第194話「第三回家族会儀(緊急)」



 ――ダンッ、ダンッ!!


 妹が机を木槌で叩く音が、厳かに朝の食堂へと響き渡る。


「開廷します。罪人、リゼット=ブルームフィールドさんは前にっ」

「はい……あの、ほんとごめんなさい……」


 言葉少なく、そしてとても気まずそうなマスターの声も虚しく、刀花は珍しく分かりやすいくらいに憤怒の炎を燃やしている。端的に言ってしまえば、珍しくかなりキレていた。

 現在、しんしんと雪降る二十五日の朝。俺が昨夜、刀形態から姿を変えることができなくなり早数時間が経った。

 過去に類を見ない原因不明のこの事態。無論、この妹に隠し通せるわけもなく……こうして顛末を知った妹に断罪されているというわけだ。

 いまだ刀の姿のまま、『絶対に離しません!』と言わんばかりに妹の谷間に強く挟まれた俺は、あまりの不憫さに声を上げた。


『……妹よ、マスターは悪くないのだ。結局のところ、悪いのは俺が辛抱たまらず――』

「安綱さんは黙っててください」

『安綱さん!?』


 かつてない程の他人行儀な呼び方に死にかける。

 与えてくれた名でも"兄さん"でもなく、ただの銘である、や、安綱……。

 俺が真っ白になって鍔から魂を放出していれば、妹裁判長は俺を鞘ごと強く抱き直し、コホンと咳払いをした。


「さて、状況を整理しましょうか。まずリゼットさんには強制わいせつ罪の疑いがかかっていますが……当時の状況の説明を詳しくお願いします」

「刑事事件ですわ……」

「六ヶ月以上、十年以下の懲役……恐ろしい」


 刀花の物騒な言葉の響きに、食堂の隅に座る二人の娘、リンゼと彼方が身を震わせた。


「い、異議あり。強制ではなく――」

「ああ、監護者わいせつ罪の方ですね。監護する者の影響力を利用してわいせつを働くあの」

「そ、そうじゃなくて――」

「じゃあなんですか。昨夜兄さんと何をしようとしたのかこの妹に教えてください」

「それは、そ、その……」


 もじもじ……。

 頬を染めたリゼットが言いにくそうに人差し指同士をチョンチョンと突き合わせる。


「その……ね? 私もちょ~っと調子に乗っちゃったというか……初めて恋人と過ごす記念日に酔っちゃったというか……」

「被告はハッキリと発言願います」

「いやあの……ほら、流れってあるじゃない? 若気の至りというか、私もまさかあそこまで盛り上がっちゃうとは……」

「あくまで未必の故意であると? しかしとある筋からの情報によれば、直前に『性欲を抱かない』という"オーダー"の解除があったのではないかという証言がよせられていますが。これはもはや、計画的犯行と言っていいのではないでしょうか?」

「うっ!?」


 鋭い指摘にリゼットが呻く。まさに動かぬ証拠というやつだ。確かにあれはもう『私を襲って……♡』と言っているのと同義であった。


「改めて問います。被告は私の兄さんに昨夜、手練手管を用いていったい何をしようとしていたのですか?」

「うぐっ……そ、それは――」

「妹には散々『いつも生々しい』とか『自重しなさい』とか言っておきながら、内心では実は一番テンション上がってはしゃいでたリゼットさんは、聖夜にいったい何を?」

「やめて……ほんと勘弁して……」


 真っ赤になった顔を手で覆うリゼットだが、刀花はその追求の手を緩めない。


「トーカお母様、よっぽど不満だったのですわね……」

「当たり前。やろうと思えば"お願い"連打で旦那様に"オーダー"を無視させることもできた。しなかったのは、あくまでリゼット奥様へ一握りの慈悲があったから。これじゃほぼ騙し討ち」


 追い詰める刀花を見て、こそっと娘達がそんなことを言っている。

 刀花の"お願い"はリゼットの"オーダー"に匹敵し、刀花はそれを無限に行使できる立場にある。命令系統に関しては、圧倒的にこの"所有者"が上だ。それをしないのは偏に、自分の兄を道具扱いしたくないという彼女の拘りと慈悲ゆえなのだ。


「それで、どうなんですか?」

「うぅ……ゆ、許して……」

「いえいえそんな。私は事実を確認したいだけですので」

「う、く……その――…………ち、を……」

「え、なんです?」

「うぅ~~~……!」


 ああ、リゼットが羞恥の涙でプルプルと震えている……お労しい……。


「ち? 血ですか?」

「うぅ~~~……! ……っちを、しようとしました……」

「え? なんですって?」

「だ、だからっ……え…………ち、を……」

「お腹から声出してください」

「…………いらっ」


 おや、マスターの様子が……?


