第200話「刃君がバグった……」



「旦那様。綾女奥様の着付け、完了しました」


 そんな彼方の声と、屋敷の玄関が開く音に振り向けば――


「え、えへへ……どう、刃君? 似合うかなぁ?」

「――」


 照れ臭そうに頬をポリポリとかきながら、我が友はこちらに感想を求めてくる。

 何の感想か? そんなものは決まっている。


「おお……」

 

 品のいい濃紺のワンピースに、フリルをたっぷりとあしらったスカートが動く度に可憐に揺れる様は、冬だというのに春の風を頬に受けたかと錯覚するほど愛らしい。

 清楚な白いエプロンも彼女の柔らかい雰囲気に合致しており、肩口をくすぐるカフェオレ色の髪の上には可愛らしいホワイトブリムがちょこんと乗り、小柄な彼女の愛らしさを格別に引き立てている。


「いやー、やっぱりコスプレ用のメイド服とかとは素材からして違うんだね」

「はい。使用人の身なりは、それ即ち主人の威光をも左右します。使用人がみすぼらしい格好をしていたら、主人の品格が疑われるというもの」

「なるほどぉ……」


 彼方の言葉に感心したように頷く綾女。

 そんな彼女は現在……メイド服に身を包んでいるのだ。


「ふんふん」


 俺が何も言えずにいると、綾女は何かを確かめるように頷きながら、服を指で摘まんでチェックしていく。

 

『ウエイトレス服の参考のために、本格的なメイド服を見てみたい』


 そんな綾女の言葉に『着てみたらどうだ?』と答えたのが数十分前。

 元々こういった服を着るのが好きなのか、それとも喫茶店の仕事で慣れているだけなのか、綾女は意外にもノリノリでメイド服を着ることを了承したのだ。


(そういえば学園祭の時の法被も、ご機嫌に着こなしていたな)


 やはり可愛らしい服が好きなのかもしれん。

 そうして彼方に着付けを頼み、外で待つこと十数分……見事メイド服を着こなす綾女を見て、俺はわなわなと震えていた。

 そんな俺をチラリと見て、綾女は頬を染めつつもメイド服を検分する。


「実際着てみたら色々参考になるよ。お店ではスペース取るから無理かもだけど、パニエでスカートが広がってすごく見栄えがいいよね。広報用として一着そういうの作ってみるっていうのもありかも……あっ、このカフスの金ボタンとか、こういう細かいところでアクセントをつけるのも技ありって感じだよね!」

「お似合いです、綾女奥様」

「あ――ふふ、ありがと彼方ちゃん♪」


 どこか誤魔化すような早口で服を評する綾女は、同じくメイド服を着こなす彼方の賛辞に嬉しそうに笑みを浮かべた後……、


「ち、ちらっ……」


 先程から何も言えない俺を、上目遣いでチラチラと見上げた。

 求められている……可愛い格好をしてみたはいいものの、いざとなって少し恥じらいが上回るが感想はしっかりと聞きたいという複雑な乙女心がこの俺に感想を求めているのだ!!


「綾女……」

「は、はい」


 なぜか敬語になり、喉を鳴らす綾女。

 そのアーモンド色の大きな瞳は期待に輝き、頬がバラ色に紅潮していく。

 そんな乙女な反応をする綾女に俺は……お、俺は――!


「――Very cute.」

「へ?」

「So cute, my friend Ayame.」

「刃君がバグって英語喋ったー!? じ、刃君! しっかりして! 君は和製の鬼さんでしょ!?」

「うっ――جميل」

「悪化したー!?」


 顔を青くしてこちらの肩を揺する綾女だが、俺はもうダメだ。我が友のあまりの可憐な姿に、思考回路が焼き切れる寸前なのだ。自分でも何を言っているのか全く分からん。


「あわわわわ、刃君が壊れちゃった……」

「っ!」


 小さな口をあわあわさせ、綾女は焦りからかその瞳に涙をためる。

 い、いかん。友を泣かせたとなればそれこそ無双の戦鬼の名折れ。今すぐ落ち着かねば……そうだ、同じメイド服ならば彼方も着ている。ならば見慣れた彼方の姿を見て、我が思考に落ち着きを――


「むふー、旦那様。愛娘のメイド服を見て落ち着いて」

「いや愛娘も可愛いぞーーーーー!!!!」

「えぇー……?」


 綾女の困惑した声も置き去りに、俺は庭を駆け回り刀を振るう。

 薄らと雪の積もった植木の先を細かく切り、本格的に雪が降り積もっても枝が折れてしまわないよう調整する。


「――!」


 身体の熱を逃がすかのように速く、鋭く、一心不乱に刻み続ける。

 そうしてひとしきり身体を動かし……完成である。


「よし、落ち着いた。仕事も完璧だな」

「刃君、余波余波」

「む」


 綾女が冷や汗と共に指差す方向を見れば、綺麗に剪定された庭木……その先にある雑木林の樹木が幾本か倒壊してしまっていた。


「今度こそ環境破壊じゃん……」

「……いや待て、薪にすればよかろう」


 たまにリゼットが暖炉に火を灯すのをねだるからな。これも必要な行為だったのだ。


「旦那様、旦那様。私がやる、任せて」

「む、そうか?」


 彼方が熱心にこちらの袖を引っ張って乞う。

 本来ならば皆で庭木の剪定をやろうと思っていたところ、俺が一人で終わらせたことで手持ち無沙汰になったのだろう。仕える者として、何もできないというのは歯がゆいものなのだ。


「では任せた」

「頑張る」


 彼方は静かに手をぎゅっとし、ふんすと鼻息を鳴らす。そうしてどこからともなく斧を造り出し、倒木を解体していく。


「ふぅむ」


 こうして自ら仕事を取りに行く姿勢は見上げたものがあるが、やはり……。


「うーん……これ、私じゃ手伝えないかも」

「無理はするな。そもそも綾女は客人なのだから、どっしりと構えていればいい」


 そんな彼方の後ろ姿を見る綾女も手持ち無沙汰気味だったが、さすがに止める。


「えー? でもお手伝いしないとなんだか悪いし」

「だが綾女は今、仮にも俺の主だ。本格的に手伝わせるなど下僕の沽券に関わる。戯れ程度に留めておくがいい。対価は既に、その姿を見ることで貰ったからな」

「刃君がそう言うなら……」


 こちらの意図を汲む良い子だ。

 やはり清らかな魂を持つ者は物分かりが違う。


「ああ、それと――」

「え?」


 まだ、ちゃんと言えていなかったからな。


「その服、とても似合っている。まるで綾女の為に生まれてきたのかと思えるほどだ」

「あ――そ、そぉ? ふふっ、おおげさだなぁ」


 俺の言葉を笑い飛ばしつつも、綾女は恥ずかしげに指をこねこねさせている。はにかんだ笑顔が大変愛らしい。


「ああ無論、使用人という立場が似合っているという意味ではないぞ。その昔、奉公人には貴族の子女も多く出されたと聞く」


 メイドだからといって低い身分というわけではなかったのだ。


「綾女の雰囲気は、どちらかと言えばそういった華のある人間寄りのものだ」

「わ、わわっ……」

「まあごちゃごちゃと言ったが、一言で言えば"可憐"だ。今すぐに押し倒したいところだが、必死で堪えているのだぞ? まったく、とんだ兵器を生み出してしまったものだ」

「え、えと……ご、ごめんなさい?」

「褒めているのだから謝られてもな。我が友はやはり美しい、そう再認識したぞ」

「あ、ありがと……ござます……」


 ぷしゅう、と頭から湯気が出るのかと思えるほど頬の赤い綾女もまた愛らしい……俯いてぽそぽそと礼を言うその控え目な態度もそそるというものだ。


「さあお嬢様? こちらの椅子へ」

「か、からかわないでよもうっ」


 怒っているつもりなのだろうが、頬が緩んでいるのを誤魔化しきれていない。

 そんな可愛らしい彼女の手を取って、急ごしらえの切り株にハンカチを敷いて座らせた。

 見れば彼女は服に合わせ、靴も編み上げブーツを履いている。立ちっぱなしは辛かろうからな。


「……なんだか、懐かしい」

「む?」


 ふと、綾女が周囲を眺めて遠い目をした。懐かしい、とは?

 疑問に思い首を傾げれば、綾女はおかしそうに、クスッと口許に手を当てて笑う。


「私が初めて君に会った時のこと、覚えてる? こんな風に周りの木が倒れててさ。それで中心の切り株に座ってたのが……」

「……ああ」


 そういえば、そうだったかもな。

 今はもう遠い記憶。追手を打ち払い、しかし当時は刀花とまだ良い関係を築けておらずその場で動けずにいた俺。

 そんな時に現れたのが、綾女だった。


「最初はとんでもないガキに絡まれたと思ったものだ」

「あ、ひどーい」


 頬を膨らませる綾女の隣に、俺も座る。あの日を再現するように。


「だが、そうではなかった。綾女が大事なことを教えてくれたおかげで、俺は当時の刀花と打ち解けることができたのだからな」

「あ、その時の悩みってやっぱり刀花ちゃんだったんだ」

「ああ、感謝しているとも」

「ふふ、別に特別なことを言ったわけじゃなかったけどね……わぷっ」


 本当に特別なことをしたと思っていないのだろう。

 そんな彼女の髪をくしゃりと撫でれば、綾女はくすぐったそうに笑う。


「ふ、ふふふ……でもあの時の鬼さんが、まさかこーんなに悪い鬼さんだったなんてね」

「鬼は悪いものだ」

「ほんとだよ。複数の女の子に手を出すのはダメなことなんだからね? めっ」

「悪鬼冥利に尽きるというものだ」

「もぉ~……」


 開き直れば、隣の綾女は苦笑を漏らしコツンとその肩をぶつけてくる。ほどよい微熱が伝わってきた。


「いーい? そういう関係を築くんだったら、せめて普段は清く正しく美しい生活を心がけて――」

「今すぐに綾女の唇を奪いたい」

「いきなり何言ってるの!?」


 驚愕に彩られるその頬の赤みは怒りからか、羞恥からか。

 ああ、やはり我が友は可愛らしい。我が至宝に加え入れたいものだ。

 俺が頷いていれば、綾女はからかわれたと分かったのか憮然とした表情でこちらを見つめていた。


「もう……せっかく良い雰囲気だったのにさ……」

「ほう、何かを期待していたのか?」

「……知らないっ」


 プイッと顔を背けられてしまった。怒らせてしまったか。


「刃君はもっと乙女心を大切にすべきです」

「分かった、悪かった」

「分かった? ならよろしいっ」


 許すのが早い。

 その者の言葉を信じて疑わない煌めく瞳は、少々悪鬼には眩しすぎる。そして危うい。俺が守護らねば……。


「ふふっ」


 カコーン、カコーンと彼方が黙々と薪を作るのを眺めながら、綾女はスカートから延びる足を楽しそうにパタパタと揺らした。


「これが終わったら、次はお風呂掃除だっけ。お風呂掃除ならうちでもやってるし、これなら手伝えるね」

「……そうだな」


 頬を緩めて言う綾女の言葉に、少し含んだ言葉を返す。

 いかんな。綾女のメイド服姿に興奮してうやむやにしてしまったが、俺には確かめるべきことがあるのだ。


(異音は……まだ大丈夫のようだな)


 再発の兆候はまだない。しかし、再び起こらぬとも限らない。


(そもそも、娘達の話を聞けば“こう”なるのは今ではないはず)


 彼女達は、俺が人型に戻れぬようになったのはつい最近だと言っていた。

 しかし、この世界での俺は現在そうなってしまった。本来であれば遥か未来で起こり得るその事態に。


(ならば確実に理由は近くにある)


 今の状況は、それを確かめるのにうってつけと言える。要は“こちら”と“あちら”で異なるものを探せばいい。

 片や、ここにいるべきではない未来の娘の一人。

 そして片や、娘達の世界ではこの時点で戦鬼と交際を始めているはずの綾女。


(主な差異はここだ。この差異の中で、今の俺に影響を及ぼす可能性があるのは……)


 これは俺の在り方の問題だ。

 そして今、戯れとはいえ友に跪いても、その友に使用人の証である服を着せても、我が肉体に異常は無い。


(ならばやはり、そうなのだろう)


 この時代ではまだ鳴るべきではなかった身体の異音。

 それを加速させた原因は――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る