいて、その実すぐ隣でこちらを上目遣いで見つめる可憐で高貴な花。その絶妙な距離感が、この戦鬼を狂わせるのだ。

 そんな我が至宝たる少女二人は、大技の応酬でそろそろ息を切らせていた。


「んもー! これで何回目のデュースよ!」

「分かりませんが、脂肪が燃焼してる感覚は悪くないです! 負けたら追加で晩御飯のおかず一品献上することにしましょうか!」

「その分食べちゃったら意味ないでしょう……?」

「うっ……仕方ありません。では兄さんの脱ぎたての和服にしましょう」

「そんなの貰って何する気なのよ……」

「へ? 普通クンクンペロペロしますよね……?」

「普通? 普通って言った今?」

「他にも裸になってから着て兄さんの香りに包まれてみたりー、帯で自分の腕を縛ってみたりー」

「あなたみたいな変態に渡すくらいなら私が貰うわ」

「あ! さては羨ましいからって兄さんの着物をハムハムする気ですね!? リゼットさんのスケベさん~」

「発想の飛躍がバンジージャンプのそれなのよ」


 そうして二人はまたも勝利を目指して互いを打倒せんとする。瞳に燃える闘志、弾ける汗。また温泉に浸からねばならんのではないかこれは?

 そんな近い未来を見据えつつ二人の艶姿に「眼福眼福」と心の中で手を合わせていれば……今度は隣の一面からも迫真の声が上がる。

 無論、我が愛娘達も激闘に身を投じていた。


「くっ、やりますわねカナタ……しかし、この天魔より産み落とされし絶世の美姫、リンゼ=ブルームフィールドは必ずや勝利し、お父様から称賛と、どうしてもと言うのでしたらご褒美のナデナデを──」

「──お前を殺す」

「ふぎゃー!? 的確に目を抉ろうとするのやめてー!?」


 リンゼは彼方を挑発するのが上手いな。戦場では頭に血を上らせた者から判断を過つものだ……彼方のように冷えた怒りを更なる力に変えるような者は例外だが。


「お父様ぁー! カナタが苛めるー!」

「むっ、苛めていない。これはそう……可愛がっているだけ」

「苛めっ子の常套句ですわー!」


 光速で目を狙うピンポン玉の恐怖に耐えきれず、末っ子がこちらに泣きながら飛び付いてくる。一般的に末っ子は甘やかされるというが、素直に泣きついてくる姿を見ればその気持ちが少し分かった。

 甘えるようにこちらの胸に顔を押し付けてプルプル震える可愛い娘。俺はその金糸のツインテールを優しく撫でた。


「よしよし、怖かったなリンゼよ」

「お、おとうしゃま……♡」

「おとーさん、甘やかしてはダメ。その妹はリゼットおかーさんのようなツンデレにもなりきれないツンデレ(笑)。内心では『や、役得ですわー!』と悦びメスの顔をしているに違いない」

「おおお思ってませんわよ!」


 彼方の鋭い眼光が背中に刺さるのを感じるのか、リンゼはビクッと肩を跳ね上げてどもりながら言う。


「それに! ブルームフィールドの血は高貴なの! 優雅に流れる青い血なの!」

「はんっ、笑わせる。困ったらおとーさんや千代女姉さんの背に隠れてベッと舌を出すのが高貴? ならば全てを平らげ覇道を征く酒上の血こそ至高の血族よ」

「ただの我儘プーな血ではありませんの! やることも極端!」

「覇道だと言っている! それにお前にも半分流れているだろうが!」

「私の身体には優美な吸血鬼と力強い鬼の血がちょうどいい感じにブレンドされてるんですぅー!」


 おぉ、血を分けるとこのような言い争いも起きてしまうものなのだな。ちなみに……、


「千代女であればどういう血になるのだ?」

「「あれは巨乳の血族」」

「ああ……」


 声を揃えて言う二人に一瞬で納得した。

 なるほど……俺は刀花の魂、言うなれば遺伝子情報をも取り込んで生まれた存在。綾女の"ろりきょにゅう"と刀花の"ないすばでー"が合わさり最強に見える。

 単純に計算すれば、刀花のFカップはアルファベットにして六段階目として数え、綾女はGの七番目。つまりその数を合わせれば、将来的に千代女には十三段階までの伸び代があるということに──!


「Mカップか……」

「えむっ……!? それはつまり、いったいどういうことですの……!?」

「決まっているだろうおバカリンゼ……メガトン級ということだ」


 彼方の『メガトン級』という言葉のインパクトに、我々は目を見合わせ、


「「「……ひえー」」」


 戦慄した。

 あな恐ろしや! 俺は“無双の戦鬼”をも超える恐ろしい兵器を、将来的に生み出してしまうのかもしれん……!


「あなた達は何を頭の悪すぎる足し算をしてるのよ……」


 そんな身を震わせる俺と愛娘達を、マスターが大変冷たい目で見ていた。はて、何の話だったか……ああ、血の話だったか?

