第212話「え、続ける流れなのこれ?」



 彼は死んでから目覚めるまで、そこそこの時間がかかることが稀にある。


「ジン? まだ寝てるの?」


 ノックもなしに遠慮無く彼の私室を開けながら聞くも、彼からの返事はない。どうやらまだ意識は戻っていないらしい。


「もう……」


 ご主人様である私、リゼット=ブルームフィールドは唇を尖らせながら、彼の眠るベッドに腰かける。

 まったく、ご主人様を待たせて呑気に眠りこけてるなんていい度胸ね。まあ私が殺したんだけど……私は悪くないし。

 眷属には何をしても許される、それがご主人様ってものだもの。そうよねー?


「早く血と紅茶の用意をしてほしいのに……」


 ご主人様の欲する血は、眷属が用意しなければならない。吸血鬼界隈では常識なの。


「む~……起きなさい、こら」


 寝る時には存外に穏やかな顔をする彼の頬を指でつつく。えいえい、可愛いご主人様がお呼びなんですけど?


「くかー……くかー……」


 だけど、彼は変わらず寝息を立てるだけ。今回はかなり眠りが深いらしい。こんなに無防備な姿を晒すのは、彼にしては珍しい。


「……本当に寝てる?」


 そんな彼を少し強めにツンツンしたり、軽く頬を引っ張ってみても起きる気配はまったくない。普段ならそろそろ起きるはずだが、これっぽっちもない。

 

「……ふーん?」


 起きないの?


「ふ、ふぅ~ん……?」


 ……起きないのね? 今。


「……」


 耳を澄まし、そして警戒しつつ部屋を見渡す。抜かりなく布団をめくってみても、あの油断ならない妹の姿も皆無。


 ──二人っきり。現在、この部屋には彼と私のまごうことなき二人っきりなのであった。


「……ゴクリ」


 や、やだ、なんだかドキドキしてきたわ……。

 いえ、違うの。このドキドキはアレよ。喉が渇いたことによる代謝機能に類する身体の反射的なアレであって、決して好きな人の無防備な姿に「今ならやりたい放題じゃない?」とか思っていないのよ?

 私、淑女だから。お嬢様はハレンチにも自分から寝込みを襲ったりなんてしないの。アンダースタン?


「そう、私は喉が渇いてるだけ。それだけなんだから……」


 だから……ちょっと、ね? 吸わせて、ね?


「ドキドキ……」


 恐る恐る彼の着物の合わせ部分に手を伸ばし、はだけさせる。す、少しだけね!

 そうすれば、彼のがっしりとした胸板と、力強く血管の脈動する首もとが私の目前に晒された。


「ドキドキ……!」


 やだぁ、私、男の人の服脱がしてる……! 少し襟元を緩めただけなのに……なんだか、なんだかすごい背徳感だわ!

 私知ってる! これ、スエゼンって言うのよね! 食べなきゃむしろ失礼なやつだって私知ってるんだから! それに日本には夜這い文化もあるって私知ってるんだからね! 私は郷に従ってるだけなんだからね!


「い、いただきまーす……」


 ベッドに手を付き、眠る彼に跨がって覆うような姿勢へと移る。

 マウントポジションの体勢を取り、ゆっくりと彼の首へと顔を近付け──、


「ん……かぷり」


 唇で首をなぞり、大きな血管部分に牙を立てる。


「んっ、ちうちう……」


 プツリと肌の表面が裂ける感触と共に、流れ出る血液を吸い出す。

 そうすれば、吸血鬼の力の源である血……ヒトの生命力が強く宿った芳しい液体が私の喉を潤した。


「ん……んっ、んっ」


 彼の血の味は当たり外れがあるけれど、今日はどうやら当たりらしい。すごく……美味しい。


「んぅ……ん♪」


 私はうっとりと瞳を閉じ、彼の身体にしなだれかかりながら夢中で血を吸う。

 やっぱり吸血鬼は人の首から血を吸ってこそよね。最近まではこんな吸い方は古臭くてダサいと思ってたけど、こうしてやってみるとかなりしっくりくる。伝統には伝統になるそれなりの理由があるのね……。


(それに、彼の熱も感じやすいし……)


 彼の胴に腕を回せば鋼のような筋肉の感触と、ほんのりとした微熱が伝わってくる。

 好きな人の身体にぴったりと密着しながら血を吸う……それだけだというのに、私の心臓は甘く脈打ち、鼓動のたびに彼の血を全身に行き渡らせる。まるで彼を染み込ませていくように。

 もっと、もっと、と……。


「──はっ! あ、あぁ……」


 ふと我に返るも、時既に遅し。

 嘆きの吐息を漏らしつつ、先程まで夢中で吸っていた彼の首に視線をやる。


「……跡、残っちゃった……」


 やってしまった……彼の首に、まるで虫に刺された跡ような赤いポッチが浮き出ている。近くで見れば、唇の形をしていると分かるやつが。


「う……」


 これ、後で絶対にジンにもトーカにもバレるやつ……いや、見られてないから。行為中は見られてないから、しらばっくれればセーフよ。証拠は? ソースもないのに言いがかりつけないでくれる?


「……本当に起きないわね」


 私がわたわたと独りで焦っていても、相変わらず彼は寝息を立てたまま。


「……も、もうちょっといっとく?」


 つい口に出してから、とある部分に視線が釘付けになる。

 彼の……結ばれている唇に。


「……」


 いや、その、ね?

 あるわけなのよ、吸血鬼の女の子にも憧れのシチュエーションっていうのが。

 その一つに、好きな人とキスをしながら、唇から血を吸うっていうのがね? まあ、あるわけなのよ。

 いや、私は別にそんな淫らな行為に興味があるわけじゃないのよ? ただこの前、吸血鬼専用のネット掲示板に、


『最近気分が沈み気味……だけどそんな私にも"吸血鬼に理解のある彼くん"がいて、彼の唇から吸血すればたちまち全てが上手くいって元気に!』


 とか書かれてたわけよ。そしてそれへのレスにも、


『わかる~、超アガルよね~』

『輸血パックより彼の唇を直吸い一択!』

『したことない子とかおりゅ?』


 なんて書かれててちょっと羨まし──いえ、イラっとしたわね。そう、煽られてイラっとしたわ。

 したことのなかった私が悔しくて『品がないわよ』って書き込んだら『嫉妬乙』とか『独り身吸血鬼www血枯れるwww』とか書かれてレスバで負けたし! ふざけんしゃないわよ、ここにおりゅわよ!


「そう、これはプライドの問題なの……!」


 貴族の誇りを傷付けられて黙っていられるほど甘くはないのよ私は。

 手袋を叩きつけられたのなら、すぐさま相手に叩き返す! それが英国貴族のやり方! 私の覇道! 実際にやってみて「ふーん、こんなもの?」って鼻で笑ってやるのよ!


「だから──」


 チャンスは、今のうち……!

 彼とは毎朝毎晩キスしているけれど、その時にするのは普通に触れ合うだけのキスまで。恋人のキスとかに発展するのはかなりテンションが上がった時や、良い雰囲気になった時だけ。

 通常の空気の中で「唇から吸血させて?」なんて、私には恥ずかしくて無理!


「──っ!」


 い、いい? やるからね? 本当にやるからね!? ああ緊張で手が震えちゃう! 暴れないで私の右手!


「ドキドキドキドキ……!」


 まるでいつもジンがするように、私は彼の頬にそっと手を添える。あ、よく見たらジンってまつ毛長いのね……鼻筋も整ってて私の彼氏って世界一かっこい──じゃなくて!


「落ち着いて、落ち着いて……こんなのただキスのついでに吸血するだけなんだから……」


 ……よし、大丈夫。震えは収まったわね。


「……っ」


 そうして私は、ゆっくりと顔を近付けていく。

 一センチ近付くごとに鼓動を早め……頬を真っ赤に染めて。

 そのまま、大好きな彼の唇へと──、


「は……………………はむっ」


 あ。

 あ、あ……!


 ──あ、これダメなやつだわ!


 よくって? 人間には三大欲求というものがありますの。睡眠欲、食欲、性欲ね。

 吸血鬼における吸血は、生命エネルギーの確保を担うことが主で、これは人間で言う食欲に分類されます。

 そしてキスについては言わずもがな。人間も吸血鬼も変わらず、せっ……性欲に分類されます。


「ん、はむ……はむ……ちゅっ」


 彼の唇を自分の唇で優しく食み、牙を突き立てた部分から浮き出る赤い雫に舌を這わせる。

 まるで子犬のような動きなのに、やっているのは彼の唇をペロペロ舐めるという、恋人のキスと同じくらいいやらしい行為。その行為から受ける印象のギャップに、頭がクラクラする。

 つまり今の私は、食欲と性欲を同時に満たしているという状態であり……なんというか、すごく……すごい、です。はい。


「んー……♡」


 自分でも気づかない内に彼の首に腕を絡め、より身体を密着させる。完全に彼の上に身体を預け、もっともっととその唇を求める。

 唇を一舐めするごとに身体が熱くなり、吐息を交換するごとに麻薬のような多幸感を脳内で味わう。

 泉のように涌き出るそれは、容易く私の思考をグズグズに溶かし……ああ、今の私、世界一幸せな女の子だって、胸を張ってそう言えるわ……。

 だから、もっと……ちょうだい……?


「ん、はぁ……好き……しゅき……♡」


 知らず自分の口から好意が言葉として溢れる。そうしないと、幸せで内側から爆発してしまいそう。


「だいすき……ジン、だいすき♡……ちゅっちゅっ♡」


 彼の頭をかき抱き、密着した身体を猫のように擦り付ける。胸も、腰も、足も、全てを彼の身体に絡めて……触れている部分全てが、気持ちいい……、


 ──気持ち、いい……♡


「って、いやいやいや!」


 ガバッと、彼の身体から身を離す。正気に戻りながら。

 あ、あっぶない……こ、これ、私、私は今いったい何を……!?


「だ、ダメ……今の“気持ちいい”は絶対にダメな方の“気持ちいい”だったわ……」


 頬をヒクつかせながら、思わず天を仰ぐ。許しを乞うように。

 ああ、お母様……。

 天国にいるお母様、私は懺悔します。私、穢れてしまいました。私は男の人の寝込みを襲い、その唇をペロペロと舐めて気持ちよくなってしまうHENTAIになってしまいました……なにこれ新種の妖怪?


「しょ、証拠隠滅……! はだけた着物戻して……うわっ、ジンの唇すごいテラテラ……ティッシュティッシュ……!」


 急いで血と私の唾液に塗れた彼の唇を拭き、着物を整える。や、やだもぉ、私の唇もベタベタぁ……。


「よ、よし……!」


 ふう、なんとか誰にも見られずやりおおせたわね! 途中でドアが開いたり、ジンが起きてそのまま攻守逆転したりすると思ったでしょ? おあいにく様ね! 私だってたまには一人勝ちするわよ!


「……さっきより肌艶がいいかも」


 自分の顔にも変なところがないか手鏡でチェックすると、なんだかさっきよりツヤツヤしているような気がする。すごい。唇吸血、すごい。


「かなりエッ──し、刺激的だったわね、ええ」


 ま、まあ? 誇り高きご主人様には少し俗っぽすぎたけれどね? 市井の者にはちょうどいいくらいの触れ合いだったんじゃないかしら?

 そう。彼の唇を……夢中で、舐める、なんて……。


「……」


 もっと、したいな……。


「……はっ」


 思わず見つめてしまっていた彼の唇から、視線を無理矢理に引き剥がす。


「い、いけない……ゲーム。ゲームをしましょう。ゲームでこの熱を放出しないと……」


 でないと大変なことになる。何がかは分からないけど。

 譫言のように呟きながら、覚束ない足取りで彼の部屋を後にする。


「……ん」


 焼きごてのように熱くなった自分の唇を、余韻に浸るようにして指でなぞりながら。


 ああ、結局ジンを起こせなかったわね。

 彼を起こすのは……ええ、アヤメにでも後で頼んでおきましょう。










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綾女ちゃん編に続きます。

おかげさまで二百話&百万字をいつの間にか突破しました。いやいつも応援ありがとうございます!励みになってます!

これからものんびりと、どうぞよろしくお願いします~

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