第160話『この手を離さない』
「あ、兄さんほら見てください。立派なタケノコさんです!」
「帰りに採っていくか」
「こーら、許可されてないのを採取しちゃダメよ。その土地の権利者の物なんだから」
「はーい」
む、そうなのか?
リゼットの注意に、刀花も冗談交じりに返事をしているが……知らなかったな。
逃亡生活中にはよく道端に生えている山菜などを採ったものだったが、これは言わないでおいた方がよさそうだ。
「ん。それにしても、紅葉が綺麗ね」
サクサク、と落ち葉を踏みしめながら歩くリゼットが、目を細めて樹木を見上げる。
彼女につられて見れば、乙女の色付いた頬のように、見事に染まった朱が視界いっぱいに広がる。天気もよく、行楽日和というやつだ。
思わず秋の風を感じていれば、クスリと刀花が笑みを浮かべる。
「お弁当持ってくればよかったですかね?」
「そうかもな。だが、今は目の前の問題を片付けてからにしよう」
刀花の冗談に、肩を竦めた。
自然豊かな情景に、澄んだ空気。まさしくピクニックに最適な日和ではあるが、しがらみの無い方が弁当も美味かろう。
「それでジン? カレンの思い人の家って、このあたりなの?」
「そのはずだ」
こちらへと振り返りながら言うリゼットに頷く。
そう、学園祭も無事に終わり、今は翌日の代休日となっている。
昨日屋上で宣言した通り、俺達三人は化野の思い人“一ノ瀬托生”教諭の住所を訪ねようとしていた。
その男は山崩れで家宅ごと巻き込まれて死んだ、と記事にあったように、俺達もだいぶ街から外れた山際まで歩を進めている。
「どんな人かしら」
「さてな」
興味深そうにリゼットは言うが、俺は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
そんな俺を見て、刀花が首を傾げる。
「あれ、兄さんなんだか怒ってます?」
「ふん、自分の恋人との約束さえ守れん男だ。今のところ、俺の中では評価に値せん」
無双の戦鬼は契約に生きる者。
そんな俺からすれば、契約破りなど言語道断なのである。
「そこへ更に、自分の女を泣かせているとくれば、同じ男として情けなさ過ぎるわ」
「……ふーん。あなたも結構、女泣かせな鬼さんじゃないの?」
チクリと刺すように言うリゼットだが、俺は不敵な笑みを返した。
「俺が流させる女の涙は、幸せの涙だけだとそう決めている」
「兄しゃん、しゅてき……」
「……はいはい、ご馳走様ご馳走様。好きになった人があなたでよかったわ~」
刀花は胸をキュンと押さえてくれているが、リゼットは流すように軽く言う。
……だが、さりげなくこちらの手をギュッと握ってくる辺り、少しは琴線に響いたようだ。そうでなくては甲斐がない。
まあ、確かに冗談めかしては言ったが、これは俺の本心だ。
化野という少女を、永い時間屋上に留まらせていたのだ。まるで縛るように。
そんな少女の涙の代償、それなりの理由がなければ納得はせんぞ。
「……」
そうして三人で仲良く手を繋ぎながら、街の郊外のそのまた奥へと潜っていく。
なぜこんな僻地にとは思うが、一ノ瀬托生とやらは早い内に身寄りを亡くしていると化野から聞いた。おそらく、その山際の家も身内が遺したものだったのだろう。
だからこそ、
「ここだな」
「……土砂しかないわね」
まあそうだろう。
百年近く前の災害。そしてそれ以上前に建てられた物件など朽ちて当然だ。周囲には人の手が入らぬ木々しかないのも加えて。
「うーん、もう角材っぽいものが土から生えてるだけにしか見えません……」
少し開けた場所に出た俺達を待ち構えていたものは、そんな光景だった。
なんとも物悲しい。苔すら生えた残骸は、終わってしまった場所という印象を否応なしにこちらに伝えくる。
そんななんとも言えぬ沈黙の中、最初にそれを破ったのはリゼットだった。
「ジン、どう? “イチノセタクミ”は、いる?」
「……化野のように泣いていれば、分かりやすいのだがな」
大の大人が、情けなさ過ぎるが。
「まあ、声を出せない状態である……というのならば別だ」
「って言うと?」
「山崩れに巻き込まれ、家屋に押し潰されたのだ。グチャグチャの肉塊として漂っている可能性もある」
「え゛」
リゼットが真っ青になり、恐怖にギュッと目を瞑る。
だが、恐怖に際し視界を手放すのは悪手だぞ?
そんな彼女の耳許に、俺は唇を寄せた。
「痛いよー、苦しいよー」
「きゃーきゃー!?」
ガバッとこちらに抱きついてくる金髪お嬢様。プルプルと子犬のように震え、大変可愛らしい。
流させるのは幸せの涙のみと言ったが、それはそれ。これはこれだ。
「もう兄さん、ダメですよ怖がらせちゃ。そんなこと言ったら、華蓮さんなんて頭ぱっかーんしてないとおかしいってことになっちゃいます」
「え、あ、ホントよ! ジン!!」
「可能性の話だ、可能性の」
刀花の言葉に、リゼットが我に返ってしまった。
そもそも幽霊がどのような姿で現界するかなど、法則があるのかも分からん。化け物じみた姿を取る怨霊などもいるのだ、一概には言えまい。あくまで、そういった可能性もあるということだ。
「……とはいえ、その姿が目につかぬのも確かだ。埒も明かん。こちらから手を加えるとしよう」
土砂に埋まる幽霊というのもどうかと思うが、一つひとつ確かめていかねば。
「じゃあ、兄さん」
『ああ、任せた』
ポンと、刀の姿になった俺は、事前に決めておいた通り刀花の手に収まる。
「『――人鬼一体!!』」
スラリと、血に濡れた刀身を鞘から抜き放った刀花は、かつてのように上段に俺を構えた。その額には、戦鬼の象徴たる二本角を生やして。
「我流・酒上流決戦剣技基礎の型――『滅相刃』」
そうして輝く刀身を、目の前の廃屋とも呼べぬ物に振り下ろせば……
「こんなものか」
「おー、やっぱり今時のお家とは感じが違いますね」
災害の跡など欠片も残さずに。
俺達三人の前には、少々古臭い木組みの日本家屋が姿を現わしていた。
ブルームフィールド邸の時と同様に、朽ちた時間を斬り飛ばしたのだ。俺達兄妹に斬れぬものなどない。
さて……、
「一ノ瀬托生、いるか」
ガラガラと、昔ながらの引き戸の玄関を開けながら問う。
狭い土間と、板張りの廊下のみが俺達を出迎えている。
――返事は、ない。
「ちっ」
苛立ちも隠さずに舌打ちする。
どこにいる。
「……とりあえず、家の中を見てみましょう。何か分かるかもしれないし」
「……ああ」
宥めるように言うリゼットの言葉に頷く。
復元した時点で見つかれば、面倒も少なく済んだのだが……また、何か手を考えねばならんのか?
「おお、黒電話です」
「テレビ小さいわねえ。これカラーで映らないんじゃないの?」
キシキシと軋む廊下の先には、畳が敷かれた居間があった。そんな中、二人が物珍しげに古い品を見て回っている。
屋内は純日本風の畳や家具の中に、少々家電が配置されているといった、一般家庭のものと大して変わらない模様となっていた。
「……特段、変わったところもなし」
独身男性の部屋にしては、キチンと整理されているくらいか。
「ん」
……だが、隠れるように一人暮らしっぽくない痕跡もある。
歯ブラシが二本立てられていたり、お揃いのカップがあったりなどだ。確かに、ここは一ノ瀬托生の家で相違ないらしい。
だからこそ、解せない。
大切にされていたであろう品々からは、愛着のような温かな感情が香る。
この家で、二人が愛情を強く育んだであろうことが容易に見て取れるのだ。だと、いうのに。
「……ここにいなければ、どこにいる」
一ノ瀬托生。
薫風学園に名を変える以前の、春光学園に勤務していた教諭の男。
活動圏内で強い思い入れがあるとするならば、この自宅か学園しかないはずだ。
「まさか、本当にあの世に行ったか……?」
愛する女を一人残して?
