第201話「子離れも必要みたいだね……」

  



「ふんふふーん、お部屋の乱れは心の乱れ~♪」

「ゴシゴシ……」


 さて、状況を整理しよう。

 ここ、ブルームフィールド邸の大浴場にて掃除を行うは、我が身に対する影響を持ち得し二人の少女。


「お風呂の汚れは心の汚れ~♪」


 まず、先程からルンルンな様子で歌いながら壁タイルを歯ブラシで磨く薄野綾女。彼女もまた愛娘らがいた枝葉とは異なる立場にいる一人である。

 それはつまり、この時代に鳴るはずのない我が身体の異音の発生を促した存在である可能性を秘めているということ。


 だが……彼女は白だ。


(うむ)


 俺の在り方に言及した問題で身体の異音が鳴るならば、仮にも"主人"と定めた彼女にメイド服を着せた時点で異音が鳴らねばおかしい。

 主人に奉仕される道具などいない。無双の戦鬼とは、常に奉仕する側であらねばならんのだ。


(しかしこれで鳴らぬのならば――)


「ゴシゴシ……」


 もう一方の、黙々とブラシで床を擦る少女を見る。

 酒上彼方……言うまでもなく、我が最愛の妹・酒上刀花と俺の間にできた目に入れても痛くない愛娘の一人である。

 彼女もまたメイド服に身を包み、家事に勤しむ者。やっていることは綾女と変わらぬはず。

 しかし――


 ――ギ、ギギギ……。


「……」


 鳴る。

 自分でも意識できぬ深奥で『お前の機能はそうではないだろう』と告げられている。


(やはり、この現象を加速させたのは……)


 彼方の奉仕、それに相違あるまい。

 恐らく、あちらの枝葉の俺も同様の理由で異音が鳴っているのだろう。


(子どものお手伝い程度の意識であれば、こんなことにはならなかったはずだ)


 実際、リゼットや刀花や綾女と共に作業をすることには何の障害も感じない。彼女達のそれは、戦鬼の在り方を大きく損ねるほどではないということなのだろう。

 だが彼方の奉仕は、その程度に留まらぬということだ。


(彼方の奉仕の目的は、父である俺と共にいる時間を増やすことにある)


 リンゼは言っていた。『カナタはお父様ガチ勢である』と。そしてそれが明らかになった時、彼方は俺に先んじてリゼットや刀花に奉仕をしていた。父との時間を作るために。

 俺の、代わりに。


(ここだな……)


 つまり言い換えてしまえば、彼方のしていることは"戦鬼のすべき仕事を完全に奪っている"ということになる。

 そうすれば父は自分だけを褒めてくれる。自分だけに構ってくれると、そう信じて。


(……むぅ)


 だが、それでは俺が立ち行かないことが明らかになってしまった。仕事を奪われた下僕など置物以下なのだ。

 だからこそ、俺が今果たさねばならぬ使命は自ずと知れる――


(娘の――親離れを促す!!)


 簡単に言えばそういうことだった。

 通常、中学生の女の子がどれ程の距離感で親に相対するのかは知らんが、そろそろ弁えた方がよいと告げるのだ。


(……)


 ……できるのか?


「よいしょ、よいしょ……むふー、ピカピカ」


 親譲りの濡れ羽色のサイドテールを揺らし、表情に乏しい顔の中にも満足そうな色を浮かべる、甲斐甲斐しく親の仕事を手伝う可愛い娘に。


 ――お前の奉仕は不要だと、突き放すことが。


(……これが、子育てということか)


 甘やかすだけでは立ち行かぬ。

 時には厳しく、愛する存在の道を正すこともまた必要であるというわけだ。


(くっ……!)


 恨むぞ、別の世界の俺よ。これは貴様の仕事であろうに!

 いや、父として長く居たがゆえに言い出す機会を逃し続けたのだろう。容易に想像できる。数日過ごしただけの俺ですらこうなのだからな! 大事な娘を傷付けたくないのだ!

 もし、だ。もし俺の言葉が原因でこの愛娘が……生まれたての子猫よりも繊細でいずれの美術品よりも美麗でどのような生物よりも愛くるしいこの愛娘が傷付き、あまつさえ泣くようなことになれば……!


(無理だ……)


 俺は生きていけん。

 ただでさえ中学生など多感な時期。あの刀花ですら難しいと思えた時期だ。勢いのまま『おとーさんなんて嫌い!』などと言われた日には、俺はきっと死を選ぶだろう。

 ああ、気分が重い……。


「お部屋もピカピカ、心もピカピカ~♪」

「……」


 現実逃避と分かっているが、綾女を見て癒されよう。

 彼女は今、壁タイルの汚れを掃除用に用意した歯ブラシで磨いているのだが……その装いが素晴らしいのだ。

 先刻と変わらずメイド服ではある。しかし風呂場の掃除は水を使うため、彼女はちょっとした工夫をメイド服に施している。


「ふんふふーん♪」


 足だ。

 風呂場の明るい照明が照らすのは、彼女の剥き出しになった素足であった。

 そう、綾女の纏うメイド服は丈が長い。これでは掃除中に裾が濡れてしまう恐れがあったため、彼女はスカートの裾を折り畳みクリップで留めている。

 そのおかげで彼女は今、その脚線美をこれでもかと晒しつつ掃除に励んでいるのだった。


「美しい」

「ん? どーしたの刃君?」


 壁を磨くため前屈みになりながら、綾女はチラリと頭だけをこちらに向ける。

 その体勢もいい。可愛らしい丸みのあるお尻がこちらに突き出されフリフリと揺れる様は、まるで揺り篭が揺れるかのごとき安心感すら与えてくれる。


「じ……」

「う、うん……?」


 キョトンと首を傾げる綾女の足に視線を注ぐ。やはり足がいい。

 ウエイトレスという立ち仕事の影響か体幹は整っており、程よく筋肉もついている。しっかりと地に足を着けスラリと伸びるその足は、まさに働き者の足と言えよう。

 普段の仕事着がロング丈だからか日焼けもしておらず、肌の色は白く瑞々しい。壁を洗い流す時に付着した水滴は留まるところを知らずその足を流れていくほどに張りもある。水も滴る、というやつだ。


「……」

「じ、刃くーん? シャワーヘッド見つめてどうしたのー?」


 乙女と水は、なぜこうも親和性が高いのか。

 少し汗ばんだ肌にそのカフェオレ色の髪が幾筋か張り付く様も、仄かに濡れた足先も、どこか俺の目には艶めいて見える。


「もしもーし?」


 ……さすがに今シャワーを浴びせたら、綾女は怒るであろうか。

 これがリゼットや刀花であればなんやかんやと楽しく水遊びをし、その後詫びとして共に入浴して髪や背中を優しく洗うところだが……綾女がそれを許すとは思えん。

 ああ、だが見てみたい。しっとりと濡れた髪、水を弾く肌、豊満な胸や細っこい足に張り付くメイド服。それを恥じらう乙女の相貌。

 まさしくそれは煌めく宝玉に等しい輝きを、この戦鬼へもたらしてくれ――


「真剣な顔で、考え事かな?」

「ああ、子育てについて頭を悩ませていてな」

「おお、なんだか難しそう。だけど立派な悩みだね、偉い!」


 ふ、嘘も方便というやつだ。

 だが、悩んでいるのもまた事実。ここは我が交友関係にて唯一の、一般家庭出身である綾女に知恵を借りるとしようか。


「実はかくかくしかじかでな」

「ほんとに"かくかくしかじか"じゃさすがに分かんな――うっ、頭になんだか存在しない記憶が!」


 なめるな、俺は妖刀だぞ。手に取った者の思考を制御するなど造作もない。

 握った手から綾女に情報を流し込めば、彼女は戸惑いつつも問題を理解したのか顎に手を当てて唸った。


「むむむ……これは確かに難しい問題だね。あと刃君」

「なんだ?」

「……私の足見てなに考えてるのさ」

「おっと」


 唇を尖らせ、じっとりとした視線を向けられてしまった。余計な思考まで流し込んでしまったか。


「も、もぉ……鬼さんのえっち。当然だけど一緒にお風呂には入らないからね?」

「残念だ」


 羞恥に頬を染めてスカートの丈を気にする綾女に、両手を挙げて降参の姿勢をとる。

 バレてしまっては悪戯の趣も半減してしまう。彼女に水を浴びせるのはまたの機会にしよう。だがその表情はとてもいい。


「こ、コホン」


 綾女はわざとらしく咳をして、場を仕切り直す。頬の赤みはそのままだが。

 だが、その瞳には誠実な色が灯っていた。


「でも、私はどんなことでも言うべきだと思うよ。家族なんだから……ううん。家族だからこそ、言うべきことはきっとあるんじゃないかな」

「……ほう」


 かつて一人で無茶をしようとし、闇に堕ちる寸前だった者の言葉だ。あの一件は、両親から酷く叱られたと後に聞いたからな。子を想う涙と共に。


「厳しさは人を傷付けるかもしれないし、それでケンカになることもあるかもしれない。だけど許し合えることもね、家族の証だと思うよ」

「許し合う……か」

「うん! 私だってパパ――コホン、お父さんやお母さんとケンカしたことくらいあるよ? でもその度に許して、許されて、一緒に頑張ってきたの」


 綾女は胸に手を置き語る。己の歩んできた家族の道を。

 無条件で信頼し、愛し、許し、助け合うその関係性を。


「楽しいことも苦しいことも共有して、最後には一緒に笑い合う。それが……"家族"だと、私は思うな」

「……なるほどな」


 ――いい、宝だ。

 俺もいつか、手に入れられるだろうか。


「いや――」

「刃君?」


 いつか、ではない。

 手に入れてみせよう。今、ここで。


「感謝する、さすがは綾女だ。おかげで決心がついた」

「そ、そう? あはは、なんだか恥ずかしいなぁ」


 少々熱の入った言葉が恥ずかしかったのか、綾女は頬をかきテレテレと笑う。


「恥じることはない、美しい宝だ。きっと綾女と共に育んでいけることだろう」

「ふふ、そうだといいね……うん? あれ?」


 言葉の裏を上手く読めなかったのだろうが、その返事は戦鬼と未来を共に歩むことの言質と捉えていいのか?


「……あっ!? いや、そのっ……そ、そういう可能性も、なきにしもあらずと申しますか……」


 自分の言ったことに気付いたのか、綾女は赤くなった頬を隠すように俯いてボソボソと呟く。

 ああ、俺も楽しみにしているとも。だが今は――


「彼方、話がある」

「はい」


 指をちょんちょんとつつき合わせる綾女から身を離し、ブラシをかける愛娘に声をかければ一も二もなくすぐさま返事が来る。


「なに、旦那様」


 テテテ、とこちらへ小走りに歩み寄りその端正な顔をコトリと傾げる。

 だが許せ、我が愛娘よ。これも一つの家族の在り方なのだ……!


「ああ。お前の仕事のやり方についてだが」

「はい、ご覧になってください。床だけでなく、桶も鏡もピカピカ」

「う、うむ……」


 うっ。

 彼方の亡羊としたような黒い瞳の奥に、期待の光が見える。『褒めて褒めて』と、内心を示すようにサイドテールもブンブンと揺れているように感じる。

 いや、いかん。言うのだ! 心を鬼にして!


「だ、だが、そうだな。あまり気合いを入れてやられると、この父の役割がだな」

「大丈夫。その分、可愛い愛娘を愛してくれれば」

「いや、それもやぶさかではないのだがな……それであると眷属にして所有物である我が身のためにならぬと申すか……」

「…………もしかして………めい………わく……?」


 じわぁ……。


「むっ!?」


 いや――!


「そ、そんなことはないぞ彼方よ! さすがはこの戦鬼の血を継ぐ愛娘といえる! その働き、まさに天晴れである!」

「……ぐす、よかった。"いらない"って、言われるのかと」

「そんなこと言うものか! 来い、愛娘よ!」

「おとーさん!」


 ひしっ!


「…………刃君」


 ……そんな目で見ないでくれ我が友よ。

 いや、これは無理だ。思い描く図絵と実際では実感が違いすぎる。


「むふー、すりすり」

「うぅむ……」


 可愛い愛娘の瞳に涙が浮かんだ瞬間、身体が拒否反応を起こすほどだ。これはいかんぞ。


(なるほど、子育てとは……この無双の戦鬼をもってしても困難なものであるようだ)


 俺はそう思い知り、甘えるようにこちらの胸に鼻を埋める彼方の髪を撫でて途方に暮れるのだった。

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