第136話「幽霊いるんだ……」
「ふぅん……ゲームと全然ストーリーが違うのねえ」
『があああああああ!』
「わ、ビックリしました」
「む?」
平日の夜。
地下の酒蔵を物色し終え、戦果を片手に自室に戻ろうとしていると……談話室で映画を見ている主人と妹を見かけた。
呻きにも似た咆哮を放つ大型テレビを前に、二人は仲良さげにソファに並んで座り画面に見入っている。
「……珍しいものだな。マスターが恐怖を煽る映画を見ているとは」
「あ、兄さん」
以前、ホラーゲームに涙を流していた記憶があった俺は不思議に思いながら談話室へ。
刀花は嬉しそうにこちらへ視線を向けてくれたが、リゼットは集中しているのか画面から目を離さないままだ。そんなに面白いものなのだろうか?
「ホラーは苦手なのではなかったか?」
「クリーチャー系なら大丈夫みたい。それにゲーム実況見て慣れたわ……ビックリはするけれど」
「ふむ?」
クリーチャー系……? どうもホラーにも種類があるらしい。
グビリ、とワインボトルを傾けながら俺も画面を見れば、そこには多数の死体がうごめきながら金髪美女に手を伸ばす姿が見受けられた。
「……ゾンビか」
「バ〇オよ。映画があるって聞いたから気になっちゃって借りたの」
「ミ〇・ジ〇ヴ〇ヴィ〇チさん綺麗ですよね」
俳優の女に興味は無いが、なるほど。これだけ二丁拳銃を爽快に操れば見ている側の恐怖心も薄れよう。
「つまりマスターはゴースト……幽霊系が苦手だった、ということか」
「あ、ちょっと勝手にチャンネル――きゃあー! 変えて変えてっ!」
確かめるべく勝手にチャンネルを変える。
画面から金髪美女が失せ、現在放送中の心霊番組が現れればリゼットが血相を変えて叫んだ。
『皆! 祷! 怖! 無!』
「あ、ほ〇怖です」
「聞いたことの無い呪文だな。このガキ共は陰陽師見習いか何かなのか?」
「“オーダー!”『チャンネルを変えなさい!』」
「そこまでか」
俺の意思とは無関係に指が動き、画面は再びゾンビ溢れる映画の世界を映し出す。
「違いが分からんな」
ゴーストだろうがゾンビだろうが、駆逐できる脅威に変わりはない。何が違うのか。
「ゾンビも幽霊も、元は人間だろう」
「雰囲気が違うのよ! 日本のホラーはなんか粘っこくて嫌なの!」
「あー、分かる気がします。実体がない恐怖というのもありますね」
「ふぅむ……?」
幽霊をもまとめて斬る俺には分からん道理だ。
奴らとて実体はある。霊力を纏わせた刃なら滅することはできるのだが……まあ確かに、一般人からしてみれば実体はないものか。この部屋に一般人は一人もいないが。
「ね……ねえ、ジン」
「ん?」
とりとめもなくボケッとしながらワインを飲んでいれば、マスターが何やら視線をさ迷わせながら俺を呼ぶ。聞こうか聞くまいか迷っているような態度だ。
「……やっぱり、幽霊って……いる、の?」
「いるぞ」
「いますよー」
俺と刀花があっさりと答えれば、リゼットはサーっと顔を青ざめさせる。
どうやら彼女は見たことがないらしい。イギリスにもゴーストはいように。
知っているぞ、囁くのだろう?
「ああ、やっぱり聞かなきゃよかったかも……」
「怖いのか? なに、この無双の戦鬼がか弱き霊なぞ追い払っ――」
「え、な、なに!?」
唐突に言葉を切り、無言で部屋の虚空に視線を向ければ……リゼットは不安を覚えたように声を震わせる。
「い、いるの!? この屋敷にもいるの!? オチムシャ!?」
見たいのか、それとも見ていなければ不安なのか。
リゼットは恐怖を感じつつも俺の視線を追いかける。
それにしても落ち武者とは。俺もそのようなコテコテの幽霊とは会ったことがないな。
「……いや、気のせいだったようだ」
「気のせいって……な、なにもいない?」
「ああ。猫のフェレンゲルシュターデン現象のようなものだ」
「それガセじゃ……あなた変なサイト見に行くんじゃないわよ?」
そう言ってリゼットは。
ふう、と一つ息をつき、肩から力を抜いて部屋の隅から視線を戻す。そこには――
「ばあ、です」
「きゃああああああああああああああああ!!??」
その隣には長い黒髪でダランと顔を覆う少女の姿が!
髪の隙間から覗く琥珀色の瞳を見れば、リゼットは絹を裂くような悲鳴を上げた。
「不思議だな。実体はあるのにマスターは恐怖を感じている。幽霊かどうかというより、その雰囲気の話ということなのか……?」
「キャーキャー! 幽霊! テレビから出てくる感じの女幽霊ー!?」
「ぶっぶーです。お兄ちゃんの事が大好きで、未練を残して成仏できない感じの幽霊ですう」
「いやー! 狙いがピンポイントー!?」
そこは怖いのか……?
猫のようにソファから飛び退き、こちらに縋り付くリゼットをよいしょと抱っこしながら首を捻った。
「よしよし、マスター安心しろ。地縛霊は未練を晴らすのが効果的だ」
「祓って! 早く祓って!」
聞く耳持たないというように、リゼットは柔らかい頬をこちらの胸に押しつけて叫ぶ。よほど苦手なのだな。
「むふー、私はそう簡単に成仏しませんよぉ~?」
「刀花、愛している」
「――ありがとうございます、これで旅立てます」
成仏した。
「世界一可愛らしい幽霊でよかったな」
「……あなた達、今月給料抜きだから」
くつくつと肩を震わせながら言えば、胸の中のリゼットは唇を尖らせながら俺達悪戯兄妹に判決を下す。
さすがにやり過ぎてしまったようだ。
「まあ許せ、実際いるのだからな。予行は大事だぞ?」
「う、やっぱりいるんだ……」
リゼットを抱っこしながら、ポニーテールを結び直して笑う刀花の横に座る。
そうして空のカップに詫びのワインを注げば、彼女は項垂れるようにして声を漏らした。
「いるとも。魂を燃料に動く鬼もいるのだ。魂の姿そのままにさ迷う者も当然いる」
「やっぱり、人を襲ったり……?」
「ものによる」
膝の上でコクコクと気を紛らわせるようにワインを飲みながら、リゼットはおずおずと聞く。
そんな彼女に、隣の刀花が「んー」と唇に指を当てながら答えた。
「私達が元いたアパートにも怨霊がいましたよね? 居住者をとり殺しちゃうくらいの……」
「え、あそこいたの!?」
「とっくに斬ったから安心しろ」
バッと顔を上げ自分の身体に異常がないか確かめるように探るリゼットにそう答える。
最早あのアパートも懐かしいな。あの物件に入る者を問答無用で殺す類いの怨霊であったが……
「へ、平気だったの?」
「ふっふっふ、いいですかリゼットさん? 化け物には
「この俺に斬れぬものなどない」
「……納得しちゃうのがなんだか悔しいわね」
得意げに言う刀花に、リゼットは曖昧な表情で頷く。
酒が少し回ったのか、血色が良くなってきた。これならばもう大丈夫だろう。
「霊と一口に言っても千差万別だ」
元は人間なのだからな。
一人ひとり性格が違う人間。それが霊体に影響を与えるのは至極当然と言える。
どれ、この戦鬼と妹が一つ教授してやろう。実体無き者を恐れるのならば、実像を与えてやればその恐怖もいくらか紛れよう。
「恨みを持てば人間に仇なす怨霊に」
「そして未練があれば地縛霊になることが多いみたいですね」
「珍しい例だが、死してなお守りたいものがあれば守護霊となる者もいる」
最近では橘の恋人の男に憑いているのを見たな。弁護士の相談で夏に一度会った時に気付いたのだ。
ああいった類いの者は盆を過ぎれば天に帰って見守るのが常なのだが……遅刻してしまうほど心配なのだろう。
母親というには年若く……なにより、橘を少し複雑そうな目で見ていた。あそこも中々に平坦でない道を歩いているらしい。人に歴史ありというやつだ。
「へえ……じゃあ私のお母様も、私のこと見守ってくれてるのかしら」
「そうかもしれんな」
生憎と見たことはないが、そうだと信じた方が救われることもある。
「お母さん、ですかあ……」
「あっ……ごめんなさい、トーカ」
「いえいえ! 私、特に両親の記憶とかもありませんので、よく分からなかっただけで」
刀花は苦笑して照れたように頭をかいた。
そんな刀花をどう思うのか、リゼットは痛ましげに目を細めている。
「私には兄さんっていう大事な家族がもういてくれてますし……私、リゼットさんのことも家族だって思ってるんですよ?」
「トーカ……」
しかしそんな視線もなんのその。
刀花はいつものニコニコした笑みを浮かべて彼女も家族だと言う。
……昔、一度だけ刀花に「本当の家族を探してやろうか?」と聞いたことがある。
『私が、邪魔になったんですか……? い、嫌です……嫌っ! 嫌嫌嫌ぁ!!』
俺は、自分の浅慮さを呪った。
あの時だけだ、刀花を本気で泣かせてしまったのは。
刀花にとって家族とは血で繋がった者ではない。孤児であった彼女にとってそんなものは重要ではなかったのだ。
「心から一緒にいたいと、ずっと過ごしていきたいと思った人が家族です。私、リゼットさんのことも結構好きなんですよ?」
「……そ、そぉ?」
「むふー」
珍しく、刀花がリゼットにぎゅっと抱きつく。
刀花のストレートな愛情表現に、膝の上のリゼットは頬をかいた。その頬が赤いのは酒だけのせいではあるまい。
「尊い……」
「あなたはなんで写真撮ってるのよ……」
なんだこれは聖画か?
額縁に入れて玄関に飾らねば……。
「こ、コホン……分かったから、もうトーカ……」
「照れ屋さんですねえ」
「う、うるさい」
最後にもう一度ぎゅっと強く抱いてから、刀花は手を離す。憎まれ口を叩くリゼットだが、その顔は満更でもなさそうだった。
「んっんん……なるほどね。確かに守護霊とか、そう聞けば幽霊も怖くないかも」
赤い頬を誤魔化すように話を幽霊の方に戻していく。
よかったなマスター、家族が増えて。
「まあ怨霊は普通に襲ってくるがな」
「台無しにするのやめなさい」
目をじっとりと細めたリゼットにペチリと頭を叩かれた。空気の変化を所望していると思ったのだ。
「じゃあ地縛霊は?」
「あれは無害だ」
未練によってその地に縛られた魂。
特に何をしてくるでもない、その場に佇むことしかできぬ者達だ。
「でもそれはそれで怖いんだけど」
「幽霊が見えるだけで怯える吸血鬼というのも厄介なものだな」
「うるさいわねえ、怖いものは怖いのよ!」
怖くなくなるようこうして性に合わぬ理屈を並べているというのに、理屈を抜かれたら立つ瀬がないぞ。
「ふーむ……ああ。映画などで題材とされるのも地縛霊が多いのではないか?」
「あ、確かにそうかもですね。未練を晴らしてあげたり、それこそ恋に落ちちゃったり!」
「あら、そういうのいいじゃない?」
映し出されるゾンビ映画を見て思い至れば、刀花も援護してくれる。
「うんうん、いいわよね。来世で幸せになりましょうとか、死さえ二人を分かつことはできないとか!」
さすがはロマンチックなのが好きと公言する我が主。うっとりした様子で頬に手を当て、そんなことを言っている。
だが――
「まあそう上手くはいかんようだぞ」
「ええー……そうなの?」
「少なくとも俺は幽霊の番は見たことがないものでな」
俺が言うのもなんだが、そもそも死とはそう軽いものではない。
「この俺ですら回数をこなされれば死に絶える。不老不死もいまだ開発中だ」
死とは生きとし生けるものへ平等に訪れる。
星が廻るように、季節が巡るように。世界というものは少なくとも循環の理で動いている。
「幽霊とはつまり、その循環を阻害する者達。存在するだけで罪深いのだ」
その証拠に、奴らはそこにいるだけで徐々にすり減っていく。川の流れに晒される石ころのように、その魂を磨耗させる。
当然だ、肉体とは魂を流れから守る鎧も兼ねている。鎧も着ずに戦場に赴くなど自殺以外の何物でもないのだから。
「死んで霊体になれるかどうかも定かではないのだ。なれたとて、自分のことも段々と分からなくなっていく」
「そうなんだ……幽霊になるのもあんまりいいことじゃないのねえ」
「可哀想な人達なんですね」
そう、哀れで罪深い者達だ。
「まあ、俺はそう嫌いではないが」
「へえ珍しい、どうしてよ?」
ワインで少し喉を潤し、意外そうなリゼットの問いに答える。
「愚直なのだ、奴等は」
いい意味でも、悪い意味でも。
「魂がすり減り、単一のことしかできなくなる。確かにそれは哀れなことかもしれん」
だが……
「それはつまり、そうまでしても成したいことがあるということ。すり減るとは即ち、同時にその機能に特化した性能になるということ」
余計なものを削ぎ落とし、切っ先を研ぐようなその在り方……正直、共感を覚える。
「霊とは即ち、その信念のみを核とし行動する者と言い換えられなくもない。確かにその存在は摂理に反し罪深いが……その在り方は、決して嫌いではない」
「なるほどねえ……そう聞くと、ちょっとは怖くなくなるかも」
「それはよかった」
「じゃあ私は怖いままなので、兄さん今夜は一緒に寝ましょうね?」
「あなた絶対最初から幽霊怖くない派でしょ……」
「そんなことないですよう。きゃー、兄さん! 怖い吸血鬼さんです! 若い女の子の生き血を啜る、こわーい吸血鬼さんですー♪」
「確かにその通りなんだし吸血鬼は人に恐れられて然るべきなのだけれど、なんか癪に障るわね……」
膝の上のリゼットを押し退けるように飛び込んでくる刀花の頭を撫でながら、一人思索に耽る。
幽霊か……。
その存在を"愚直"と表現したが、言い得て妙だったかもしれん。
唯一つの目的のためにそれ以外の機能を廃し、ある意味真っ直ぐに流れに逆らう者達。
現代化に伴いあまり姿は見かけなくなったが、きっとその魂は悪くない輝きを放っているのだろう。
そう、たとえ果たされぬ運命の中にあろうと。
たとえそれが
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