 思い返していれば彼方が一つ仕切り直すようにして咳払いをし、握るラケットを切っ先が如くリンゼに向かって突き立てた。


「とにかく、勝負はまだ付いていない。おとーさんから離れるがいい卑しい妹め。その身に流れる卑しいブルームフィールドの血ごと、私が根切りにしてくれる」

「ちょっとカナタぁ? 私に飛び火するような言い方しないでくれるぅ~……?」


 彼方の決め台詞にリゼットが猫なで声で脅しにかかる。が、対面にいる刀花の目は冷たい。


「いやぁ、さっきのサウナの場面を見ていればそう言われてしまうのも仕方ないかと……」

「は? リンゼ、来なさい! 傲慢なサカガミの血をここで粛清するわよ!」

「は、はいですわ!」

「むふー、いいでしょう。行きましょう彼方ちゃん。貴族さんは平民さんに食い破られるのが道理だと分からせてあげましょう。革命です!」

「承知」


 刀花の言葉にキレたご主人様がリンゼを取り込み、刀花は彼方を味方に付ける。

 今ここに、一族の存亡を賭けた戦争が幕を開ける──!


「古今東西! “兄さんの好きなところ!”……凜々しい鎖骨!」

「え、え!? ちょ、ちょっと待ってそんなの恥ずかし──きゃあ!」

「ふ、所詮ツンデレさんなんてこういう風に攻めればイチコロなんですよ……」

「お労しやリゼットお母様……」

「あんですってぇ……? 古今東西! “紅茶のブランド名!”フォートナム・アンド・メイソン!」

「何の呪文ですかー!?」

「横文字は卑怯……!」


 ……俺は新しいタオルの用意でもしておくか。




「いやぁ白熱しましたねぇ。お腹もペコペコですよ」

「明日、絶対筋肉痛だわ……」


 結局、夕食の時間が迫ってきたため勝負は休戦となり、彼女達は二度目の風呂に入ることとなった。

 そして身体や髪を乾かした今、俺からの“頑張ったで賞”のコーヒー牛乳を片手に全員で部屋に戻ってきた次第だ。


「さて、夕食は部屋に仲居が持ってくるのだったか?」

「そう聞いてますよ。内線でお願いしてみます?」

「そうだな──いや、待て」


 ポワポワとした雰囲気で内線を手に取ろうとする刀花を制す。

 ゾロゾロと皆で和室の方へ入ったが、どこか違和感を覚えるのだ。なにか、出る前と異なる点がある。


「……机の上に、このような紙切れなどあったか?」

「え、さぁ……?」


 リゼットに聞くも、彼女は首を傾げる。

 俺が見た時には急須と茶請けくらいしかなかったはずだ。それに、紙切れと言ったが……よく見れば古ぼけた羊皮紙だ、これは。


「……」


 少しざらりとした感触と共に、手に取って開いてみる。そこには……、


「……ほう?」

「なんですのなんですの?」

「これは……」


 俺の感心したような声に、興味津々な様子でリンゼと彼方が手元を覗き込み……目を見開いた!


「あ、赤茶けた図面に……!」

「ヒントの文字……!」


 その通り。

 リンゼと彼方の興奮したような言葉そのままに、羊皮紙の表面にはおそらくこの旅館の一部の間取りと、インクの滲んだ文字が刻まれていたのだ。


「た、宝の地図、ですわー!」

「『汝、万華鏡の煌めきを求める者よ。思い出の場へと帰るがいい』……おとーさん、これは……!」

「……なるほどな」


 これか。橘が言っていた『心付けを渡すといい』と言っていた事柄は。

 顎に手を当て、羊皮紙を光に透かしてみる。なるほどなるほど……これはなかなか。


「──面白い」

「え、あなたってこういうの鼻で笑いそうなものだと思ったんだけど」


 そう一言感想を漏らす俺に、リゼットが意外そうに目を丸くするが、刀花は「あはー」としたり顔で頷く。


「いえいえリゼットさん。兄さんは鬼ですよ? お宝がだーい好きな、ね?」


 こちらにウインクする刀花に頷く。

 ……ああ、香るぞ。宝の匂いが。見つけてくれと、この鬼に囁いておるわ。

 ククク、こういった趣向は嫌いではないぞ!


「お父様、お父様! 早く行きませんこと!」

「おとーさん、私はいつでも行ける。早く行こう。宝が逃げる」

「リンゼとカナタまで……」

「ふふっ、鬼の血が半分入ってますからね。きっとお宝を前に、疼くんじゃないですか?」


 呆れたように言うリゼットの言葉に、刀花が笑って返している。傍目から見れば、今の俺や愛娘の頭や尻には狐の耳や尻尾がピコピコと上機嫌に揺れているのが幻視できることだろう。

 俺はそんな娘達に背を押されるように立ち上がり、羊皮紙片手に号令を掛けた。


「よし、行くぞ少女達よ。我に続け──!」

「「おー!」」

「お、おー……え、ご飯は?」

「むふー、空腹は最高のスパイスですよリゼットさん?」


 まだ見ぬ宝が、鬼を呼んでいる──!

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