第233話「その時は、近い」



「ねぇトーカ。"中吉"ってどれくらい良い運勢なの?」

「え? ……中くらいですかね?」

「そのまんまじゃないの……そっちはどうだった?」

「『安産、産後も順調』だそうです」

「そこは聞いてないのよ」

「あはは……でもすごいね、刀花ちゃん。大吉だ」


 おや。

 俺がお守りを買っている間に、少女達はおみくじを引いていたらしい。娘達の姿が見えないが……どこぞ散策でもしているのだろうか。


「うむ」


 巫女達が立ち並ぶお守り売場から離れてそちらへ歩みを寄せれば、少女達の一喜一憂する声が聞こえてくる。刀花や綾女と話す中で、リゼットは少々不服そうに自分のおみくじの紙を眺めているようだが。


「マスターは中吉か」

「ええ。中途半端でなんか釈然としないわね……」

「とはいえ、こういったみくじは記してある内容も大事だぞ」

「へぇ……?」

「兄さん兄さん! 私、大吉です! 出産も良好みたいですよ! これで安心ですね!」

「なにが?」


 リゼットがじっとりとした目で、ぴょんこぴょんことする刀花を見るがなんのその。我が妹は"大吉"を引けたのが嬉しいのか、ブイサインと弾ける笑顔でこちらに報告してくれる。

 振袖を着込んだ刀花はポニーテールをほどいて、しっとりと胸の前に流しているため常よりは大人っぽい雰囲気なのだが、やはりそういった元気いっぱいな仕草はなんとも我が妹らしい。可憐の一言に尽きる。


「むふー、これで十年連続で大吉ですね!」

「え、すご……あーでもなんか分かるかも。トーカって上手く表現できないけれど、なんというか……そういうアレよね」

「リゼットちゃん、何一つ言語化できてないよ……まぁ何を言いたいのかは分かるけどね」


 リゼットの言葉に苦笑気味な綾女。そんな彼女達に俺も頷きを返す。

 刀花の纏う空気は自然と周囲の心を温かくする。やはり笑顔を浮かべる者の下には、幸せというのは集まりやすい。笑顔を浮かべぬ者に、笑顔は返ってこないのだ。

 いつでもニコニコな可愛い妹には、天から愛されているとしか言い様のない幸せが降り注ぐ。それはもはや必然なのだ。この無双の戦鬼に捧げられるという、この世で最も不運な出来事に見えたのだから。あとの人生など、常に幸せでなければ割には合うまいよ。


「むむむ……」


 そんな幸せオーラ全開な刀花に当てられたのか、リゼットも己のみくじに幸せを探そうとする。


「あっ、でも見て。学問とか病気とか、結構良い感じに書かれてるわ」

「ほほう?」


 手元を覗き込めば、確かに大方の項目には『安心せよ』の文字が踊っている。そもそも中吉とて悪い運勢ではないからな。

 そんな彼女の白い指が紙片の上を滑り、とある項目で止まる。そこは……、


「恋愛は……『難あり』ですって。ふふっ、あなたのこと見抜かれてるじゃない」

「ほう? 俺のどこが難だというのか」

「難しかないわよ」


 すっとぼけて言えば、リゼットはこちらの頬を「えい」と指でつつき……唇を綻ばせた。


「あなたみたいなじゃじゃ馬を飼うご主人様なんて、私くらいしかいないんだから。せいぜい感謝して、これからもご奉仕しなさいよね」

「そんなリゼットちゃん、『飼う』だなんて……」

「大丈夫よアヤメ。“これ”、尊大に振る舞ってる割にモノ扱いされるの大好きな性癖持ってるから。ご主人様には筒抜けなんだからね」

「ホントだ、刃君ビクンビクンしてる……」

「まったく、とんだ変態眷属に好かれちゃったものだわ……クス」


 そんないじらしいことを言いつつ、おみくじを大事そうに巾着に仕舞う俺のご主人様。その頬は少し桜色に染まり、自分の台詞に恥ずかしくなったのかプイッと目線を逸らすその仕草もたまらなく愛おしい。思わず息を呑むほどだ。

 刀花の笑顔が自然な笑顔なら、リゼットの笑顔は運命から勝ち取った、勝者の笑顔と言える。誇らしく、気高く、そして愛らしい。その輝きを曇らせることなどあってはならず、故にこの俺が守護らねばならんのだ……。


「というわけでこのお守りをやろう」

「いやさっきから気になってたんだけど買いすぎじゃないあなた?」


 どっさりと紙袋に詰まったお守りの山を、愛しい主と妹に感涙しながら手渡す。


「最強の守り刀であるこの俺がいるとはいえ、守りは多いに越したことはないからな」

「毎年ありがとうございます、兄さん!」

「だからって多すぎでしょ……交通安全に、学業成就に──ちょっ、なんで安産祈願があるのよ!」

「決まっておろう、万一のためだ。母子共に健康でなくては」

「私まだ女子高生なんだけど、心配する方向性がヤバイんじゃないのあなた──ひゃぅん! いっ、いきなりお腹を擦らないでよバカっ! 変態!」

「お腹すらスベスベで可愛いな……」

有楽来国光うらくらいくにみつ!」

「待てい! この俺を指してよりにもよって短刀だと!?」

「最近あなたの煽り方がだいぶ分かってきたわ」


 言い合う我等主従の横で、刀花も少し目を細めてチクリと言う。


「でも確かに、今までで実は一番危なかったのってリゼットさんですもんね? ほぼイキかけてましたもんね?」

「世界一カッコいい下ネタやめなさい」

「あぁん、私も兄さんと無責任学生結婚したぁいです~♪」

「無責任って言っちゃったよ刀花ちゃん……ダメダメ」


 頬に手を当て「やんやん♡」と首を振る刀花に、綾女が苦笑して突っ込んでいる。おお、そうだそうだ。


「綾女にも一つお守りをやろう」

「えっ、ありがと……って恋愛成就だこれー!?」

「きっと何かしらの役に立つ。たとえば隣の席に座る鬼との縁を結ぶことなどにな」

「もうそれ全部言ってるよね」


 ふ、呆れたように「もぉ……」と言いつつも、結局照れ臭そうにして受け取ってくれるのだからこの子も大概、俺に甘い。甘やかしたい……。


「ちなみに綾女の運勢はどうだったのだ?」

「うーん、私は“小吉”だったよ。私、昔からあんまりくじ運とか無いんだよね」

「……さもあろうな。山の中で迷子になり、最悪の鬼と遭遇するくらいだからな」

「う、私は良い縁だったと思ってるけど、そう言われれば確かに……?」


 苦笑してポリポリと頬をかく綾女。

 不憫な……こうなったら俺が責任を取って彼女を幸せにしなくてはいけないのではないか?


「そら、みくじ掛けに結ぶといい。高いところに結んだ方が縁起もよかろう」

「そうだね、これ結んじゃおっか。でも私ちっちゃいから高い所は届かな──ひゃっ、じ、刃君! だから高い高いは恥ずかしいって!」


 いくつものおみくじが結ばれているみくじ掛けへ「うーん!」と懸命に背伸びをしようとする綾女の背中に忍び寄り、脇に手を差し込んでヒョイと持ち上げる。羽根のように軽いな我が友は。


「もっと食わねば身長も伸びんぞ」

「だ、だって……あんまり食べたら振袖着れないかもって思って……」


 あまりに可愛い理由が返ってきて息が詰まる。横で刀花が「ギリギリ着れましたもん……」と震えた声を出しているのは気にしたら負けだ。

 涙ぐましい努力だが、綾女ほど小柄ならば少し太っていても余裕で着こなせそうなものだ。持ち上げながら上から下までじっくり見ても、おかしい部分などどこにもないように思えるが……。


「む……? これは下駄ではなくブーツか」

「あ、うん」

「あら、素敵じゃない?」

「おお、オシャレさんです。袴を着たら大正ロマンのコーディネートですね!」


 大正ロマン……ふむ、どうやら和と洋の融合を果たしたものをそう呼ぶらしい。確かに、喫茶店の雰囲気などによく合いそうだ。


「早めにお年玉もらって、買っちゃったんだ。レトロカフェの雰囲気って、ちょっぴり憧れるよね」


 照れたように「えへへ」と笑う綾女に胸を撃ち抜かれる。

 これに割烹着を着て毎日俺の味噌汁を作って欲しい。いやむしろ俺が作りたい。


「これに割烹着を着て毎日俺の味噌汁を作って欲しい。いやむしろ俺が作りたい」

「心の内が駄々漏れなんだよね。あと、もうそろそろ下ろして欲しいな……」

「俺と恋人関係になると言ったら下ろしてやろう」

「そんなエキセントリックな脅し文句ドラマでも聞いたことないや……り、リゼットちゃーん、助けてー……」


 ククク……足を中空でブラブラさせ、弱々しくマスターに助けを求めてもこの鬼は止まらんぞ。手始めに綾女のカフェオレ色の髪に鼻を埋め、その芳しい挽きたてのコーヒーのような香りを堪能させてもらうとし──、


「我流・ブルームフィールド流お仕置き術──浮気男絶許誅伐剣!」

「お゛ぅっ」

「に、兄さんがドスッと通り魔さんにやられるみたいに……!」

「昼ドラで見るやつだこれ……」


 唐突なご主人様の新流派で、先程とは逆の脇腹を刺されてしまった。


「だが綾女は離さん!」

「いやそこまでされたら離そうよ。リゼットちゃん頬膨らませて傷口グリグリしてるし。これ、見る人が見たら気失うくらいショッキングな映像だよ? 私も結構クラっときちゃったかも」

「ねーえ? ご主人様の胃に負担かけないでって私言ったわよねぇ?」

「ガハッ……綾女……無事か……?」

「主人公を庇った師匠キャラみたいなリアクションしてる……あと振袖に血がかかってないかどうかって意味の無事なら無事だよ。ていうか血は出てなくない?」

「これが無ければ即死だった……」


 リゼットに怒られたので、いい加減綾女をそっと下ろしながら、懐から俺の脇腹を守ってくれたブツを取り出す。


「マスターの写真が無ければ即死だった……」

「えぇ? 写真くらいで刃物防げるのかな──っていやもう束が厚いね! これなら防げるや!」

「忍ばせておいたのだ。こういう時のためにな」

「リゼットちゃんに刺される時のために? 斬新だなぁ……」

「ああああなた! なんて物持ってるの!」


 俺の懐からパラパラと地に落ちるは、様々な表情を映し出したリゼットの写真達だ。文庫本三冊分ほどのな。

 それらを拾いながら、リゼットは顔を真っ赤にして喚く。


「こ、これ! 水着の写真まである! いつの間に撮ってたのよ!?」

「“──滅刻刃、それは一瞬の輝きをも捕捉する”」

「なにカメラのキャッチコピーみたいに言ってるの。や、やっぱりHENTAI……」

「待て。マスターの写真を持てと言ったのは、それこそマスターであろうが?」

「えっ?」


 こちらの言い分にリゼットは目を丸くするが、忘れたのか?


「綾女の写真が雑誌に掲載された時があっただろう、俺と綾女が友誼を結ぶ前のことだ。そんな折、俺が胸ポケットに綾女の写真を入れていた際に言っていたではないか。『ご主人様の写真も持ってないくせに!』と、涙しながら」

「あ、あー……あった、かも……」


 曖昧に言うリゼットだが、俺はしかと覚えているとも。だからこそだ。


「その時から、俺は常にマスターの写真を持ち歩いている。たとえ距離が離れていても、愛しいご主人様の温度を感じられるように、と……(キリッ)」

「いやー……だからってこの枚数は限度があるんじゃないかなぁ……どう? リゼットちゃん」

「キュン……♡」

「あ、いいんだ……リゼットちゃんは可愛いなぁ……」

「妹の写真がないのは減点ですけどね。今度からは可愛い妹の写真も入れておいてください」

「承知した」


 ご納得いただけたようで俺も嬉しい。次からは中心線に沿って彼女達の写真をちりばめておこう。

 そうしてなんとか修羅場を乗り切っていれば……、


「お父様、お父様っ」

「おお、どこに行っていたのだ。リンゼ、彼方?」


 笑顔を携えたリンゼと彼方が戻ってきた。二人で何かを隠すようにして後ろに手を回している。

 そうして皆が注目する中で二人は目配せをし、


「はい、どうぞですわ!」

「日頃の感謝の、気持ち」

「!」


 愛娘達が差し出す、その掌の上には……一枚の絵馬があった。

 絵馬とは参拝と同じく、己の願いを記すもの。そこに記された願いを見た瞬間──、


「うっ、くぅ──!」

「なんでいきなり泣き出すのこの人……」

「なんて書いてあったんですか?」


 眉を顰めるリゼットに、首を傾げる刀花。そして綾女が覗き込み、それを読み上げる。


『──家族が、ずぅっと仲良しでいられますように』


「あ──」


 誰かの、小さな吐息が漏れる。いや、この場にいる全員だったかもしれん。

 沈鬱とはいかないまでも、少し湿った空気が俺達を包み込む。この願いの込められた先を思えばこそ、胸からこみ上げる寂しさがあるのだ。

 この愛娘達が書いた“ずっと”。だが、彼女達は本来この世界にはいない存在なのだ。彼女達には帰るべき世界がある。ずっとは──いられない。

 俺が無言でリンゼと彼方を見れば、彼女達もまた瞳を潤ませつつ「仕方ない」とでも言うように肩を竦めた。


「ふふ、そろそろ……こういったことも忘れない内にしておきませんと」

「うん。もうそろそろ、だから……」


 そう、年が明けたこと。それは確かにめでたいことだ。


 だが同時に、我が愛娘達とのお別れの時もまた……刻々と迫ってきているのだった。

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