「むふー、私は堂々と言えますよ? 兄さんを愛していますので。私はいつでも兄さんに襲ってもらいたいですし、そのための自分磨きや心構えも怠りません。よぉく聞いてください? 私は、兄さんと、えっちなことしたいです!」

「――あんですってぇ……?」


 まるでリゼットの愛が足りぬと言わんばかりの刀花の言葉に、彼女は肩をわなわなと震わせ――!


「だぁーもう! うっさいわねぇ! エッチよエッチ! 私は昨夜ジンと赤ちゃん作ろうとしたのよ! なんか文句ある!?」


 キレた――!


「あー! 正体現しましたねこの女狐さん! 文句なんてありありに決まってるじゃないですか私は自重したんですからー!」

「はんっ、油断する方が悪いのよ! こんな格言をご存じ? "イギリス人は恋と戦争じゃ手段を選ばない"のよ!」

「広告でよく見る格言やめてください! 裁判官の心象が悪くなりますよ!」

「なにが裁判よなにが! だいたいねぇ、私と同じ立場になってみなさいな! 好きな人と初めて過ごすクリスマスと誕生日よ!? そんなのはしゃぐに決まってるでしょうがー!」

「開き直りましたね!? 有罪! 有罪ですぅー!」

『おわ~……』


 怒る妹にぶんっと俺は放り投げられ、二人は額を突きつけて言い合いを始めてしまった。

 最近は仲が良かったと思っていたが、やはりプライドに関わるとその限りではないのだ。"自分が一番愛されている"という、恋する乙女の矜持に関わると。


「お父様、大丈夫です?」

『いや、実際困っている』


 放り投げられた先にいたリンゼの手に収まった俺は、応えるようにカタカタと鍔を鳴らす。


『人型に戻れぬなど初めてだ。これでは少女を抱き締めることもできんではないか』

「あ、そっちの心配ですの? てっきり守護に関しての心配かと」

『無論だ。俺はたとえこの状態でも、刹那の間に敵を鏖殺できる』

「ですわよねー……」


 手足がない程度でこの俺は止められん。最初から抜き身であることから、むしろこっちの方が殺すのは早いかもしれんぞ。

 リンゼの手から自慢気に宙に浮きクルクルと回っていれば、しかし我が愛娘は痛ましげにその鮮血の瞳を細めた。


「それにしても、"こっち"でもお父様がこうなるなんて……」

『……なに?』


 意外な言葉に、ピタリと動きが止まる。


『知っているのか?』

「いえ、ワタクシ達も原因までは。ただ、たまにお父様がそうやって刀から戻れない事態になることが、ワタクシ達の枝葉でもあったのです」

「でも、それは私達の枝葉でも最近のこと。学生時代になったのは聞いたことがなかった」

「実はこの枝葉に来たのも、こっちのお父様と見比べてあわよくばその原因を探れればいいかという思惑もあったのですわ。要らぬ不安を与えぬよう、黙ってはおりましたが」

『ほほう……?』


 なんだ、存外娘達なりに考えてここに来たのだな。思慮深い娘を持てて俺は幸せ者だ。だが……、


『原因はそちらでも分かっておらぬのか』

「はい……なにか、お心当たりは?」

『こういった時には常とは違うことを比べるべきだが……この半年は、まさに激動であったからな』


 思えば遠くに来たものよ。

 刀花の生活費や学費を稼ぐ毎日で、妹だけの幸せを願っていた日々。

 それが今やどうだ。可愛いご主人様にお仕えし、金銭的に困らぬ暮らしを与えられ、あまつさえ友人まででき、目の前には娘がいる。

 昔とは比べ物にならぬほど、俺も変わってしまった。


『……ああ、だが身体から異音は発していたな』

「異音、ですの? それはいつから」

『どうだったか……最初は――』


 キョトンとするリンゼと彼方を横目に思考を巡らせる。

 最初は確か……彼方がその思考の一端を垣間見せた時だ。俺の代わりにリゼットと刀花に奉仕することで、俺を独り占めしようとした時の。


『そして二回目はマスターから聖夜の"オーダー"を受けた時。他にもあったが……こうなってしまったのが、昨夜マスターを抱こうとした時だ。ふぅむ、直接的な原因は抱こうとしたことか? まさか俺は少女達を抱けんのか』

「それはないのではありませんこと? 現にワタクシ達は生まれているわけですし」

『……気に入らんな。この俺と"向こうの俺"では性能に差異があると……?』

「そもそもなぜお父様はお母様方に手を出せませんの?」

『持ち主を傷付ける道具などいないからな。そこがどうしても、俺に忌避感を抱かせる』


 我が身を構成する要素は"鬼"、"道具"、"人間"だが、その割合は等しいものではない。"鬼"と"道具"に大きく寄り、"人間"が一番薄いのだ。俺は人間が嫌いだからな。


『うぅむ、なるほど。そう考えると……』


 頭の中で整理しながら話せば、徐々に見えてくるものがある。


『この不具合……在り方によるものか』

「在り方?」

『ああ、異音についてもそうだ。最初の彼方の時は"道具"として少女達の役に立てなかった。"オーダー"を受けた時は欲に忠実な"鬼"を否定された。そして昨夜は……むぅ……?』


 いや、おかしいか?

 "オーダー"は解除されたのだから、"鬼"としてなら抱けたはず。ああいや、そうか……。


『俺はそれすらも自分で否定していたな。リゼットを抱こうとする時に『大事にする』と、まるで人間のようなことを……』

「なんだかややこしいですわ……」

「おバカリンゼ。抜け道はあれど、旦那様はまだ人としての営みが穏便にはできないってこと」

「どうしてですの?」

「人間を認めてないから。繁殖行為なんて、人間的活動の最たるもの。嫌いなものを喜んで増やそうとする人なんていない」

『……そういうことだな。だが、ますます気に入らん』


 娘が順当に生まれていることを考えれば、俺は将来的にそんな人間を認めるということか?

 ――人間の悪意から生まれた、この俺が?


『想像もできんな……この先に考えを改める経験をするとでもいうのか?』

「かもしれませんわねぇ。あっ、もしかして“庭のお墓――」

「おバカリンゼ」

「あいたー!? ぶつことないじゃん!」

「ネタバレ禁止」


 なにやら娘達が騒いでいる。墓……? そういえばこの子達がこちらに来たばかりの頃、『庭に桜とお墓がない』とコソッと言っていたか。


「えー? でもお屋敷の大きな差異ってそれくらいしかないですわよ? ワタクシ達のところにあって、ここには無いものなんて」

「だとしても。それに詳細を聞いても『ククク……少しばかり、鬼ごっこをな』って言ってくれるだけだった。多分、軽々しく話せないこと」

『聞こえているぞ……』

「「ここは聞かなかったことに」」

『……まあ、あえて問うまい』


 どうも未来の娘達は、それらしいことに心当たりがあるようだ。

 だが不吉な響きだ……庭の墓、か。果たしていつになるかは分からんが、少し心に留めておくとしよう。


『纏めるか。どうも俺は最近、在り方がぶれてしまっていたということだな』

「あ、兄さん何か分かりました?」

『おおよそは。そちらも気が済んだか?』


 刀花の声につられそちらを見れば、いつの間にか固い握手を交わす我が主と妹がいた。なぜそうなった。


『仲直り……で、いいのか?』

「はい!」

「ま、まあ……」

『なぜ照れ臭そうにしている、我が主』


 ニコニコ顔の刀花に、唇を尖らせて顔を背けるリゼット。だが、嫌そうな顔ではない。


『どうかしたのか?』

「……その」

「ふふ、ちょっと本音を語り合っただけですよ。私が怒っていたのがどういう点だったのか、とか」

『抜け駆けしようとしたからではないのか?』


 問えば、刀花はイタズラっぽく笑う。


「確かにそうですけど、私だって抜け駆けくらいしますからね。一番ムッときたのはリゼットさんが申し訳なさそうにしてた点です。私、恋のライバルに憐れまれるほど弱い女ではありませんので!」

「……そういうことよ。私はこれからも自信満々に、ご主人様としてジンを取りに行くわ。遠慮なんてしないから」

「くす、負けませんよぉ?」

「……ふんだ」


 おうなんだ急に尊いぞ。

 友達の本音を爽やかに引き出す妹に、そんな初めてできた友達との友情に戸惑って素直になれないご主人様か……。

 やはり"とうりず"。"とうりず"は全てにおいて至高。いずれ癌にも効くようになる。


「あ、ちなみに兄さんには普通に怒ってますよ。妹が原点にして頂点、いいですね?」

『はい、すみませんでした』

「器用に柄頭を下げるわね……」


 妹に見捨てられたら俺は生きていけんのでな。


「それでジン、どうするの?」

『ああ。要は今、一時的に"道具"としての側面が前に出すぎてしまっているということだな』

「あなたってやることなすこと滅茶苦茶なのに、変なところでちょっと理屈っぽいわよね……」

「あー、兄さんって設計図から造られた鬼さんですからね。そういうところはちょっぴりあるのかもしれません」

『我が身ながら情けないことだ』


 戦鬼の設計図などこの世から滅却してしまったが、もしかしたら今の“手も足も出ない”状況も設計の上なのかもしれん。仮にも主に牙を剥こうとしたのだからな。


『とはいえ、ならば話は簡単だ。バランスが崩れているのなら元に戻せばいいだけのこと』

「どうするのよ。“鬼らしいこと”でもするって?」

『さすがは我が主、理解が早いな。そういうことだ』


 ……まあ、それだけではなさそうだが。


『……』


 先程の話……あれでは説明しきれないものがあった。

 俺が今バランスを崩したのは説明がつく。

 だが――別の枝葉の俺はなぜ、最近になってバランスを崩したのか、だ。


『……ふむ』

「? ジン、どうかしたの?」

『いや……』


 もしかすればこの先、娘の一人に厳しいことを言わねばならんかもしれんな……。


『まあ今はいい。“鬼らしい”ことをするため、とりあえず電話だな』

「どこからスマホ出したの……タップも器用……」


 どこからともなく俺のスマホを出現させ、柄頭で電話帳をタップ。


 ――プルルルル、ガチャッ……、


『私、もう仕事を納めたのですがっ!』

『うるさい、案件を寄越せ。なんでもいいから殲滅させろ』


 第一声からキャンキャンとうるさいことだ。それに二十五日に仕事納めだとう? もっと働かんかホワイトか貴様ら。


「あ、支部長の声ですわね」

「コノハ様、声が若い」

「あら、二人ともコノハを知ってるの?」

「ワタクシ達、お小遣い稼ぎにたまに陰陽局の依頼をこなしていますの」

「バイト感覚で神殺し」

「え、私の娘こわ」

『なにやら不吉な会話が聞こえてきたのですが……誰ですか。え、こわ』

『ふん……』


 我が愛娘の事を教えてやる義理などないが……話がややこしくならぬよう端的に事情を話した。今の状況も含めて。


『えぇ~……? まあ事情は把握致しましたが、ちょっと待ってくださいよ。そんなポンポンと危険な案件があるわけじゃないんですから』

『平和か貴様ら?』

『そうですよっ! いいことではないですか!』

『そんなだから年々新規採用も予算も削られるのだぞ』

『ジレンマです……正義の味方は、倒すべき悪がいなければ……』


 なにやら辛気くさいことを言い出したな……。


『それで、何か無いのか。このままでは我が主と妹と触れ合えぬストレスから、ユーラシア大陸を消し飛ばしてしまいそうだ』

『おやめください……ああもう、分かりました。分かりましたよもう。探査もタダじゃありませんのに……その代わり、もう一つこちらの要求を呑んでいただきますからねっ』

『聞くだけ聞こう』


 軽く言う。

 斬る対象がもう一つ増えようが、振り下ろした太刀を返せばそれで終いよ。


『では安綱様……』

『ああ』

『――ちょっと、展示されてきてください。その間に案件を探しておきますので』

『……ああ?』


 展示、だと?


『年末ですからね。久方ぶりに、旧交を温められるのもご一興かと』

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