第202話「チートも善し悪しってことね」
とはいえ、日常の業務をこなすのにいつまでも途方に暮れているわけにはいかん。
――コンコン。
「マスター、茶と菓子を用意したぞ」
「……」
ノックと共に我が主の居室へと声をかけるが、返事は無し。
おそらく、ヘッドホンをしてゲームに熱中しているのだろう。休日の彼女にはよくあることだ。
――現在、風呂掃除を終え、おやつの時間である十五時ちょうど。
この屋敷では朝昼夕の食事を談話室か食堂で食べることが常だが、こういった間食はその日によって食べる場所がまちまちだ。
そして本日のお嬢様は己の居室で食べることをご所望だったために、こうして俺がティーセットと菓子の乗ったカートを押して来たというわけだ。
「入るぞ」
一応の礼儀として一言断り、ドアを開ける。そこには……、
「むー……これ絶対チートでしょ。こんなドラ〇ンボ〇ルみたいな挙動できるゲームじゃないわ。運営はさっさとBANしなさいよね~……」
フワフワのカーペットにうつ伏せとなり、随分とリラックスした様子の我が主がボフッと顔をクッションに沈めているところだった。
ブツブツと文句を言う割には、今日の彼女の背中には珍しく、黒いちっちゃな翼がピコピコと揺れている。
吸血鬼の証たるコウモリのような翼が背から出ているのは、彼女が完全にプライベートにのめり込んでいることを意味する。どうやら休日を存分に満喫しているようだ。
「チートは切断っと」
軽い調子で言ってリゼットがコントローラーに指を滑らせれば、なにやら一頭身ほどの大きさをした色取りどりのキャラクター達がわんさかとひしめく画面が消えてしまった。あっけないものだ。
それにしても……、
「知っているぞ、“ちーと”とは褒め言葉ではないのか?」
「わっ、ビックリした」
ピクンッと黒い翼が彼女の驚きを示すように跳ねれば、彼女は唇を尖らせてこちらへ顔を向けた。
「ちょっと、いきなり声かけるのやめなさいよね」
「声はいつでもいきなりだろう。それとも、先に身体でも触ればよかったか?」
「も、もっとダメでしょ。ご主人様の身体に許可無く触れようとするなんて、この変態。えいえいっ」
「足癖の悪いお嬢様だ」
俺の返答が気に入らなかったのか、我が麗しのお嬢様は横たわったままゲシゲシとこちらの足を蹴ってくる。
その度に黒ストッキングに覆われた細っこいあんよが、丈の長いスカートの裾からチラチラと覗く。なかなかにいい景色だ。
『では、次からは声ではなく思念で呼びかけることにしよう』
「うっ、この眷属脳内に直接……!」
カップに琥珀色の滝を下ろしながら思念をたたき込めば、彼女は違和を感じたように頭を押さえる。
そしてその背中の黒い翼はピーンと伸びており、彼女の心情を細かに表現するようで見ていて飽きない。彼女の翼は、その唇より反応豊かな時がある。可愛らしい翼だ。
「はぁ……あなたも大概チートだったわね……」
「褒め言葉、ありがたく受け取っておく」
「褒めてないわよ……」
「む? 刀花がよく嬉しそうに俺をそう評価するが、褒めていなかったのか?」
言いながらカップと茶菓子をテーブルに置き、最後に寝っ転がったままのリゼットの両脇に手を入れヒョイッと持ち上げる。軽い。
そうして力なくブラーンとされるがままの彼女は、クレーンゲームの景品のように俺に運ばれ、見事チョコンと彼女専用の椅子へ小綺麗に収まった。
「……可愛い」
「い、いきなりなによ……」
つい漏れてしまった感想に、リゼットはモニョモニョと口を動かし、落ち着きなさそうに自慢の金髪を撫でつけた。そんな仕草もまた可憐に映る。
だが彼女は気付いていないのだろう、その背中の翼が嬉しそうにピコピコと踊っているのを。まったく、俺のマスターは最高に可愛らしいことこの上ないな。
「こ、コホン」
頬の赤みを誤魔化すためか、彼女は一つ咳払いをして指を立てる。
「いい? 覚えておきなさいジン。“チート”っていうのは現代においては“ズルい”って意味合いで使われることが多いのよ」
「俺はズルかったのか」
「そりゃそうでしょうよ。まぁ、“ズルいと思えるほど高性能”って意味もあるけどね」
「なんだ、やはり褒め言葉ではないか?」
「ふんだ」
俺が腕を組んで言えば、リゼットはカップのハンドルを指で摘まみつつ鼻を鳴らした。憤懣やるかたないと言わんがごとく。
「私は許さないわよ。勝って当たり前なチート使って何が楽しいってのよ。ゲームに対する冒涜よ冒涜」
コクンと小さな喉を鳴らして優雅に紅茶をお飲みあそばされるお嬢様は、唇が湿って調子が出たのかブチブチと文句をお垂れになられている。
「あんなのはねぇ、正々堂々と勝負することから逃げた負け犬の所業なの。なぁにがチートよ、ズルしてるくせにこっちを見下してくれちゃって」
……なぜだろう、聞いていて耳と心が痛いのは。
しかしこちらの様子には気付かず、リゼットは不満をぶつけるかのごとく力強くクッキーを割り、ムシャムシャしている。
「いい? あんなので勝負の場に立ってる時点でその人の負けなの。試合には勝ってるけど、勝負では常に負け続けてることに気付けない哀れな道化なの」
グサッ!
「まったく、見苦しいったらないわね。他人を蔑むことでしか自分をアピールできない人って。なんて言うの? 人として底が浅いっていうか」
グサグサッ!
「本人は気持ちいいのでしょうけど、冷静になったら周りから失笑されてるって気付けないのかしらね? 楽しく遊んでるこっちはホントいい迷惑よ。いい機会だからここに宣言するわ。このリゼット=ブルームフィールド、貴族の誇りにかけて害悪チートなんて絶対に許さな――」
「どうしてそんなことを言うのだ……」
「へっ? うえぇえぇ!?」
ポロリ……。
「な、なんであなたが泣くのっ!?」
リゼットの言葉を聞いていると、なぜか涙が流れていた。そんな俺を見て、リゼットはわたわたと慌てている。
「俺の存在の根幹を否定された気がした……」
「い、いやっ、ゲームの話だから! ね!?」
「俺はマスターの害悪だったのだ……」
「やっ、ほら、良いチートと悪いチートがあるから! 自己満足のためだけなのは悪いチートだけど、他人を楽しませるための改造とかは良いチートなのよ! MODとかね! あなたは私のためにそれを使うでしょ!? ねっ、良いチートじゃない!」
「――俺のことを愛していると言ってくれ」
「うわ、めんどくさいメンヘラみたいなこと言い出したわこの子」
「やはり俺は不要なのだな……」
「そ、そうじゃな――あー、もう!」
ガクリと膝を折っていれば、ふわりとラベンダーの香りが鼻をかすめる。
リゼットがこちらへと屈み、わしゃわしゃと俺の髪を撫でてくれていた。
「べ、別に……あなたに力が無くても私の眷属にしてたわよ。儀式を施したのだって最初はそのまま死んじゃいそうな人間だって思ったからで、力が目当てってわけじゃなかったもの」
「ま、マスター……!」
「だから、その……ね?」
悲哀の涙から感激の涙を流していると、彼女はモジモジと恥ずかしげに太股を擦り合わせる。
「あなたに力が無かったとしても……その、私は……結局あなたのこと、す、好っ――うぅ……そんなじっとこっち見ないでよ、おバカ……」
焦らすのが上手い女の子だ。もはや待ちきれぬ。
「『私はジンのことが大好ぅ……?』」
「きぃ♡……ってほとんどあなたが言ってどうするのよ。振り絞ろうとしてた乙女の純情よ」
「俺も大好きだマスタぁー!!」
「ひゃあ!? ちょ、結局こうなるんじゃないのー!」
我慢できずガバッとその華奢な身体を抱き締めれば、彼女はムスッとしつつもこちらに腕を回してくれる。控えめな力加減がとても愛らしい。
ああ、俺は存在を許されたのだ――!
「もぉ……あなたちょっと今日情緒不安定じゃない? もしかして何かあった?」
「聡いな、マスター。実は、風呂場で少しな」
「うん?」
元気を貰った俺は彼女を再び椅子にチョコンと戻し、紅茶のおかわりを注ぐ。
そうしながら身体の異音を加速させた要因と、子育ての難しさについて打ち明けた。
「……なるほどね、カナタの奉仕が原因だったの。それが無ければ少なくとも今の時代に刀形態から戻れなくなる、みたいなことも起きなかったってことね」
「その通りだ、マスター」
「……ふぅん」
話を聞いたリゼットはなにやら不満そうに息をつく。ああ――、
「それのおかげでマスターと子作りできなかったものな。確かに、それは不満か」
「ぶーーー!?」
お嬢様、紅茶を吹き出す。ばっちいのだ。
「おっ、おバカ! 別に思ってないわよそんなこと!」
「俺は思ったぞ。あの夜のマスターは、恐ろしいほどに魅力的で美しかった。この戦鬼ですら恐れおののくほどにな。窓辺の雪景色より、聖夜に輝く月より、マスターはあの夜に一番煌めいていた。ああ、あの夜にこそ、俺はマスターを食べてしまいたかった」
「あ、あぅ……な、なんでもストレートに言ってればいいと思ってるでしょ……ホントおバカなんだから……」
憎まれ口を叩きつつも、翼は嬉しそうだぞ。
「とはいえ、それも過ぎたこと。次の機会を虎視眈々と待つだけだが、再発の芽はできる限り摘んでおきたいと思ったわけだ」
「こ、コホン。それで、カナタに一言物申そうとしたのね。まあ失敗したみたいだけど」
「くっ……」
リゼットの呆れたような視線が痛い。仕方なかろう!
「彼方が可愛すぎるのが悪い」
「あなたってめんどくさそうな父親になりそうとは思ってたけど、ここまで親馬鹿になるとはね……」
「娘だぞ? それも我が最愛の妹との間にできた護るべき女の子だぞ。傷付ける可能性のある言葉など、投げかけられるものかっ」
「将来PTAとか教育委員会にクレームの電話しまくるのやめてよ?」
「前向きに検討しよう」
「しないやつだわ……あーよかった。リンゼが一番まともだって分かって。さすがは私の娘ね?」
「そうだな。容姿もマスターに似て可憐であるし」
「あら。ふふ……うんうんそうね♪」
「オツムはどうやら俺に似たせいか弱いのが不安だが」
「あら、そこも愛嬌じゃないの。二人の愛の結晶って感じで♪」
「あとマスターに似て変なところで素直じゃないところも少し不安だな」
「は? あんですって?」
そういうところだぞ。
「私のどこが素直じゃないってのよ。こんなに眷属に優しい美少女吸血鬼なんてその辺に転がってないわよ失礼しちゃうわね」
バサバサと翼が荒ぶり、その紅の瞳がキッと細められる。
「貶したわけではない」
「そう聞こえたのよ、ご主人様の可愛いお耳がね。はいはい悪かったわね素直じゃなくってぇー」
「いや、不安というのはそういうことではない」
ぶー垂れる我が主だが、少々誤解があるようだ。
「不安というのはな……そういった強気な態度の奥に本心を隠している、その可憐な姿を余人に見られる事への不安だ」
「へ?」
「そんな魅力的な姿を見られることがあれば、そこらにいる男などそれだけでイチコロだろうよ。この無双の戦鬼でさえ、一目で惚れてしまうくらいなのだからな。まったく罪な女の子だ」
「あ、そ、そういう……?」
「当たり前だろう、他に何があるというのだ。我がマスターに欠点などなく、その全てが我が瞳を束縛する。目を離せんし、離したくもない」
「ふ、ふーん……そ?」
興味なさげに呟き紅茶のカップを傾けるが、手は震えているし口許は緩んでいる。やはりその素直じゃなさは、俺にとって凶器に等しい。
「……で、でも、そこまで言われちゃうのもなんだか釈然としないわね」
「と言うと?」
「わ、私だって、たまには素直になる時もあるってことよ。あなたなんてイチコロなんだからね。私が普段手加減してあげてるってことが身に染みて分かるでしょうよ」
「ほう?」
眉を上げ、試すように彼女へ視線を注ぐ。
「う……」
先程はこちらが導かねば好意を口にできなかった初心な乙女だが、さて彼女が見せてくれるその素直さとは……?
「うぅ……」
視線はキョロキョロと忙しなく、そしてその細い指はクルクルと自慢の金髪を巻き付けるようにして動いている。
果たしてどう攻めてくれるのか。やはり言葉だろうか? 俺も前振りとして言葉を重ねることが多いからな。だが照れ屋な彼女にそれができるかどうか……。
「……」
「む?」
しかし、どのような言葉を紡がれてもいいよう身構えてはいたが……、
「――ん♡」
「――っ!」
頬をバラ色に染め、無言で瞳を閉じて顎を上げるその仕草には……。
万の言葉をもってしてもこの無双の戦鬼、太刀打ちできそうにない。
「ん、ちゅっ……はぁ……ど、どうよ?」
甘い吐息を漏らしつつも、ふんぞり返る可憐な姿にクラクラする。もちろん、俺は両手を挙げた。
「負けた。完膚なきまでに」
「ふ、ふふん。やっぱりチートは王道に負ける定めなのよ」
ぐうの音も出ない。
真っ赤な顔でカップを傾ける少女に、俺は見事にやられていた。
「ま、子育ても同じよ。子育てにズルもチートもないんだから、手を取り合って地道に解決していきましょ? 家族なんだから、ね?」
そこで言葉を句切り、彼女は上目遣いでこちらをチラリと見て……、
「あ……“あなた”」
ぽそっと、小さく付け加えた。
「っ! リズ!」
「きゃあ! ちょっ、紅茶零れるー!!」
いつもとは違う響きの“あなた”に、俺は感謝と愛情をもって彼女を抱き締める。
「ありがとう、我が主。とても元気が出た」
「ふ、ふん。眷属の体調管理もご主人様の務めだから、当然のことをしたまでよ」
顔を逸らしてゴニョゴニョ言う彼女は、やはり素直ではない。
だがその翼は、照れくさそうにピコピコと小さく揺れているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます