第96話「むふー、見せつけちゃいましたかね?」



「うぅ~む……」


 うろうろ……うろうろ……


「ねえあれ……」

「あー、今噂の酒上さんとこの」

「自己紹介とかすごかったらしいけど、ホントかな?」


 校門を横切る生徒どもがヒソヒソと何か言っているが、俺の耳には全く入ってこない。

 そのような些事よりも、この胸中に渦巻く不安の方が俺には重要だ。


「お、遅い……」


 確かに校門で待ち合わせと約束したはずだ。

 ろんぐほーむるーむとやらが終わり、俺はすぐさま校門へと移動した。あのような有象無象が集まる個室になどいられるかというのだ!

 今すぐ会いたい。その一心で待つこと十数分……だが、いまだ愛しい彼女達の姿が見えないのだ。


「まさか、危急の事態が……!?」


 ないと分かってはいるが、そう思わずにはいられない。

 彼女達の生体反応は健全で、流れ込んでくる感情も安定している。

 通常、クラスメイトと何か話しているのだと思うところだろう……しかし!


「万が一のことがあれば……」


 やはり教室まで迎えに行くべきだったか。

 くっ、マスターから「恥ずかしいからやめて」と言われてさえいなければ!


「……そもそもだ。こんな学園というものさえなければ」


 煩わしくなってきたな。

 学園。子どもが大人になる準備をするための学習施設。幾人の大人達が子どもを先人として導くことを旨とする学び舎。

 だがな……そんなもの親がしろというのだ。怠慢なのではないか? 以前から疑問だったが、なぜわざわざ他人に自分の子どもを任せようとするのだ。

 俺とて小学生の刀花をここまで育て上げたという自負がある。本音を言えば他の人間に大事な妹を預けることなど最初から反対だったのだ。

 世間が、法律が、時流が、学園に通うことを最低条件としている節があるのは理解している。だからこそ、俺もこれまで涙をのんで刀花を学園に送り出していた。

 ……考え始めると憎たらしくなってきたな。

 もういらんのではないか? 学園など。勉強がしたければ各々で勝手にしろというのだ。わざわざ一所に集まる必要があるのか?

 マスターも刀花も、教科書さえあれば物事を読み解く力はある。畢竟、勉学など独学でもなんとかなるものだ。……教師に教えてもらわねば理解できない子はどうするのか? んなもん俺が知るか。


 結論、いらん。


「よし、斬るか」


 龍脈に接続。

 対象……学園及び学び舎、教育機関の概念。

 識別、捕捉――完了。


「我流・酒上流十三禁忌が十――!」


 最初からこうしておけばよかったのだ。これでさっぱりするというものだ!

 俺は人の理を斬り裂く準備をしながらうんうんと頷く。

 そうとも、これでマスターも刀花もクラスにおける煩わしさに囚われることもない。

 俺もそうだ。なにやら話しかけてくる隣の席の人間にかかずらうこともなくなるだろう。俺が教室を出る時にも何か言いたげだったが……


(あの女……)


 名は“ささき”だったか“すずき”だったか忘れたが……


(あの魂は……)


 右腕に霊力を籠めながら不快げに鼻を鳴らす。

 まったく、嫌なものを見たものだ。

 あの小娘はさも普通の人間のように他と溶け込んでいたが……とんでもない。この戦鬼の目は誤魔化せんぞ。

 あの色が、形が、ただの人間であるものかよ。

 いや、ある意味では――


「……まあいい。これで終いよ」


 さらば学園。

 再びその文明が形を成し構築されるまで!


「――『人理絶刀じ」


 そうして俺は、俺と彼女達を離れさせる憎っくき学園という文明に手刀を降りおろ――


「に………ぃ…ーん」

「むっ!?」


 そうとしたところでピタリと止まる。

 ……聞こえるぞ。

 校舎から響く、この愛おしく愛らしい声!


「兄さーん!」


 おお……見える。見えるぞ!

 校門から正面。生徒用昇降口から手を振りながらダッシュしてくる愛しい妹の姿が!


「に――」


 そんな彼女は校門で佇む俺の姿を見つけると、パアッと顔を輝かせてますます速度を重ね、


「い――」


 その手に持った学生鞄を俺の顔に向かって放り投げた!


「さ――」


 鞄が視界を塞ぎ目眩ましとなる。

 その一瞬だけ、俺は愛しい妹の姿を見失った……


「――と思っている妹の姿はお笑いだったぞ!」

「んーーー!♪」


 鞄を払い除けるようにキャッチし、その影に隠れ俺の腹にタックルをかまそうとしていた妹を真正面から受け止めた。

 きゃあきゃあ笑ういたずらっ子な妹の衝撃を緩和するために、彼女の身体を抱き留めながらくるくると回る。

 ざわめく周囲の視線などものともせず、夏の日差しにも負けない彼女の嬉しそうな笑顔。抱き締め合う姿はさながら映画のワンシーン。流れる曲は『I will always love you』……別離のつもりはないが。


