第111話「宝はいただいていくぞ」
なんとも、面映ゆいではないか。
俺の友人宣言に、目の前の少女は目を丸くしてこちらを見つめている。
身体は小さく、表情もあどけない。その顔を見れば、誰もがこの子を脅威なしと判断するだろう。
だが、その魂に不足なし。よくぞここまで磨き上げたものだ。
人間を信じ、人間という種の価値を示そうとする少女。たとえその身が傷付こうと、歩みを止めぬ真の求道者。
まさに茨の森を、無防備なドレス姿で懸命に駆ける茨姫よ。
王子の助けも待ちきれず、黄昏の光に向けて手を伸ばす者よ。
ならばこの戦鬼。その身に無粋な棘が差し込む前に、その棘を刈り取る刃とならん。
「この子は誰にも汚させん」
「わ、カッコいい……でも、いいの? 教室で一回断っちゃったのに。やっぱりそういう“契約”とか、何か手順がいるとか……」
「いいや、お前には必要ない」
遠慮がちに言う“綾女”へ不敵に笑う。
主従や所有権ならばそういった類いも必要だろう。だが――
「橘がな、面白いことを言っていたぞ」
「え、橘さん?」
そう。
損得勘定でしか人間関係を見ることができなかった俺に、橘はあの時こう言ったのだ。
「橘が言うにはな、ク、クク……『友情は、見返りを求めない』のだそうだ」
「へ?」
間抜けな声を上げる綾女に、いよいよ俺も大笑する。
まったく、なんだそれは! 見返りを求めぬ人間関係など、そんなもの、そうそうあり得るわけがない!
人間社会は特にそういったものでできている。貨幣やサービスが最たるそれよ。人間が最初から無償で助け合うことができていたならば、そのような文明など不要なのだからな!
見返りを求めぬなどと……そのような在り方が蔓延るようなことがあれば、これまで積み上げてきた人間の文明が崩壊するわ!
綾女といい橘といい、人間社会に異を唱える者の多いことよ。今時の女子高生というのは、そういうものが、えー……とれんど? なのかと疑いたくなる。
「だが、悪くない……!」
要はこれも、人間の理想だ。
それはつまり、人間が手を伸ばしても、いまだ届かぬ至宝ということ。
――ならばその宝、この戦鬼が一足先に頂くとしよう。宝を奪うのも、鬼の性だ。
「俺には似合わぬ宝だが、鬼が先に奪取するというのも人間には屈辱だろう。せいぜい見せつけてくれよう……なあ? 我が友、綾女」
「あ、あやめって……い、いきなり下の名前で呼ぶのは、その、だ、ダメなことだよ……?」
「む、そういうものか?」
綾女、と呼んでみればモゾモゾと身動ぎして、消え入りそうな声でそう言う。視線は落ち着きなくキョロキョロとし、その頬は少し赤い。
ふふふ、分かるぞ。どこか面映ゆいのだろう?
いや俺も友人などできるのは初めての経験ゆえなあ。主従であれば全霊をもって尽くせばよいが、友人となると距離感すら分からん。
く、くくく……この俺が手探りか。まったく何が起こるか分からぬものだ。
「ふ、まあいい。追々、関係を深めて知っていけばいいことだ。まずは分かることから済ませるとしよう」
「う、うん。よ、よろしくお願いします……えっと、どうしよう?」
状況は把握している。
俺達の会話に付いて来られず、混乱の極みにあるこの男。その手の内が問題なのだろう。
「私の、その……恥ずかしい写真とか、撮られちゃってて。困ってるの」
「そ、そそそそうだ。この頭イッてるコスプレ野郎が! 俺に何かしたら、こん中のデータばらまくぞ!」
綾女の言葉に自分の武器を思い出したのか、その男はほぼ半狂乱になりながらそう喚き散らす。
「ハ、ハハハ」
そんな愚かしい人間のザマに、俺は笑いを堪えきれない。道化もここに極まったな。
「……さ、帰るぞ綾女。もはやここに用などない」
「えっ、でもまだ――きゃっ……お、お姫様抱っこ……」
俺はベッド上で目を丸くする彼女を立たせ、ひょいっと持ち上げた。
このような薄汚い場など、お前には似合わん。明るい喫茶店で美味いコーヒーでも淹れておけというのだ。
「お、おい! なに勝手なことしようとしてる! 動くな! 動けばこの――」
「ああ。動けばこの、なんだ?」
「決まってるだろ! 動けばこの……あ、れ……? この……な、なんだっけ。え?」
「えっ……」
ハ、ハハハハハハ。
唐突な、まるで失せ物を探すような男の様子に、綾女も男自身も驚愕に目を見開く。男の方が、若干顔が青い。さぞ背筋が凍る心地だろうよ。
いいぞ、もっと踊れ道化。俺にとってお前はもう、それしか価値がない。
「だから人間は愚かだというのだ」
ああ、人間の言葉だったか? 大切なものは失くしてから気付くと。いつでも、人間というのは鈍重だ。
「この俺が」
創造されし時より、守護を主命とするこの戦鬼が。
――俺の友を傷付けた罪人に、まだ何もしていないとでも思ったか?
「おめでたいことだ。おい、貴様。その手に持っている機械は何という?」
「え、これは……え、これ、なんだっけ……?」
「ここはどこだったかな?」
「ここ、は……あれ、ここ、どこ……?」
俺の質問に要領を得ず、不気味な言動を繰り返す男に、腕の中の綾女も顔を青くする。
「ぶ、部長……?」
「部長? ぶ、ちょうって……なんだっけ……」
「おっと、綾女。軽々しく今のこいつに質問をしてやるな……そこから忘れていくからな」
『なっ!?』
顔を驚愕に染め、目を見開く。
はっ、余裕があるではないか。自らの記憶を、プリンが如くスプーンで端から掬われているような状況で。
「手元が狂ったか。勢い余って記録だけではなく、記憶も斬ってしまったようだなあ?」
状況は把握していると言っただろう?
我が友の玉の肌が写った画像など、ここへ来た瞬間に斬り殺したわ。俺に斬れぬものなどない。
「おい、貴様の友は誰だ?」
「あ、あ……わか、らない……!」
「貴様の親は誰だ?」
「ああ、消え……! や、めろ、やめてくれ……!」
自分という存在が徐々に白紙になっていく気分はどうだ。
記憶喪失などという生易しいものではない。消去だ。地盤を一から再び組み立てるのに、さぞ時間がかかることだろうよ。
ああ、ちょうどいい。
「貴様も綾女を見習え。幼き頃から善行を積み、ついには鬼すら友にした女だ」
人間は一冊の本だ。
物語を積み上げ、伏線を張り、そうして今の自分を象っている。かなり厚みのある本だ。その伏線を、綾女は見事回収したのだ。
「ならば貴様も今一度白紙に戻り、物語を書き換えるがいい。その腐りきった物語をな」
なかなかできぬ体験だぞ? 特別にこの戦鬼が機会をくれてやろうというのだ。
「心優しい友の手前だ、殺しはせん……壊しはするがな。礼はいらんぞ。それに貴様にはあの時、もう渡したはずだ」
箱にくれてやっただろう、三途の川の渡し賃を。
河原をさ迷いながら、一度その身をその水で清めてくるがいい。その身を白に染めてな。
「では、宝は頂いていくぞ。確かに頂戴した――ああ、最後に」
「あ、ああ……! や、やめて、くれ……!」
「鬼さん……怖い……」
自分の記憶が矛盾だらけとなり、発狂手前の男を見て綾女はポツリとそう言葉を漏らす。
知らなかったか? 鬼とはな、怖い生き物なのだ。これから知っていけばいい。
俺は綾女の目を手で隠しつつ、見るに堪えない男をその旅へと送り出した。
「貴様は――誰だったかな?」
……ああ、一つ聞き忘れてしまった。
「ク、ハハハ……」
なあ、これも貴様の好きな“善行”というやつなのかなあ?
ハ、ハハハハハハ……
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!
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