第213話「ごめんね、刃君」
私でいいのかなぁ……。
「お、お邪魔しまーす……」
私、薄野綾女は恐る恐るドアを開けてみる。私のクラスメイト、酒上刃君が眠っている部屋のドアを。
「いいのかなぁ……」
そっと後ろ手にドアを閉めつつ、心の中で思っていたことが今度は口から漏れる。
リゼットちゃんから直々に「私の代わりにジンを起こしてきて」って頼まれたんだからいいんだろうけど……本当に私が起こしに来ていいものなのかなぁ?
あとなんでさっきリゼットちゃんの顔赤かったんだろ。空調はそんなに効いてないはずだけど。
「うーん……好きな人の寝顔とか、別の女の子にはあんまり見せたくない~って思ったりとか……」
ベッドに近付き、すやすやと眠る彼の寝顔を覗き込みながら思わず首を傾げてしまった。
私の考えすぎ? それともリゼットちゃんの余裕なのかな。
女の子っていっても私は刃君のただの友達だし……うーん、この言い訳も最近苦しくなってきてない? 大丈夫? 友達ってなんだっけ……友達同士で指チューってするものなんだっけ? いや、あれは夢だから! 私はそう思うことにしたよ、うん。私と刃君は清い関係なのです。うんうん。
「空調下げとこ……」
熱くなった頬をパタパタと手で扇ぎつつ、ピッピッとエアコンの温度を何度か下げておく。あんまり強すぎると刃君の喉も乾燥しちゃって風邪引くかもだからね! ……刃君が実際に風邪を引くかはわかんないけど。
「このお屋敷って見た目は古いけど、電化製品の類いも結構揃ってるんだよね」
お金持ちはやっぱり違うや。
一般庶民の私としては、このお屋敷での生活は驚きの連続だった。
窓は大きいし多いし、お風呂にはマーライオンがいたしお部屋には暖炉もあるし。地下にはワインセラーまで……うちも欲しいなぁ、ディナータイム用に。
「……キョロキョロ」
物珍しげに、私は思わず部屋を見渡してしまう。
刃君のお部屋に入るのはこれで二度目だ。一度目は学園祭のたい焼き作りの練習に来た時、チラッと見せてくれたんだよね。
「……緊張してきたかも」
男の子の、部屋。
……それも、好きな人の。
「……物はあんまし増えてないね」
以前見せてもらった時も思ったけど、彼はあんまり物を持たないみたい。
目に映るのは、部屋に最初から備え付けられていたのであろう最低限の調度品に家具、冷蔵庫……あ、でも窓辺には一風変わったものが飾ってある。
「刀花ちゃんの作った刀の飾り台に、リゼットちゃんの血で作ったバラの造花だね」
冬の優しい日差しを浴びて、どこか誇らしげに輝くのはそんな物品達。いわゆる、彼の宝物だ。
「おぉ、埃一つない」
近付いて見てみれば、定期的にお手入れされているのかピカピカに磨き上げられているのが分かる。
「うんうん、贈り物を大切にするのは良いことだね」
私も彼から貰ったボールペンや、クリスマスプレゼントとして貰ったミニチュアは、毎日と言っていいほど掃除している。まあ嬉しくって毎日触っちゃうからなんだけど。
この前も、年甲斐もなく私のミニチュアと彼のミニチュアを使ってついついおままごと染みたことを……え、内容? い、言えませんよあんなの……。
「なに考えてるんだろ、ダメダメ……」
首を横に振り、邪念を追い出す。
ダメだよ? お付き合いしてもないのに新婚さんごっこなんてしちゃ!
「……お?」
そうやってピンク色の妄想を頭から振り払っていると、視界の端にチラリと入ってくるものがあった。
壁に接するように置かれた勉強机。その上に、見覚えのあるものを見かけたのだ。
「あ、これ……」
それは、いくつかに分けられた小さな単語帳。
──私が、クリスマスに彼へ贈ったものだった。
「……使ってくれてるんだ」
手に取ってみれば、ページの端が少しよれている。まだ贈ってから数日しか経ってないのに……。
「……ふ、ふふふっ」
あぁ、ダメ。頬が緩んじゃう。
無意識にぎゅっと単語帳を胸に当てれば、トクントクンと高鳴る鼓動が感じられてますます恥ずかしくなってしまった。
「だ、ダメダメ……刃君は真面目にお勉強してるんだから、うん」
どこか自分に言い聞かせるようにしてそう呟く。でも……、
「……私のため、とかだったら……嬉しいな」
私と一緒に進学するためとかだったら、さ。刃君がこれからのことをキチンと考えてそうしてくれてるのなら……やっぱり、嬉しい。
「……"行き先"、かぁ」
あんまり重くならないようにしつつも、少し溜め息が漏れてしまう。朝の会話を思い出して。
刀花ちゃんとリゼットちゃんが言っていた話。人間の人生は旅にも喩えられ、必要なのは"行き先"と"帰る場所"であるって。
その話を聞いて、実は私もギクリとしていたのだ。
「……難しいや」
もちろん、私は調理の学校に進学して喫茶店を継ぐつもり。それは絶対。だけど……、
「……刃君」
彼との関係は……?
これから彼とどんな風に道を歩んでいけばいいのか、私には想像すらできない。彼との不思議な距離感が、私の心を迷宮へと誘っていた。
「難しく考えすぎなのかなぁ……」
このお屋敷の楽しそうな雰囲気を実際に肌で感じ、私はついそんな風に流され──いやいや、そんなことないよね。
だってストレートに言えばハーレムだよハーレム。ドバイじゃないんだからさ……いやドバイのハーレムも内情は大変らしいけどね、お尻に敷かれたりして……彼と変わんないか!
「君がもう少し現代寄りの鬼さんだったらなぁ」
あー、でもそうだったとしても全然想像できないや。リゼットちゃんにも刀花ちゃんにも靡かない刃君なんて。別の人だよねそれ。むしろ誰?
「ほんと、リゼットちゃんと刀花ちゃんは器が大きいよ」
多分一番すごいのはそんな関係を受け入れようとするあの二人だよねぇ。まあ昨日「納得はしてない」ってリゼットちゃんが強く言ってたけど。
でもそういう関係ではあるわけで……やっぱりすごいと思う。私はまだまだ余裕が持てそうにない。
本当に、これからどうすればいいんだろ、私。
「君は悪い鬼さんだよ、まったく」
無防備に眠る、私の心を乱れさせるそんな鬼さんに八つ当たり気味にそんなことを言ってしまう。
「……」
……こんなに無防備に寝ちゃってさ。
「……」
枕元に近付き、無言でつい見入ってしまう。
学園でも彼はよく寝ているけど、授業中はまじまじと見られないし。
「……」
刀花ちゃんと同じ黒い髪、気難しそうな眉間の皺、整った鼻筋、普段は周囲を威圧するように細められた目は静かに閉じられていて、そして──、
「……」
……結ばれた、彼の唇。
「……」
……。
…………。
………………“そういうこと”をしたら、私の気持ちも定まるのかな。
「……っ」
喉が鳴り、どこかフワフワした心地で視線を注いでしまう。
好きな人同士でする、キス。パパとママがやっているような、刀花ちゃんやリゼットちゃんもやっているであろう……キス。
「──」
気が付けば、私はベッドに手をついて、彼に覆い被さるような姿勢を取っていた。
「──っ」
近い。
彼の吐息が、私の髪を揺らす。こんなの、絶対に友達同士でする距離感じゃない。
分かってる。そんなこと分かってるのに……どうしようもなく、止まれない。止まりたくない。
──もっと、近付きたい。今は、そう思う。
「……ごめんね、刃君」
聞こえてないだろうけど。
卑怯な私を、許してね。
「…………ちゅ」
そうして私は瞳を閉じ、唇を触れさせる。
「……」
──手で掻き上げた、彼の髪に隠れていたおでこに。
「あーあ、どこまで卑怯なんだろ、私」
距離感もすることも、何もかも中途半端。そんな自分に嫌気が差す。
「だけど……すごく、熱いよ。刃君」
君は寝ていて、おでこなんて子ども染みたキスをしておいて。
──なのにね? 飛び上がっちゃいたいくらい舞い上がってて、胸がドキドキするんだ。
「普通の人と恋愛して、普通に結婚して、普通の家庭を持つのかな、なんて昔は思ってたけど」
私の運命は、あの逢魔が時に決まっていたのかもしれない。
「こんなこと言える立場じゃないけど……早く私を捕まえてね、刃君」
でないと、
……私がもっと卑怯な女の子になっちゃうから。
「さてと、そろそろ刃君を起こしてあげなくちゃ」
そうやって、自分でもどうしようもないなと思うことを考えていれば、
「──主・妹以外からの接触を確認。自動防衛機構、起動」
「ん?」
ちょっと何言ってるか分かんない。
「捕獲」
「ほか──きゃあ!?」
反応する暇もなく私の視界はグルリと一回転し、
「完了」
「むぐっ!?」
動きを止めた時には、私は彼の腕に抱き締められ、胸の中で押しつぶされそうになっていた。
(さ、早速捕まっちゃったーーー!?)
これが因果応報ってやつだね! 知りたくなかったなぁ!
「じ、刃君! これはダメだよ!」
こんな……!
わ、私……今、好きな人のベッドの上で、好きな人に抱き締められちゃってる!
(あわわわわ……!)
完全に恋人同士の距離じゃん!
あ、息したら男の人の匂いがいっぱい……胸板も厚くって男らしくって……!?
私、この後の展開分かる! このまま寝ぼけた彼にエッチなイタズラされちゃう流れだ!
(ああ、私、このまま彼に奪われちゃうんだぁ……)
拝啓、ここから徒歩四十分くらいの商店街で働くお父さん、お母さん、ごめんなさい。
清く正しく育てていただいた一人娘の綾女ですが、今から悪い子になってしまいそうです。
「じ、刃君、こんな……だ、ダメだよ……」
一応抵抗してみる。私、まだギリギリ良い子なんです。
「……ダメ、だよぉ……♡」
ごめんなさい悪い子でした。
でも私の抵抗も虚しく、力強い彼の腕は二度と離さないと言わんばかりに私の小さな身体を……あれ?
「……いやすごい簡単に抜け出せるじゃん」
お、おかしいなぁ。
「刃君?」
「くかー……くかー……」
……はい。
まあそうだよね。卑怯な私にはそんなオチがお似合いだよね。
「……はぁ」
私、どんどん悪い子になっちゃってるよ。というか、もう自分がよく分からなくなってきちゃったよ。私ほんと、何がしたいんだろ……。
「……恋って、怖いや」
自分でもわけわかんない行動に走っちゃうんだから。
「……よく知るためにも、もう少しこのままでいい?」
なんて。
私は自分の気持ちをもっとハッキリさせるべく、こちらの身体に巻き付く彼の腕を、小さくそっと抱き寄せるのでした。あ、あと五分だけ、許して……?
結局、罪悪感に耐えきれなかった私は彼を起こすことなく、逃げるようにして部屋をそそくさと後にした。
ごめんね、リゼットちゃん。私を信じて頼んでくれたのに。
刀花ちゃんなら、妹なんだから私より上手く起こしてくれるよね、きっと。
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