「兄さーん♪ 会いたかったですよう、寂しかったですよう!」

「俺もだ、可愛い俺の妹よ」


 夏休み期間ではほぼ離れずにいたからな。俺も一日千秋の思いだったぞ。

 メリーゴーランドも終わり彼女を優しく地に下ろせば、こちらの腹に抱き付きぐりぐりと頭を擦り付ける。すっかり甘えん坊モードだ。


「ずいぶんと甘えん坊ではないか。学園で嫌なことでもあったのか? やはり滅ぼすべきか……」

「違いますよう。兄さんが校門で待っててくれたのが嬉しくって」


 ここで待てと言ったのは彼女だというのに、刀花はにへらっと頬を蕩けさせる。


「何度か学園まで迎えに来たこともあっただろう? その時も校門で待ったぞ」

「学生服で待っててくれてるのがいいんじゃないですかぁ、同年代の恋人が待ち合わせしてる感が最高です。兄さんが学園に編入してくれてよかったですー♪」

「そういうものか。だが毎日このテンションでは身がもたんぞ? ……明日も明後日も、俺はここでお前を待つのだからな」

「むふー、やったあ!」


 おい学園最高だな。誰だここを滅ぼすなどと言ったたわけは。

 ここを滅ぼすなど、この戦鬼が許さんわ。ここを戦鬼特別保護区とする。


「す、すご……」

「熱烈……」

「き、兄妹なんだよね?」


 周囲から、驚愕と戦きの混じり合った声が聞こえる。

 ふ、見たか我らが兄妹の絆。

 貴様らの入り込む余地など毛ほどもないのだ、刮目せよ。


「うへへぇ、兄さぁん……チューしましょチュー」


 ざわっ……!

 刀花の言葉でよりさざめきが広がる周囲だが、俺の知ったことではない。

 よほど嬉しかったのか、我が妹のテンションはいまだ上昇中だ。その顔はデレデレに緩んでしまっている。


「チューしてぇ、学生結婚してぇ、赤ちゃん作ってぇ」


 ざわざわっ……!!

 我が妹の未来設計がとどまることを知らない。だが……その意気やよし!


「子育ての大変さに涙してぇ、倦怠期の切なさを知ってぇ、でも夫婦の絆で乗りきってぇ、畳の上で大切に育てた子ども達に見守られながら大往生してぇ」


 とどまらんなー。


「さ、酒上さん……!?」

「兄妹なんだよねっ!?」

「お、俺たちの酒上さんがー!?」


 あ?

 貴様らの刀花になどさせた覚えはない殺すぞ殺すわおら死ね!


「きゃー!?」

「え、なんだよ!?」

「だってよお前……ズボンが!」

「パンツも!!」

「なっ、いやーん!!」


 社会的にな。

 ほざいた男のズボンのベルトとパンツのゴムを斬ってしまえば、もはや残されるのは俺たちの世界だ。

 もう俺の目には、妹しか映らない……。


「兄しゃーん……むちゅ~……」


 そうして少々乙女にあるまじきだらしない顔で、刀花は唇を突き出し……!


「往来で何やってるのおバカ……」

『あいたー!?』


 スパァン、といい音を立てて叩かれる我ら兄妹の頭。


「……何をする、我がマスター」

「こっちの台詞なんだけど? まったく、目を離した隙にこれなんだから」


 もう、と腰に手を当てて唇をへの字に曲げるのは、遅れてやってきた我が愛しのマスターだった。


「うわ、めっちゃ綺麗……」

「あんな子うちにいた!?」

「ほら、留学生で。それに噂じゃお兄さんの方の……」


 再びざわめく雑踏に、我がマスターは見せつけるようにその輝く金髪を払って見せる。

 おぉ……と。

 堂に入った振るまいに感嘆の息が周囲から漏れるが……耳の先がちょっぴり赤いのを俺は見たぞ。


「ジン? 妹とはいえ他の女の子に尻尾を振るなんて、しっ、躾が足りていなかったのかしら」


 ちょっと噛んだ。


「もしかしてこれ、修羅場?」

「でも酒上さん妹……」

「し、躾……女王様だ……!」


 女王様と言われた瞬間、カアッと頬が赤くなったが彼女は余裕の笑みを湛えている。一見は。実際は羞恥にまみれているのだろう。

 刀花のムッとした視線を受けながらも、マスターは試すようにこちらに視線を投げ掛けた。


「ねーえジン? あなたのご主人様はだぁれ?」

「お前だ。我がマスター、リゼット=ブルームフィールド」

「可愛いご主人様が帰り支度を済ませて来たのに、あなたはそこで立ってるだけなの?」

「これは失礼した」


 ツン、と顎を上げるご主人様に歩み寄り、妹と同様に紫外線カットのアクセが揺れる鞄を受け取る。そして、


「あっ……」


 その小さく、しかし熱い掌に自分のものを重ね、指を絡めた。手首を持ち手に通しただけの鞄が少し邪魔だが。


「さ、お姫様?」

「んっ。ま、まあ及第点ね。次からは言われる前にご主人様の手を取ること、いいわね?」


 すげぇこのご主人様、プリプリしながらデレデレしてる……。

 それにしてもまた及第点か。俺は彼女の採点で及第点以上を取れたことがない。

 その割に彼女はしっかりと指を絡ませ、控え目にニギニギとしながら上目遣いでこちらの反応を窺っている。愛おしい……。


「私もー!」


 ガバッ、と。

 左のマスターに対し、右腕には妹が絡み付く。

 刀身が鞘に収まるように、俺の腕は妹の魅惑の膨らみに埋没していった。

 歩き出せばその動きに伴いたゆんたゆんと揺れる。


「あれ……なにこれ」

「こ、これ修羅場じゃない! イチャイチャしてるだけだっ!」

「どうして」


 右腕を見たマスターがぐいっと左腕をかき抱く中、俺達は歩を進める。


「さてさて、お昼ご飯はどこに行きましょう?」

「……ちょっと落ち着けるところがいいわ」

「ご休憩ですか? もう、リゼットさんはドスケベさんですねえ。さすがはゴムを――」

「きゃーきゃー!?」


 いつも通りの、少し賑やかで甘い感触に包まれながら。


『……なにこの……なに……?』


 呆然とする幾多の視線を置き去りにして。

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