第186話「血は争えんのだなぁ」



「おとーさんは可愛い娘だけを見ているべき。源氏物語にもそう書かれてる」


 式部の小娘はそんなこと書いていなかったと思うが……。

 胸の中でグリグリと顔を押し付けながらそんなことを言う彼方は幸せそうな表情を浮かべている。

 そんな彼方を、リゼットはじっとりと湿った瞳で見つめた。


「やっぱりトーカの娘ね。おかしいと思ってたのよ、大人しすぎるって。ついに馬脚を現したわね」


 俺と全く同じ結論に達したリゼットだが、その表情は険しい。先ほど彼方が放った『おとーさんは、私の』発言に対し、それを挑発と受け取ったようだった。

 そんなリゼットの言葉に、刀花は衝撃から我に返ったのか反論する。


「や、やめてくださいよそんな言い方。それじゃまるで私もおかしいみたいじゃないですかっ」

「そう言ってんのよ、おバカ妹。結婚って言った? 親愛表現のブレーキがぶっ壊れてるところなんてそっくりじゃない」


 流れ弾を回避しようとする刀花だが、リゼットは刀花を横目で見ながら容赦なくぶった斬っていく。


「これはとんだモンスターが生まれてしまったものね。しかもそこにジンの独占欲とゴーイングマイウェイ感が追加されてるから、もう手がつけられなくなってるじゃないのよ」


 こっちにも飛んで来た。

 だがまあ……その通りなので何も言い返せん。


「……おとーさん、もっとギュってして欲しい」

「う、うむ……」


 言葉のみを捉えれば、娘の可愛らしいおねだりだ。

 しかしこちらを見上げる彼方の瞳には、親子の垣根を悠々と飛び越える情愛が宿っていた。

 頬を染め、漏らす熱い吐息は甘く香る。

 娘の願いを断りきれぬまま、望み通りに強く腕で抱けば「ほわぁ……」と満足そうな声が聞こえてきた。


「じ~ん~? まさか手を出す気じゃないでしょうねぇ?」

「マスターは俺をなんだと思っているのだ」

「将来的に女の子三人を妊娠させる可能性があるクズ男でしょ?」

「いかんな、事実だ」


 証拠映像を既に見られていたため何も言い返せん。

 だがさすがに、娘相手となれば無双の戦鬼といえども手に余る。


(俺にもこの程度の良識はあったのだな……)


 とはいえ、断固として彼方を突き放すというのも気が引けた。

 そう判断に迷っていると、リンゼが疲れを滲ませた雰囲気でため息をつく。


「ワタクシ達のお父様もそんな感じでしたわ。甘やかしすぎなんですのよ、いつまで経っても。だからここまで拗らせてしまって……」

「考えることは一緒か……」


 さもありなんというやつだ。

 会って間もないこの俺ですら、娘達を甘やかしたくなる心地でいっぱいなのだ。ならばこの子達が生まれた瞬間から成長を見守っている向こうの俺ならば、それ以上だろうと容易に想像がつく。


「うぅむ……」

「まったくもう」


 手をこまねく俺を見て、リゼットが助け船を出してきた。


「『私の』って主張するのはいいけど、それはあなた達の枝葉でのことでしょうに。ここはジンが誰のものかハッキリ分からせてあげるべきね、そうしたら諦めもつくでしょう」


 やれやれといった雰囲気で、彼女は卓上に控えているベルの持ち手を摘まむ。俺に命令を下す時に、彼女がよく鳴らす銀製のアレだ。

 なるほど……何でもいいから命令を下す様を見せ、我が所在を明らかにする作戦か。確かに今ベルを鳴らされれば、俺はリゼットの望みを叶えるために彼方を離さざるを得ない。


 チリンチリン。


 涼やかな音色はご主人様が眷属を呼ぶ合図。

 それを聞き届けたからには、動かねばなるまい。


「ジン? そうねぇ……とりあえず紅茶のお代わりでも――」


 しかし、主人の命令を聞きながら彼方を離そうとしたその刹那――、


「お待たせしました、リゼット奥様」

「なっ!?」


 その願いは叶えられない。

 いや、叶ってはいるのだが、望む形ではなかったのだ。


「な、なにが……」


 命令を言い切ろうとするまで空だった彼女のティーカップには、いつの間にか湯気を立てる紅茶がなみなみと揺蕩っている。

 まさに瞬きにも満たぬ時間に、そのお代わりが注がれていた。下手人は、言葉からして先程と変わらぬ姿勢で胸の中にいる彼方なのだろう。リゼットも刀花もリンゼも、何が起こったのか分からぬ様子。


(……一瞬、ずれたな)


 だが、俺は見逃さんぞ。

 彼方のサイドテールが、先程とは異なる位置で波打っている。時を止める滅刻刃でも使い、その間にでも茶を淹れたのだろう。


「おとーさん、褒めて」

「む? あ、ああ……」


 そうして彼方は、俺がやるはずであった仕事を完遂した褒美を求める。それを俺が褒めない理由もない。

 小さな頭を求められるままにくしゃりと撫でれば、彼方は満足そうな息を吐いた。


「これは……に、兄さん? じゃあ私はお菓子の追加を――」

「お待たせしました、刀花奥様」

「うえぇ!?」


 まるでリゼットの時の再現だ。

 俺が動く前に、彼方が少女達の望みを叶えている。しかも彼女達の好みも完全に把握しているという仕上がり具合だ。

 目を白黒させるリゼットと刀花も置き去りにして、彼方は再び俺の胸に収まった。


「おとーさん、褒めて」

「……なるほどな」


 ――そういうことか、この子の真実は。


「……そういうことですわ」


 彼方に対し一つの確信を得ると、リンゼが追従して頷く。やはりか。


「この子の覇道は耳にしたぞ」


『私の無双の力は他者に捧げるもの。そうして私も全てを手に入れる。それが、私の覇道』


 確かにそう言っていた。


「聞いた時は、ただの滅私奉公を旨とするものかと思っていたが……」

「ええ、カナタにとって他者とは“お父様”のこと。お母様方や私への奉仕も、お父様というフィルターを通してやっているに過ぎないのですわ」

「そうして俺が動く必要のあることを先に片付けることで、俺は彼女達への奉仕もできずこうして彼方に独占されるというわけか」


 随分とまあ、我儘な娘に育ったようだな。

 これは確かに、この俺でも強く言えん。俺のために動く可愛い愛娘をどうして突き放すことができようか。

 だが、このまま彼方に雁字搦めにされるのは困る。これが続けば涙目で頬を膨らませるリゼットと刀花の頬が破裂しかねん。

 彼女達への奉仕こそ我が喜びだ。それが為せないとなると、従属する戦鬼として置物同然――


 ギ、ギギギ……。


「む……?」


 なんだ。

 今、どこか自分の身体が軋むような音が――、


「ああ、お父様ご安心を。もちろん対処法はございますわ」

「ん……」


 一瞬の違和感を探る前に、パンパンと手を打つリンゼに意識を割かれた。

 ……今は、こちらの方が急務か。対処法があるのならばそれでいい。


「して、それは?」

「ふふ、もちろんこれですわ」


 リンゼはどこか得意そうに髪をかき上げ、その身に霊力を巡らせる。血流のように身体を這うそれは、やがて鮮血の色をした瞳へと集約されていった。


「カナタ、"オーダー"よ」

「えっ!?」


 聞き馴染みのある言葉を放つリンゼに、リゼットが声を上げる。

 そうか、リゼットの娘ならばこれも道理か……!


「――『鎮まりなさい!』」

「うっ、く……!?」


 力ある言葉と共に、彼方の身体がビクンと跳ねる。意に背くように。

 その姿を認め、リンゼはふふんと鼻息を鳴らした。


「カナタはこうやってたまに暴走しますので、こうして私が手綱を握っているわけですわ」


 なるほど、彼方がリンゼを『お嬢様』と呼ぶのは伊達ではなかったということだ。俺とリゼットが主従契約を結んでいるように、彼女達もまたそれを結んでいるのだった。


「さ、カナタ? そろそろ正気にもど――」

「……イヤ」


 む?


「…………はい?」

「イヤって、言った」

「効いてないじゃないのリンゼ……」

「嘘ぉ!?」


 リンゼを見る我が主の瞳が冷たい。

 しかしどういうことだ。なぜ絶対命令権である"オーダー"が効いていない。


「姉妹だから効きが弱いのか?」

「……違う。愛の、力」

「なぜそこで愛っ!?」


 自信満々に放ったオーダーを破られ、ショックを受けた様子のリンゼが言及すれば、彼方はグッと拳を握った。


「今のおとーさん、精神もそうだけど見た目も若くてエネルギッシュ。カッコいい。オーダーなんて右から左」

「いやワタクシ達のお父様と外見はそう変わらないですわよね!?」

「おバカリンゼ。よく見て、眉間の皺が三本少ない。若い。素敵」

「えぇ……」


 ああ、刀花の娘だ……。

 ドン引きするリンゼの声を聞きながら改めてそう認識した。着眼点が刀花過ぎる……。


「さぁおとーさん。もっともっと私を褒めて。もっともっと頑張るから」

「う、ぬぅ……」

「じ~ん~~~?」

「兄さん……?」


 い、いかん。そろそろ彼方を鎮めねば、また裁判が開かれかねない。今度は家庭裁判所だろうか。

 彼方を突き放すことはできない。オーダーも効かない。そんなブレーキの壊れた娘に、俺ができることは……。


「……ならば!」

「おお! 兄さん、何か手が!?」


 期待に瞳を輝かせる刀花に頷く。

 あまり使いたくはない手だが、致し方あるまい。


「彼方」

「は、はい」


 彼方の肩をがっしりと掴み、その瞳を覗き込む。刀花から受け継いだ琥珀色の瞳、あどけない相貌。見れば見るほど我が妹に似ている。


 ここまで刀花に似ているというのならば、その性癖もまた同じのはずだ――!


 俺は頬を染める彼方の耳に唇を近づけ、ボソボソと言葉を囁いた。


「――お帰り、学校は疲れただろう。こっちに来てゆっくり休め。ああ、何もしなくていい。今晩は俺が飯の支度を……む、なぜ私よりも早く家に帰っているのか、だと? ふ、愛しいお前に、どうしても先に"お帰り"と言ってやりたかったのだ。さ、風呂も沸いている。共に入ろう。無論、この俺が手ずから服を脱がせて――」

「ッッッ!!??」


 ボンっ! と。

 つらつらと言葉を並べれば、彼方は耳の先まで真っ赤に染まる。

 ふ、やはりな――!


「こ、これは!」

「知っているの、トーカ!? いやあんまり聞きたくはないんだけど!」

「兄さんの囁きボイス、トラック八十九『とにかく甘やかされたい時に聞きたい、疲れた妹に何でもしてくれる家庭的な兄さん編(R15)』じゃないですか!」

「聞いてもよく分からなかったわ」

「これはですねぇ、一つ前のトラック八十八『仕事の残業を押しつけられてちょっぴり不機嫌な兄さん編』を聞いた後だと更にシナジーを生むトラックでですねぇ」

「分からないって言ってるでしょうが」

「えっ! 昔、トーカお母様がスマホのデータ移行に失敗して幻の存在と化してしまった、あの!?」

「どの……」


 なにやら脇で騒ぐ声が聞こえるが、俺は努めて情感たっぷりに彼方へと囁き続ける。昔、刀花に言わされた台詞を懸命に思い出しながら。


「こっちだ……(風呂場の扉を開ける音)(シャワーのコックを上げる音)」

「ねぇ今、人間の喉じゃ出せない音が聞こえたんだけど」

「兄さんにダメ元でお願いしたら出せちゃったんですよねぇ」


 俺に不可能はそう無い。


「さぁほら、恥ずかしがるな。お前の成長をよぉくこの俺に見せてくれ」

「!? !!??」

「上から洗っていくぞ。肩、二の腕……指先。終われば、次はその胸を――」

「は、はぅあっ!?」


 想起させるようにたっぷりと間を取りながら言えば、彼方は鮮明にイメージしてしまったのか、通常であればぼうっとしている瞳を見開き、可愛らしい声を上げた。

 そんな彼方を眺め、刀花はまるで作品の出来を確かめる職人のように「うんうん」と頷いている。


「分かります、いいですよねこの場面。いやぁディレクションが大変でしたよ。この絶妙な間を兄さんに覚えさせるのにもうリテイクを何回したか……」

「私、イギリスに帰りたくなってきたわ」

「お労しや、リゼットお母様……」


 よし、このまま畳み掛けるぞ!


「隠すでない。ククク、そら、鏡を見てみるがいい……お前の可愛い姿が、全てさらけ出されてしまっているぞ?」

「う、あ、ああ……!?」

「あぁん、ダメです兄さん! そんな舐めるような視線で妹の身体を見ないでくださぁい!」

「いや脚本書いたのあなたでしょ。ていうかなんでトーカまで叫ぶの……」

「お労しや、トーカお母様……」


 彼方は羞恥にプルプルと震え、断続的に熱い吐息を漏らす。ここだ――!


「分かっている、いきなり身体に触れるなどお前も怖かろう。俺が今からカウントを取る。ゼロになれば、その身体に触れるからな」

「え、え……!?」

「五、四、三――」

「あっ、ああ……!」


 まるでじわじわと、蝕むようにしてカウントを告げる。しかしなぜいきなりカウントをするのだろうな?


「……トーカ、このコンテンツについて何か言うことは?」

「クラスメイトがお話されてたのを聞いちゃっただけなんで私は無実です。というかリゼットさんだって分かってるんじゃないですか」

「……クラスメイトが話してたのよ」


 水面下で何かが行われている。

 だがその間にもカウントは進み――!


「二、一……!」

「あ――」

「ゼロ、ゼロ……ゼロっ……!」

「――――っ!!??」


 三回囁いた。最初の二回は弱く、最後は力強く。ちなみになぜ三回なのかは不明だ。


「……むふー。私も今夜はこれ聞いてから寝ましょうかねぇ」

「途中で電話して差し上げるから楽しみにしててね」

「や、やめてくださいよぉ! 私の密やかなお楽しみなんですよぅ!」

「どこが密やかなのよ。思いっきりご開帳してんじゃないのよテンプルよテンプル」


 リゼットと刀花が言い合う中、その囁きの直撃を受けた彼方は……、


「きゅうぅ~~~……」


 ガクリ、と。

 目をグルグルと回し、身体から力が抜ける。気絶したのだ、あまりの刺激に。


「ふ、刀花の系譜ならばこんなものよ」


 過激なようで、根は純な乙女なところなどそっくりだ。

 うむ、と結果に満足していれば、リンゼが申し訳なさそうにして彼方の身柄を引き取った。


「……お恥ずかしいところを、お父様」

「いや、むしろ安心した。彼方もやはり、俺の娘だと確信した」

「……そう言っていただけると」

「……」

「な、なんですの?」


 聞き返すリンゼの瞳を見る。見定めるようにして。

 初対面の時は随分とコテコテなお嬢様な雰囲気だったが……、


「……さてはリンゼ、お前が姉妹の中で一番の常識人だな?」

「気にしていることを言わないでください……」


 お、おう。気にしていたか。

 リンゼの取って付けたようなお嬢様言葉も、豪奢なドレスや金髪ツインテールも……付け焼き刃なのだ。本当に親の血を引いておるなぁ……。


「法の中でも我が道を行くたくましい長女には逆らえず、やりたい放題の愛情表現をする次女の手綱を握る、キャラの弱い苦労人の三女か」

「べ、別にキャラ弱くないもん! お嬢様だもん!」


 頑張るのだぞ、リゼットの血を引く女の子よ……。


 ――そして数時間後。


「……すごく、良い夢を見ていた気がする」

「え、ええ。それはよかったですわね」

「正夢かもしれない。確かめるべき……」

「ま、待ってもう皆様お休みされてますから! 明日! 明日にしましょう! ねっ!?」


 いつものぼうっとした瞳に戻った彼方を必死になだめすかす三女の姿があったのだった。


 やはり苦労人ではないか……。

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