第196話「ワカサギ蹂躙剣――!!」
俺はまたしても人生……いやさ、刀生最大の岐路に立たされていた。
『……』
ふわふわと中空に浮かぶ我が身は、いまだ刀形態のまま。
柄から垂れる飾り紐を寒風が揺らし、木々から細雪がはらはらと舞う。
俺はそれを視界の端に捉えつつ、まずは右を見る。そこには――
『グッグッグ……我、今ここに復活せり。忌々しくも我を封印せし愚かなる人間どもに、今こそ怒りの鉄槌を下そうぞ……!』
「くっ、間に合いませんでしたか! せめて地表に出てくる前に叩きたかったのですが……こうなっては致し方ありません、このまま応戦致します!」
陰陽局員の戦装束である、幾重にも防護の術が施された巫女服の袖を翻す陰陽局支部長・六条このは、威風堂々と"それ"に対峙する。
少女の睨むその先には、先程地割れと共に姿を現した"ナニカ"がいる。パッと見、ただの黒い球体にしか見えぬ間抜けな姿だが……しかし、その身に宿す神威は空を焦がし、地を鳴動させるほどだ。
「くぅっ、まるで宵闇がそのまま形を取ったかのよう、存在としての格がまるで違います。およそ銀河の一つや二つ、瞬時に丸飲みすら致しましょう……なぜこのような存在が復活直前まで察知されなかったのか!」
『グッグッグ、童にしては聡い感覚を持っておるようじゃな。だが無駄なこと……我はあらゆる陰陽術、呪術、渡来の魔術ですら効かぬ身なのよ』
「なっ!? なんということでしょう……しかし、私は負けません! 私は六条家が長姉にして陰陽局支部長・六条このは! 世に悪の栄えた試しなし! 正義の味方、ここに在り!」
『面白い……!』
キリッとした顔で迫真の決め台詞をかます六条と、それに対し奮い起つようにその身を震わせる黒い玉。
『……』
そんな盛り上がっている右側から視線を切り、無言のまま今度は左を見る。そこには――
「ねぇほんとにこれで釣れるの? 湖凍ってるわよ?」
「ワカサギが養殖されてるらしいですよ~。ふふ、リゼットさん見てください――はっ! トリプルアクセル~♪」
「きゃー!? ちょっ、こんな氷の上でそんなジャンプしないでよ割れたらどうするの!」
「私が重いって意味ですかー!!」
一面凍てついた湖の上に陣取り、可憐なる妖精達が戯れている。我が主と妹だ。
リゼットは凍った湖面を丸くくり貫いた箇所からおっかなびっくり釣糸を垂らし、そしてその周りを刀花がスケート靴を履いてクルクルと舞っている……のだが、リゼットの言葉に刀花はプクっと頬を膨らませて、流れるような足裁きで彼女に詰め寄った。
「私をちょっびりふくよかなキャラに仕立て上げようとしないでくださいよ。いいですかリゼットさん、私が重いのはお胸のせいなのです。決して腰周りにお肉が付いているわけではないのです。ほら!」
「ちょっと……頭の上にその駄肉を乗せないでよ重いって言ってるでしょ――いやほんと無駄に大きいわね……あ、ほんのりあったかい」
「むふー、羨ましいですか? 兄さんは妹のおっきいおっぱい大好きですからねー。なんでしたらリゼットさんのお胸も私が大きくして差し上げましょうか。それっ♪」
――むにゅ。
「ひゃぅん!?」
「おお……予想外に可愛い声です」
「なー! なに揉んでるのよ、このおバカ妹! ひぅ……や、やめてー! ジンにだってまだちゃんと触らせたことないのにぃ!」
「え、そうだったんですか?……むふー」
「そこでちょっと勝ち誇った顔するのやめなさい腹立つわね」
「いえいえ別に他意なんかは。ただ、やはり揉むにしてもある程度のボリュームが必要なのではないかとふと思っただけで」
「は? ありますけど? ご主人様、日本女性の平均カップ普通に越えてますけど?」
「ちなみに私はもうすぐGです」
「じっ!?……だったらお望み通り高みに導いて上げようじゃないのよ、とりゃー!」
「あんっ、リゼットさん優しい……もっと兄さんみたいに激しくお願いします……」
「逆じゃない?」
「――って、あ! リゼットさん釣竿! 釣竿引いてますよ!」
「え、え!? これどうしたらいいのー!?」
「焦っちゃダメです! 慎重に手繰り寄せて……」
文字通り二人で乳繰り合っていれば、今度は二人で焦りながらも釣竿を共に引っ張る。
見ているだけで心温まる光景であり、自分もそこに入れればどれだけ安らぎを得られるか想像に難くない。
『……』
またも無言で視線を切り、今度は背後に。そこには――
「ねぇカナタ……ワタクシこれどういうテンションで見ていればいいんですの?」
「もちろん、これからカッコよく戦闘を開始する旦那様にワクワクしながら。きっと超スタイリッシュ&クールでハリウッド映画化待った無し」
「隣でお母様方がワカサギ釣りしてるのにぃ?」
「あ、天ぷら油用意しないと」
「ここで調理するんですの……?」
「リンゼお嬢様、まさかの踊り食いをご所望」
「してないんですのよ」
「仕方ない。丁度ここに木組みのお舟の模型が用意してある。これにワカサギを乗せ、然る後にお嬢様へ提供する。ピストル彼方へようこそ」
「それした瞬間チヨメお姉様に絶対報告するからね」
「……それは、困る」
そんな愛娘二人のやり合う声が聞こえてくる。どうも姉妹の中では綾女との娘である長女・千代女が実権を握っているようだな……。
『……』
さて、どうしたものか……。
右には戦闘、左は楽土。後方からは期待の眼差し。しかしてこの場に緊張感無し。
無論、戦闘はしたい。俺の状態は現在"道具"としての側面が前に出過ぎてしまっているため、"鬼らしいこと"……簡単に言えば何かを蹂躙して我が身のバランスを取らねばならないのだ。
だが……、
「こ、これ、氷のどこかに針が引っ掛かってるんじゃないの!?」
「分かりませんよぉ、もしかしたらかなりの大物なのかもしれません!」
「淡水に!?」
「ええ、ネッシーとかかもしれませんよ……じゅるり」
「その反応はおかしいわよね」
……こっちを見てくれないものか。
いや俺は彼女達の無双の戦鬼。殲滅できれば何でもよいというわけではなく、彼女達の眼にきちんと我が勇姿を焼き付けてほしいのである。言ってしまえば見栄である。
『うーーーむ……』
俺は唸りながら、もう一度右を見る。
「ふ……たとえ、いかな強敵であっても私は挫けません! あらゆる手を尽くし、必ず御身を討ち果たしてご覧にいれましょう!」
『グッグッグ、笑止千万なり。貴様らと我とでは格が違う、規模が違う。既に我が身は常世の枠には収まらぬのよ。言わねば分からぬほど鈍くはあるまいて?』
「なんですって……はっ、この霊力の反応は!」
『ハハハハハハ! 気付いたか小娘』
いや気付いたか、ではないのだ。まだやり合っておらんのか。
「霊力の波が地下へ流れて……いえ、違います! 地下ではなく、もっと別の――!?」
『左様、別の世界じゃ』
「べ、別世界!?」
『左様。我が神体は既にあらゆる平行世界の我と繋がっている。この意味が分かるじゃろう?』
分からんが。
「くっ……なんと恐ろしい。平行世界とは枝分かれした無数の可能性、つまり――!」
『そうじゃ。儂の力は無限! あらゆる可能性を内包せし存在なのよ。たとえ死しても、平行世界の儂が死んでおらねばこの儂は無限に再生し、増殖する。そしてそれだけではない』
「まだなにか……!?」
『平行世界に干渉できるということは、それ即ちあらゆる時間軸にも影響を及ぼすということ。儂は過去・現在・果ては未来すら思いのままなのじゃ!』
「なっ――!?」
この中学生の小娘はさっきからノリノリだ。黒玉も楽しそうに見える。
『……うーーーーーむ』
今更この迫真の中に入るというのも格好が付かん気がする。
そもそも俺に捧げられし贄のはずだというのに、まるでこの小娘が主人公のようではないか。心なしかその黒い瞳も爛々と輝き、頬も興奮に紅潮しているように見える。
さては今の状況に酔っておらんか……? 正義の味方ムーブができて気持ちいいのかもしれん。
『……イラっ』
我こそは無双の戦鬼。
俺とて敵と対峙し、覇者が如く名乗りを上げた後に対象を正面から踏みにじりたいのだ。
だというのに……現状がままならん。
うぅむ、だんだんと苛ついてきたぞ。この"鬼"を放ったらかしにして、何を楽しんでいるというのだ。勝手に気持ちよくなりおって。
「じゃあリゼットさん、せーので引きましょう!」
「わ、分かったわ!」
「「せーのっ!」」
――ビュン!
カタカタと苛立ちから鍔を鳴らしていると、左端から飛来するものが!
「「あ」」
べちゃ――!
『……』
生臭い。
勢いよく飛来したおかげで釣糸が鞘と絡み、針にかかったワカサギがピチピチと鞘の表面で跳ねる。
「あー……ご、ごめんなさいジン……」
『……』
心地よく滑る漆とは異なる、ヌメっとした感触。
そして、この俺の身に淡水魚風情がキスをしているという事実……。
「に、兄さーん……?」
『……………………』
「あ、これはいけませんね。リンゼちゃん、彼方ちゃん、こっちに避難してきてくださーい」
「「はーい」」
――カタカタカタカタカタカタカタカタカタ……!
鍔が鳴る。
まるで噴火前の火山のように鳴動する。
そんな俺の様子には気付かず、右の方ではまだやり取りが続いていた。
「なんてことでしょう……これでは、人類が……!」
『哀れなり、我に時間を与えすぎたのじゃ。我はもはや宇宙そのもの』
――……さい。
「宇宙! まさに無限を司るに相応しい呼称……!」
『そうじゃ。平行世界と繋がったことにより、儂は世界を思うままに変革することも可能。物理法則すら容易に歪められる』
――るさい。
「そ、そんなことが!?」
『不死と創造など容易いことじゃ。そしてたとえ儂を攻撃しようとも因果律をねじ曲げ無かったことにし、儂が勝利する時空へと世界が移動する。儂は無限……永遠に増殖と再生を繰り返す者。望みならば、この瞬間に億、兆……グッグッグ、垓の儂を解き放とうぞ』
――う る さ い 。
『まさに全知全能! さぁ終演の時じゃ! 無数の儂に飲まれて銀河もろとも消えるがい――』
――ブチッ。
「理屈を立てねば強さを語れんのか己はーーー!!!!」
血管の切れる音と共に、ヌメっとしたワカサギの尾を"この手で掴み"、振り下ろす!!
『ぎゃあぁぁああぁぁあ!!!!』
「えぇ~……」
「雑魚が」
つまらん断末魔と我が主の呆れた声を聞きながら吐き捨てる。俺はああいう手合いが一番嫌いだ。
「お父様、ワカサギで滅ぼしましたわよ……」
「弘法筆を選ばず」
「選ばなさすぎでは……これでは、ごちゃごちゃ言ってた内容が浮かばれませんわよ」
「――よいか、我が愛娘達よ」
「「は、はい!」」
バサリと黒地の着物をはためかせ、背中で語る。
「強さに理屈を求めるな。強く在りたくば、ただ強く在れ」
「ワカサギ持って無茶苦茶言い出したわよこの子。というかちゃっかり人型に戻ってるし」
「視座の話をしているのだ、我が主よ」
~だから強い、○○しているから負けない?
「間抜けが。強さの後付けなど弱者の思考よ。よいかリンゼ、彼方。真の強者は強さに理由など求めぬ。なぜだ?」
「えっ、えっと……?」
困惑したように首を捻る娘二人。分からぬか?
「そんなものは大前提だからだ」
"こう"だから強いはず、ではない。
――この俺が、強くないわけがないだろうが。
「いい教材だったな。ああやってうだうだと馬鹿な理屈をこねるから崩されるのだ。あんなものは立てた時点で砂上の楼閣よ。立つということは、崩れるということなのだからな」
「だからってワカサギもどうかと思うわよ……」
「最強の俺が持つワカサギなのだから、このワカサギも最強でなければおかしいだろうが」
「おかしいおかしい」
「つまりはそういうことだ」
無理を通せば道理が引っ込むとはよく言ったものよ。理屈ではないのだ。
「ちっ、程度の低い塵芥が。戦闘すらおこがましいわ」
おかげで我が主と妹を前にカッコつけることができんかったではないか。俺は大見得を切って元の姿に戻りたかったというのに、ぐだぐだではないか。
「ふふ、まあまあいいじゃないですか兄さん。人型に戻れたんですから、とう♪」
「おっと」
早速こちらの胸に飛び込んできた刀花を受け止め、そのまま柔らかい身体を抱き締める。
甘えるようにこちらの胸に頬を擦り付ける彼女は、そのまま近くで呆然とする六条に笑みを向けた。
「ありがとうございます、このはちゃん。ああやって兄さんが嫌いな感じをお相手さんから引き出してくれたんですよね? おかげで兄さんも、好き放題する"鬼さんらしく"振る舞えましたよ」
「へっ!? あ……も、もちろんですとも刀花様! この六条このは、天才ですので。朝飯前というものです!」
嘘つきめ、ノリノリであったろうが。
「……さて、俺も釣るか。せっかく戻れたのだ。妹に俺の釣ったワカサギの一匹でも食ってもらわねばな」
「むふー、じゃあじゃあ私は彼方ちゃんと天ぷらの準備をしておきますね!」
「マスター、大漁に釣れる場所はあったか」
「まだ始めたばかりなんだから、のんびりといきましょ。ほら、隣に来て」
「うむ」
――ギュッ。
「……ちょっと、誰が抱き寄せなさいって言ったのよ……もう、ばか」
「戻った瞬間にイチャイチャが始まりましたわ……もう少し刀の姿でよかったのではありませんこと?」
「負けてられない。リンゼお嬢様、天ぷらの準備しといて」
「油を投げないでー!?」
あまり締まりはしなかったが。
冬空の下、家族の温もりを感じながらワカサギ釣りに興じる。
ようやく、この腕に確かな存在を抱き寄せつつ。
「……」
身体の違和は無くなったが……。
再発の芽は、さて、いつ摘んでおくべきか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます