第204話「このリンゼにお任せ、ですわ!」
なぜか憔悴したリゼットと、彼女の背を撫で苦笑する刀花がいる部屋を辞する。『しばらく放っておいて……』と言われれば、眷属として従わざるを得ん。
よほど先程の贈り物に気持ちを込めてくれたのだなぁ……これからも、より一層尽くさねば!
「む?」
「……」
そうして心機一転し、空のティーセットと余った菓子の載ったカートを押していれば、廊下の先に一人の少女の後ろ姿が見える。
「はぁ……憂鬱ですわ……」
陰鬱な重みに背を丸め、しかし親譲りの豪奢な金髪の二つ結びが、優雅にたなびくその背中。
リンゼ=ブルームフィールド。俺とリゼットとの間に生まれし、彼方と歳を同じくする三女であった。
「はぁ……」
そんな煌めく髪の少女は重く溜息を漏らし、日のあまり差し込まぬ奥まった部屋へと入っていく。
その部屋の名は“書斎”。蔵書にはほぼ英語で書かれた本しかなかったため俺と刀花はあまり利用しないが、リゼットがたまに利用する本まみれの部屋だ。
「……宿題か」
今朝、リンゼは『冬休みの宿題を……』と憂鬱げに言っていたのを思い出す。ほぼ手ぶら状態だった娘達だが先日、懐から宿題を次々と出す彼方を青ざめた顔でリンゼが見つめる一幕があったものだ。
あの部屋には辞書の類いもいくつかある。手持ちの荷物少なくここへ来た娘には必要なのだろう。
「様子を見てみるか」
幸い、菓子も少しは余っている。
リンゼもおやつの時間は過ごしただろうが、『甘い物は別腹』だと俺の可愛い妹も豪語しているからな。少々鬼気迫る目でだったが。
「リンゼ、入るぞ」
『あら、お父様?』
ノックし扉を開ければ、紙媒体のすえた匂いが鼻をくすぐる。少し甘めのラベンダーの香りと共に。
「知恵を絞っているようだな」
「あ、ええ……まったくこのような知識など、いったい何に役立つというのでしょうかっ」
「同感だ」
そんな言葉をプリプリしながら放つリンゼは、背伸びをして棚から分厚い本を抜き取っているところだった。英和辞典のようだ。
「英語か」
「苦手教科の最たるものですわ……」
机に並べられたテキストを前に、静かにソファへと沈むリンゼがペラペラと辞書を捲っていく。
ページを追うごとに難しげに歪む眉間と、鋭く細められた鮮血の瞳はどこかリゼットの面影を感じさせるが……この容姿で英語が苦手というのはなかなかにシュールなものだ。
そんなこちらの物言いたげな視線に気付いたのか、リンゼはその瞳を湿っぽく細めた。
「……お父様が何を考えておられるのか、当ててご覧にいれましょうか」
「分かるか。いや、バカにするつもりはないぞ」
「仕方ないではありませんのっ。ワタクシ、日本生まれの日本育ちなのですからっ!」
ガーと吸血鬼特有の小さな犬歯をチラつかせ、リンゼは吠える。
おそらく、生まれてから何度も言われ続けたことだったのだろう。コンプレックスを刺激してしまったようだ。見た目がほぼ英国人のリンゼは、むむむと頬を膨らませ言葉を並べ立てる。
「ワタクシだってリゼットお母様のように優雅にヨーロッパの風を吹かせたいとは思っておりますけれど! ワタクシ、お紅茶よりも緑茶が好きですし、洋菓子より和菓子の方がお口に合いますことでございますことですわよ!」
「分かった落ち着け、キャラがぶれているぞ」
「このお嬢様キャラも正直疲れるのですわー!」
ほぼヤケクソになりながらピーと泣くリンゼに思わず瞠目する。
おぉ……異国の者同士の子どもは何かしらの業を背負って生まれてくるものなのだな。
「だがその意気やよし」
「なっ、なにがよろしいんですのなにがっ! 授業で拙い音読をさせられる時の恥ずかしさや、駅前で外国人に道を聞かれワタクシが喋れないのが分かると『あっふーん……』とおかしそうに察せられてしまう時の気まずさたるや!」
「だがお前はそれで腐ってはいない。そうであろう?」
「――っ」
ポムっとその小さな頭に手を乗せれば、リンゼの息巻いていた気勢がしぼんでいく。
そうとも。腐らず、悔しがれる内はまだまだ伸び代がある。よい気概だぞ。
「よいか、リンゼ。覇者とは傲慢であると同時に、勤勉でなければならぬ。“現状維持”などという言葉を使う者もいるが、そんなものはな……務めを怠ろうとする愚か者の戯れ言よ」
「務め……ですの?」
疑問を浮かべる娘の頭を、そのままわしゃわしゃと無遠慮に撫でつける。
「人の技術は日進月歩、そして人の老いは留まることを知らぬ。世界は常に進んでおり、人は同時に朽ちていくのだ。なればこそ、人はその中で何を成せるのかを常に探さねばならん」
循環する世界の中で、現状維持など最初からあり得んのだ。
――歩み続けること、それこそがこの世界に生きる者の定めであり、最低限の義務であると心得よ。
「その営みの中では挫折する者もいる、心折れて腐る者もいる。それらは総じて“負け犬”と呼ばれる者達だ。だが、お前はどうだ?」
「っ! わ、ワタクシは違いますわ! ワタクシ、チヨメお姉様にもカナタにも負けない立派な淑女に――!」
「素晴らしい、さすがは俺の娘だ。俺はお前という娘を持てたことを誇りに思うぞ。きっとお前達の枝葉の俺も、そう思っているに違いない」
「あ……え、えへへ……♪」
そのツインテールが揺れるほど頭をかき回せば、少女の鋭く細められた瞳が緩んでいく。うむうむ。
「道に迷えど歩みは止めるな、我が娘よ。その覇道に迷う数だけ、磨き上げられる物もまたあると信じてな」
「はい!」
いい顔だ。やはり俺とリゼットの娘には、自信たっぷりな顔つきがよく似合う。
意思の力が煌めくその相貌に満足していれば、リンゼは少し意地悪げにこちらを見上げた。
「……ところでお父様も、お勉強のほどは?」
「ふ、猿知恵などこの無双の戦鬼には必要ないのでな。それと先程老いは留まらぬと言ったが、俺はいずれ寿命をも斬り、不老不死を手に入れる予定だ」
「えぇ……この見事なダブルスタンダード、お父様ですわぁー……」
「違うな、分野が異なるのだ。俺は決して歩みを止めることなく、人間共をどのようにこの世から鏖殺し、少女達を幸せにできるかを常に考え続けている。これが俺の覇道であるがゆえに」
「その歩み止まってくださいな」
「まあリンゼも存分に迷え。在り方も武器も、己の手で見つけねば意味が無いのだからな。その齢の頃など、誰でも迷うというもの。刀花もそうであった」
「……トーカお母様も、迷ってたんですの?」
「もちろんだ」
これでも小学生から高校生になるまで、一人の少女を育て上げたのだ。その変遷も見届けている。
頷いていれば、リンゼは興味深そうな光をその瞳に宿した。
「中学生のトーカお母様は、どんな感じだったんですの?」
「そうだな……」
言いながらリンゼの隣に座り、顎に手を当てた。
「この兄のことが大好きなのは今と変わらんが、なにせ俺はこんな存在だ。“無双の戦鬼”に見合うような女性になるのだと、空回りしていたことも多々あったものだ」
「へぇ~……あのいつでも笑顔なトーカお母様が……」
意外そうな表情を浮かべるリンゼに肩を竦めながら、昔日を思い出す。
必要以上に難しい言葉を並べ立てたり、それこそ今のリンゼのように“お淑やかお嬢様路線”を攻めたこともあった。
「リンゼは母になった刀花しか見ておらんかったかもしれんが、あの妹とて存分に迷った。それも、甘えられる存在が兄しかおらぬような環境の中でだ。今のように天真爛漫に育ってくれたのは、ほぼ奇跡と言えよう」
俺はあの妹を誇りに思う。
学園では友人と家族の話をする機会もあっただろう。“普通”とは違う己の境遇に苦悩する夜もあっただろう。
仕事ばかりで家を空ける兄を笑顔で見送り、独りぽつんと部屋で過ごす少女は……しかし、しっかりとその身を研ぎ澄ましていったのだ。
「強さとは環境に依るところも大きいが、生来に依るところもまた大きい。あの子は、強い少女だった。迷いつつも、その道中で得た物を取捨選択して己の糧としていった」
そうして時間をかけて、大輪の花を咲かせていったのだ。
「リンゼ、焦るのはよい。だが己の無力ゆえに、挑戦することを恐れてはならんぞ。必要以上の恐れは足を竦ませ、歩みを停滞させる。その身を打たれたのならば更に硬く、削ぎ落とされたのならば更に鋭く在り方を変えてゆくのだ」
それこそが、この世を生きるヒトの営み――
「それが“成長”というものだ。その間は、存分にこの父や母に甘えるがいい。いくらでも守ってやる。そうした営みの中で親もまた、自覚を得て親として成長していくのだからな」
「お父様……はい、お慕いしておりますわ」
その言葉通りに、リンゼは年相応の笑顔を見せて控えめにこちらの腕に寄り添った。
(なるほどな……)
偉そうに語りはしたが、俺にはまだ親としての自覚など無い。話しながら“こう”と思っただけに過ぎん。
だが、この柔らかく、愛おしく、しかしずっしりと重いこの期待は……裏切りたくはないものだ。
(これが親としての一歩、ということか)
おそらく娘達が生まれ、その小さな身体を初めて腕に抱いた時……別の俺もきっと、同じ事を思ったに違いない。
愛しい存在に頼られ、決して恥ずべき者にはなるまい、とな。
そう思い至れば、臓腑の奥から笑いがこみ上げてきた。
「ク、ククク……殺戮兵器として完成し生まれた俺がこのような……ハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
「お父様、怖い怖い」
冷や汗を流すリンゼだが、これは笑ってしまうというものだ。
殺すしか能のない者が守るだけでなく、さらには生かし育むなどと。それはこの戦鬼の在り方も不安定になるというものだろう!
「だが、“子宝”とはよく言ったものだ。とてもいい宝であるらしい」
「わぷ……お、お父様、恥ずかしいですわ……」
抱き寄せれば、リンゼは恥ずかしそうに身動ぎする。
「わ、ワタクシ、もうこんなふうに甘える歳ではございませんわっ。一人前のレディですの!」
天邪鬼な口は母親譲りか。
この時代に来たのは、父に甘えるためと言っていたではないか。
だが、今は強がって言うこの言葉もいつしか、余裕と共に紡がれる日が来るのだろう。それがきっと、親離れの合図なのかもしれん。
「ふぅむ、同じ娘でこうも違うものか……」
「え?」
早く一人前になりたいリンゼと、自立しているようで父にべったりな彼方。
血を分けた二人の様を思い、漏れてしまった声をリンゼが拾う。
「どうかしたんですの?」
「ああ、なに。彼方も少しは親離れした方がよいのではないかと思ってな」
「あー……」
生まれた時から一緒であるがゆえか、リンゼにはお見通しのようで遠い目をして頷かれた。
「まあカナタも悪いのですけど、お父様も大概といいますか……あれは教育の賜物といいますか」
「うぅむ……」
甘やかせば甘やかすだけ良いというものではないのだな……。
「正直今更な感じですけれど……」
「だが、それが続くと我が身がな」
「え? なにか?」
ああ、この時代に来たのは甘えるためだけでなく、彼女らの時代で同じ症状に陥った俺の原因を探るためとも言っていたな。
「いや、実は――……」
先程判明した事実を、リンゼに聞かせた。我が奉仕を奪われてしまえば、我が身はもはや置物同然の状態になるのだと。
話を聞き終えたリンゼは、俺がするように「ふむ」と顎に手を当てた。
「なるほど、そういうカラクリでしたのね」
「どうもそうらしい。我が身ながら情けないことだ」
俺の言葉で彼方を傷付けるくらいならば、いっそ我が身を己で斬り刻み、自己改造でもしてやろうか……そう思っていれば、
「ふ……どうやら、ここはワタクシの出番のようですわね」
「ほう……?」
頼もしい言葉に顔を上げれば、リンゼが得意げに笑って胸をポンと叩いている。
「小難しいことなら分かりませんが、原因がハッキリしているのでしたら迷うことなどありませんわ」
金髪ツインテールを手で払い、少女は頬に手を当て尊大に笑う。
「おーっほっほっほ、余こそは! 天魔より産み落とされし絶世の美姫、リンゼ=ブルームフィールドですわ! ここまで育まれし大恩、返さぬほど恥知らずではございません!」
「おお」
立ち上がる拍子に揺れた黒いドレスは、まるで黒い翼のよう。
金と黒。月と夜が踊るような娘の姿は、こちらの胸に期待を抱かせるのに充分であった。
「お任せくださいまし、お父様! このリンゼ=ブルームフィールド、見事辣腕を振るってご覧に入れますわ!」
「うむ、確かに共に過ごした年数を考えれば適役かもしれん。ここはリンゼに任せるとしよう」
「ふ、ふふふ……おーっほっほっほ!」
父に頼られたことが嬉しいのか、リンゼはこそばゆげにしながら腰に手を当て高笑いを続ける。
「期待していてくださいまし、お父様!」
「うむ」
自信たっぷりな態度を頼もしく思いながら、俺はこの問題を三女に任せることにするのだった。
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