第235話「襲撃、薄野あさごはん」



 私、薄野綾女の朝はまず、清く正しくパジャマから普段着へとお着替えをすることから──、


「……はぁ、初夢ですごいの見ちゃった」


 始まらないこともあります、はい。すみませんお天道様。

 私は内心でごめんなさいしつつベッドから身を起こし、いまだ熱を持つ頬をパタパタと手で扇いだ。部屋に充満した冬の空気は冷たいのに、全然冷めないや。


「初夢で鬼さんを見るのは、日本の縁起的にどうなのかな~……あぅ」


 そんなことを言いながら、私は身体の熱を逃がすようにして足をジタバタとさせる。もちろん私がベッドでこんな風に悶えている理由は、隣の席に座るクラスメイト君……酒上刃君のことをおいて他にない。

 初夢で彼の姿を見た……のまではいい。それくらいで済んでいたのなら、私もルンルン気分で起床できていたことだろう。だけど、


「朝のキッチンで一緒にお料理して、机を挟んで笑顔でごはん食べて……」


 字に起こしてみれば、なんということの無い日常のワンシーンに思える。各家庭でもよく見るありふれた光景だ。

 そう、この家でも……とても馴染みがある。


「いや完全に夫婦だったよね~……」


 ぷしゅう、と顔から湯気が出そうなほどに頬が熱い。

 そう、とてもよく見る光景だったのだ。朝起きて、うちのリビング兼ダイニングに行けばいつだって見られる。

 共同生活し、互いを慈しみ助け合い、昔から「私もいつかこんな風になりたいな」と憧れて見ていた背中のそれはまさに──夫婦の距離だった。


「もぉ~……」


 悪態にも似た声が口から漏れ、ダメなことだと分かりつつも顔を手で覆ってゴロゴロと転がる。

 ほんと、いい加減にしなよ私。刃君は他の女の子の彼氏君なんだから、そういう関係でもなんでもない私がそんな……け、結婚する光景とかを夢に見るのはダメなことなんだよ、うん。リゼットちゃんと刀花ちゃんに失礼なことなんだよ、うんうん。


「だから……嬉しがっちゃダメなんだって」


 ああもう、でも。

 ……でも、手で隠してても、頬が緩んじゃうのを止められないや。まあ夢の中で私のお腹が大きくなっていたのはさすがにやりすぎだと自分でも思ったけど。


「絶対"これ"のせいだよ、もう」


 悶絶しつつ指の間からチラリと、おそらく夢の原因となったものを見る。

 ベッド脇に置かれた、少し大きめのスツールの上。そこには彼からのクリスマスプレゼントである喫茶店のミニチュアが鎮座している。そしてその隣に……一台の写真立てが飾られていた。


「こういう時ほど行動が早いんだから……」


 頭の中に浮かんだ「いえーい♪」とこちらにダブルピースをする母のイメージを頭を振って飛ばしつつ、布団から出てその写真を覗き込む。

 そこには喫茶店の前で身を寄せ合い、和服に身を包んだ男女二人の姿。女の子は照れた様子で男の子を見上げ、男の子は不敵な笑みを浮かべて女の子の腰を抱いている。

 昨日撮影した、私と刃君の写真だ。


「フレームもそれっぽいの買ってきちゃってさ……」


 純白で、控えめな装飾の品の良い写真立てだ。こういう時の母のセンスは無駄に良い。

 そんな、まるで見ようによっては結婚式のようにも見える写真が隣でずっと、ベッドで眠る私を見つめていたのだ。それはあんな夢も見ようというものである……よね? 仕方ないよね?


「……伏せとこうかな?」


 そんなことを呟き、私は写真立てに手をかけ……手を、かけ……、


「……はぁ。そんなことできてたら、そもそも飾ったままにして寝ないって」


 せめてお母さんが「飾らなかったらお小遣い無しね♪」とか、いつもみたいな悪乗りしてくれたらお母さんのせいにできたのに。「飾るかどうかはあやちゃんに任せるわね♪」なんて……もぉ~……もぉもぉ!


「……はふぅ」


 そうして肩を落とせば、ちょうどいい位置で写真の彼と目が合う。


「……むぅ~」


 ねぇなに笑ってるのかな。君のせいでお年頃の女の子が百面相する羽目になってるんだけど。ほんと、君は悪い鬼さんだよね?


「……なんて」


 心の中でブツブツと不満を言い……ふ、と苦笑した。

 写真に言っても仕方ないのにね。あ、いや分かんないけど。「俺の写真に話しかけていただろう。内容は~」とか言ってきても不思議じゃないもんねあの鬼さんは。いや怖いなぁ……。


「女の子のプライベートを覗くのはダメなことだからね?」


 彼に聞こえるはずもないそんな益体もないことを言って、写真の中で恋に惑った女の子の腰を抱いて笑う、悪~い鬼さんを指でイタズラするようにチョンとつついて──、


「おはよ、刃君」


 微笑んだ。

 私の朝一番の習慣に、清く正しく彼におはようをすることが加わった瞬間だった。挨拶は、良いことだからね。この胸の、甘く痛む鼓動も……、


「……か、顔洗ってこよ」


 なんだか急に恥ずかしくなり、私はパジャマのままで自室を出る。いつもなら着替えてからだけど、今はそれよりも熱くなった顔を冷やしたい。

 薄野家の居住スペースは二階に詰め込まれており、家人の個室にお風呂場、洗面所、そして大きめのリビング兼ダイニングが主だ。居住スペースに多くを割いているため、板張りの廊下は少し細い。移動はしやすいけどね。

 洗面所はリビング兼ダイニングの奥にある。今の時間なら両親がご飯を作っている最中だろう。美味しそうな匂いがそっちの部屋から流れてきているし。

 この空気感こそ、まさに休日の朝って感じ。三が日はダンデライオンもお休みだから、今の家の中はどこか弛緩した雰囲気が漂う。

 家の中の普段通りの空気を胸いっぱいに吸い、少し落ち着いた私は洗面所に行くためにリビングに繋がるドアを開ける。おはようの挨拶をしないとね。 


「おはよー」

「あら、あやちゃん。おはよう」


 そこには私の予想通り、お母さんの姿があった。

 食卓に座ってのんびりとコーヒーを飲んでいるということは、今日の朝ごはんはお父さんだけが作ってるのかな? 一緒に作らないなんてちょっと珍しいかも。

 でもなんでお母さん、そんなにご機嫌そうなんだろ。


「にやにや」

「う、うん……?」


 なんか、ちょっと悪い笑顔してるけど……ま、まさかさっきの百面相を見られてたとか!?


「か、顔洗ってくるねっ」

「はいはーい」


 何も言わないままこちらを見つめるお母さんの視線になんだか妙に居心地が悪くなり、私は俯いたまま早足で部屋を抜けようとする。

 お母さんにこちらをからかう材料をあげちゃう前にここを出よう。あ、ご飯作ってくれてるお父さんにも挨拶しないとね。


「おはよ、お父さん」

「確かに俺はリンゼと彼方の誇り高き父ではあるが、綾女の父になった覚えはとんとないな」

「あ、ごめんごめん。おはよ、刃君」

「ああ、おはよう綾女。じき朝食ができる、今の内に洗面所で身なりを整えておくがいい。寝癖が楽しそうに跳ねておるぞ?」

「ふふ、はーい」


 豪快にフライパンを揺らす彼の背中に軽く声をかけ、私は洗面所に入って水でパシャパシャと顔を洗う。

 ふぅっ、冬の水は冷たいけど、目はバッチリと覚めるから私は結構好きだなぁ。やっぱりこう、気合いが入るよね。さて、歯磨き歯磨き~……。


「……………………ん?」


 シャコシャコと歯ブラシを動かしながら首を傾げる。その拍子に、寝癖のついた茶髪がピョコンと揺れた。


 ……なんかおかしくなかった?


 いつも通り朝食の香りが廊下に漂ってて、コーヒー飲んでるお母さんがいて、挨拶をして、そして朝食作るお父さ、ん……ん?


「──っ!?」


 お父さん……じゃ、ない……!?


「──っ!!」


 私は歯ブラシを咥えたまま目を見開き、そのまま勢いよくさっき閉めたばかりの扉を開ける。

 そこには──、


「む? どうした綾女。ああ、安心しろ。父君ならば自室で酔い潰れている。いきなり勝負を挑まれてな?『娘はやらん』ときたものだ。だがこの鬼に"飲み比べ"を挑むとは無謀であったな……いや、相手の得意な土俵で勝負を挑まんとするその気概は、天晴れと言うべきか」

「!?」


 お、お父さんじゃない……。

 じ、刃君が! むしろ居て当然みたいな空気を纏ってフライパン振ってるー!?

 私が歯ブラシのせいで何も言えずに固まっていると、今度はテーブルの方から噴き出す音が!


「ぷっ……あっははははははは!! あやちゃん全然気付いてないんだもの! お、お腹痛い~!」


 んなっ!


「も、もごもご~~!!」

「口をゆすいで来たらどうだ? いや待て。その姿、この俺が目に焼き付け終えてからにしろ」

「っ!?」


 お母さんに抗議の声を上げていれば、そんな刃君の台詞に正気へ戻る。

 改めて、現在の自分の格好を確かめてみる。

 寝癖がピョコンと跳ねた髪。ピンクの歯ブラシを咥えたままの口。挙げ句の果てには寝乱れたままのパジャマ……それも余所行きとかじゃない、デフォルメされた可愛い猫ちゃんの顔がいっぱいプリントされた油断しきったもの。もちろんブラも、つけてない……。


「──っっっ」


 かあぁぁぁっと、さっきまでのそれ以上に頬が熱を帯びる。

 み、見られた……この前お屋敷にお泊まりした時でさえ、朝とかはそれなりに身なりに気を遣った姿しか見せないように頑張ったのに……完全にプライベートな姿を、み、見られちゃった……。

 私がショックで真っ白になっている間にも、刃君とお母さんは何やら楽しそうにお喋りしている。


「本当は俺が起こしに行きたかったのだが、母君が『ここで待ってた方が面白いことになる』と言うものだからな。綾女の両親への、新年の挨拶がてら馳走でもと思ったのだ」

「ま、私が未来の義息子の料理してる背中が見たかったというのもあるけどねっ!」

「ふ、この無双の戦鬼を子ども扱いとは。母君のその豪胆さには、時々驚かされる」

「えー? だってそういうファンタジーなのってママよく分かんないしぃ?」

「ならば"童子切安綱"の銘くらいは知っていよう? 国宝であるぞ」

「んー……? ヒス○リアで見た、かも? あ、じゃあ有名人だ! サインもらってお店に飾っていい?」

「いいぞ、スラスラ……」

「え、サインうっま」

「これでも京都ではちょっとした"すたぁ"なのでな。己の落款も書けずして、魑魅魍魎の巣食っていた頃の京都の守護は務まらんよ。……昔の話だがな」

「やったー、なんだかご利益ありそう!」

「あるとも。俺は狐とも縁が深く、そして京都で狐といえば稲荷大社だ。そのご利益には商売繁昌も含まれている。ご利益ましましだ」

「ほんと!? ははー! 童子切様ー!」

「ククク、よいよい。分を弁えた人間は嫌いではないが、母君には今まで通り"酒上君"という呼称を許そう。なにせ我が友の母であり……未来の義母上ははうえなのかもしれぬしな?」

「か、完璧すぎる……! 朝ご飯作ってくれてあやちゃんのことが大好きでお店の手伝いもできて祈ればご利益もあるなんて……酒上君、あなたもしかしてあやちゃんの運命の人なんじゃ?」

「そうだが?」

「わお、言いきっちゃうぅ~♪ いけめーん!」

「はっはっは」


 ──ぃ。


「ん? 何か言ったか綾女」

「あ……やばいかも」


 そんな、呑気にワイワイしている二人を前に、私は俯いたまま肩を震わせる。

 どうして刃君がここにいるの、とか。なんで朝ご飯作ってるの、とか。聞くべきことは山ほどあったけど……私は……私は──!


ひんふんなんへ刃君なんて……」


 私はバッと勢いよく顔を上げて、今一番言いたいことを言い放った!


ひんふんなんへ刃君なんてひらいきらいーーー!!」

「なっ、綾女が、泣いて……!?」

「ご、ごめぇーん! あやちゃーん!」

「ふわぁぁあぁぁぁん!」


 刃君が目を見開いて固まり、お母さんが両手を合わせるのも無視して、涙ながらに洗面所へ駆け込む。

 きらいきらいきらーい! 二人ともきらーい! ばかばかばかぁ! おたんこなすー! 油断してる格好なんて、好きな人には見せたくないに決まってるじゃんかぁ!


「綾女! 開けてくれ綾女! からかいが過ぎた、この通り謝罪する!」

ひらない知らないっ!」


 珍しく動揺したような彼の声にもそっぽを向く。

 刃君は女の子のそういう姿を見慣れてるのかもしれないけどさっ、私は男の子にそんな姿見られたことないんだからねっ! 恥ずかしくて死にそうなんだからねっ、この恋愛上級者ぁー!


「あわわ、ママのせいで前途ある若い夫婦達に亀裂が……!」

「ふ、夫婦ひゃないほんじゃないもん!」


 お母さんは反省してないね!? もう知らない!


わはひわたしもういっひょうほのへやはらへないほんもう一生この部屋から出ないもん!」

「「そ、そんな……!」」


 そうして私は、三十分くらい二人の説得にも応じず、洗面所の隅で三角座りをしていじけるのでした。

 最後には「ご飯が冷めるから」という理由で渋々とドアを開けたけど……べ、別にお腹が減ったからとか食い意地が張ったわけじゃないよ?

 ……刃君が私のために作ってくれた朝ごはんを冷ましちゃうのはダメなことだって思ったし、それに……た、食べたかったし……刃君の手料理。


「うぅ~~~……!!」


 もぉ~……鬼さんのあんぽんたんっ。

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