だとすれば、なんとも身勝手な男だ。笑い飛ばす前に怒りが湧いてくるわ。
そんな風に、会えば文句を言ってやるつもりだった俺が苛立ちを募らせていれば……
「ねえ、ジン……」
「兄さん、これ……」
部屋の隅に置かれた机を漁っていた二人が、俺を呼ぶ。複雑そうに眉を寄せながら。
何か見つけたらしい。
「これは……日記か」
二人が差し出してくるのは、端々に使い込まれた跡のある日記帳だった。
その表情からして、二人は先に読んだのだろう。
お誂え向きだ。この男が化野と過ごす中で何を思っていたか。
それを暴くべく、俺は分厚い日記を開く。
「……ふん」
パラパラとページを捲り、やけに細かく書き込まれた文字を目で追っていく。几帳面な性格だったのかもしれん。
日記は人の本性を浮き彫りにする。秘すべき心の内を晒すための物なのだから当然だ。
「……」
だが……この日記からは、それ特有の粘ついた感情は伝わってこない。時たま仕事上の悩み事が綴られているが、苦笑しながらこの文字を書いたのだろうなというのが文面から伝わってくる。
身勝手な男が書いたとは思えぬほどの、そんな丁寧さが垣間見える日記だった。
「……これは」
そして後半につれ、化野の名前がよく出てくるようになる。
はじめは、自分のクラスに所属する、少し擦れた少女としての記載が多い。
だが、次第に屋上で打ち解け、独りである互いの境遇が似ていることを知り、相哀れみ、傷を舐め合い……愛情を抱くに至る。
要約すればそんな感じだ。
そして最後のページには、こうあった。おそらく、山崩れに巻き込まれる前日に書かれたのだろう。
『華蓮君も、もうすぐ卒業する時期となった。
初めて会った時には、こんな関係になるとは思いもしなかったが、後悔はない。
彼女には僕が必要であるし、それと同じくらい、僕には彼女が必要だ。驕りでも何でもなく、これは僕の自負だ。
学園側は僕達について大事にしたくないのか黙っていてくれているが、次年度はおそらく異動させられるだろう。厄介払いというやつだ。
……いや。あの日、彼女を受け入れた僕が全面的に悪い。学園を非難する権利は僕にはない。これは僕だけの罪だ。もちろん、彼女のせいにするつもりもない。
だからこそ、“これ”は一生をかけて償うという僕の決意だ。証明だ。……華蓮君は、こう言うと怒るだろうけど。
卒業と共に“この指輪”を贈り、彼女には結婚を申し込むつもりだ。
彼女は周囲から、僕らの関係についてちょっかいをかけられている。今はまだ軽いもので、彼女も気にしていないようだが……それが傷となる前に、いち早く癒やしたい。
この指輪を付け堂々と、自分達の関係を胸を張って誇れるように。
僕は大人だ。馬鹿な大人だ。だけど、僕にだって矜持はある。
――きっと彼女の手を引いて、僕が彼女を守ってみせる。一度繋いだ大切な人の手を、決して離したりするものか』
……。
ページを捲っても、それ以降の記述は無い。
日付も、災害について書かれた記事の前日であることを示している。このすぐ後に、一ノ瀬托生は死んだのだ。
大切な人間を守ると誓った、その翌日に。
「……なにが『手を離さない』だ」
「とっても、いい人だったみたいですね」
「……ふん」
机に日記を放り投げれば、机上に置かれた純白の小箱に当たる。
中途半端に開いたそれからは、この男の覚悟とやらが込められた、神聖な煌めきを見せる小さな指輪が覗いている。
俺達がミスコンで貰ったような、ちゃちな安物ではなく。一目見ただけで輝きの格が違うと分かるほどの物だった。
……不愉快だ。全くもって。
「……ならば、この世に未練たらしく縋り付く気概を見せろというのだ」
俺の言葉に反応する者は……出てこない。
屋上のような泣き声も、少女を守ると誓う誠実なる声を上げる者も……いない。空虚に飲み込まれていくだけだった。
「……帰るぞ、ここには誰もいなかった。方策を練り直さねばならん」
あったのは無力な男の、実を伴わぬ言葉だけだ。
「過大評価だった。あれほどの愛情を指輪に込める者ならば、ここに来ればあるいはと思ったが」
俺の勘も鈍ったものだ。
いや……俺は信じたかったのかもしれん。強欲な人間ならば人間らしく、死してなお掴める何かがあるのかもしれんと。
矮小なる、人間の可能性を。
「……ちょっと待って」
しかし。
気落ちした様子の刀花の背を撫でながら、出て行こうとする俺達を呼び止める声がある。
「――」
リゼットだ。
先程まで刀花と同様に気落ちした様子だったが、今はなにやら真剣な表情で机上を見つめて考え込んでいる。
その怜悧な紅い瞳の先にあるのはもちろん、日記帳と指輪だ。
「ねえ、おかしくない……?」
「……何がだ」
彼女の疑問の声に、兄妹揃って眉をひそめる。
俺と刀花は感覚で動くタイプの者。
理論立ててものを考えられる彼女だ、俺達では見つけられない違和があったのだろう。
視線で続きを促せば、彼女は顎に手を当て訥々と語る。
「この指輪って、その先生がカレンの為に買った物なのよね?」
「そのようだな」
日記を読む限りではな。
化野の卒業と共に結婚を申し込むために、この指輪を贈るつもりだった――……いや、待て。
「……どういうことだ」
「え……あ、ホントです!」
「……やっぱり、そうよね」
俺と刀花の言葉に確信を得たのか、リゼットは改めて指輪を見つめる。
「カレンに贈るつもりだった指輪は、“これ”」
ああ、そうだ。その通りだ。
「――じゃあ、今カレンが付けている指輪は、いったい何なの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます